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剣闘のカタナ  作者: 某霊
2.車輪の乙女と死者の轍
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地を裂く刃

「さあて、これで終わりかな」

 剣闘士、『旗使い』ディム=スーヴェニアは周囲を一巡り見回して、軽く息をついた。


 足元には、折り重なって倒れている数人の男――『人斬り剣獄』の私兵たちだ。

 ディムは地下剣闘場の周辺を見張っているこれらの人員を、闇夜に紛れて虱潰しに叩いて回っていた。


 彼が単独で私兵たちを無傷で気絶させたこと自体は、二つ名持ちの剣闘士の実力を思えば驚くほどのことではない。特筆すべきは、十人以上もの敵を降した彼の戦いが、誰にも気付かれずに終わっていることだ。


 人気の無い夜、物音は昼間とは比べ物にならないほど良く響く。ましてこの周辺には他ならぬ見張りの人員が配されているのだ。

 剣戟一つ、叫び声一つも起これば、それだけでディムの存在は明らかになっていたはずだ。


 しかし、こうしてディムが潜伏したまま役割を果たしたということは、彼と戦った全員が太刀打ちは愚か誰何の声を上げることさえできずに打ち倒されたという事実を示している。


 『旗使い』ディム=スーヴェニア。『闘技王』の右腕と呼ばれる男は、底知れぬ実力の片鱗すら見せずにこの場を征したのだった。


「お? この音は……」

 と、ディムは静けさを保ったままの夜の街区に、微かな音を聞き取った。


 遠く、こちらへと向かって来るその音は。

 ガラガラと、地を蹴立てて奔る――重々しくも烈しい車輪の嘶き。


「来たか――『車輪剣』」

 それは、「柔」のディムとは対極の、「剛」の剣。


 死者を轢き潰す煉獄の刃車が、偽りの地獄を裁くべく回転数を増して迫っていた。



「分かってないな」

 その、凪いだ声音で呟いた言葉に。


「――え?」

 ククは、呆然と声を上げた。


 彼の精神は最高潮にまで昂ぶっていた。

 強化薬物によって暴走する聴覚を手に入れて、殺し合う相手たるカタナの動きを読み切り、反撃の曲剣を喉笛に叩き込んだ――そのはずだというのに。


「……な、んで……僕が」

 うつ伏せになって地に倒れているのか。


 後頭部には、酷く殴られたような重い痛み。絶頂にあった一瞬前と、床を這う現在。あまりの落差に、ククの認識は追いつかない。


「いくら反応が鋭いからって、それだけに頼っていたら意味がない」

 そう言って、カタナ=イサギナはククを見下ろした。

「もうやめろ。無理に薬を投与してこれ以上戦うと身体が持たないぞ」


「――っ!」

 その言葉に、ククは困惑から我に返り、身体を跳ね上げて立ち上がり牙を剥く。


「まぐれかなにかで命拾いしただけのくせに、偉そうに!」

 そしてククは再度突撃、先の速度よりもさらに速く、カタナへと突っ込んで行く。


(そうだ、僕にはこいつの斬撃なんか、始まる前から聞コエテいる! このタイミングで下段からの突き上げ。狙いは……右肩!)


 読み通り。カタナの剣閃が本来のククでは凌げない速度と鋭さで放たれるが、ククはその瞬間にはすでに身を屈めてカタナの懐に。


 息の溜めから間接の駆動まで聴き取ることによって、ククは攻撃の『起こり』を察知し、常人よりも一手先んじた行動が可能になる。それは、一瞬の差が生死を分ける真剣勝負では決定的な特権アドバンテージ

 その優位で得た猶予をもって、ククの刃が今度こそ決着の一撃を――。


「ぁ、がっ!」


 そのはずなのに。

 ククの身体は、再び地面に叩き付けられた。


「な、あぁ……」

 首筋に痛打を浴びたククは、揺れる視界で微かに見た。

 今、自分が受けた攻撃の正体は。


(剣の……柄?)



