空を斬る刃
「このっ! このこのこの! バカァ!」
ヒューバード商会の会長、レレット=ヒューバードは、自分の商会の中庭訓練場で木剣を振っていた。
「この、わからずやの、根性曲りの、ろくでなし!」
立てられた目標の柱に目がけて振り回される剣とともに、少女の赤毛が宙に跳ねる。べしべしと、気の抜けた音が中庭に響いている。
「……お嬢は、どうしたんだ? ジークは今日同行していただろう」
後方からそれを眺めるエイン=メノーティが呆れた声音で、横に立つ年下の男に聞いた。
水を向けられたジーク=キアンは、疲れた様にこめかみを揉んで答える。
「組合の会合が終わった時には、もうこんな感じですね。俺は中には入れないので、何があったかは……」
「しかし、サマになっていませんね、レレットさんと剣とは」
訓練を一区切りして二人の元に歩いて来るオーブ=アニアが、汗を拭いつつ商会の主に振り向いた。少女の構えは、腰は入っていないわ肩に余計な力が入り過ぎているわで、はっきり言ってお話にならない。典型的な素人の剣だ。
「まあ、無理もないですけどね」
幼い頃から幾人もの剣闘士の技を見て来たレレットだが、それだけで上手く剣が振るえるようなら、誰もこんな炎天下に汗みずくになってまで武器を振っていない。
なにも闘いに限った話ではないが、魔法の力も神の恩寵も存在しないこの世界では、強くなる方法はただ二つだ。
研鑽の道を弛まず征くか。
それとも、狂の闇に墜ちるか。
どちらにせよ。それは強く決意して、血を流して汗と泥にまみれ、ひたすらにその時間を積み重ねることでしか至れない。両者の違いは、駆り立てるものの違いでしかない。
そして、その事実は公平な法則であり、また残酷な現実でもある。
極論、強い者とは己を磨くことを諦めなかった者であり、弱い者とはその果てしなき道に膝を屈した者だということなのだ。各々の事情を突き詰めれば、その線引きは明白な事実であり疑問を差し挟む余地はない。
もちろん。才能や運、環境など、強さへの道を行く者たちそれぞれに差を付ける要素は数多くあるが、それとても進む一歩がなければただの現象だ。いつの世も、非才の努力は天才の怠惰に勝るのだから。
「ただ、レレットさんの『あれ』は単にストレス解消の八つ当たりっぽいですけどね」
オーブは、そう言って苦笑する。実際彼女に剣を取って戦う気はさらさらないのははっきりしている。境遇としてもそうだし、本人の性格からして他人と争うよりも他者を手助けすることに向いている。
「そう。レレットちゃんたら、組合のオジサマたちに自慢のカタナ=イサギナを貶されておかんむりなのよ」
と、あでやかな張りのある声とともに、品よく着飾った女性がオーブたちの前に現れた。
「ふふ、お久しぶりね。エインくんにオーブくん。そちらの職員さんは初めまして」
「……フェイさんか。お嬢が会ったと言っていたから、そろそろ来るかと思っていたが」
数年ぶりに再会したエインの言葉に、巡礼剣闘士商会の長、フェイ=フィターニアは、美貌に艶のある笑みをたたえる。
「エインくんも、わたしが独立した時にはまだ入りたての新人だったのに、いつの間にかこの街屈指の二つ名持ちとは、月日が流れるのは速いわね」
「……おれはまだまだだ。それよりフェイさん、お嬢がああなったわけを知っているのか?」
「ええもちろん。今回から、私の商会も剣闘に参加させていただくことになったから、会合にも出ていたもの」
そう言って、フェイはくすくすとわざとらしい笑い声を上げる。
「中々見物だったわね、レレットちゃんがあんな風に怒るのは」
●
「しかし、ヒューバード商会は都合よく恨みのある男に意趣返しができたわけだ」
事の起こりは会合である商会がこう嫌味を言ったことだった。
前回の会合で決まった組み合わせで起きたカガマ=ギドウの「死亡事故」、その報告が行われていた最中だった。
