人斬りたちの夜 前編
地下へと踊り込んだロロナ=アンゼナッハは、振り抜いた『車輪剣』を構え直すと、ぎらりとした輝きを宿した瞳で周囲を睨む。
周囲にいるのは、武装していない仮面の観衆。
突入を聞きつけたか、こちらへと向かって来る兵たち。
舞台の上には、剣を構える二人の剣士――。
「……見つけた」
そして、吸い寄せられるように視線は一点に収束する。
それは舞台上、白装束の男が右手に掴んでいる一本の剣。
「『獣爪剣』」
他の諸々は、眼には入ってもロクに認識はされない。
既にロロナの注意は、父の元から奪われた十二の兄弟剣の一つに占められている。長きに渡って行方知れずだったそれをついに見つけ出したことは、常の彼女にはない昂ぶりをもたらしていた。
「何者だ、貴様ぁ! この『人斬り剣獄』に殴り込みとはいい度胸だ!」
と、ロロナの歓喜に水を差すように、立ち塞がる人影。
「何が目的かは知らんが、この『剣獄』の第二位、ガナーン様がいる限り、貴様の好きにはさせんぞお!」
上半身を板金鎧で固め、両手に巨大な鉈を持つ大男が、そう名乗りを上げた。
背丈は長身のロロナよりもさらに上、二メートルを優に越す巨体だ。
男は、髭の密生する厳つい顔を戦意に滾らせ、左右の手を大きく掲げて構える。
「人呼んで、『真・闘王』ガナーン! この双剣の乱撃を受けて無事なものなど……おらぎゅっ!」
「邪魔!」
破断一喝。
口上を皆まで言わせず、ロロナは『車輪剣』を横薙ぎに振り抜いた。腰を支点にして勢いを増した一撃は、剣の重量からは想像もできない迅速さで放たれる。
がら空きの胴に巨大剣を喰らった男は、砕け散る鎧の破片を撒き散らして横に吹っ飛んでいく。血反吐を吐いて倒れた彼は、完全に白目を剥いて気を失っている。鎧を装備していたとはいえ、手加減なしの『車輪剣』を受けて即死しなかったのは幸運と言うしかないだろう。
「『異装十二剣』の第四番、『獣爪剣』――奪還する!」
今斬り捨てた相手のことなど既に忘却の彼方。ロロナは舞台に向かって、車輪を鳴らして駆け出していった。
●
「やれやれ。あの突撃娘ときたら、絶好調じゃないか。とは言え、任せきりにするわけにもいかないしな」
『旗使い』ディムは、ロロナが駆け下りて行った地下への入口を苦笑して見やって、手に持った旗を一回転させた。ロロナが扉を斬り破った轟音は、地上にまで大きく響いていた。
「中でロロナが暴れ出せば、一般の観客たちは我先にと逃げ出す。そして客が使えるのはこの出入り口だけ……っと!」
「うわっ!」
早速駆け上がって来た目端の利く「一人目」の男を軽く突き倒したディムは、そのまま器用に男の首に旗の布を巻き付ける。そして軽く締め上げて失神させる。
「相手は素手の素人でこっちは得物持った剣闘士。おまけに出口は狭いし高所はこっち……ちっとばかり楽過ぎるが、どうしても時間がかかるな。できれば早くロロナの援護に行きたいとこなんだが」
二人目三人目と、次々上がってくる観客たちをひょいひょいとあしらいつつ、ディムはわずかに焦れたように視線を上にやった。
「正門を塞いでる間に、本命の裏の入口をさっさと見つけてくれよ……ミスマにアダムよ」
●
ロロナ=アンゼナッハの剣は、まるで死神が振るう断頭の鎌のようだった。
カタナが見ている間にも、長い黒髪をなびかせて剣を振るう彼女の周囲には人が倒れ、無機質な石畳に血が彩りを添える。
