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剣闘のカタナ  作者: 某霊
2.カタナ、初陣
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初戦決着

 いい気分だ、とジークは満面の笑みを浮かべていた。傍からは歯を剥き出して威嚇しているようにしか見えない形相だが、彼はすこぶる上機嫌だった。


「ぐ、は……」

 眼前の剣闘士の上半身は、もはや血塗れと言うのも温いほど真っ赤に濡れている。

 深い傷は器用に避けているが、肩も腕も、顔も。薄く浅く、削ぎ取り続けた肌は今やボロ布のようだ。蒼い防具もどす黒く染まっている。


「ハハ……!」

 下らない剣闘士をいたぶるのが面白くて仕方ない、しぶといこいつを早く地に這わせて、思うさま切り刻んで『開戦』の合図としよう。それから、戦争ごっこに夢中な剣闘士どもを、一人残らず本物の戦場に引きずり込んでやる。邪魔するものは皆殺しだ。


「?」

 ふと、楽しい空想から現実に帰る。見ると、カタナとかいう剣闘士が、ジークの剣を受け止めて、動きを封じていた。

「アア、ツマラン」

 右脚を突き出し、蹴り飛ばす。もうこいつは死に体だ。度重なる出血の積み重ねで体力は限界のはず。どれだけ血を流せば人間が動けなくなり、そして死ぬか、ジークは良くわかっていた。


「ダッテ俺ハ、傭兵ダカラナア!」


 ジークは悦に入った叫びを上げて、振りかぶる。嬲り殺しは止めて、一撃で脳天を断ち割ってやる。

 ああそうしよう。白い砂利に飛び散る赤い脳漿は良く映えるだろう。こっちの方が血祭りに相応しい。


「そうか、なら剣闘士おれの勝ちだ」


 しかし、耳に届いた平静な声がジークの意識に冷や水を浴びせて。

 同時に、振り下ろした剣が空を切る。


「ガハッ?」

 ジークの胸甲がひび割れ、身体に衝撃が突き抜けた。



「やっとお前の剣に慣れたよ。傭兵」

 頭から血を浴びたような有様で、カタナは言った。表情は、傷の痛みを感じさせない不敵な笑み。


「さあ、行くぞ!」

 そして、自らの血を振り乱しつつ、一気によろめくジークに肉薄する。


「ウ、アァ!」

 ジークは反射的にカタナを迎撃。瞬時に剣の軌道を読み、白刃の死角に回り込む――。

 だがそこに、カタナの片刃の剣が雷撃が地に落ちるような勢いで追随して来た。


「ナ、ニィ?」

 再びジークの胸甲に衝撃。ひび割れていた防具は、今度は木っ端微塵に砕けて崩壊する。

 ジークは起きている事態が理解出来ない。

 

 何故読みを外される? 慣れた? これまでの戦いで、自分の剣技を見抜いたと?

