影は揺らめき、獣が奔る
「あー、頭がフラフラしてきた……」
カタナは壁に寄りかかって呻いた。
闘技場壁内の人気の無い通路、ひやりとした空気が火照った身体に心地よい。
戦闘中は高揚してマヒしていたが、張り詰めていた緊張が途切れると、流石に失血が響く。とは言え、カタナの体質ならば小一時間も休めば完調する程度のものだ。
「初戦からコレじゃ、先が思いやられるというか……」
ずるずると床に腰を落とし、一人ごちる。
ジークは確かに強敵だったが、純粋な実力はエインや『炎』のギジオン、そして『闘技王』アダムなどの一流にはまだまだ及びもつかないものだろう。
そのジークに対して何とか勝利を収めるのにこの有様では、勝ち抜く上で真の強敵となる剣闘士たちにどこまで対抗できるか心許ない。
(訓練相手が欲しい)
薄く目を閉じ、ふと考える。師匠と一緒に暮らしていた一年前までのように、朝から夜まで剣に没頭して腕を磨きたい。
相手は、そう、とにかく多彩な攻撃ができるやつがいい。近距離での打ち合い、中距離での鬩ぎ合い、遠距離での読み合い。正攻法から奇策まで多様な戦法ができるなら言うことは無い。たとえば――。
「ヤー、とんだ茶番だったね、カタナ」
コイツのような、と。
カタナは、ひょっこりと顔を出したリウを見て思っていた。
●
「全く、もう少し骨のあるヤツかと思ったけど、がっかりだヨ。結局、カタナの本性も出させないで自滅してさ?」
リウは、初めて会った時と同じ、幾何学模様の縫い取られた黒衣を翻して、カタナの対面の壁に座り込む。
カタナは、いかにも軽い調子のリウに目を合わせずに言う。
「そう言うな。お前には聞こえてただろ、リウ。言った通り、あれがおれの一番強い戦い方だ」
「あ、もうバレてた?」
リウはカタナの指摘に、楽しそうにカラカラと笑い声を空虚に響かせた。
「初めて会った時、お前はおれを陰から見ていたと言ったが、そんな気配は全くなかった。もっと離れた場所――自分の部屋からでも『聞いて』いたんじゃないか?」
リウは無言。ただ浮かぶ笑みが、言葉よりも雄弁に肯定している。
「同じ日の夜、おれとフェートンさんとの話していた時もそうだ。後は翌日の用品店。そして昨日の、ジークと初めてやりあった路地裏」
カタナは一つ一つ挙げていく。リウが不意にその場に現れる時、不自然なまでに正確に、今までの状況を把握していることが多い――多過ぎる。
「お前は、聴覚が異常に優れている。おれの血のように」
「大正解」
リウはにっと答えて、自分の耳を引っ張って見せる。
「カタナの場合は環境に合わせて自然に適応したみたいだけど、ボクの方は血統管理による養殖だね。ボクの家系は、何世代もかけて『聴』の資質のある男女を掛け合せて能力を伸ばしている」
あっけらかんとした言葉で、カタナは薄々感じていたリウの正体を確信する。異常極まる聴力を意図的に産み出し、どう活用するかと言えば、答えは自ずと絞られる。
「――諜報員か」
もしも、同じ建物の中に居さえすれば、壁を何枚隔てていても会話を拾うことが出来るなら、情報を盗み出すのにこれほど便利な力もない。同じように、侵入者を察知する防諜においてもうってつけだ。
「ウン。流石に曲芸団上がりで押し通すのは苦しかった? まあ、現役の頃そんな偽装してたのは本当だけど」
リウは、悪びれた様子も躊躇う様子もなく、自らの来歴を語る。
「ジークと違って、ボクは生まれた時から訓練して来た生粋の裏稼業。秘密を暴くのも、秘密に気付いた人を殺すのも、当たり前の人生だった。別に辛いと思ったこともないヨ」
語られる口調に陰は無く、リウが事実として「当たり前」に過去を受け止めていることは明らかだった。
「ただまあ、半年くらい前? 色々あってソコを出ちャったんだ。その辺も聞きたい?」
悪びれないリウの態度に、カタナも軽く苦笑して手を振った。
「別にお前の素性が何かなんて気にしないさ。今は同じ剣闘士だろ?」
ただ、とカタナは笑みを消し、真剣な顔つきでリウに刺すような視線を向ける。
「おれが気にしてるのは別のことだよ。さっきも言ったけど、昨日の路地裏――もしかしてお前、ルミルちゃんを見殺しにするつもりだったのか?」
