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剣闘のカタナ  作者: 某霊
3.双剣戦舞
100/113

星の行く先

皆様のおかげで100話到達しました。ありがとうございます。

活動報告にてお礼の記事を上げさせていただいております。

 一回戦、第四戦。


 「『星撃ち』マイナ・『海鳴り』ショーン」対「『隼落とし』エイン・オーブ」。


 開始の合図と同時、『星撃ち』マイナは前方に駆け出しつつ一挙に三矢を撃ち放つ。

 前口上は観覧席で済ませている。いざこの場で向かい合ったのならば後はもう――剣闘あるのみ。


 一矢はエインとオーブの中間に。一矢は跳ね退くオーブの足元へ追撃に。

「エインさん!」

 開始早々の先制攻撃に、芝居装束の槍使いは相棒から大きく離れざるを得ない。


 そして三矢目。刹那の溜めを以って放たれた最後の矢は、狙い過たずその場を動かないエインの眉間へ。


「……ん」

 対するエインは、呼吸音のような微かな声音を漏らすのみ。そして。


『――、――』。


 そよ風が吹くような、静かな一閃。

 何の気もない素振りの如き一薙ぎで、エインはマイナの矢を斬り払っていた。


「……っ!」

 ぞわり、とマイナの肌が全身粟立つ。

 『射手の兇星』の弟子として闘技場で戦いを重ね、二つ名を得るまでになった己の一矢が、あたかも虫を追い払うように斬り捨てられた。

 反射的に次矢を引き絞るが、そこでマイナは動きを止める。


「……これが、『隼落とし』。師匠の……、弓使いの天敵」


 わかっていた。


 若くして師、『射手の兇星』に完膚なきまでの敗北を与え、『闘技王』アダムにも認められた『無双の撃墜』。調子の波が激しいため敗戦の数こそ多いが、エインの本来の実力はこの剣闘都市シュームザオンの全剣闘士の中でも十指に入る。

 マイナの知る限り、『双剣祭』の出場者の中でも彼に伍する格を備えているのは『炎』のギジオンただ一人。


 相性の悪い弓使い――しかも二つ名持ちでも若輩であるマイナの勝ち目はあまりに薄い。


 しかし――。


「そんな前評判をひっくり返したのがあなたでしょ」

 だったら今度は自分の番だ。そっくりそのまま番狂わせを叩き返してこその雪辱だと、エインと戦うことが決まった瞬間にはもう覚悟していた。


「『隼落とし』。いざ、参る!」

「受けて立つ」

 言葉と同時。決然とした目で前を見据え、マイナはエインに向かって駆け出していた。

 エインの眼に映るのは若き弓使いの姿か、あるいはかつての強敵の幻影か。ただその剣は、どこまでも冴え冴えと斬気を湛えていた。



「くっ!」


 『星撃ち』マイナの先手によってエインと引き離されたオーブ。当然彼は先輩剣闘士との合流を目指す。複数同士の戦闘において、味方と引き離されないことは基本中の基本だ。


 しかし、その考えは敵とて百も承知。


「ほう、れっ!」

「――ちいっ!」


 駆け戻る軌道に被せるようにオーブ頭上に降るのは、人体をすっぽり覆うように広がる、『網』。


 頭上から降りかかる投網を転がるように回避したオーブは、立ち上がり様に槍を突き抜く。

 しゃごっ! と金属が擦れ合う独特の荒い衝突音。

 オーブの槍を止めていたのもまた一本の槍――否。


「これはマイナの大一番だ。女の晴れ舞台に野暮は無しだぜ、伊達男」

 三叉銛(トライデント)を右手に、左手には新たな網を構えているのは、マイナの相棒たる二つ名持ち。


「『海鳴り』ショーン……!」


 投網で絡め取り動きを止め、銛で突き殺す。帝国成立より前、剣闘士がまだ奴隷戦士であった頃より続く伝統的な戦法だが、彼の「それ」は一味違う。


「そちらの都合は知りませんが、僕に付き合う義理はありませんよ」

「義理はなくとも俺が居る。出る幕を間違えるってんなら、役者じゃなくて道化だぜ」


 両手で突き出されるオーブの槍を、ショーンは片手持ちの銛で捌いて噛み合わせる。エインとマイナ同様、この両者も闘技場で戦うのはこれが初。互いに実力を探りつつの鬩ぎ合いだが、ショーンの誘導によりオーブは少しずつエインから引き離されていく。


