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剣闘のカタナ  作者: 某霊
3.勝利の栄光、罪の闇
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原罪の記憶

 無数の高峰が連なる北のヴィーエン大山脈。その中でも二番目に高い山、眺天峰。


 カタナは、眺天峰の中腹にひっそりと存在していた村の長の家に生まれた。

 村は一応帝国の支配下であったが、税を取り立てる役人すら辿り着けぬ地は、大山脈を帝国の国土とする開墾を担う、という名目で納税の義務も無く、帝国政府からほぼ放置状態にあった。


 だから村の長と言っても、年に一度の祭りの仕切りや、細々とした会合の進行を務める程度の役割だったと、カタナは朧げに記憶している。

 人口は二百人に届かない小さな集落だ。天嶮の片隅、人の出入りも皆無な村は、無限の空に囲まれた、閉ざされた世界。そんなところが、カタナの故郷だった。


 カタナの幼少期に特筆することは無い。逞しい父と穏やかな母に守られ、ごく普通の少年として暮らしていただけだ。


 世界とは自分の村と僅かな畑。そして、ありがたい恵みと恐ろしい獣を共に抱く山裾の森だけだった。森の先に何があるのかなど、考えもしない幼き日々。

 隣の家の、同い年の少女と陽が暮れるまで遊ぶことだけがカタナの日課だった。


 退屈とさえ感じない日々が『終わった』のは、カタナが七歳になった夏。

 例年になく暑い日が続き、湿った風が村に吹き付けていた夏だった。


●


 まず老人たちが死んだ。

 最初は微熱と軽い咳があるだけだった。しかし十日もすると、真っ黒な血を吐いて、痙攣するようにして皆絶命したのだ。


 ほぼ同時に、生まれたばかりのカタナの弟も同じ症状で死んだ。大人たちが気付いた時には、子供や身体の弱い者たちが次々に倒れていった。


 疫病。


 湿気を含んだ風に乗って訪れた死の陰は、周囲から隔絶された小さな村を一呑みに包んだのだ。


 イサギナの村の人々は、誰もが『濃い』血を持ち、多くの病気にも強い抵抗力を持っていたが、初めて遭遇する未知の病原体には何の意味も持たなかった。

 どころか、己らの血に対する過信から防疫の知識が半ば失われていたのがかえって事態を悪化させた。


 身体の弱い老人赤子から始まった異常は、一月足らずで村人全てを等しく汚染した。


 『血』は黒く穢れ、たちまち村は『死』に席巻された。


●


 父も母も、幼馴染の少女も病に倒れ、さらに七日ほど遅れてカタナにも咳が出始めた。

 カタナの発症時期は彼の幼さにしては破格なほどに遅かったが、それは単なる偶然、あるいは運だろう。


 しかし、カタナの両親はそうは思わなかった。


「この子は他の者より病気に抵抗があるのだ!」

「あるいは生き残ることができるかもしれない!」


 事実はどうあれ、彼らはそう思い込んだ。

 それは、生まれたばかりの第二子を亡くし、自分たちにも死が迫り精神が追い詰められていた二人にとって、唯一残った希望だったのだ。


 とにかく我が子を何としてでも生かすため、乏しい知識を総動員した彼らは、息子の抵抗力を伸ばす『ある方法』を思いついた。


 思いついて、しまった。


●


「さあ、カタナ。これを食べなさい」


 微熱にまどろむカタナに、両親が差し出したのは、見たことのない肉だった。

 母が体を引きずり台所で調理した『それ』は、表面を焼き上げられて香ばしい湯気を上げている。一見すれば、病に苦しむ息子に精を付けさせようとする親の愛情溢れる姿だ。


 しかし幼いカタナは、『それ』が何であるかを理解していた。


 何故なら、寝床のすぐ近くの窓から、見えていたから。

 やつれた顔の両親が、眼だけをぎらぎらと輝かせて。家のすぐ傍の、目印の棒が突き立った地面を掘り返していたのを、ずっと。


 そこは、赤子のまま死んだ弟を埋めた墓。


(カタナもお兄ちゃんになったんだぞ)

(この子を守ってあげるのよ)


 そう言われて抱かせてもらった弟を、何もしてやれずに死なせてしまった弟の亡骸を、●べろと迫る両親は、もはや正気を失っていた。


 カタナの両親は、病に冒され死んだものの血肉を摂取させることによって息子に耐性を身に付けさせるという、その思いつきに憑りつかれていた。


 カタナは嫌だと泣いた。力の入らぬ身体で必死に抵抗した。


 しかし両親は許さなかった。血を吐きながらもカタナに詰め寄り、父が容赦無く暴れる身体を押さえつけ、母が息子の口に、かつてもう一人の息子であったモノを力尽くで押し込んだ。