「……どういう意味ですか」
レレットは、戸惑うように視線を揺らして、その言葉に反応した。
「いや、別に他意は無いとも。所属剣闘士に対して、あらかじめ『カガマを殺せ』とでも指示を出していたのではないか、などとは思っていないさ。たまたま、偶然の結果がこれならば、巡り合わせというのはあるものだと言いたかっただけだ」
婉曲な言葉はしかし、その底意はあからさまだ。
あちゃー、とフェイは顔を覆った。血の気が引いていたレレットの顔が、怒りで一気に赤く染まったのが見えたからだ。
「わたしが! カタナにカガマさんを殺せと命じたと言うんですか!」
「落ち着きたまえ。誰もそんなことは言っていない。ただ、君の商会に不義理をした剣闘士が、君の商会の剣闘士によって斬られた。それがまあ、偶然にしては出来過ぎている……のではないか? というだけの話だよ」
いきり立つレレットの横合いから、また別の男が宥めるような、それでいて小馬鹿にするような口調で声を投げる。
「おお。あるいは案外、義憤に駆られた若い剣闘士が、うら若き商会長どのに苦難を与えた仇に報いを与えんと独断でしたことかもしれませんな? いやあ、これはなんとも舞台演劇のような筋書きではありませんか!」
大仰なその言葉に、会議場のそこかしこから、密やかな笑い声が上がる。渦中のレレットを煽るかのような、下世話な響きだ。
レレットは、周囲の嘲弄にぎっと歯を噛み締めて、ほとんど睨みつけるように顔を上げた。
「ヒューバード商会のカタナ=イサギナは、断じて私情で人を殺めるような人ではありません! 撤回してください!」
真っ直ぐな言葉であったが、それ故にこそ、狡猾な商人たちはそれに正面から付き合わない。やれやれと肩を竦めて少女の怒りをいなしにかかる。
「だから、もしもの話だと言っているだろう。そのような反応をされては、もしかしたら図星かと勘繰られるぞ? お嬢さん」
「だからそれは――!」
「あーはいはい、皆さんそれくらいで抑えて抑えて。いい大人がみっともないですよー?」
と、刺々しい空気をまったく読まない気楽な声で遮ったのは、エイデン商会のミスマ=ベイフ。『闘技王』を有する商会の主ではあるが、この会合ではほとんど発言権のない男だとフェイは聞いていた。
『無刃』のアダムが気に入らない剣闘を、のらりくらりと拒否することだけが仕事のお飾り会長、そんな風に陰口を叩かれている男だ。
「今回のは事故。そういうことでいきましょー、ってさっき決まったでしょ、皆さん? もういいじゃないですか」
「今回『も』、だろうが。この議題は貴様のところの『車輪剣』が毎度毎度世話になっている話だからな」
嫌味、と言うには毒の強い、忌々しげな言葉にミスマはたははと笑って受け流す。
「いや、それ言われると困っちゃうなー。ねえ議長? 困りますよねえ?」
笑い混じりのその言葉にしかし、フェイはぞくりとした冷気を感じた。ミスマを舐めきっているらしい周囲のものや冷静さを失っているレレットは気付いていない。
だが、フェイの気のせいではない証拠に、水を向けられた議長役、業界最大手イシュカシオン商会の老会長が白い眉をはっきりとしかめていた。
「……今回の事故報告について、特に問題点は見られない。次の議題に移る!」
生まれた間を取り繕うように、彼はことさら大きな声を上げて話を打ち切った。
「はいどうもー」
それを受けて、ミスマはへらへらとした笑顔で椅子に掛け直し。
「……」
立ち上がっていたレレットも、怒気を隠さないまま一応着席したのだった。
そしてずっと傍観していたフェイは。
「……あー、これだから、都市はめんどくさいったらないわー」
小さな声でそうぼやいたのだった。
●
「……で、このやり取りを引き摺っちゃって、今回の会合でカタナ=イサギナは、あれこれ理由付けて対戦避けられまくってたわ。で、剣闘組めずに一回休み。まー、自分の商会でも虎の子の二つ名持ち殺されちゃたまんないってことかしら」
