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剣闘のカタナ  作者: 某霊
二章 1.背信の剣闘士
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新規再戦

「った!」

 カタナ=イサギナは眼前に迫った剣先を危うくのけぞって躱した。睫毛に触れるかというほどの危うさで通過した鋼鉄の刃が宿す鋭い閃光が、少年の背筋に冷たい汗を流させる。


「この!」

 体勢を立て直すと同時、愛剣である『姫斬丸』による反撃。腰の捻りとともに腕をわずかに開き、刃を突きと薙ぎの中間のような軌道で敵手に放つ。


 だがしかし。

「――ふっ!」

 ぎゃりん、と激しい擦過音を響かせて、カタナの剣は受け止められる。間髪入れず鍔迫り合いに持ち込まれ、体格と膂力に劣るカタナは一気に押し込まれる。


「く、おお!」

 カタナは咄嗟に片刃の武器を活かし、左手で峰を支えるようにして何とか重圧に抗う。

 攻める相手と耐えるカタナ。二つの刃が危うい均衡で硬直。両者に生まれたわずかな間隙に。


「――軸足を前に残すな!」

 鋭い声とともに足払いが飛ぶ。体重をかけて踏ん張っていたカタナの右脚がすくわれて身体が崩れる。


「ぐ、ちぃ!」

 カタナは残った片足だけで地を蹴って距離を取り、何とか転倒を避けて着地する。

 だが当然、それを見逃すほど甘い相手ではない。狙い撃ちで上段から容赦なく追撃を振り下ろした――。



「――そう来たか」


 感心したように呟いたのは、カタナではなく相手の男の方だった。

 カタナは、己を狙う『彼』の斬撃に対して自ら飛び込み、剣の奥、懐の安全地帯へと潜り込むことに成功していた。


「退くでも受けるでもなく、窮地においても迷わず前進――骨の髄まで剣闘体質だな、お前は!」


 振り下ろされる真剣に向かって、怯むことなく足を踏み出し、間合いの内――殺傷圏域のさらに先――に活路を求める命知らず。これは傭兵や魔獣狩りといった別種の戦士にはない、剣闘士ならではの選択肢だ。


 己が身を賭けて危地を抜け、果てに勝利を得ることこそ我が本懐――そう無言のまま示す姿は、金や生還を誉れとするものたちには不可解極まる在り方には違いない。


 しかし、それ故にこそ――人は彼らに魅せられる。


「……今さら過ぎるか」

 距離を取って仕切り直し。躍動し自らに迫るカタナの姿を眩しげに見遣った『彼』は、わずかに苦笑するように口元をほころばせて、刃を空に滑らせた。

 若くとも熟練の剣捌きは精妙、冷静。剣闘士の少年の動きを先読みし、的確な逆撃を加えんと待ち構える。


「――おおぉ!」

 そして無論、カタナは退かない。大きく牙を剥いた鰐にも似た気配の『彼』に向かって、ただただ速く、果断に突撃する。


「!」


 両者の剣が互い、敵を間合いに捉えた瞬間、『彼』は剣撃を解き放ちつつ、同時に驚愕に目を見開いていた。


(――()()――!)


