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剣闘のカタナ  作者: 某霊
間章 闘士たちの肖像
30/113

槍と道化 後編

「さあ、我が槍の一閃に己が心臓を捧げる覚悟はよろしいか!」


 シュームザオン中央闘技場で、オ-ブ――否、デミアン=アニア=マクシムス=オーヴィシュタットは得物を上段に構えて見栄を切った。

 華やかな衣装にそぐわない大槍がぴたりと敵手を指す。


 相当な重量の得物を苦も無く構える姿は、彼の確かな実力を感じさせるのに十分なものだ。

 闘技場に響く女性たちの歓声が、まるで舞台演出のように彼の頭上に降り注ぐ。派手なマントを翻し、デミアン=アニア=マクシムス=オーヴィシュタットが前に出る。


 迎え撃つ敵の剣闘士の得物は総金属製の大斧。本人の武骨な――はっきりいうとむさくるしい――出で立ちも相まって、まるで貴公子が山賊を退治する場面のようだ。斧の闘士の顔がやけにうんざりとして見えるのも、気のせいばかりではないだろう。


「はあっ!」

 高らかに掛け声を上げ、デミアン=アニア=マクシムス=オーヴィシュタット――長いので以降は基本的にオーブで統一する――が槍を突き出す。


「おう!」

 しかし、相手も同格の剣闘士。見え見えの一撃を軽く弾き飛ばして反撃の一撃をオーブに見舞う。

 顔面に迫る斧の白刃に、観衆から悲鳴が上がる。


「はっは! これしきの技では、我を傷付けることなど叶わぬと知れ!」

 しかし、器用に回転させた槍が斧の横薙ぎを跳ね上げる。オーブは同時に斧の軌道を掻い潜るように後方へと飛び下がり、再び大きく槍を構える。


「貴殿の技は既に見切った! これより先、髪一筋たりとも我に触れることはできぬと予言しよう!」

 オーブは、晴れ晴れとした笑顔で口上を謳い上げた。



「ノリノリだなあ、オーブさん」

 控え室から剣闘の様子を眺め、カタナはいっそ感心していた。

 オーブは普段から洒落者で大仰な仕草も多いが、初めて目にする彼の剣闘は、そんな日常とは比べものにならないほど派手で芝居がかっている。


(いつか言ってた『剣闘士は役者、闘技場は舞台』ってのも、本気だったんだな)


 実際、観客の多くは、オーブの生み出した『ノリ』に上手く乗せられて、常よりも歓声と悲鳴を大きく張り上げている。まるでこれが今日の最終戦かと勘違いしそうになるほどだ。


「おお。カタナ、ご苦労ご苦労」

 剣闘場を見るカタナに、自分の剣闘を終え、控え室に入って来たグイードが声をかける。肩とこめかみに痣ができているが、勝利の代償としては安い物だろう。

 カタナ自身、三戦目の自分の剣闘で受けた打撃で、二の腕に大きな青痣を作っている。


 カタナとグイード、そして今戦っているオーブの三人が、今日剣闘に参加したヒューバードの剣闘士だ。先に出た二人は、既に今日の勝利を決めている。

「グイードさんこそ、お疲れ様。これで連勝ですね……あ、いや、連勝だね」


 カタナが返事を『トチって』、決まり悪く目を逸らす。

 商会に所属してからそろそろ十日が過ぎて、大分打ち解けてはきたものの、かなり年長なグイードにはどうも言葉遣いが硬くなる。


「うむ、お主の方こそ三連勝ではないか。初勝利以来負けなしとは大したものよな」

 今日の剣闘に先立って、カタナは三日前の剣闘でも勝ち星を得ていた。

 二戦のどちらも、相手はジークほどの実力ではなく、カタナの剣技は敵を圧倒し、彼の名は早くも無名の新人の域を超えて、目の肥えた剣闘都市の観戦者の間でも「本物」として知れ渡りつつある。