「一対一がお望みですか。『双剣祭』の場にはそぐわないのでは?」

 赤みがかって見える日に焼けた肌に、波濤のように真っ白な歯。背や腰に巻き付けた大小様々な投網の重量をものともしない堂々たる体躯。

「マイナにとっちゃあ舞台の名目は二の次だ。あんまり聞き分けがねえなら――」


 『海の男』は、陽気に笑って『獲物』に告げる。


「捌いて焼いて食っちまうぞ?」



 生まれて初めて剣闘を見たのは、十歳の頃。


 剣闘好きの父に連れられて訪れた闘技場は、正直あまり気に入るものではなかった。

 怖い顔の大人の男たちが雄叫びを上げて武器を振り回す姿は、幼い少女にとってはあまりに物騒で、忌避感を感じさせるものでしかなかった。


 だから、その剣闘士の戦いを見た時それまでの剣闘とのあまりの落差にひどく驚いたのを覚えている。

 轟音も、大仰な立ち回りもなく。正確に敵を射抜く、それだけに没頭している一人の射手。


 『射手の兇星』。

 不吉で物騒な二つ名だったが、その矢の軌跡は、夜空を往く流星のように美しかった。

 その一矢に込められた凄惨なまでの闘気を感じることもできない少女だった自分は、ただただその流星の矢に無邪気に魅せられたのだ。


 そして今。


「――てぇ!」

 追憶を切り裂いて。気迫を乗せた矢が連続で五本。『隼落とし』のエインに迫る。


 マイナが持つ弓は、本来女性では引くことも難しい程の強弓だ。それを彼女は、腕の筋力だけではなく、胸筋や背筋、全身の力を余すところなく伝えて大きく引き絞り、次々と撃ち放つ。


 放たれる矢は大抵の防具を貫通し、生身に受ければ手首や足首などの「細い」部分なら吹き飛び千切れる剣呑さだ。


 ただし――。


「……シィイイ!」

 それもあくまで当てることが出来れば、の話である。

 エインの抜く手も見せぬ連斬に、マイナの矢はことごとくがへし折れ、真っ二つになって散らばっていく。


「――私の最大連射でも効果なし。数じゃダメか」

 今の五矢すべてに、半端な剣閃ならば弾き突き抜けるだけの矢勢は込めてあったはずだ。それが、エインには全く通用していない。ただ「見」に優れているだけではない。その見切りを現実の斬撃として為し得る実力があってこその『隼落とし』。


 飛び道具。その特徴は、攻撃者と標的の間にある「距離」だ。それは本来ならば敵の反撃を受けず一方的な攻撃を可能とする利点に他ならない。

 が、エインを相手にする時だけは違うのだ。その「距離」は彼にとっては、見切り撃ち落とすための「余裕」でしかない。


 絶対に当たらない攻撃を繰り返し、矢が尽き心も折られる。エインと相対した弓使いは皆、そんな末路を辿っていった。

 故に、何度望んでもマイナにエインとの剣闘が許されることはなかった。

 一昨年引退した師、『射手の兇星』もマイナが『隼落とし』に挑むことを肯うことはついになかった。


「まだ――もっと、もっとやれることはある!」


 マイナが所属しているのはイシュカシオン商会。

 『隻腕』や『三本足』といった二つ名持ちを十名以上擁する剣闘都市でも最大の規模を持つ商会だが、マイナはその中で唯一の女性の二つ名持ちだ。その貴重な集客力を、みすみす負けが見えている剣闘には出せないということだろう。


 師も、ショーンを始めとする先輩たちも、商会長も、皆が口を揃えて断言するのだ。「今のお前に勝ち目は無い」と!


