エインの概ね平穏な生活 後編
「勝負あり!」
闘技場に高らかに響く、進行役の大音声が剣闘の終結を告げる。
砂利に尻餅をついたまま、エインは呆けた表情で勝者を見上げていた。
「やれやれ。お前さんまーた悩み事か。せっかく楽しい剣闘になるかと思ってたんだがな」
息も乱さない余裕の表情でエインに手を差し伸べている剣闘士は『子連れ』のウィストニー。彼の得物である大きく弧を描くような曲刀はすでに腰に戻されている。
「まあ、俺はうちの子たちに勝つところを見せてやれたんだから文句はないがな」
にかりと笑ってエインを引き起こす様子にも嫌味はない。
『子連れ』のウィストニーは、三十代前半の熟練剣闘士であり、同時に子煩悩な父親としても知られている男だ。妻と十六歳の娘、それから七歳の息子を、必ず自分の剣闘に招待することからこの二つ名が付いた。
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実は二つ名とは、ただ強ければ与えられるというものではない。無論、最低限並の剣闘士とは一線を画す実力者である必要はあるのだが、それ以上に、個性豊かな剣闘士の個性を形容するために与えられるものという性格が強い。
たとえば『無刃』のアダム。
彼の場合は、武器を持たずに素手で戦い、相手の武器を制し、破壊する戦いぶりからこの二つ名が付けられた。
このように、戦闘方法や使用武器、得意技などになぞらえて二つ名が付く剣闘士は多い。他ならぬエインの『隼落とし』も同様だ。
たとえば『炎』のギジオン。
彼は、肉体の半分以上に燃え盛る炎の入れ墨が刻まれている。彼の得物である大剣や、それを軽々と精密に操る戦いぶりよりも、単純に外見が人々の印象に強く残ったためにこの二つ名が付けられた。
派手で人目を惹く格好の方が名前を覚えられやすくなるということで、装飾や装備に凝り、結果として外見に因んだ二つ名を得る剣闘士は少なくない――流石にオーブほど過剰包装するものは限られるが。
『隻腕』ミゼなども、敢えて言えばここに入ると言える。
『子連れ』のウィストニーの場合は、どちらにも入らない希少な二つ名だ。
本人の性格や人となり、起こした行動が極めて希少で目立つ剣闘士の場合、戦い方や外見とは直接関係のない二つ名を得ることがある。
有名なところでは『闘王』サーザンなども挙げられる。
ただ強く、圧倒的な実力で君臨していた彼には、他の二つ名など似合わないと誰もが思い、『闘技』の『帝王』というある意味で直接的過ぎる異名が贈られた。
また、サーザンを倒した『闘王殺し』カーンの二つ名にも同じことが言える。
正確には、彼はこの二つ名を得た時にはもう剣闘士を辞めていたのだがそれはともかく。最強の『闘王』を倒すという偉業を成し遂げた彼にも、やはり見かけや戦法を形容した二つ名は似つかわしくない。
ウィストニーの場合も話を戻すと、彼の愛妻家、子煩悩ぶりが一般的な剣闘士像とかけ離れていたために『子連れ』などというおよそ戦士らしくない二つ名を得ることになった。
何せ、彼が剣闘に勝利すると、亜麻色の髪の美しい細君が、子供と一緒に客席の最前列にまで駆け下りて来て、一家は熱烈に愛の言葉を交わすのである。
「おおメイア! 君が見ていてくれたおかげで傷一つ無く勝つことができたよ! 君は僕の勝利の女神だ!」
「ああウィストニー! 無事でよかった。あなたに怪我がないなら、私はもうこの身がどうなったって構わない!」
丁度今目の前で繰り広げられているような具合に。
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「いい子にしてたかハンス! お父さんは約束通り勝ったぞー!」
「とーさーん! おめでとー」
「フィナー! 見てたかい、お父さんの雄姿を!」
「もういい加減、止めてよお父さん! お母さんも、席に戻りましょう」
愛し合う夫婦に天真爛漫な息子、周囲を気にして恥じらう年頃の娘という、家族愛の見本のような光景を、観衆は微笑ましく見守っている。
何故ならこれがウィストニーの『子連れ』の二つ名の所以である。ある意味ここまでが彼にとっての剣闘、お約束というやつなのだから、シュームザオンの観客たちは慣れたものだ。
しかし。
「……ばくはつ、しろ……」
つい先日、失恋の傷を掘り起こされたばかりのエインにとっては、いささか以上に目の毒というものであった。