群がって行く『人斬り剣獄』の闘士たちを鎧袖一触――否、大剣一触に薙ぎ払って、『車輪剣』のロロナはひたすらに前へと突き進んでいる。
巨大な剣を、梃子の原理に疾走の勢いを乗せて繰り出す彼女の技には、「力」よりもその「速さ」に瞠目せざるを得ない。
カタナでは持ち上げることもできないだろう重量の剣が豪速で宙を翔ける様は、物理法則が歪んでいるようにさえ感じさせた。
迫る『剣獄』の私兵たちも彼女の剣の間合いには近づけず、怯えを隠して遠巻きに囲むのが精いっぱいだ。
「――っ!」
と、カタナは背後、舞台の外から踊り込んで来た闘士の剣を反射的に躱し、そのまま反撃の剣を首筋に叩き込む。
「ぐぎっ!」
剣の平で痛打された闘士は、あっさりと気を失ってその場に倒れ込む。だが、それを悠長に眺めている暇はカタナにはない。
「殺せ! 侵入者もそこの小僧も、まとめて切り刻んで殺してしまえ! 全員で囲んで嬲り殺しにするのだ!」
次に襲いかかって来た敵をまた叩きのめす中、『剣獄』の主である老人が私兵に守られ奥へと逃げ出しながらそう喚いているのが聞こえた。
「――っち、完全に乱戦だな」
慌てふためき、我先にと逃げ出していく観衆。
その流れを掻き分けるようにして、カタナとロロナへとそれぞれ向かっていく『剣獄』の闘士と私兵、合わせて五十人程度。
その二つの集団を、無視、あるいは斬り捨ててカタナの立つ舞台へと向かって来る『車輪剣』ロロナ。
そして何より厄介なのが――。
「養父上のお許しが出た。これで貴様を心置きなく細切れにしてやれる!」
憤怒と歓喜を混交した歪んだ表情でカタナに迫る、この地下闘技場で最強の座にある男。
無論、それは『獣爪剣』のシジウスに他ならない。
「はっ、させるか!」
しかしカタナはシジウスの戦意に付き合わない。
振り抜かれる異形の剣を大きく跳び退いてやり過ごしたカタナは、そのまま躊躇うことなく舞台から離脱した。
●
「……何っ?」
意表を突くカタナの行動に、シジウスは一瞬動きを止めるが、すぐに我に返って追走を始める。
が。
「うわあ!」
「逃げろ、都市警の摘発だ!」
「くっ、どこだ!」
今やこの地下闘技場は、百人以上の人間がバラバラに動き回り大混乱に陥っている。舞台上に比べて格段に密度の高いこの状況で、出遅れたシジウスはカタナを見失う。
この場で最も多いのは、仮面を付けて殺し合いを見物に押しかけていた観客たちだ。
高見の見物気分でいた彼らは、突如現れた少女の存在に混乱し、泡を食って逃げ出そうとしている。だがただでさえ混雑している中、一つしかない出口に向かって殺到しているために中々進むことができないでいる。出口付近では先を争って観客同士の小競り合いまで起きている有様だ。
その中に、邪魔だとばかりに車輪の剣を振るう剣闘士と、それを迎撃すべく押し寄せる『剣獄』の闘士たちまでいるのだ。今のこの場は、完全に収拾のつかない状況に陥っている。
「く、奴は!」
その只中に巻き込まれたシジウスは、苛立たしく周囲を見回すが、カタナの姿は既に人波の陰に消え去っていた。
●
「――っぐお!」
一方、シジウスから一旦離れたカタナは、するり、と混乱する中に入り込み、まず手刀で意識を失わせた観客の一人から仮面を奪って顔を隠すとそのまま周囲に紛れた。
(鎧を付けて来なかったのが、ここに来て紛れ込むのに役立ったな)
そう内心呟いて、カタナは彼を見失って背を向けている『剣獄』の私兵に一撃を加える。
「ぎっ!」