 だから、この商会の枠を離れた『双剣祭』でエインと対戦できたことは千載一遇の好機だ。

 この一戦で必ずエインを射抜く。そして――。


「私が、『射手の兇星』になる!」


 マイナの決意を込めた矢を見据え、エインは静かに長剣を正眼に。


「――よく似ている」

 そう、静かに呟いた。



「ふっ!」

「そらあ!」


 銛と槍が、もう何度目かの激突を行い、双方弾かれたように飛びずさる。


「この銛捌き、相手にとって不足はないと見た!」

「そりゃどうも。……マジでそんなノリなんだなお前さん」


 観客席まで響かせるオーブの口上に、感銘を受けた風もなく受け流す『海鳴り』ショ-ン。


 ――噛み合わない。

 オーブは、苛立ち混じりに内心そう呟く。

 性格が、ではない。戦いそのものが、単純にやりにくい。


 『海鳴り』ショーン。彼は元々ある漁村の漁師を生業とする家の出であったという。

 幼い頃から船に乗り込み、網を投げ打ち銛で魚を突いて育って来た男の技は、そもそもが武技ではない。獲物を捕え、仕留めるための職人技だ。

 騎士の家系で教養や伝統としての武芸で槍の腕を磨いてきたオーブとは、根本から違うのだ。


 無論、騎士と漁師が槍を持って戦ったなら勝つのは騎士だ。一方的に魚を狩る技術では人を倒し、あるいは殺す技には抗しえない。


 だが、『海鳴り』ショーンは単なる漁師ではない。船上で魚を相手にする技術を闘技場で剣闘士を制するものへと変貌させた、いわば「人狩り漁」という武術の創始者なのだ。


「ほっ!」

 距離を取ったショーンの上体が円を描くように旋回。低く――とは言ってもオーブの身長よりは高い――素早く網を投げ打ち、同時に前進。

 獲物が網にかかるのを待つのではなく、網を見せつけることで敵の動きを誘導し三叉銛で仕留めにかかる。


「はあ!」

 オーブは広がる網を掻い潜りつつ、槍を振り抜き穂先を三叉に叩き付ける。三叉銛の殺傷範囲は槍より大きいが、その分狙う的としては楽な手合いだ。


「気い抜いてんじゃねえ!」

「ぐっ!」

 しかし、ショーンは一喝する間に両手で銛を捻り込み、オーブの槍をもぎ取りにかかる。網を投げたことで片手が空き、銛捌きに集中できるようになったのだ。


(甘かった――。網そのものだけでなく、戦法の変化にまで気を回さなければ……ッ!)