 その時舌に感じた味を、カタナは覚えていない。否、思い出そうと考えたことすら一度も無い。


 もし何かの切っ掛けでそれを思い出せば、自分で己の舌を引き裂くに決まっていた。


●


 子を思う親の妄執が届いたか、それとも、幼くとも強い生命力の賜か。数日後カタナは僅かに症状を快復し、寝床から起き上がり、立って歩けるようになった。

 半死半生のカタナの両親は歓喜して涙を流したが、事態そのものは全く好転していない。村には依然死が満ち溢れ、彼ら自身の生命も尽きかけていた。


 念には念を。


 言ったのは父だったか母だったか。

 とにかく死の床で、親は息子にそう言った。


「念には念を。私たちが死んだら、私たちも●べなさい」


 後は、家を出て、死んだ村人たちも――。


 どす黒い血を吐きながら、はっきりと、命じた。


 呪うように?

 否、希望を託すように。


 明くる朝、両親はもう事切れていた。


 遺されたカタナは、遺言の通りにした。

 あまりに凄惨な体験をした直後の七歳の子供。しかも死に際の親の命令だ。逆らうことなどできようはずもない。


 父の喉を。母の胎を。カタナは粗末な包丁で切り分けて、泣きながら口に運んだ。子供の手では上手く切れなかったので、ついには生のまま、幼い犬歯で齧り付いた。


 眼を、耳を、舌を、心臓を肺を肝臓を。腱を筋を脂肪を血を――屍の全てを。


 カタナは三日かけて、二人の亡骸を、一塊の骨と床を埋め尽くす吐瀉物にした。


●


 その後。

 血と肉と胃液で見るに堪えない色に変色した寝巻を着たままで、カタナは生家を後にした。

 病のためか、それとも精神が壊れかけているのか、頭が酷くふらついた。


 裸足のまま外に出たカタナの眼に入って来たのは、夏の激しい日差しに明るく輝く――しかし人影一つ無い――かつて村であった廃墟。


 湿気を含んだ涼風は、乾いた山の気候には嫌になるくらい爽やかで、遠く鳥の声が響き渡っていた。

 だが、村の空気は腐臭に澱み、こんな高山には珍しい、蝿の羽音が微かに聞こえてもいた。


 カタナは、傷つきひび割れた幼い心で実感した。ああ、世(・)界(・)は(・)滅(・)ん(・)だ(・)と。


 そして、おぼつかない足取りで、隣家へと歩き出す。あそこには、幼馴染の少女が住んでいる。最後に二人で遊んだのはいつだったか、もう思い出せなかった。


●


 彼女は、玄関の戸に寄りかかるようにして死んでいた。


 吐いた血は黒く乾き、山の烈日を浴びて健康的に日焼けしていた肌は、とうに乾いていた。

 自分と同じ、緑がかった黒い髪は艶を失い、ざらざらとして地に垂れている。


 いつ息絶えたのか、どこに行こうとしていたのか。分かるはずもないことを、ぼんやりと考えながら、カタナは少し縮んでしまったように感じる幼馴染の躯(からだ)を抱き上げた。


 死に顔は、意外にも穏やかだ。口元の血を手でゆっくりと拭い、薄く開いていた目を閉じてやる。

 眠っているよう、とは流石に言えないが、カタナはそのまましばらく、見慣れた少女の面影を探すようにその顔を眺めていた。


 ふと思いついて、手櫛で彼女の髪を整える。触るといつも怒られたっけ、と思い出しながら、丁寧に丁寧に、一筋ずつ優しく摘む。強く触ると、それだけでずるりと頭皮が剥けてしまうと、母の時に学んでいたから。


 静かに。そっと。カタナは彼女の姿を整える。可能な限り、生きていた頃に近づけていく。

 日が落ちても、星明かりを頼りにずっと彼女を抱いていた。慈しむように、名残を惜しむように。


 やがて、永遠にも思われる作業も終わる。カタナは、少女の顔を目に焼き付けるようにじっと見る。

 そして。


「うん、キレイになったよ、××」


 大好きだった彼女の名前。もう、カタナの記憶の果てに消えてしまったその名を、夢見るように囁いて。


 少女の躯の、乾いた唇にそっと歯を立てた瞬間が、人間だったカタナが覚えている最後だ。

 

