14
「それじゃあ……」
夕日が沈み、あたりが薄暗くなった頃、私はバス停の前で立ち止まった。史生のアパートに遊びに行った帰り、いつもこのバス停の前で私たちは別れた。
「元気で……」
「史生もね」
私がにっこり笑うと、史生も小さく微笑んだ。
やがて遠くに見えていたバスが、私たちの前で止まった。私はバスに乗り込み、窓から史生の姿を見下ろす。
史生は何も言わず、じっと私を見つめていた。バスがそんなふたりを引き離すように、ゆっくりと走り出す。
「史生……」
私は窓に張り付いて、思いっきり手を振った。史生もバスを追いかけるようにしながら、大きく手を振っている。まるで付き合い始めたばかりのふたりが、今日の別れを惜しんでいるかのように……しかしこの別れに「また明日」という言葉はない。
私はもう二度と史生に会うことはないのだ。
史生の姿が見えなくなった頃、私の目から再び熱い涙があふれていた。
私は今3人の子供を育てている。子育ては大変だが、子供にもそれぞれ個性があってけっこうおもしろい。
ひとつ年下で少しのんびり屋の旦那は、時々私を苛立たせるが、まあ仲良くやっているほうだと思う。つまり今の私はそこそこ幸せというわけだ。
妙子とは子供を連れて実家に帰った時、偶然あの街の大型スーパーで会った。ひとり娘の萌は今年中学受験で、いろいろ大変だと言っていた。
「史生は元気?」と聞いたら、妙子は少し気まずそうに答えた。「2年前に別れた」と。そしてその原因は話してくれなかった。史生のせいなのか、妙子のせいなのか……それとも私のせいなのだろうか……
しかし妙子は笑顔で言った。「私には萌がいるから大丈夫」。そして萌と手をつなぎ、まるで姉妹のように仲良く人ごみの中に消えていった。
私は時々考える。史生は今どこにいるのだろう。何をしているのだろう。そして、誰を想って生きているのだろう……
しかしそんなことを考えても考えなくても、毎日の生活はあわただしく過ぎてゆく。私はちょっぴりほろ苦い記憶を胸の中にしまいこみ、これからもこうやって生きてゆくのだ。