 曲剣を取り落とし、へたり込むように両手を地に着いて喘いでいるククを見下ろして、カタナは首を一つ振った。


「確かに大した耳だ。だけど、それでもお前はリウより弱い」


 ククが躱したカタナの剣。それは、最初から当てる気のない、見せかけの攻撃だ。本命は躱された直後に腕を斬り返して放つ、柄の打撃だった。


 迫る刃をギリギリで回避したククは、ほぼ密着した状態から落とされるその一撃を聞くことをできないまま喰らってしまったのだった。


「リウなら、漫然と音にだけ反応したりはしない。もっと、深くを『読む』ことで、こんな小細工は効かなかったはずだ」


 見せかけのフェイントで体勢を崩させてからの、本命の一撃。カタナの攻撃を説明すれば、結局はそれだけのことだ。

 実戦の鬩ぎ合いを知るものならば、本来そう簡単に喰らったりするようなものではない。それをククが、みすみす二度も同じ手に引っかかったのは、カタナのフェイントが巧みだったこともあるが、それ以上にククが己の聴力に酔っていたからだ。


 体内の音を聞き取り一手先を取ることのできる耳。確かに驚異的な能力だ。

 しかし、それだけでは剣の勝負を制することはできない。


「眼を凝らし、肌で空気を読み、直感で危機を回避する。それがリウ――いや、戦士だ」


「ぐっ!」

 歯を噛み締めて剣を手に取り、震えながら立ち上がろうとするククにカタナはゆっくりと告げる。


「もう一度言う。もうやめろ」

 これ以上は、もう戦いにすらならないと。


「ふざけるな……!」

 しかしククには、そんな事実は決して受け入れることはできないものだった。


「あんたは、どこまで人をバカにすれば気が済むんだっ!」

 だから、憤激の赴くままに刃を振り上げて躍り掛かる。


 しかしカタナは、ククの剣と打ち合うことはせず、体捌きだけでいなして捌く。

 ククに対しては、下手に打ち合えば先を取られる。始めから後に回ると決めて受けていれば、その察知能力は効果半減だ。

 これも、ククが戦士としての実力を十分に備えていれば通用しない戦法だ。


 結局、ククという少年は、剣士としては未熟に過ぎる。己の不足を薬で埋めても、こうしてすぐに地金を晒すのがその証拠だった。


「お前は本当に、こんなところで死ぬ気か?」

 カタナは、最期にそう問いかける。できることなら、これ以上暴走するククに負荷を掛けたくはない。


「死ぬのが何だ!」

 しかし、ククは剣を振りかざしてそう叫ぶ。

「ずっと出来損ないのままでいるくらいなら、一瞬でも『本物』に成れる方が何倍もマシだ!」


 その言葉は、ククの心底からの声だ。

 蔑まれ、失敗作と失望され続けた日々に追い着かれるくらいならば、地獄の底まででも逃げてしまいたい。


 それは、あまりにも後ろ向きな、しかし切実な『泣き声』だ。


「……ああ、全く」

 そしてカタナは、ククの言葉に痛みを感じたように顔を歪めた。

 広い世界を知らず、閉ざされた場所のルールに囚われて――己に価値を見出せない。


「だからって、自分を捨ててまで『本物』になって、その先に何があるって言うんだ」

 そう思うから、カタナはククを止めると決めた。


「耳の良し悪しなんかで、人の強さは変わらない。それを、おれが教えてやるよ」


 だから、無理に自分以外の何かに成ろうとするな。


 そう言って、カタナは『姫斬丸』を振るった。



「何を!」

 ククは、いきなり攻勢に転じたカタナの剣を大きく跳び退がって躱す。

 ギリギリで躱せば、先刻のように至近距離からの攻撃を喰らってしまう、ならば、余裕を持って距離を取ればククが攻撃を受ける道理はない。


「そう――この聴覚こそが、絶対の強さなんだ!」

 それは、文字通りのコンプレックス。聴覚で劣ったために蔑まれてきたからこそ、その価値基準を絶対的なものと感じてしまう。


 自分は、下らない理由で迫害されたのではない。そう思い込みたいかのように、虐げられたクク自身が、己を追い詰めているのだ。


 だが、しかし。

「――くっ!」

 躱しきったはずのカタナの突きが、一気に伸びてククに迫る。寸でで察知して身を捻るが、この一手で彼我の距離が一挙に縮まった。


 そしてそこから、縦横無尽にカタナの剣がククを襲った。


(右薙ぎ――、いや、切り上げ? 突き、じゃない! 身体ごと突っ込んで来る!)