 痛恨の隙を悔やむ間もなく、辛うじて槍を保持したオーブが体勢を立て直す前に『海鳴り』渾身の一突きが襲い掛かる。


「……つっ」

 二つ名持ちの武威に、形勢不利のオーブは咄嗟の判断で地面を転がる。敢えて崩れてでも距離を取るその選択が彼を救った。


 ごっ、と風を乱れ裂く三叉の刺突がオーブの耳を掠め、剣闘場の砂利地に突き立つ。その穂先には、最前まで彼が頭に乗せていた派手な帽子が貫き止められていた。


「ちったあ身軽になったかね、デミアンなんたら?」

「……我が名は、デミアン=アニア=マクシムス=オーヴィシュタットである!」


 無残にも穴だらけにした対戦者の帽子を打ち捨てつつ、揶揄するように問う『海鳴り』ショーンに、オーブはあくまでも自らの流儀を貫く構えだ。


「やれやれ、まだ追い詰め方が甘いかよ」

「僕も若輩とは言え一人の戦士。要らぬお節介など無粋の極みです」

 この格好も言動も、伊達や酔狂でやっていることではない。自らが戦うことの意義を示す、オーブの戦作法だ。


「ま、そう言いなさんな。マイナをエインに任せる以上、こっちもそれなりの返礼をせにゃならん」

「なに?」

 意想外の台詞に、槍使いの青年が戸惑いの声を漏らす。その言葉の意味も、意図も彼には呑み込めない。


 一方のショーンにしてみれば、『隼落とし』エインと対戦が決まった時からこの剣闘の意味は単なる大舞台などではなくなっている。


 ただ勝利を求めるだけならば、彼は二対二で乱戦を制しにかかっただろう。あるいは自分がエインを止める間にマイナにオーブを仕留めさせるか。

 しかし、そうしなかった理由は当然マイナの存在だ。同じ商会の後輩である彼女が真の意味で二つ名持ちになるために、不利を承知でエインとの一騎撃ちを彼は認めた。


 それが、マイナの初志とは異なるものになるとしても。


 剣闘前に言葉を交わすことはあえて慎んだが、ショーンと同じくエインもこちらの戦局は把握しているだろう。彼ほどの実力者なら、それで自分の意図は十分伝わる。


 結果的に後輩を押し付ける形になった以上、ショーンはエインに借りがある。ならば、このヒヨっ子の産毛をむしるくらいの労は負わねばなるまい。

 仲間や身内では言えないことやできないことも、敵の立場ならば突きつけられる場合だってあるのだ。


「憧れにせよ義理立てにせよ、自分の本質を押し込めて戦ったって上には行けねえし誰も喜ばねえ」


 『海鳴り』の剣闘士が、底知れぬ眼光で三叉銛を構える。深く、吸い込まれるような藍墨の眼がオーブを映す。

「とりあえず。その分厚い上っ面は引っぺがしておくとしようかぁ!」



 その剣闘士が現れたのは、マイナが『射手の兇星』の剣闘を初めて見てから二年後のこと。そのころのマイナは『射手の兇星』の熱心な()()()()で、彼の剣闘がある時は必ず父を引っ張るようにして闘技場に足を運んでいた。


 『射手の兇星』の強さは当時の剣闘都市でも図抜けたもので、マイナは彼が剣闘士の頂点、『闘技王』となることを信じて疑っていなかった。


 今のように剣闘を見る眼が養われているわけでもない、市井の少女のそんな無根拠な信奉を斬り裂いたのが、当時まだ二つ名を得ていなかった若きエイン=メノーティの長剣だった。


 『射手の兇星』の放つ矢を、何発でも、何十発でも徹底的に斬り捨てるその姿は、マイナにとってはまるで悪夢の中の存在のようでいて、冷徹なまでの現実だった。


 憧れていた弓使いの完全敗北を目撃することとなった少女はあまりの衝撃に呆然自失したまま父に背負われて帰宅し、一晩泣き腫らした。そして、彼女――マイナは一つの決意をした。


「射る、射る、射るッ! 『隼落とし』!」

 ――誰かに思いを託すのではなく、自分がやるのだ。


「私の矢が、『射手の兇星』が、あなたを射る!」


 高い山なりの軌道で落ちる曲射に続いて、地を這うような姿勢からの撃ち抜きが追い越す。

 時間差を援護させての上下段狙撃。無論それだけでは終わらない。


 前進。

 弓の優位を捨てたかのような突進で、エインとの距離を縮めにかかる。否、エイン相手に距離を取る意味はもはや無い。速度と威力の乗るぎりぎりまで接近し、エインの反応速度を超えることが唯一の勝機。


 上下から迫る二本の矢をエインが続けて斬り払う瞬間、狙い澄ませたマイナの近距離射撃が放たれる。


(当たる!)