 ジークが、歴戦の経験を応用してカタナを追い詰めたのに対し、カタナはジーク個人の戦法を身体で理解し、対応を体得したということか。


「在リ得ン!」

 ジークは滲む疑念を振り払うように、カタナの溜めに合わせて突き。今までなら確実に機先を制することが出来た一手を、カタナは下から跳ね上げる剣閃で難なく潰す。

 そして返す一刀、ジークの頬が深く斬られた。


「ウ、グゥウ……!」

 完全に読まれている。そうとしか思えない反応に、ジークは歯を噛みしめる。

 どんな経験をすれば、こんな『攻撃を喰らいながら学ぶ』などという無謀を実戦で行えると言うのか。いや、そもそも――。


「剣闘士! キサマ、何故動ケル!」

 狂気に支配されたジークが、僅かに理性を取り戻した表情で叫ぶ。彼の中に揺れているのは困惑か、あるいは。


「上等な防具に感謝だな、重要な血管は守ってもらったから、一回派手に血が出てもすぐに止まる」

「フザケルナ!」


 ジークが凶悪に牙を剥く。浅手であろうと、裂創とはそう簡単に血が止まるものではない。さらに、もし何らかの理由で止まっても、既に流れた血が戻るということではない。

 カタナの出血量は常人ならとっくに昏倒してもおかしくないはずだというのに。


 ジークの疑念に、カタナは頬に付いた血を軽く拭った。

 露わになったその肌の傷は既に血が止まり、薄く白い膜が張っている。


「俺の出身は、北の大山脈地帯だ。知ってるか? あの高山で生まれ育ったものは、厳しい環境に適応するため、他より『濃い』血を生まれながらに持っている」



 ヴィーエン大山脈地帯。

 それは、九千メートル級の山が三十以上連なる、帝国北方の国境地帯。幾つもの属国や異民族、隠れ里が点在し、他に類を見ない峻険さから、帝国でも全貌を把握していない秘境である。


 彼の地に生きる者たちは、地上に比べて格段に薄い酸素を効率良く取り入れるため、自らの血液の能力を伸ばす適応――進化を行っていた。


 血液の役割とは、酸素や栄養の運搬、傷の修復、免疫機能の保持など多岐に渡る。血液内で、それぞれ赤血球や白血球、血小板などの各組織が働いて役割を果たしている。

 カタナの血液内のそれら組織の数は、平地の民とは比べ物にならぬほど多い。

 また量のみならず、質の面でも圧倒的だ。仮に常人にカタナの血液を輸血すれば、却って身体を損ねるほどに細胞からして隔絶している。


 無論、これは血液のみの話ではない。高機能の血液に合わせて、心臓や肺、その他の臓器が少ない酸素と限られた栄養を効率良く活用するために数十世代にも渡って変化していったのが、カタナの生まれ育った大山脈地帯の民族であった。


 具体的な科学的な知識はこの時代ではまだまだ未発達であるが、彼らは理屈ではなく、本能で自分たちの血が『そうしたもの』であることを知っていた――『血が濃い』という言葉に置き換えて。



「つまりおれは多少の傷ならすぐに塞がるし、下界でならかなりの失血があっても行動出来る」

 ふっ、と。カタナは思い出したように少し笑う。


「それと、今日は商会長の『おもてなし』でたっぷり栄養を取ったからな。こうしている間も、血が増えていくのが分かるくらいだ」


「そんな、貴様、人ではないのか?」

 血を流せば人は死ぬ――そんな戦場の常識が通用しない相手を前に、ジークの『狂』に亀裂が入る。傍目には分からない衝撃は、しかし彼を駆り立てる殺意が折れた証。

 ジークの眼には理性が戻り、同時に隠しきれぬ恐怖が表出する。


「いいや、人間だよ。『これ』でも、人間なんだ」

 カタナは静かに剣を構え、するりと前に出る。


「お前もそう、傭兵なんて生き物じゃない。『それ』でも、人間なんだ」



 カタナの言葉に、ジークは一瞬眼を見開いて硬直する。

 しかし、我に返った彼は、すぐに忘我した間を取り繕うように叫びを上げる。

「違うだろうが!」


 逆上してカタナに迫る。ジークの動きは先ほどまでの狂態とは全く違う。乱れ、揺らいだ、ただの人間が振るう剣だ。

「人を殺して生きて来て、何の権利があって人間面が出来る。人間の命を喰らって生きるものは、獣か化け物、()()()()だ!」


 血を吐くようなその言葉が、ジークの核だ。

 自ら選択し人を殺すものは人ではない。そんな、ある種『まっとう』な感性が、結果彼を追い詰めた。

 兄のように「傭兵の在り方は間違っている」と否定して自分を保つことができず、「傭兵の現実こそ世の真理だ」と感じてしまったがために、ジークの罪悪感は行き場をなくし、彼自身を蝕んだ。


 互いの血に濡れた剣が互いの刀身に食らいつく。もっと飲ませろ、お前の主の血をよこせと。物言わぬ刃までが呻いている幻覚がジークを苛む。


「なあ、キサマもそうだろう?」

 ジークは、カタナにだけ聞こえる小さな声で呟いた。

「何で、そんな風にお行儀のいい剣を使う。一番強い殺しの技は、それじゃないだろう?」


 引きつった元傭兵の声は毒を注ぐようにカタナの耳に染み込んで。奈落に諸共引き込まんとジークは囁く。

「分かるぞ。キサマも()()()()だった。傭兵とは違うだろうが、やはり生きることは殺すことだったはずだ。見せてみろよ、ご自慢の殺り方を。キサマは一体、どう殺して生きていたんだ?」