 矢継ぎ早に繰り出される、虚実の混ざった連撃。いかに耳で察知しても、それが「本気」か「見せかけ」かの判断までは、ククの脳が追いつかない。


「く、うぅ……」

 それはまるで、詰まされていく盤上遊戯。

 王手チェックを掛けられ続けて、否応なしに王を逃がし続けているように、ククは防戦一方に追い込まれる。


(次にどう動くかは、分かっている。でも同時に、躱さなきゃ、確実に負けることも分かってしまう!)


 一手先を『理解』して場当たり的に対応するククを、二手先三手先を『読んで』攻めるカタナ。どちらが優れているかなど、もはや語るまでもない。


「これが、剣術。そしてこれが――本当の『戦い』だ、クク」

 そしてついに、追い込まれ続けたククの足がもつれて、身体が泳ぐ。


「あ……」

 ――王手詰みチェックメイト


 次の一撃は、もうどうやっても躱せない。己の耳でそう聞き取ったククは、諦めたように眼を閉じて、その事実を受け止めた。


(『シノバの耳』が――こんな簡単に負けるのか)

 それは、とても受け入れがたい事実。ククの人生を縛り続けた重石は、カタナの剣にとってはまるで無力だった。


「……あは、は……世の中広いや」

 なのに、何故か。ククは最後の一瞬、確かに安堵と解放感を感じて。


 狙い澄ませたカタナの一撃が、ククの意識を刈り取った。



「――さて、と」

 カタナは、剣を持ったまま、気を失ったククを見下ろした。


 ククには想像していたよりも、かなり体力を使わされたが、なんとか無事に倒すことができた。


(リウみたいに暗器を使われてたら、もっと苦労したかな)