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「ああ、やっぱり……」
闘技場の観客席、オーブが自分のこめかみを手で揉みほぐしつつ嘆息した。
「エインさんってば、また倒れそうにフラフラしてる……」
レレットも落胆と言うよりは諦めの境地に近い表情で首を振っている。ここしばらく連勝していた看板剣闘士が大負けした商会長にしては鈍い反応だが、半ば以上この事態を想定済みであったということだろう。
「本当に、別人みたいにキレがなくなるんだな……」
カタナは、始めて目の当たりにした不調時のエインの姿に口元が引きつっていた。
彼らは、様子がおかしくなったエインを心配し自身の剣闘が無い中闘技場を訪れ、今日の勝負を観客席から見守っていた。
リウとグイードは別の闘技場で剣闘があり、フェートンは商会で『別の仕事』を行っている。
今、剣闘場で行われているのは今日の最終戦、『炎』のギジオン対『三本足』セネバネの対決。
先月の剣闘では『闘技王』に敗れたギジオン。相対するのはまだ若い長身痩躯の細剣使いだ。
頭から足元まで黒い装備で身を固めて素早く動く彼の姿は、まるで不吉に羽ばたくカラスのようである。
「あの『子連れ』は、本来の実力であれば十回の内の七つは勝てる相手だったけど、今のエインさんでは荷が重い」
一進一退の勝負を見ながら呟くオーブの言葉に、カタナとレレットも頷く。確かに、負けるべくして負けた戦いだった。
エインに手を抜いて戦っている様子はなかった、それは確かだ。しかし、迎撃の剣は力なく相手の曲刀に押し込まれ、足運びは単調。攻撃は見え見えの大振りを繰り返し、単純な動きの速ささえ普段とは程遠いものだった。
これで勝てるほど、二つ名持ち同士の剣闘は甘くない。
現に今行われている戦いでは、『闘技王』の相手に選ばれるほどの名剣闘士である『炎』のギジオンを向こうに回して、『三本足』セネバネは一歩も引かずに刃を振るっている。
迎え撃つギジオンの表情にも余裕の色は無い。帝国全土に名を売っている彼にとってさえ、最終戦に上がってくる二つ名持ちを制するのは、全力を尽くしてなお容易なことではないのだ。
「実際問題として、エインさんの不調はこれで確定だけど、どうする? 僕としてはしばらく放っておく以外にないと思うけど」
「でも、商会の経営だってまだ完全に持ち直してるわけじゃないでしょう?」
気を取り直すように言ったオーブの言葉に、しかしカタナは素直に頷けない。稼ぎ頭の収入が途絶えては、折角好転しつつある経済状態が元の木阿弥だ。
カタナを始めとした他の四人は、賭けの動員数においてエインの剣闘の半分程度しか人を集められていない。
最終戦に近い後の順番になるほど観衆の注目も増え、盛り上がる。これは賭けにおいても同じだ。その差は商会に入る配当金の額に直結する。
そしてヒューバード商会の剣闘士の中で、この位置で戦うことができるのは現状エインしかいないのだ。
エインが勝てないとなると、商会の財布事情は途端に苦しくなる。
おまけに商会に所属する人数が増えた分、かかる費用も増大しているのだ。人件費というものは、いつの時代も経営者の悩みのタネなのであるからして。
冗談抜きで、エインの不調は商会全体の死活問題である。
「エインさんも、自分の性格、気にしてはいるんだけど……簡単には治らないよね」
「そう言えば以前、怪しげな占い師に大枚はたいて、性格が前向きになる水とかいうのを買わされてたなあ」
騙されたと分かって、余計に落ち込んでたけど……、とオチを付けたのはオーブ。
それはカモがネギ背負って鍋に飛び込むようなものだろうと、カタナは内心突っ込んだ。ある意味相性が良すぎる組み合わせだ。
「とりあえず、ここで話してたってしょーがないでしょう。エインさんに会ってみて、何とか気を取り直して貰うようにするしかない」
カタナの提案に、レレットは頷く。実際、観客席で本人抜きに進まない話をしているよりは建設的だ。
「エインさんは闘技場で落ち込むことがあると――いつものことだけどね――大抵は、裏手にある英霊碑の辺りで膝を抱えてるかな」
やや浮かない表情のオーブが、少し遠い眼をして言った。
「英霊碑?」
首を傾げるカタナに、話題を遮るようにレレットが説明する。