あの時、ジークがルミルを脅し、傷付けようとしていた場面で。
リウがカタナより先にルミルとジークの諍いをその耳で聞きつけていたならば、リウはルミルの危機を知りながら、それを傍観していた可能性がある。
もしカタナの疑念が真実ならば、リウ=シノバは未だ剣闘士ではなく、現在も無辜の他者を見捨てて恥じない陰の住人であるということに他ならない。
「そっか、それが気になってたの? カタナらしいな……って言っても、初めて会ってから大して時間経ってないけど。まあそんなことヨリ」
リウは、カタナの問いに答えず、逆にカタナに問い返す。
「ボクの方こそ気に入らないなあ。アレで一番強い? ウソばっかり。殺す気のキミなら、あんな壊れかけの傭兵上がり、無傷で殺せたはずだヨ?」
リウが、目を開いて口の両端を吊り上げる。その表情は、笑みと呼ぶには禍々しく、挑発的と言うには悪意がない。
「初めて会った時、言ったよね? 『キミとは仲良くなれそうだ』って。ボクはキミに、自分と同じ匂いを感じてた。死の匂いを」
響きは共感を語るものでありながら、本来あるべき温かみの欠けたもの。喩えるなら、朧な月の光を受けて闇に揺らめく影のような、得体の知れない不安定さを持っている。
「昨日さ、アイツを『潰す』ってキミが言った時から、楽しみだったんだ。ああ、カタナの殺し方が見れるんだ、って。なのに」
月が翳って闇が降りるように、不満そうに口を尖らせる。
「あんな『ただの剣闘士』みたいな戦い方して、どういうつもりさ?」
●
遠く、歓声が聞こえる。表の剣闘はいい具合に盛り上がっているらしい。
「……お前の言う通りにおれがジークを殺していたとして、それに何の意味がある?」
カタナは、リウの言葉を否定せず、しかし肯定もしない。
「? 問題が後腐れなく片付くじャない」
身も蓋も無いリウの言い分に、しかしカタナは同意しない。
「現実的だな。でも、そこがリウとおれの違いかな」
「どういう意味?」
リウの琥珀の眼が、暗い光彩を宿してカタナを射抜く。
「おれの目的は、剣闘士として強くなること。人殺しが上手いだけの人でなしのまま、なんてごめんなんだよ」
「……」
「要するに今のおれは、自分に殺人を許していないんだ。ジークとは事情が違うけどな」
カタナの言葉を、リウは黙って聞いている。自分の意図とは異なるだろう反応に、しかし表情は特に不満そうというわけでもないのが奇妙だった。
「もういいか、リウ? そろそろおれの質問に答えろよ。お前は、あの子を見殺しにする気だったのか?」
カタナは、先刻の問いを繰り返す。リウの答えを聞いてどうするというのか。こちらもやはり表情からは窺い知れない。
分かるのは、次の言葉で両者の探り合いは終わるだろうということだけ。だから、お互い迂闊に踏み込めないまま会話が途切れ、沈黙が数秒落ちる。
「そうだね、じャ――」
軽く呼吸を整えたリウが、振り切るように口火を切った。
「カタナが、『本気』を見せてくれたら答えてあげるヨ」
「お前、まだ――」
「ただね?」
カタナの声を遮って、リウは忌々しそうに呟く。目に映るのは、カタナが初めて見る、リウの明確な『負』の表情で。
「ああいう、素直で明るい女の子って――大嫌いなんだヨ」
瞬間。
座り込んだ姿勢からリウの身体が跳ね上がり、カタナを強襲した。
●
リウは『針』を構えて突きかかる。攻撃を半ば予期していたカタナは座ったまま、器用に剣を拾い上げて迎え撃つ。
「カタナの気持ちは分かったけど、ボクはどうしても見たいんだ。殺す気で行くヨ? 死にたくないならカタナ、殺意を見せて!」
先手を取ったリウはさらに、カタナに立ち上がる隙を与えまいと両手に構えた『針』の刃と『茨』の鉄靴を矢継ぎ早に繰り出す。カタナは孤剣のみで暗器を捌く。
「ぐ、ったく!」
「ほらほら、傷だらけの身体じャ、耐えきれないヨ?」
カタナは立てない。リウがそれを許さないだけでなく、未だジーク戦の影響は大きく、今の状態では立つ余力もなかったのだ。
しかも窮屈な体勢での無理な動きで、カタナの身体に刻まれたいくつかの傷痕から再び血が滲んだ。畢竟、残った体力すらも枯渇していく。