語り終えたフェイは、まだ剣を振り回しているレレットを見て苦笑する。
「それもあって、あんな荒れ模様なわけね」
「なるほど、道理で」
「それは、レレットさんも怒るわけです」
ジークという事務員が頷き、槍使いのオーブが首を振って嘆息した。
「カタナの相手、フェイさんの商会は手を上げなかったのか?」
エインも息の上がったレレットを見ながら尋ねるが、フェイは腕を組んだまま器用に肩を竦める。
「私、ビジネスは私情抜きなのよ。大事な初戦で情報の少ない要注意人物にぶつけるくらいなら、手の内の分かる二つ名持ちに当てた方がマシね」
身も蓋も無い話だが、それが当たり前だとフェイは思っている。レレットとて、同情で助けてもらいたいとは思っていないだろう。そんな甘い了見では、商会を守っていくことはできない。
「ううぅ、うっがー!」
いいかげん体力が少なって来たのか、レレットが一際大きく奇声を上げて木剣を振りかぶった。
それとほぼ同時に。
「ただいま戻り……って、何やってんのレレット?」
剣をぶら下げた黒髪の少年が、ひょこっと顔を出した。
いきなり視界に入って来た、女の子としては色々とひどいレレットの有様に、桃色がかった目を丸くしている。
「わ、わわ、カタナ! いや、これは、何でもないの!」
慌てたのはレレットだ。少年――カタナに顔を向け、勢い余って空振り。その剣先が地面を叩き、それからおたおたと的から離れる。しかし足元がおぼつかず転びかけ、最後はけんけんと片足でバランスを取る始末だ。
「ああもう、何やってんのよあの子は」
幼少から彼女を見て来たフェイとしては、頭を抱えざるを得ない。こんなところだけ子供のままでなくてもいいだろうにと、初めて目にしたカタナ=イサギナを観察するのも忘れて頭痛をこらえる。
「……まあいいけど。それより、おれ今日は急用ができたから、悪いけど夕飯はいらない」
「え、どうしたの?」
泡を食ったレレットの様子に首を傾げつつも、口に出されたカタナの言葉に、ようやく一息ついたレレットも取り繕うように少年に歩み寄って行く。
「ちょっとな。もしかしたら遅くなるかもしれないけど、心配はいらないから」
そう言って、カタナは軽く腰の剣に手をやった。そして、穏やかな表情の下に、鋭い気配を隠して呟いた。
「ただ、話を聞きに行くだけだよ」
●
「さて、と」
陽の落ちたシュームザオン。その北に位置する、打ち捨てられた廃屋が密集する区域にカタナの姿があった。
かつては繁華街として毎夜人が集っていたこの場所は、南方から来る物資によって街が発展していく中で徐々に中心から外れ、自然と人も物も離れて衰退した今はほとんど人気の無い場所となっている。
「廃棄区とは言っても、それなりに広いんだが……」
腰に差した剣に軽く手を添えて、カタナは周囲に視線を走らせる。
がらんとした風が吹き抜けていく路地、その片隅に蠢く人影を見つけてカタナはそれに歩み寄って行く。警戒は最小限に、ほとんど無造作と言っていい気楽な歩調だ。
夜にこんな場所に居るものがいたら、それは良からぬことを企んでいるものか、それとも何かの用件があるものかだ――カタナと同じく。
「あんたが道案内かな?」
カタナの問いに地べたに座り込んでいた人物が顔を上げる。
「兄さん、剣闘士?」
意外なことに、それはまだ年端もいかない少女だ。身なりは粗末だが、顔や手足はさほど汚れているわけではない。
カタナが無言で首肯すると、少女は幼さの擦り切れた冷めた眼で右手を示す。
「この先に、大きな青い看板が外れかかった酒場跡がある。そこの酒棚の裏」
「ありがとう」
一つ頷いて、カタナは少女に銀貨を一枚握らせる。手に落ちて来た輝きに目を丸くする少女にはもう構わず、言われた方向に足を向けた。