 激突の刹那、カタナは常に右腕一本で振るっていた己の剣を、空に投げるように手放していた。

 そして瞬時に左手へと持ち替えて、逆構えに移行する。


「グイードさん直伝、『遷し刃』!」


 同じ剣で同じ斬撃、しかし当然、右手持ちと左手持ちでは斬撃の軌道は鏡写しだ。完全に『読み』を外された『彼』の剣はカタナの一撃によって大きく弾き飛ばされる。


「――」


 そして、無手の『彼』に、『姫斬丸』が静かに突きつけられる。

 『彼』は抗うことなく眼を閉じて、両手を軽く掲げる――降参の合図だ。


()()も、お前の勝ちだな」

「今日は病み上がりだったからだろ?」


 軽く笑うカタナの言葉に、『彼』も今度ははっきりと苦笑を浮かべる。


「もう、お前には勝てる気がしないな……ほんの一月で随分差がついた」

「いや、最後のはまだ練習中で、実戦では――」


「――そもそも」

 『彼』は、変なところで気を使う少年の言葉を、笑顔のまま遮る。その顔に、負けたことに対する悔しさは全くない。


「俺はもう、『傭兵』でも『剣闘士』でもないからな」


 ヒューバード剣闘士商会の中庭訓練場で、『事務員見習い』ジーク=キアンは楽しげに言った。



「しかしまさか、あんたがウチに来ることになるとはね……しかも職員として」

 カタナとジークは、地面に腰を下ろして少しずつ明るくなっていく空を見上げていた。


 時刻は未だ早朝。闇が薄れていく空には、名残りの星が瞬いている。普段は一番乗りのオーブも、まだ中庭には出て来ていない時間である。

 季節は盛夏。日も明けきらない内はまだ涼しさが勝るが、手合せを終えた二人の身体には幾ばくかの汗が光っている。


「迷惑だったか?」

「まさか。ただ意外というか……想像してなかったからな」


 薄っすらと暗い中庭で、並んで座り話をしている二人の若者の様子は和やかで、とてもつい一月前には、命のやり取り寸前の流血戦を繰り広げた仲には見えない。


「どうせ先のアテもなかったからな、レレット商会長の厚意に甘えさせてもらった……それに、まだシュームザオンを離れるわけにはいかない」


 最後の言葉の理由が、剣闘士として『戦い』を続けている彼の兄のシグ=キアンのことだろうとカタナには察しが付いて、口をつぐんだ。



 ――あの日。

 カタナが最初の剣闘を終えた夜、ヒューバード剣闘士商会を訪れたのは、他ならぬジークとシグの兄弟だった。


 突然の訪問に商会の面々は驚いたが、玄関で彼らを出迎えたレレットだけは、平然と彼らを中に招き入れ、堂々とこう紹介した。


「今日から、この商会の職員として、ジーク=キアンさんが仲間に加わることになりました、みんな、よろしく!」


 二重に驚いたカタナたちがレレットに話を詳しく聞いてみると、実は彼女、カタナたちがジークと和解した直後に勧誘を行っていたらしい。曰く。


「剣闘士を辞めて、行くところがないなら、わたしの商会で、仕事を手伝ってくれないかな? 商会も人も増えて来たから、職員が欲しかったんだ」


 もっとも、レレットの言葉が半ば建前であることは、ジーク自身わかっていただろう(ヒューバード商会の資金難は有名だ)。

 しかし。


「同じ剣闘士業界なら、お兄さんの様子もわかるだろうし、傷が癒えたら、みんなの訓練相手とかしてくれると助かるから」

 あくまでも自分たちの都合から誘っているのだという体で言われて、彼は結局レレットの話に乗ることにした。

 ルミルといいレレットといい、年下の少女にこうも続けて助けの手を伸ばされては、彼もそうそう意固地になってはいられなかったということらしい。


 商会内でジークが剣闘士を辞める事情の詳細を知っているのはカタナとレレット、そしてリウの三名だけだったが、他のものたちも敢えて事情を詮索しようとはしなかった。


 それは、剣を執るのも剣を置くのも、本人次第というのが剣闘士の在り方だと彼らが弁えているということでもあったし。

「お嬢が良いと言うのなら問題ないだろう。俺たちにできることは戦いだけだ」

 というエインの言葉通り、商会の経営に口出しする気は元々ないということでもあった。


 かくしてジークは、半月ほどの療養でカタナに斬られた身体を快癒した後、ヒューバード剣闘士商会の事務員見習いという扱いで働くこととなった。



「意外と言えば、フェートンさんがこの話に乗り気だったのが一番意外だったかな」


 商会としての業務を一手に引き受けるフェートン=ジステンス。謹厳実直で考え深い彼が、いきなり現れた元剣闘士を商会の職員として雇うというレレットの判断を認めたことは、カタナのみならず周囲にとっても驚きだった。


 特にグイードは。

「もしやボケおったか?」

 などと思わず口走り。

「意地でも貴方より先にボケませんよ」

 とフェートンに絶対零度の視線とともに返されていたくらいだ。


「お嬢様も、そろそろ人を使うということを覚えても良い頃でしょう」

 フェートンの本音としては、むしろ商会の業務を続けていくに当たって、商会の事務・経理を始めとする実務に携わる人員の補充は不可欠であると考えていた。


「今は何とか回っていても、先を考えれば、しっかりとした『組織』の体裁は絶対に必要です」


 彼が言う『先』とは、目先の一年や二年の話ではなく、十年二十年先までを見越してのことである。


 彼は自身の老いを弁えており、今の内に、将来に渡ってレレットの商会運営を支える人材を作らなければならないと弁えていた。

 その意味において、今回の話はフェートンにとっては渡りに船だった。


「たとえ経験のない若造でも、若さがあれば十二分。この老骨が働けるうちに、一端の職員に育てて見せましょう」

 そう言って、常にない意気も露わにジークを迎えたのだった。



「……フェートン先生は、本気でおれを鍛え直すつもりらしい。傭兵時代に覚えたことは一度すべて忘れろと言われたよ」

 楽しそうだな、とジークの顔を見ながらカタナは思った。


 剣を振っている時よりも、剣を置いて今を語る時の方が、彼の表情は明るい。てらいなく指導役のフェートンを『先生』と呼べるのも、彼がどれほど充実した心持ちでいるかを示している。