隙だらけのところに不意打ちを食らった私兵はもんどりうって倒れる。何事かと横にいた闘士が周囲を見回すが、カタナを見つけることはできない。この混乱の中、顔を隠したカタナを見つけ出すのはまず不可能だ。
(このままシジウスを撒いて、先に邪魔になる雑魚を一掃すれば……)
現状、カタナにとって最悪の事態は、シジウスと戦っている間に周囲を完全に包囲されることだ。どうも一般の闘士の実力はさほどのものではないようだったが、一対数十という差は、子供の集団でも大人を嬲り殺しにできるほどのものだ。一定以上の数の暴力とは、個人の武力どうこうでなんとかできるものではない。
とにかく敵の数を減らす。それには弱い者から削って行くのが基本である。その為にこそ、カタナは敵に背を向けてでも、この観客たちを隠れ蓑として利用した。
カタナは勇敢な剣闘士であるが、決して無謀な匹夫ではない。剣闘ではない生きるか死ぬかの場では、逃げでも不意打ちでも使うことに躊躇いはない。
この辺りの判断は、カタナ本人は認めないかもしれないが幼少期の野生生活の影響も大きいだろう。今のカタナには生き残るために必要な行動が、半ば直観的に理解できていた。
そしてこの作戦は、元々は彼が語った「この場に居る全員を叩きのめす」場合に使おうと考えていたものでもある。見世物を見に来たつもりでいる悪趣味な観衆に只中に乱入して混乱を起こし、それに紛れて敵の戦力を削ぐというのがその方針だった。
シジウスが戦いに乗って来たので使うことはないかと思われたが、あの老人の激昂とロロナの乱入で、結局はロロナが起こした混乱に便乗する形で実践することとなった。
「ぐあ!」
「うごっ!」
(これで、十人!)
そしてここまでのところ、状況はカタナの目論見通りだ。シジウスはカタナを見失い、私兵たちは順調に削れている。ロロナが薙ぎ倒している分も含めると敵の戦力は既に半減しているだろう。
(しかし、そもそもどうしてここにあの『車輪剣』が――)
と、まだまだ減る気配のない観客に紛れて移動する合間、カタナの脳裏にふと今さらな疑問が浮かんだのと同時。
「ぎゃ、あああぁぁ――!」
断末魔――。
正にそう呼ぶべき絶叫が、騒然とする闘技場に一際甲高く響き渡った。
●
カタナの作戦はこの場で行える中では最善策と言ってもいいものだったが、それでも、いくつか穴があった。
その一つは。
「この場の全員に命じる。今すぐその場に伏せろ」
突如響いた明らかに致命的な響きを持った叫びに人々が硬直し、周囲の騒音が途切れるのを待ち構えたかのようにそう告げる、シジウスという男の異常性であった。
「動くものは、誰であろうとみな殺す」
そしてシジウスは、右手に握る『獣爪剣』を一つ振る。四本の刃に等しく滴る赤い液体が、粘った音を立てて床に弾けた。
シジウスの足元には、一つの死体。上半身をズタズタに刻まれたその男の顔には、客の証である仮面が、外れかかった状態でぶら下がっていた。
その声に、場のほぼ全てのものが息を呑む。我先に逃げ出そうと争っていたものたちも、完全に動きを止めていた。
この瞬間、シジウスの頭の中には、先程の養父の言葉が繰り返されていた。
(――「『剣獄』の総力を挙げて、あの小僧を始末しろ!」――)
それはつまり。カタナ一人を殺せるなら、私兵や闘士は勿論、『剣獄』に金を落とす客どもを一人残らず切り捨てても一向に構わないということだ。
『剣獄』の評判?
今後の闘技場の経営?