●


 帝国執政府、辺境統治院の資料の片隅に、イサギナの村と記されていたその世界はこうして人知れず滅んだのだ。

 ただ一人、否、一匹だけを残して。


●


 それからの約三年間。カタナは人ではなく、獣として生きた。

 滅びた村から降り、山裾の森林地帯に、着の身着のまま、ただ生家から持ち出した鉈一本を携えて移り住んだ。


 『村の食料』は食い尽くしてしまったが、森にはまだまだ喰えるモノがいる。


 人であった頃の知識と、獣の本能が結びついてカタナは森に紛れて狩りを始めた。木の実や草を食べるという選択肢は、この時のカタナの中には存在しなかった。


 最初は上手くいかなかった。

 当然だ。十にも満たない子供が、野生の動物を弓も罠もなく鉈一本で狩れるはずがない。


 それどころか、高地に生きる一角虎(ユニタイガー)や赤羆(レッドベア)などの猛獣に逆に襲われ喰われかけ。毒蛇や蜂の巣に当たっては半死半生の目に遭わされた。


 何とか、齢を経た野鼠や鳥の雛といった弱い獲物を狙って飢えを凌ぎ、狩りを実践して学びながら身体を成長させた。


 幼いカタナが、弱肉強食の世界を生き延びることができたのは、間違いなく彼の『血』に拠るところが大きい。

 傷ついてもすぐに塞がり、限られた栄養を全身に行き渡らせる。新種の病には無力だったイサギナの『血』は、カタナが森で生き抜く上で唯一最大の生命線だった。


 次第に身体が育ち、狩りの仕方を学んでいったカタナは、少しずつ、より大きな獲物へ狙いを変えていく。


 毛の長い越冬兎(ロップイヤー)、竹を好む角無し鹿(バンブ・バンビ)、樹上に群れを作って生きる足長猿(モンキー・ウォーク)。


 低く、低く身を屈め。繁茂する草の陰から、死角の樹上から襲いかかり、鉈の一撃を見舞う。


 人間の速度はほとんどの野生動物に劣る。だから機を窺い、不意を突き、人間に出来る限界の瞬発力を発揮する術を体得した。

 地に手を着いた構えという、この時代の常識では想像もできない人類最速の答えを、人間を捨てることで手に入れたのだ。


 いつしかカタナは人語を忘れ、人の心をなくしていた。その代わり、獣の意志や挙動を読むことが上手くなり、狩りの邪魔をする虎や羆を威嚇や力尽くで追い払うことも可能になっていた。


 当時のカタナは知る由もなかったが、近隣の山にある集落の住民や、山脈の各地にバラバラに住まう世捨て人は、森に紛れて飛び回る彼を垣間見て、『眺天峰の獣人』と呼んでいたらしい。

 遭遇すれば喰われてしまうと、子供を脅かす種にもなっていたとか。


●


 実際、あの森で生きていた頃の自分は人を襲って喰っていたのだろう、と、『今』になってカタナは思う。


 正直、この時期は記憶が曖昧で、あまり確かなことは言えないのだ。期間さえ、三年だと思っていたのが、実は四年だったと言われても否定できないだろうというくらいだ。


 森に紛れ込んできた人間に襲いかかったり、逆に襲われたのを返り討ちにしたような記憶は確かにあるが、断片的な『それ』と、何時のものかも分からない『食事』の記憶が直接繋がっているかは自信がない。


 だから、実際のカタナの「人狩り」は全て未遂で終わっていた可能性もあるが、あまり楽観はしていない。


 落ち延びて来た野盗崩れや、曰くありげに武装していた痩身の男。死に場所を探して来たらしい老女。

 あの頃の自分にしては割合記憶に残っている彼ら彼女らを、無事に帰してやったとは我ながら全く思えないから。


 ともかく、カタナは自分が人間であったことも忘れて森で生きていた。

 空腹を抱えては生き物を狩り。満腹になっては木の洞で眠った。時折思い出したように、森の片隅にある泉に飛び込んで身体の汚れを乱雑に落とすのが、唯一の人がましさの現れだった。


 そして。


「獣に堕ちた幼子よ。……見るに堪えん、退治てくれよう」


 剣闘士となった『今』からおよそ六年前。山を訪れた元剣闘士、カーン=ハイドと出会い、あっさり打ち倒されて『調伏』される時まで。


 カタナ=イサギナは半人半獣。文字通りの人(・)で(・)な(・)し(・)だったのだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] ギリ免疫の付け方として間違ってないのがなんともまぁ
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