 実際、リウは戦闘においてはあそこまで耳に頼った戦い方はしない。あくまで己の技と機転、そして『読み』と反応で戦うのが彼女の戦法だ。


 同じ出身の両者の戦い方がこれほど違うのは、単にククが聴覚に拘り過ぎていただけなのか、それとも。

「あの聴覚は、そもそも『戦いのためのもの』じゃないのか?」


 と、そこまで考えたカタナに、舞台の外から声がかかった。


「素晴らしい!」

 そこにいたのは、枯れ果てた老木のような、一人の老人。


「実力は見せてもらった。君を、この『剣獄』の第三位として迎えよう」

 何時の間に降りて来たのか、この地下闘技場の主が、カタナをじっとりと粘つく眼で見つめていた。


「……」

「あのククを手もなく降すとは、聞きしに勝る才能だ。その歳で、既に『上』の二つ名持ちにも劣るまい」

 無言のカタナに構わず、老人は上機嫌でそう続ける。


「待遇は君の要望を最大限受け入れる。どんなものでも用意し、金を積もう。それだけの価値はある――ただし」

 そこで言葉を切って、じろりと老人は眼を横へとやった。

「その負け犬クク――ここでとどめを刺したまえ。それが、『人斬り剣獄リッパーズ・ナイト』の法だ」


「そうだ!」

「殺せ!」

「そのガキの首を斬り落とせ!」


 観衆が、その言葉に同調して声を上げる。そこにあるのは、ククの戦いも、苦悩も、痛みも一切感じず、ただただ娯楽として死を観賞しようという欲望だけだ。


「ずっと楽しみにしていたのだよ。このククが無様に倒れ、幼い生命を散らすのを見るのをな。さあ! 儂に、戦いの果ての死を見せろ!」

 その、至福の絶頂にある老人の声を。


「断る」


 カタナは、心底下らないと斬って捨てた。



「――何と?」

 その老人は、意味が分からないと言いたげに、首を傾げた。

「何を断ると言うのだね、君は?」


「全部だよ」

 カタナは、そう言って周囲を見回す。


 誰も彼も、カタナの拒否に呆然としている。

 勝負は死でもって決する。それが『常識』となっているこの世界にどっぷり浸かっていたものたちは、カタナが異分子だということを、全く実感していないのだ。


「ククを殺す気なんかないし、こんなところで闘士をやる気はもっとない」

 しかし、カタナはこの場所の都合など、最初から知ったことではない。

「最初に言っただろう? このエセ闘技場は、今日おれが潰す」


 老人は、しばし呆気に取られてカタナを見ていた。まるで理解できないものを見る眼で。

「本気かね?」

 その問いに、怒りも嘲りもない。ただただ、カタナが何を考えているか分からないと思っている疑問だけがそこにある。


「カタナ=イサギナ。君が、君一人が、何をどうやったらこの儂の『剣獄』を潰せるというのかね?」

 多少剣が強い。ただそれだけで、一体何ができると言うのか。


「別に、この場の全員叩きのめしてやってもいいんだけどな」

 しかし、カタナは言った。まるで冗談のように、だが当然のことを言ったように軽く。


「それよりも、効果的な方法があるだろう? なあ、そこの変態」

 カタナの視線の先にいるのは。カタナを射抜くような眼で見返す『獣爪剣』のシジウス。


「上がって来いよ、お山の大将。お前を倒して、ここが『上』の新人に負けるような温い・・闘技場だってことを証明してやる」


 そうして、カタナは『人斬り剣獄リッパーズ・ナイト』の王へと剣を突きつけた。



「面白い」

 シジウスは、一言呟き舞台に向かって歩き出す。


 そもそも、最初からシジウスはカタナ=イサギナが気に食わなかった。

 理由は一つ、養父がカタナを気にかけているからだ。


 養父の一番は常に自分でなくてはならない。だからこそ自分はここの『王』であり、息子と呼んでもらえるのだ。

 シジウスにとって、それを脅かすものは誰であっても殺意の対象だった。


「養父上の厚情を拒み、あまつさえこの『剣獄』を潰すという増上慢――微塵に切り裂いても飽き足らん」

 右手に握った『獣爪剣』を軽く振り、舞台の鎖を斬り飛ばす。


 『異装十二剣』。その名は単に奇抜な武器を示すものではない。一部の例外を除き、圧倒的な切れ味を持つ『名剣』だからこそ、その異名は与えられているのだ。


「待て、シジウス」

 と、養父がシジウスを制止した。舞台に上がりかけたシジウスは、不満の色も見せずに足を止める。

 シジウスにとっては、養父の言葉は神の啓示、己の感情よりも優先順位は遥かに高い。


「カタナ=イサギナ。本気だと言うなら、考え直したまえ。君が生き残るには、ここで儂のものになるしかない。今の君では儂のシジウスには勝てんよ」

 養父は、カタナに語りかける。それに、シジウスは当然と頷く。


「ククを殺せ。そして新たな『剣獄』の人斬りの一人として生きるしか、選択肢はない」

 カタナ=イサギナの周囲は全てが敵も同然。そしてシジウスに至ってはカタナよりも強い確信がある。この状況で戦うことなど、自殺行為でしかないはずだ。


 だと言うのに。

「お断りだよ、何度も言わすな」


 カタナは、何の躊躇いもなく、養父の慈悲を拒絶する。


「おれが剣を振るうのは、自分の意思と、剣を預けたレレット=ヒューバードのためだけだ。お前みたいな、血に狂ったジジイの入る隙間はないんだよ」


「貴様ぁ!」

 その暴言に、シジウスは自制も忘れて飛び出した。今日この場で切り刻んで家畜の餌にしてやると決意する。


 同時に。

「――ザイン! 待機している闘士全てに薬を飲ませろ!」

 養父もまた、怒りを露わに命じていた。


「もはや許せん、儂が『上』の小娘に劣るなど! 『剣獄』の総力を挙げて、あの小僧を始末しろ!」


 そう言った瞬間と同時。


「地下闘技場、『人斬り剣獄リッパーズ・ナイト』」


 舞台を挟んだシジウスの正面。地上出口へと通じる鉄の大扉が、悲鳴を上げて弾け飛び。


「『闘技王』アダム=サーヴァの命により、剣闘を汚す一党を征伐する!」


 見知らぬ少女が、車輪を付けた巨大な剣と共に姿を現した。


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