シジウスにとって全ては些事。彼にとっては養父の命令が全てだった。
「もう一度命じる――伏せろ」
「……っひぃ!」
立ち位置が悪くシジウスの視線を正面から受け止めてしまった観客の一人が、腰を抜かしたようにへたり込む。そしてその一人に連鎖して、観客が、私兵たちがその場に身を伏せる。
それはまるで、無力な民草が『王』の威にひれ伏す一場面のようで。
「――見つけたぞ? カタナ=イサギナぁ」
地下の王シジウスは、彼の支配を拒む逆賊をいとも容易く見つけ出した。
「……っ!」
シジウスの行った想定外の行動(暴挙)によって、隠れ蓑を全て引き剥がされたカタナは、今度こそシジウスに正面から相対することになる。
かと思われたが。
「『獣爪剣』!」
カタナが見落としたもう一つの想定外――ロロナ=アンゼナッハが、怒りの叫びと共にシジウスに急接近。その勢いのまま『車輪剣』を振り下ろした。
●
「小娘、邪魔を――」
シジウスは、落下する巨大な剣を半身に躱すと、乱入者を睨み据える。
「邪魔はそちら。『獣爪剣』は、返してもらう」
素早く『車輪剣』を斬り返すロロナも、敵意を隠さず地下の『王』に相対した。
無論、その気迫に怯む『獣爪剣』のシジウスではない。
「『闘技王』配下の『車輪剣』。ふ、ザインが言っていた邪魔者とはお前たちのことか」
ゆらり――と、『獣爪剣』を握る右腕を視線の高さに掲げて構えを取る。手首を軽く曲げ、腰や膝に「溜め」を持たせたそれは、ある種の拳法の構えにも近い。
「養父上のご命令では、お前も一緒に始末しろとのことだが、より優先すべきはあの小僧だ」
そして、シジウスの右腕が弧を描くように大仰に折り畳まれて――。
「だから、さっさと死ね」
一転。鋭く突き刺す四本の爪が、ロロナの顔面目がけて放たれる。
同時に迫る四つの刃。ロロナの顔から胸にかけて襲い来るそれは、速さといい攻撃範囲といい、とても躱しきれるものではない。
「それはこっちの台詞」
しかし、凶悪きわまる殺人剣を眼前にしても、ロロナに一切の動揺はない。
「もうこれ以上、『獣爪剣』には血を流させない」
車輪を蹴立てて巨大な剣が回り込み、その剣身の平を盾として全ての刃を弾く。
「その為に、あなたにはここで死んでもらう」
そして宣告と同時に、『車輪剣』が地下の空気を掻き乱しながら宙を舞う。
それはさながら、激流に押し流される巨木のごとき疾走。人間の力では抗うことのできないと思わせるその一撃は、もはや極小規模の災害に近い暴威である。
「ぬかせ、ここは『人斬り剣獄』――養父上が創り、私が勝ち取った、至高の領域だ。死ぬのはどちらか教えてやろう」
だが、触れれば砕ける超重量の一撃を四本の爪でいなすようにやり過ごし、シジウスは凄絶に笑みを見せた。
双方、まったく躊躇うことなく致死の剣を叩き付け、互いに見事に初撃を凌ぐ。
そしてこの攻防は、どちらかが命を落とすまで飽くことなく繰り返されることは疑いない。
勝者には祝福と未来を。そして敗者には絶望と終焉を。
命を賭けた戦いとはそういうものだ。生きて目的を果たすことができるのは一人だけ。それが自分であるためには、目の前の相手が生きていてはいけない。その共通した認識があるから、容赦なく同質の殺意をぶつけ合う。
そして、だからこそ彼らの間には一片の共感もない。
何はともあれまずは死ね。
貴様の人生の価値など、私が背負うものに比べれば塵芥。さっさと消え去り、屍を晒せ。
無言の内にそう語り、両者の剣はさらに激しく火花を散らす。
そも『殺し合い』とは、そうした排斥心と渇望の喰らい合いである。だからこそ、どちらかが死ぬまで終わらない戦いなのだとも言える。
「行こう、『車輪剣』。私たちの兄弟を取り返す」
「私の『獣爪剣』は、養父上より頂いた『王』の刃。誰にも指一本触れさせん!」
『獣爪剣』と『車輪剣』。
同じ剣匠によって生み出された二本の兄弟剣。共に『異装十二剣』と呼ばれた奇剣の使い手たちは、こうして互いの命を削る殺し合いへと突入していった。