「オーブの奴は相変わらずか。大げさな戦いをしよる」

 グイードの視線の先で、オーブがとんぼを切って宙を舞っている。斧に狙われている最中にこれなのだから、命知らずと言うしかないだろう。

「オーブさんがああいうやり方をするのは、何か理由があるんですか? 本人は『観客のため』って言ってましたけど、それだけであそこまで無茶をするのは……」


「納得できんか。ま、無理もない」

 不可解だという表情のカタナを横目で見て、グイードも頷く。


「実際、『あれ』が原因で負けたことも一度や二度ではない。真剣勝負として見れば、あの格好も口上も、戦い方も、無駄としか言えんからな。剣闘士の中には露骨に嫌う者も嗤う者もおる」

 重々しく、グイードが首を振って息をつく。

「だが、あやつはあの戦い方を止めんよ。儂も本気で止めるつもりはない」


「何故です?」

 カタナが聞いた瞬間、ついにオーブを敵の剣闘士の斧が捉えた。オーブが大きく跳躍した瞬間、大柄な身体に似合わない速度で一気に詰め寄ったのだ。

 オーブは辛うじて槍の柄で受けるが、その身体は大きく吹き飛ばされて地に転がる。


「――ああ!」

 観客席のあちこちから、悲鳴交じりの声が上がる。


「今のも、普通に戦っていれば食らったはずのない一撃でしょう。はっきり言って地力ならオーブさんの方が遥かに上なのに」

 今のオーブは、訓練場で見た実力の七割程度しか発揮していない。重い装飾に無駄な立ち回りで、自ら足枷を嵌めているようなものだ。彼の訓練を知るカタナからすれば、ただただ歯がゆい思いしか湧いて来ない。


 他人の主義に口出しするほどカタナは出しゃばりではないし、オーブがふざけているわけでもないのは分かっている。しかしどんな信念であろうが、殉じることに拘るあまり勝利を逃していては本末転倒だ。


「あれじゃまるで道化ピエロだ」

 痛ましげなカタナの言葉。グイードは咎めるでも否定するでもなく、目を細める。

「敗れることも笑い物になることも覚悟の上で、オーブはあの戦いを選んでおるよ」



「五、六年は前かの。新人の頃のオーブは、今とは全く違っておった」

 グイードが呟く。カタナだけに聞こえる程度の、静かな声音だ。

「暇さえあれば槍の稽古をし、次から次へと商会の剣闘士に模擬戦を挑んで、何度吹き飛ばされても、食らいつくように挑みかかって来たものよ」


 彼は懐かしむように眼を細めた。そんな十代の時分のオーブに対し、長年培った技で散々叩きのめしたのは、他ならぬグイードだ。


 かつてのオーブは、刺々しい眼をした、闘争心の塊のような少年だった。

 訓練であっても負けたままでいることを許さず、一本取り返すまで決して諦めずに挑み続け、上手の筈の訓練相手が音を上げることもしばしばだった。


 闘技場でも同様、どころかますます勢いを増す負けん気はいかんなく発揮され、何度傷を負っても吹き飛ばされても一切怯まず突撃を敢行し、敵を打ち倒すまで止まることはなかった。

 当然オーブは長足の成長を遂げて、当時の新人たちの中では頭一つ抜けた存在へとあっと言う間にのし上がっていった。

 時分も周囲も生傷だらけの日々の中、彼の槍を受けて大きな怪我を負い、剣闘士を引退することになった者さえいたが、彼は一顧だにせず言い放った。


「知ったことか。俺は勝つために全力で戦っただけだ。生命があるだけマシだと思え」


 当時の彼にとって、剣闘とは純粋な闘争。生きるか死ぬかすら視野に入れることが当然の戦いの場であったのだ。


 オーブは若く、技は拙いながらその槍の勢いは新人としては破格のもので、同期たちがぶつかる多くの壁を彼一人が次々に打ち破り、剣闘士となったその年の終わりには、ついに二つ名持ちの剣闘士を下す快挙を成し遂げる。