 挑発するような、しかし、反面縋りつくようなジークの言葉。

 しかしカタナは、まとわりつく悪意さえも軽く笑った。


「しょーがないヤツだな、あんたも」

「何だと?」

 少年の笑みは、まるで愚かな子供をたしなめるような柔らかなもの。


「『一番強い』、か。おれはそうは思わない。殺すのが上手いのと、強いのは別のことさ。現におれの剣闘士の剣は、あんたの傭兵の剣を破って見せた」

 カタナはジークの剣を弾き、懐に入り込む。


「だから、剣闘士これがおれの最強の戦い方だ!」

 跳ね上がるカタナの剣の切っ先が、ジークに下がる暇も与えず、その脇腹を斬り裂いた。



 終わりだ。ジークの傷から滴るおびただしい出血に、そうカタナは確信する。

 今の一刀は肉まで断ち、掠める程度だが確実に骨に届いた。死にはすまいが、もう動けない。


「まだ、だ……」

 だが、ジークは崩れ落ちそうになる身体を意志の力で支え、未だ手放さない剣を持ち上げる。


「止めろジーク。下手に動くと腹が裂けるぞ」

 カタナの制止を、ジークはしかし鼻で笑った。

「人を殺して生きていたものが、自分の命を惜しむのは滑稽だ。()()()()()()だよ」


 斬られた筋肉を無理に動かし、一歩前へ。脳髄を灼く激痛も無視して、震える腕で剣を振り上げる。

 ジークの狂気はもう砕けている。しかし、だからと言って、彼の罪の意識は、人間に戻ることを良しとしない。

「さあ、決着をつけろ、カタナ! 俺に、人でなしに相応しい、終わりを……!」

 己を倒したカタナに告げる、ジークのある意味で救いを求める声。


「もういい! ジーク!」

 それを、シグ=キアンの叫びが断ち切っていた。



「シグ兄?」

 ジークは、呆然と、剣闘場の入口に立っている兄を見た。


「ジーク、そんなに一人で抱え込むなよ。傭兵が罪だって言うなら、俺だって同罪だ。お前一人の罪じゃない」


 シグは、コーザに叩き飛ばされた身体に包帯を巻いた姿で、壁に縋りつくようにしながらジークを見ている。

 兄の振り絞るような言葉に、弟はしかし激しく首を振って否定する。


「違う! 俺は、間違いだった、罪だったなんて思っていない! 思えないから、俺は人でなしで、人間みたいに生きられないんだ!」


 しかしシグは、兄としての確信を込めて言った。

「違うだろ。嘘をつくなよジーク? お前は人間として生きたくて、でもそれができないから辛いんだろう。自分は汚れて、まともに生きてちゃいけないって思い込んでる」


 兄は弟に向かって微かに笑う。

「馬鹿だな、ジーク。そして、今まで気付かなかった俺はもっと馬鹿だ。大馬鹿だ。こんなんじゃ、俺たちはどっちかだけになったって、まともに生きてなんか行けそうにない」


 そして、ジークに震える手を伸ばす。

「だから、来いよ。生き方が分からないなら、兄ちゃんが教えてやる。兄ちゃんがまた馬鹿な勘違いしてたら、お前が教えてくれ。それで一緒にさ、傭兵が、まっとうな人間に戻れるように。なあ、二人で生きよう」


 二人で生きる――。その言葉に、ジークはついに反論する言葉を失った。自分の闇に兄を道連れにすることはできない。何故ならシグは、ジークがまだ人だった頃から共に在る、唯一の存在だったから。


「……うん」

 ひととき。血の匂いを知らぬ、かつての少年に返ったように頷いて。


「勝負あり!」


 傭兵ジーク=キアンは、静かに闘技場に倒れたのだった。

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