リウは標的の弱みを見逃さない。呼吸する暇も与えないと言わんばかりの高速の攻めで、カタナの心身を追い詰める。
「ふ、ざけたことを!」
カタナは無意識に叫んで、膝立ちの姿勢で剣を切り上げる。そしてリウの攻撃を軽い身体ごと弾き飛ばし、跳ねるように立ち上がる。
これは彼らしからぬ強引な挙動であり、故に生まれた一拍の硬直を――。
「さあ、出て来いカタナァ!」
リウが温存していた暗器――鎖分銅の一撃が狙い打ち、カタナのこめかみを打ち抜いた。
「――ぁ」
リウの一撃は近距離だった分、逆に十分な加速がなかった。
故にそれはカタナの頭蓋骨に損傷を与えるほどの威力ではない。
しかし、衝撃は内部――カタナの脳の奥底まで浸透し。
「ぐ、ァ……!」
実戦による極度の集中と疲労、その後に訪れた僅かな弛緩。カタナに生まれた一点の間隙を縫って、リウは目的を果たすことに成功する。
カタナ=イサギナの、『枷』が弾けた。
●
『それ』は、異形であった。
「が、餓、嗚呼――!」
頭に響く鎖分銅の衝撃に、頭を軽く振ったカタナはゆっくりと右手に剣を構えたまま左手を床に着く。
そして片膝を立て、極端な前傾姿勢でリウを睨め上げた。
目には、普段の彼が持つはずのない、粘ついた敵意が烽火のように宿っている。
「これが、カタナの……!」
リウが、興奮と驚愕を綯い混ぜにした声を零す。カタナの桃色の瞳は、今や血走り真っ赤に燃えている。首から背中にかけて飾られた鬣が、前掛かりになっておどろに揺れて、血濡れの少年の顔をさらに赤く彩った。
「ク、ク、喰。噛ゥ!」
そしてカタナは膝を上げ。直後、床を這うように、一瞬で最高速に至る疾走を開始した。
手を着き膝を着き。しかし逆の手は剣を持ち、逆の足は靴裏で床を蹴る『異形』の姿。
リウは半ば無意識に飛び退きつつ、鋭く叫ぶ。
「半人半獣――!」
他に如何なる形容もできない。
二本の足で直立して剣を持つ人間ではなく、さりとて四足を地に着いた獣でもなく。
人間の構えと獣の生態を、無秩序に一つの身体に押し込めたようなその姿勢は、まるで歪な三足獣。
相対するリウには、とてもまともに動くことができる体勢とも思えない。
しかし――。
「嚼ッ!」
リウの正面から横殴りの一刀。屈んで躱した瞬間、左の掌底が顔面を襲う。
腕で受けつつさらに後退。そうして距離を稼ぎ、鎖分銅で牽制――する前に、カタナが床を蹴って再度肉薄。
「速い――!」
地に手を着き、両足をずらして身を撓める。異様な姿勢から弾かれるように始まる急加速。
これは言わばクラウチングスタートの変形だ。
人体力学上の最適解に相似したこの姿勢から生まれる圧倒的な瞬発力は、そんな技法の存在を当然知らぬ、リウの想像を凌駕する。
野生の合理性でヒトを狩る人間獣。今のカタナはそうしたモノだ。
「これは……ヤバいかな? マジで死ぬかも」
引き攣った笑みでリウが呟いた。全力で回避に専念しても、あっという間に追いつかれる。今度は逆に、こちらが息つく暇も与えてもらえない。まさかこう来るとは思わなかったと、余裕をなくした表情に焦りが覗く。
喉笛に迫る咢を危ういところで躱し、追撃の剣を『針』で受けるリウ。手に伝わる威力は、とても疲労困憊の身で放てるものとは思えない。
「カタナ。キミが人を殺したのは、ジークみたいに生き抜くためでも、ボクと同じく殺し合いが当たり前の生き方だったからでもない……!」
リウは、ジークも自分も大きな勘違いをしていたことを悟り、裏返りかけた声で言葉を紡ぐ。
半人半獣、カタナ=イサギナ。彼が封じていたものはただの人殺しの過去ではない。獣が命を奪う理由は、いかなる時でもただ一つ――。
「『喰う』ためかっ!」
返答は、唸りを上げる肯定だった。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
次回の更新は、今回の話を受けて、カタナの生い立ちです。
上記本文でお察しいただけるでしょうが、次回の内容にはエグい展開と描写が含まれます。
苦手な方はご注意ください。