「……あ、あそこの空気は、良くないよ」
去って行くカタナの背に、小さな呟きが届く。振り向くことはしないまま、軽く右手を掲げて返答の代わりにした。
●
「来たぜ」
彼が待機する青い看板の酒場跡の屋根裏で、壁の裂け目から外の見張りをしていた相棒が声を上げた。
「通達の通り、カタナ=イサギナだ」
「お、のこのこ来やがったか」
彼は、うっすらと笑みを浮かべて、「用意」の確認をする。「重石」を支えてぴんと張られたロープに、それを切るためのナイフ。いつもの通り、準備は問題ない。
ここの屋根はすでに崩壊し、上にはもう夜空が広がっている。上から見れば彼らの姿は丸見えだろうが、この辺りには高い建物はないし、下からはこの場所の様子は覗えない。
案の定、見張られていることも気付かずにやって来た「標的」が、ギシギシと酒場だった廃屋の床を踏みしめる音が響いて来る。
「よおし、もうすぐだ。まだ待てよ……」
ほどなく、酒の空き瓶が転がっているだけの棚を動かす音も続く。
「おい、まだか?」
気の逸った彼が声を重ねるのに、見張っている相棒は宥めるようにまだだと返す。
彼は、僅かな興奮と同時に呼吸を抑えて、合図を待った。
「中の様子を観察してる……まだ、まだだ……よし、落とせっ!」
天井の隙間から、カタナが壁に開けられた抜け穴に入り込んだのを確認した見張りの合図で、彼は縄を一気に切り離す。
同時に。
「よしっ!」
けたたましい音と同時に、今標的が入った穴を塞ぐように、分厚い鉄板が落下した。
「おうし、かかったな!」
相棒も、潜めていた声を張り上げて歓声を上げる。
今、カタナ=イサギナがまんまと誘い込まれて閉じ込められたのは、どこにも通じていない袋小路の部屋だ。
始めから、ここはそういう場所なのだ。「剣獄」に誘った剣闘士を捕らえ、こちらの都合よく働いてくれる駒とするための罠の口だ。
一度捕らえてしまえば、「空気を逃がさないように」鉄板で囲んである部屋からは、脱出する術はない。これで後は、いつものように部屋に充満する「薬」が――。
「二度も」
その瞬間、彼は確かにその声を聞いた。
「同じような手口に引っかかってやれるかよ!」
そして見た。文字通り、木端のように切り裂かれて弾け飛ぶ酒場の天井を。
●
「な、なあぁ?」
ぽかん、と口を開けている彼らに、カタナは振り抜いた剣を腰に戻して口を開いた。舞い散る埃を被ってしまったが、他は概ね計算通りだ。
「やっぱり、こんなボロ天井にまでは頑丈な防備はできてなかったな」
罠に閉じ込められた瞬間、カタナは即座に壁を蹴って天井裏に駆け上がった。四方の壁はいかに頑丈でも、頭上は脆いと言うことは、部屋に入る前から観察してあった。
無論、先の少女が罠を示唆する助言をしてくれたからこそ、先に対応策を練っておけたという点も大きい。
「ともかく、毒の罠なんかにみすみす連続で引っかかってたら、世話になった同期に呆れられるんだよ」
と、そこで、いきなり飛び込んで来たカタナの重量を支えきれずに、ただでさえ脆くなっていた天井が音を立てて崩れていく。
「おっと」
カタナは足場が完全に壊れる前に、幾分しっかりした造りの屋根の残骸に飛び移る。
「う、わあぁ!」
そして、屋根裏に潜んでいた小柄な「少年たち」も、泡を食ってまだ無事な天井部分に縋り付くように避難した。この状態になっては、いかに体重の軽さを活かしてもこれまでのように屋根裏に潜むことはできないだろう。
「さて、それじゃあ、お兄さんの質問に答えてもらおうか」
身を寄せ合ってこちらを見ている、まだ十歳前後だろう少年二人に、カタナはにやりと笑い掛けた。これでも剣闘で使うものよりはまだ大人しめな笑みだが、少年たちはがくがくと震えだす。
カタナは、その凄みのある笑みを維持したまま、一つ目の質問を口にした。
「この罠の仕掛け人――。ザインってやつは、本当はどこにいる?」