 それは確信。何十万と弓を引き、矢を放って来た経験からくる予測は、マイナの脳裏に必中の一語を刻み込む。


 その直後。


 じゅおっ、と、両者の空間に異様な擦過音が灼き付いた。


「……ふう」

「え――」


 防御も回避もせず、剣を振り切った姿勢で動かないエインの姿に、マイナは愕然と立ち竦む。


「外れた? この距離で?」

 当たるはず、当たらなければおかしい。


 認識が追いつかないマイナの意識とは裏腹に、彼女の備える優れた射手の眼は、「それ」を確かに目撃していた。


 直前にエインが斬り払った矢、半ばから断ち斬られ空を舞っていたその残骸がマイナの矢に衝突していた。擦過音の正体がそれだった。


 頼りなく落ちるばかりの矢は、当然即座に弾け飛ぶ。しかしそれにより矢の軌道に僅かな歪みが生じ、必中を期したマイナはエインを紙一重のところで外したのだ。


「まさか、狙って……」

「――お前は、二つ勘違いをしている」


 血の気の引いた顔のマイナに、『隼落とし』のエインが息を乱さず語りかける。今しがた見せた凄まじい技の気配を微塵も感じさせないその佇まいが、何よりも彼女を圧倒する。


「一つ。今のおれは八年前より遥かに強い。『射手の兇星』と戦った時の印象など、全て捨ててから来るべきだったな」

 マイナは反射的に言葉を呑み込む。わかっていた、八年間剣闘士として研鑽を積み二つ名を得た彼が、当時より強くなっていることなど。

 わかっている、つもりだった。


 『射手の兇星』という最初の憧れに目を奪われ、その戦いを己から切り離すことが出来なかった。実力以前の、それが皆の言う「勝ち目の無い」理由。


 打ちのめされるマイナに、エインはさらに続ける。その眼光は、矢よりも強く射抜くかの如くに、ただ真っ直ぐだった。


「二つ。『星撃ち』の二つ名が『射手の兇星』に劣るなどと、お前が勝手に決めつけるな」


「――え?」

 マイナは今度こそ完全に虚を突かれて目を見開く。

 『星撃ち』、それは『射手の兇星』の弟子であるから付けられた、自分の今の二つ名。

 それを越えて、師匠の二つ名を受け継いでこそ意味がある、名実ともに『射手の兇星』に追いつけると、そう思っていた。


 『隼落とし』の剣闘士は、この戦いで初めて無表情を崩す。苦笑のような、ささやかな笑み。

「『星撃ち』とは、見るものに不吉を呼ぶ『兇星』をも打ち砕く、祝福の射手。……()()()()()()()()()()()、師匠を越える使い手には相応しい二つ名だ」

「――! そ、んな……」


 気付いていなかったのはマイナ本人だけだろう。たとえ誰に言葉で説明されても、納得はできなかったはずだ。それだけ、マイナにとって師匠の存在とその二つ名は重い意味があった。『射手の兇星』本人にもどうにもできない程に。


 だがエインなら。『射手の兇星』を倒し、今まさにマイナを圧倒してみせた彼の言葉を、『星撃ち』の剣闘士は否定できない。


 気付かなかった。自分が認められていたことに。遠くの空の流星の残影に目を奪われて、自分自身を信じることが出来ていなかった。


「ししょう……」

 震える唇を、マイナはぎゅっと引き締める。勘違い娘の未熟な剣闘士だが、闘技場で泣くほど、甘えた修業は詰んでいない。


「さあ、真似事はそろそろいいだろう『星撃ち』。お前の力、その二つ名の真価を示せ!」

「――はい!」

 双方、数歩下がって間合いを仕切り直す。

 ここからが、この一矢こそが真の開戦。『星撃ち』マイナと『隼落とし』のエインの剣闘だ。


 気配が変わる。借り物の戦法ではない彼女本来の矢は、エインとて僅かにも気の抜けないものとなるだろう。最前のような受けはもう通じまい。


 マイナは足を止め、全身の力を込めてゆっくりと強弓を引き絞る。先刻までとは、そこに練り込まれている熱量は比べ物にならない。

 連射や曲射、機動戦。今までの工夫――逃げに頼らない、全身全霊の乾坤一擲。


「――ハッ!」

 機先を制し、エインが飛び出す。お互い対等の剣闘士同士ならば遠慮は無用。撃つより速く斬り捨てる。


「――星を、射る」

 そして、ほぼ同時にマイナも矢を放つ。エインが長剣を振るうよりも、僅かに速い。その射速は師と同等。そして、その威力は――。


「ぐぅ、つっ!」

 ごうんっ、と鈍くも激しい音を立てて、エインの長剣が宙に弾き飛ばされる。

 間に合わぬと見たエインの迎撃。それを紙一重で上回ったマイナの矢が、『無双の撃墜』を越えていた。


「――あ」

 初めて、自覚と誇りを込めて放った矢の力強さに、最も驚いたのはあるいはマイナ自身か。


 しかし、この星をも貫く意気こそがマイナの(ふたつな)