 しかしその一戦が、彼の剣闘士としての在り方を決めることになった。


 相手の名は、『舞踏剣』ユオウ。

 名の通り、舞うように細剣を振るって観客どころか敵をも魅せると謳われた剣闘士だった。


 連勝し、二つ名持ちの剣闘士まで引きずり出したオーブの意気は最高潮。開始早々、大槍の威力をもって突進。

 対するユオウは闘牛士のように身を舞わせ、老練の剣腕でしたたかな逆撃を加えていった。


 いかに勢いに乗っているとは言え、両者の戦歴が違いすぎた。この時オーブは三十戦に満たない程度の剣闘しか経験しておらず、一方ユオウは十倍近い戦いを経ていた。

 ただ勢いまかせで突撃するオーブに勝ち目はなかった。


 何度突撃してもいなされ反撃を食らい、さしもの意気軒昂なオーブにも疲れが見えたかと思われた瞬間、「それ」が起きた。


 『舞踏剣』の舞いが、一瞬だけ硬直したのだ。

 当時のオーブには知る由もなかったが、『舞踏剣』ユオウは、オーブの前の剣闘で大きな負傷を負っていた。彼はそれを押して剣闘に挑み、未だ治りきらない傷が長時間の戦闘で開いたのだった。


 なぜ訪れたかも分からない勝機に、オーブは無我夢中で槍を横殴りに振るう。

 技術も後先もない強引な一撃は、手にした細剣ごとユオウの腕をへし折った。


 傷を負っていようとも、剣闘場へと出て来たからには遠慮は無用。そういう意味でこれは、たった一瞬の隙を逃さずものにしたオーブが称賛されこそすれ、責められる理由はない。