「あ! えっと……その、闘技場で戦死した剣闘士を祀っている、お墓、とはちょっと違うけど、霊廟、みたいな場所のことだよ」
眼下で最終戦が決着し、周囲の観衆が総立ちで歓声を上げた。
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「――はあ」
膝を抱えて座り込んだエインは、今日何度目とも知れぬ、深いため息をついた。
わずかに顔を上げると、視界一面に剣を模した石碑が所狭しと並べられている。
この、闘技場に比べるとかなり小さな建物は常に薄暗い。申し訳程度の大きさの細工窓から入る陽光が、ぼんやりと周囲の石碑群を浮かび上がらせる。
剣闘に負けてすぐ、彼は闘技場を出て、隠れるように『ここ』へと向かった。用のないものはあまり訪れることはない場所だけに、他に人影は見られない。
シュームザオン闘技場、英霊碑。
エインはそう呼ばれる場所にいた。
正確に言うと英霊碑とは、建物自体を指すものではない。霊廟の最奥に安置されている、六つの銀製の碑のことを指す。
それらは周囲の剣型の石碑と異なり、台形の盾に近い形状をしている。
碑の正体は、帝国政府からある剣闘士たちに贈られた『勲章』である。
正式名称、英霊受勲銀盤章。
闘技場で命と引き換えに勝利した剣闘士に、死後与えられる『英雄』の証である。。
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エインは、霊廟の最奥でその銀盤に相対して座っていた。所作に躊躇いはなく、彼が普段からよく訪れていることが窺える。
シュームザオンにおける剣闘の歴史は、帝国の歴とほぼ等しい。公式に行われた剣闘の数は、実に一千万は下らない。
数百年の歴史の前半期の終わり。剣闘士、という制度が成立し奴隷ではなく戦士として戦うようになった頃に制定されたのが、英霊碑だ。
剣闘場で死に至る傷を負ってなお戦い続け、勝利を掴み取って命を落とした剣闘士を、帝国が公式に『英雄』と認定し、証として闘技場に安置したのが始まりだ。
つまりこの勲章を得た彼らは、建国の大戦士や救国の騎士と同列の英傑として帝国に認められたということ。
己の名を剣闘の歴史に刻んで逝ったものたち。剣闘士にとって『闘技王』となることが理想の生き様なら、『英霊碑』を得ることは至高の死に方と言っていい。
ただし、この勲章を得たものは帝国全土の闘技場を合わせても百名に満たない。
シュームザオンの六名でさえ、他の都市と比べても多いくらいなのだ。
無数の戦いの果て、現在までに認定されたのはたったの六人。周囲には『英霊碑』に届かず、闘技場で敗れ命を落としたものの残滓として、剣の石碑が残されている。そしてそれは、とても数える気にならぬほど夥しく林立している。
それだけ、『死んでも勝つ』ということを実行できる剣闘士は少ない。
エインは、六つの『英霊碑』の一つ、最も新しいものに視線を向ける。
碑に刻まれた名は、エインの親友だった男のものだった。
「『負けて生きるくらいなら死んでも勝て!』……なんて言っておれに説教していたお前なら、こんな風に落ち込むことも、むざむざ負けることもないんだろうな」
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今から六年前、ヒューバード剣闘士商会に所属していた一人の剣闘士が死んだ。
男の名はシーザ。
彼はエインと同時期に商会に所属し始めた同期の剣闘士だった。
明るく洒脱で、とにかく前向きな男だった。
何かと言うと落ち込みがちになるエインをいつもどやしつけ、無理やり飲み屋に連れて行ったり捨て猫を押し付けて世話に奔走させたり、とにかく落ち込んでいる暇もないほど構って来たものだ。
そして二人は、ヒューバード商会の訓練場で幾度も剣を交わし、切磋琢磨して闘技場へと挑んだ。
互いの実力は拮抗しており、相手に負けまいとして張り合っている内に実力はぐんぐんと伸びて行った。彼らは競うように戦果を挙げて、勝利を称え合い、敗北の悔しさを分かち合った。
親友。
直接言葉にしたことはなかったが、エインはシーザをそのように感じていたし、シーザの方も多分同じだっただろう。
エインの家は多くの兄がいて、シーザには弟がいたことから、二人はまるで兄弟のような友人関係を築いていた。彼らは毎日剣を交わし、事あるごとに飲み明かした。
そんなシーザの死に様を、しかしエインは見ていない。