 『射手の兇星』が自らを越える弓使いとして育てた『星撃ち』マイナという剣闘士は、この時ようやく完成したのだ。


 そして、直後。


「――まだ詰めが甘い!」

 先達としての叱責と共に。

 愛剣を弾き飛ばされる威力をも転嫁して。その長身を活かしたエインの後ろ回し蹴りがマイナの胸当てに叩き込まれていた。



「ショーンめ。食えないやつだ」


 眼前に倒れた『星撃ち』マイナ。

 彼女を一撃の下に気絶させたエインは、一人溜息を吐く。


 本来なら、エインがマイナにここまで教授してやる理由も義理も無かった。

 未熟とはいえマイナも競争相手で商売敵なのだ。あえて蹴落とす気はなくとも、過剰に世話を焼くほどエインの剣闘は温くない。


 しかし今回は『海鳴り』ショーンのお膳立てがあった。これ見よがしにオーブの相手をし、「後輩の殻を破る手助けをする」と示したあの男の思惑に、エインは乗った。


 彼としても、今のオーブの行き詰まりはそろそろ何とかせねばと思っていたところである。お互い身内相手にできない荒療治を引き受け合うという了解が、歴戦の二つ名持ちの間で言葉一つ無いままに成立していた。


 ともあれ自身の役目は果たし、勝利も得た。あとは――。


「オーブ次第、か」



「……ここまでかね」

 マイナが落ちたのを見届け、『海鳴り』ショーンは三叉銛を下ろす。


「何を……!」

 向かい合うオーブは、激しく息を吐きながらも、荒々しい眼光を彼にぶつける。

「まだまだ、僕は戦える!」


「お、大分地が出て来たか。わざわざ野郎をひん剥いた甲斐はあったな」

 軽口を叩くショーンとは対照的。口を開くのもやっとの様子のオーブの芝居装束は、剣闘前の煌びやかさが見る影もない有様だった。


 本人には大きな傷などは無いものの、度重なる『海鳴り』の責めに晒されて、重々しい外套は半ばで破り取られている。さらに装飾の類も破損、あるいは装束ごと斬り払われている。

 元が豪勢であっただけにその姿は痛々しく、同時に彼本来の精悍さが全体を覆っている。


 対するショーンには大きな消耗もない。撃ち放つ投網もまだ二発は残されている。しかし。


「降参だ。二対一じゃさすがにしんどいもんでな」


「――な」

 圧倒的に優位なままあっさりと敗北を認めた『海鳴り』ショーンに、絶句して言葉もないオーブ。彼にはもうエインとマイナの戦局を気にする余裕も残っていなかった。


「マイナの為とはいえ、妙な剣闘に付き合せちまって悪かったな。あいつはどうにも頑なで、俺たちや商会長のオヤジが宥めて諌めるのも限界だったんだわ」

 銛を地に置き、未だに理解が追いつかないオーブにショーンは屈託なく笑う。


「お前も、人の『二つ名』なんぞに拘泥すんなよ。お前は『舞踏剣』じゃねえし、成る意味もない」

「!」

 『舞踏剣』。その二つ名は、オーブにとって大きな意味を持つ名だ。かつて戦い、その在り方に魅せられた。

 その姿を追って、彼はこれまでずっと戦って来た。


「戦ってはっきりわかった。お前の本質、お前の掴むべき二つ名は、『舞踏』なんてものじゃねえ」

 なのに、この二つ名持ちはオ-ブのその想いを正面から否定する。


「逃げんなよ、オーブ。今のままじゃ、この『双剣祭』は勝ち抜けねえぞ」

 それだけ言って、『海鳴り』の剣闘士は倒れたマイナのもとへと歩いて行く。敗者の名に相応しくない、悠然たる足取りで。


「……ッ!」

 オーブは、何も言い返すこともできずその後ろ姿から目を逸らす。

 この剣闘は、今までのどんな勝利よりも――『舞踏剣』ユオウへの勝利よりも惨めだった。


 たが。その虚無感以上に、煮え滾るような正体不明の衝動が、未だ二つ名を持たない槍使いの胸に荒れ狂っていた。

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