 誰に文句のつけようもない大金星、オーブの勝利だった。


 しかし、真にオーブに衝撃を与える事態が引き起こされたのは、その直後だった。



 剣闘場で、オーブ=アニアは込み上げる吐き気を、笑顔に隠して飲み下した。


「はっはっは! この程度で、この私が参るとでも思ったか!」

 あばらにヒビが入ったか、声を発するだけで痛みが胸に走るが無粋な苦悶は寸毫も面に見せず、オーブはなお笑う。


 かつて自分に腕を叩き折られ、武器も失った『舞踏剣』ユオウ。しかし彼は戦意を失わなかった。のみならず顔には笑みさえあり、なお戦舞を続けたのだ。

 彼に比べれば、今の己の傷は軽すぎる。


 あの日のユオウの姿を見た時にオーブが感じたのは、例えようもないほどの、居たたまれなさと悔しさだった。


 血に濡れつつも優美に舞い、半ばから折れた剣を左手に持って槍に挑む戦士の姿。

 あったのは、勝ち目の有無に関わらず戦いを全うしようとするもののひたむきな美しさだ。


 観衆もまたユオウに魅せられ、一人の剣闘士に声を嗄らして声援を送る。見る者の後押しを受けてさらに清爽に舞い踊る『舞踏剣』。全てが一つの舞台のようだった。


 オーブは、闘技場の中心に居ながらも、自分が単なる邪魔者でしかないように感じられた。

 いくら槍を振るっても、穂先で身体を抉っても、ユオウの舞台は完全無欠。間合いを完全に奪われても、突きを掻い潜って刃の残骸がオーブを襲う。

 当然と言うべきか、そんな苦し紛れの攻撃はまるで効果を上げず、オーブの槍はさらにユオウを傷付ける。


 しかしオーブは、勝っているのに、ただただ惨めな気分に陥っていた。

 ここはユアンの一人舞台。観衆が見ているのは、傷だらけでなお戦うユアンの雄姿。そして自分は悪役にもなっていない舞台装置でしかないのだと思い知らされた。


 オーブはその内なる自嘲を振り払うべく、ただひたすら、槍をユアンに突き続けた。勝ちたいからではない、叩きのめしてやりたいからでもない。

 ただただ、この場から一刻も早く去りたかった。


 彼の思いとは裏腹に検討は長く続き、どれだけ時間が経ったかも曖昧になった頃。

 遮二無二繰り出した突きが、ついにユアンの右肩を砕き、貫いた。


 決着の瞬間のことを、オーブは生涯忘れまい。

 手に残る嫌な感触、この世の終わりかとすら思わせる観衆の嘆き。そして。


「――見事」


 不服も悔しさも欠片も感じさせない顔で、そう笑ったユアンの声。

 あったのは、オーブを自分の対戦相手として認めていたからこその笑み。


 オーブは、これほどの男に『共演者』として認められていたことに、腰が抜けそうなほどの安堵と、泣きたくなるほどの寂寥感を覚えた。勝ったのに、心底負けたと思わされつつ、少年はその場にへたり込んで勝者の名乗りを受けた。


 この一戦が、右腕に重傷を受けた『舞踏剣』ユオウの引退の一戦となり、以来オーブは戦い方を一新させた。

 ただ正面から突っ込むのではなく、ユオウのように剣闘場を舞台として、観衆を魅せることを目指した。敵をただ打ち倒す相手ではなく、共に素晴らしい戦いを作り上げるための相棒と思うようになった。


 最初はただユオウの影を追う真似事でしかなかったそれは、いつしか彼自身の流儀となって、今、剣闘に関わるものの間で、オーブにはこんな二つ名が静かに囁かれつつある。


「『舞踏の槍騎士』、か……もったいない名前だよ」

 かつての『舞踏剣』に比べれば、自分はまだまだ槍を振り回してドタバタ駆け回る道化に過ぎない。

 上手く立ち回れずに勝ちを逃して、馬鹿馬鹿しい真似だと反感を買ってしまうことも多い。

 しかし、それでも。


「見るがいい、我が槍を! これが勝利の一撃だ!」

 この道を進むと決めている。己の槍の輝きで、敵をも魅せて。

 そして、勝つのだ。主のために、仲間のために。


 背を押す歓声とともに、オーブは流星のように飛んだ。



 視線の先で勝ち名乗りを受けているオーブを見ながら、グイードは大きく頷いた。

「全身全霊を賭けて戦う覚悟を持つには、戦い方は己で決めたものでなくてはならん。どう戦えば強いかではなく、どう戦って勝ちたいかが剣闘士の精神を支えるが故に」


 槍の穂先を地に刺したオーブが、一撃を受けて倒れた相手にうやうやしく手を伸ばす。

 一撃で柄を貫いて砕かれた斧を呆然と見ていた剣闘士は、苦笑してオーブの手を取った。


「そうですね……どう戦って勝ちたいか、か」

 カタナは、オーブの屈託のない笑顔を見ながら考える。


 リウに本気の殺しの方が強いだろうと言われた自分は、彼女の言葉を否定した。「それで勝っても意味がない」、と。

 カタナにとって獣の戦い方は、確かに自分のものであっても、決して受け入れられないものだ。


 オーブもある意味で同じだ。あくまでも自分が納得する勝ち方を目指している。

 ただ勝つための戦いでは、剣闘士として闘技場に立つ意義が無い。そう、初めて会った日に言っていた通りに。


 剣闘士たちを眼下に見下ろす観客席は、オーブの勝利を叫び、敗者の健闘を称え、彼らの戦いを歓声で送っている。

 カタナは、観衆に手を振り笑顔を振りまくオーブの、芯にある強い意志の存在を確かに感じていた。



 人の性格や信条は、何らかの原因によって形作られる。

 カタナの獣しかり、オーブの演技しかり。それらは最初から『そう』だったわけではなく、各々の理由があって形成されたものだ。


 ではそもそも。かつてのオーブが異様な闘争心を持って剣闘に挑んでいた理由は一体いかなるものであったのか。

 カタナがオーブの過去と共にその理由を知るのは、しばらく月日が経ってからのこととなる。

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