 彼の実力を知っている身としては、腕が惜しいと思う気持ちはあるのだが、こうも前向きに日々を過ごす姿を見せられては何も言うことはできない。


「何か、悪かったな……訓練に付き合せて」

 今日の手合せは、カタナがジークに頼んで行ったものだ。

 自分が斬ったジークの身体の回復具合を確かめるとともに、もしその気があれば剣闘士への復帰を勧めようかという考えがあってのことだったが、どうも余計なお世話であったらしい。


「気にするな。どの道、基礎訓練は続けるつもりだった……何をするにしろ、体力を保っておいて損はしないからな」

 それより。

 とあまり動かない表情を珍しく笑みに変えたジークは、背後に指を向ける。


「謝るなら、アイツにするんだな」


 ――かつぅん。


 と、ジークの示す方向から何かがぶつかる音が響く。


「あー……アレは、うん。後にしとく……」

 カタナはその方向に目線を向けないように、慎重に気配を窺いながら囁いた。


 そこは、中庭訓練場の隅。

 商会本館の壁に寄りかかるような姿勢のまま、ぶすっとむくれた表情で『針』を的に投射しているリウがいる。



 ――かつぅん。


 あえてカタナは気にしないようにしていたが、実は彼女はカタナたちの訓練が始まる前からずっと同じ姿勢で一人訓練をしていた。途切れ途切れに、しかし休まず一定のリズムで投擲を続けている。


「これで何発目だ? 二百は超えているだろうが」


 しかもリウは妙にだらけた体勢で投げているにも拘らず、放たれた『針』はどれも鋭く音を立てて宙を裂き、ジークが感心するほどの正確さで標的に突き刺さっていく。

 丸太を立てて造った武骨な的は、今や棘だらけの前衛芸術めいたシロモノになっている。


 ――かつぅん。


 また一つ、丸太に棘が増える。

 静かな朝の空に響く命中音が、やけに恨みがましげなのは気のせいであろうか。


 どこからどう見ても、リウの機嫌は最悪だった。


「……というか、朝の訓練はジークとやるって言っただけで、何であそこまでヘソ曲げるんだ? 昨夜からずっとあんな感じなんだが」

 恐る恐る、という風情でカタナが呟くと、ジークは呆れを隠さない眼で首を振った。鈍いやつめ、と言わんばかりだ。


「お前、そこは流石に察してやれ……あと、それを本人には言うなよ」

「は? どういう……」

 意味だ、とはカタナは言い切れなかった。


 ――ガガガガガ!


「な、うわあ!」

 突如、カタナの背後から何本もの『針』が彼を狙って飛来したからだ。


「あ、ごめーん。手元が狂ったヨ!」

 危うく飛び退いたカタナに、リウがにこにことした表情で手を振った。その手には()()()次弾の『針』が鷲掴みになっている。


「あー、次も手元が狂いそうだなー!」

「ちょ、待てリウ!」

「えー? ボクは一人で寂しーく訓練してるのに何でカタナが口出すのさー?」


 そして、()()()()()()()()()()()()()カタナの方に()()される刃の群れ。

 その時既に、戦場仕込みの危険察知能力で安全域に避難していたジークは、リウの挙動に微量の『本気』が含まれているのを感じて冷や汗を流した。どうも笑い事ではなかったらしいと。


「……さて、俺はそろそろ先生の所に行くとしよう。早く仕事を覚えたいからな」

「ちょ、待て! この状況に置いて行くな!」


 無論、ジークは振り返らない。よし仕事仕事、と独り言をわざとらしく言い捨てつつ、疾走寸前の小走りで離脱していく。

 鉄仮面を被っていたように無感動だった剣闘士時代から見れば随分人間味が出て来た反応であるが、その変化に感銘を受けているような暇はカタナには残されていなかった。


「あっれーまた外しちャった? 今日は調子悪いなー。め、ず、ら、し、く! 一人で訓練したせいかなー?」

「明らかに絶好調だろうが! なんだこの精密な狙撃!」


 乱射される『針』を、あるものは躱しあるものは『姫斬丸』で弾きつつ、カタナは中庭を縦横無尽に逃げ回る。そしてリウは、そんなカタナをどこか凄みを感じさせる笑顔のまま、的確に先読みして追い回す。

 双方、無駄に高度な戦闘技術の駆け引きだが、やっていることは完全に子供の諍いだ。


 約束を反故にされて、素直に不満を言わず遠まわしに表現していたリウにも問題はあるが、この場合はリウの聴力を知っていたにも関わらず、()()していた彼女の神経を逆撫でする発言をしたカタナが一番悪いだろう。


「逃げるなカタナぁ!」

「お前、既に手が滑ったって建前忘れてんじゃねえか!」


 結局。

 カタナとリウは訓練に出て来たオーブが発見して止めるまで、今日も朝から追いかけっこという名の実戦訓練をたっぷり行うこととなったのだった。

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