最後の日、二人はそれぞれ別の闘技場で剣闘に挑み、エインは勝利して凱旋し、そしてシーザは戻らなかった。
シーザは剣闘中に、相手の剣闘士が突き出した槍を腹に受け、内臓に大きな傷を負った。
防具ごと貫かれるその様と、噴き出す大量の出血に誰もが息を呑んで見つめる中、しかし彼は戦意を喪失することなく戦い続け、息絶える前に相手を打ち倒し勝利を掴んだのだという。
シーザの死は、エインの心に大きな影となって落ち。以来エインは時折、友に会うためこの英霊碑を訪れるようになったのだった。
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「あ、あの! エインさん、ですよね」
なじみのない、しかしどこかで聞いた覚えのある少女の声に、エインはふっと物思いから覚めた。
歴戦の剣闘士らしくもなく、エインがこの気配に気付けなかったのは、ここに人が滅多に来ないと油断していたのもあるが、不調によって感覚が鈍っていたことの証明でもあろう。
「きみは――ウィストニーさんの」
苦虫を噛み潰す表情でエインが振り返った先にいたのは、やはり見覚えのある顔の少女だった。
「はい。ウィストニーの娘の、フィナです」
ほのかな明かりの下、金色に浮かぶ髪がふわりとなびき、若々しい顔にあえかな微笑が覗いた。
「さっきの剣闘、お怪我はありませんでしたか?」
「あ、ああ。特に問題はない」
自分より一回りは年下の少女に一瞬見惚れていたエインは、我に返って立ち上がる。
「君のお父さんの腕は確かだ。お陰で『ここ』に入らずに済んだ」
「そんな! 縁起でもないです」
互いに立って向かい合うと、エインと眼を合わせるために少女は大きく顔を仰がせる必要があるほど背丈が違う。気付いたエインは二、三歩距離を取る。
仕切り直すように目線を逸らしたエインは静かに語る。
「……それで、何か用かな」
「え。えーっと……ちょっと様子がここ最近と違ってたので、気になってですね……」
フィナの、何だか歯切れの悪い返答の中に引っかかる部分を見つけて、エインは彼女に目線を戻す。
「ここ最近?」
「あ!」
慌てた表情になった少女は、一言声を出してしばらくあたふたと手を意味もなく動かしていたが、その表情が薄暗い霊廟でも明らかなほど紅潮している。
「そ、そのですね……実は、ずっと前からエインさんの剣闘、良く観戦に行ってたんですけど、それで……今日はお父さんと剣闘するって言うから居ても立ってもいられず……い、いえ、別にそれにかこつけてどうこうというわけではなかったんです! 本当に! ただ、何か元気なさそうだなーって」
そんな風に一人であれこれと口走ったフィノだが、居たたまれなくなったのか、剣闘を終えたままの姿だったエインに「これどうぞ!」と手巾を押し付けると、ロクに会話もせぬままに走って出て行ってしまった。
「……」
少女に手渡された手巾を眺めるエイン。清潔で、たどたどしい刺繍の縁取りがなされているそれはほのかに果実の香りがして、無遠慮に汗や泥を拭くのも躊躇われる。
「あ、エインさん。やっぱり、ここに居た」
しばしの時間が経ってから、どう取り扱うかも決めかねてしばらく突っ立っていたエインに、探しに来たらしいレレットが顔を出す。後ろには護衛よろしくカタナの姿もある。
「何だ、来ていたのか二人とも」
「オーブさんも居ましたけど、別の用があるそうで、さっき別れました」
釈然としていないカタナの言葉に、しかしエインは頷く。
「そうだろうな……では、着替えて来るから待っていてくれ」
苦笑して言って、さっさと彼らとすれ違い闘技場へと引き返して行く。
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その場に残されたレレットとカタナは、どちらからともなく互いに眼を見合わせた。
「……何か、上機嫌じゃなかったか?」
「うん、『いつも』の時とは、違う感じ」
二人は並んで頭に上に疑問符を飛ばしつつ、妙に軽い足取りで去って行くエインの背を見送った。
数日後。
エイン=メノーティは、次回の剣闘において快勝し、どうせ連敗するだろうと予想して彼の負けに賭けていた多くの賭博士たちに頭を抱えさせたという。
そして彼の好調復活の理由は、同じ剣闘士商会のものたちにも見当が付かず、周囲を困惑させたとか。




