1.ガーネット・エレテンシアという女
王都のとある貴族の屋敷にて、一人の若い女性が、からっぽの浴槽と睨めっこしていた。
鮮やかな長い赤髪を雑に束ねた、クリッとした黄色い眼の彼女──ガーネット・エレテンシアは、宮廷魔術士団の一員である。
貴族から王宮を通じて依頼を受けたガーネットは、持ち前の魔導具に関する知識を活かして、浴槽に取り付けられた魔導具の修理にやって来ていた。
この家の老貴族──ハルス男爵は大の風呂好きで、自宅に広々とした大理石の浴槽を作っている。
けれども最近、湯の保温に使われる魔導具の調子が悪いとの事で、魔術士団の中でも非戦闘員の技術職であるガーネットがここに派遣されていた。
ガーネットは水が抜かれた浴槽の隅っこで、魔術師団の長いローブを脱いでから作業にあたっていた。
背後から心配そうに「どうだい、直せそうかね?」と声を掛けてくる男爵に、彼女は作業の手を止めずに「問題ありません」と返す。
「見たところ、この魔導具に使われている魔石が故障の原因ですね。入手しやすい低ランクの魔石をいくつも使って必要な魔力量を確保する形になっていましたが、低ランクの魔石だと劣化が早いんですよ」
「ふぅむ……。先月完成したばかりの新品なのだが、それでももうダメなのか」
男爵は渋い顔をしながら、顎髭を片手で弄ぶ。
ガーネットは浴槽の壁にはめ込まれた四つの魔石を取り外し、その一つを手に乗せる。淡く赤い光を放つそれは、人差し指と親指で輪を作ったぐらいの大きさの球体だ。
ガーネットはそれを、男爵の方に見えるように差し出した。
「この魔石、よぉく見るとヒビが入っているでしょう?」
彼女の言葉に「なっ⁉︎」と、目を丸くする男爵。
ガーネットは淡々と、しかし素人にも分かりやすいような言葉で状況を説明していく。
「これは大変危険な状態です。何かの拍子にひび割れた魔石が爆発したり、お湯が熱くなりすぎてしまったり……。事故が起きる前に、こうして早めにご連絡を頂けて本当に良かったと思います」
「それは知らなかったな……。となると、もっと質の良い魔石を取り寄せて交換しなければならないのか?」
「それがちょうど先日、良い魔石が手に入ったところなんです!」
と、ガーネットは先程までとは打って変わって、興奮気味に浴槽の側に置いていた肩掛け鞄を取りに行く。
確かこっちの方に……と独り言を呟きながら、ゴソゴソと中身を漁るガーネット。
その肩掛け鞄は、見た目よりも大容量かつ荷物を軽量化出来る魔導加工を施した、ガーネットの特別製だ。
まだこの世に一つしかない、彼女のたった一人の友人のお陰で手に入れる事の出来た、珍しい魔物の素材が使用された品だった。
もうじきこの国を旅立つ友人の為に、もう一つお揃いの鞄を作っている真っ最中でもある。
もしもガーネットがこの鞄を売りに出せば、莫大な富を手に入れる事も可能だろう。
しかし彼女は、自分の作りたい物を作る趣味が高じて魔術士団に入れたようなものなので、金銭的な利益にはあまり興味が無かった。大富豪にはならずとも、魔導士としてほどほどの生活が出来れば良かったからだ。
故にガーネットは、魔導具や魔法薬の研究と修理が出来るこの仕事が好きだった。
……ただ、こうした出張修理で他人と関わらなければならないのが面倒臭いな、とは思うのだが。
すると魔導具に夢中な彼女は、鞄から取り出した布袋の中から、一際強い光を宿した真紅の魔石を手に取った。
色が濃い魔石は、その石に込められた魔力が豊富である事を意味する。
魔術の才能がある者ならば魔石から微細な魔力を感じ取れるのだが、この世にはそういった魔術士自体が希少である。
中でもガーネットのように、魔導具を弄れる魔術士というのも珍しい。その場で魔力の異常を感知し、必要な修理や改良が出来る事こそが、彼女の強みだ。
……とはいえ、魔導具や魔法薬に注ぐ情熱の分だけ、人付き合いに割く時間を無駄だと思っている節もあるのがガーネットだった。
そのせいで今も、他人との距離感を見誤って早口で魔石の素晴らしさを熱弁してしまっているのだから。
「ご覧下さい! この薔薇のように美しい真紅の魔石! これだけ濃い色を宿したものなら、この魔石一つだけで三年は魔力を賄えるんですよ‼︎」
「ほ、ほう。一つで三年? 毎日風呂に入っても、それほど長持ちするのか」
「そうなんです! ……と、コホン。えー、こちらの魔石でよろしければすぐに取り替えが可能ですが、如何なさいますか?」
──魔導具の話になるとすぐに周りが見えなくなっちゃうの、わたしの悪い癖よね……。
ガーネットは変にブチ上がったテンションを誤魔化しながら、どうにか冷静になろうと咳払いをした。
「マレス侯爵に紹介してもらった君の腕を信頼して、君の好きにやってくれて構わんとも!」
「かしこまりました。このガーネット・エレテンシアが、責任を持ってしっかりと修理させて頂きます」
ガーネットは生まれ育ったここ、ロームナイ王国にて、魔術士免許を取得している。
専門分野は、魔導具と魔法薬学について。
その知識を認められて、王国の宮廷魔術士団に入団し、二年が経った。
ガーネットの主な仕事は、騎士団や魔術師団で使われる魔法薬作りと新薬の開発。
そして、魔導具の修理だった。
今日のように外部から依頼を受けて出張修理に赴く事もあり、ガーネットはこの二年間でかなり顔が広くなった自覚がある。
元々は平民の生まれではあるが、特別な才能が無ければ出来ない魔導具修理の能力や、彼女の仕事に対する熱心な姿勢が評価されていた。
……だから、なのだろうか。
今も集中して魔導具から古い魔石を取り外しているガーネットの左手の薬指には、指輪がはめられている。
その送り主とは、王国貴族のナルキスという若者だ。
ガーネットがナルキスと出会ったのは、王宮で開かれた新年の祝いの席だった。
ナルキスは細身の青年で、ガーネットの一つ歳上の二十一歳。麦畑のような優しい金色の髪に、ミントを連想させる爽やかな緑色の眼をした若者だ。
王宮の庭で少し休憩をしていたガーネットは、そこに通り掛かったナルキスに声を掛けられて顔を覚え、また後日街中で偶然出会い……。
それから間も無くして、ナルキスも魔術士団に配属される事となった。
新年の一件で顔見知りだった事から、二人は自然と話す機会が増えていったのだ。
ナルキスは魔導具などの研究開発を行うガーネットとは違い、騎士団と共に魔物討伐などを行う部隊に所属している。
その任務で魔物から出た魔力の塊──魔石がガーネットをはじめとする研究員達に回され、こうして魔導具修理などにも使われる事があるのだ。
互いにそれぞれの得意分野で活躍し、時間が合えば魔術や杖の扱いについてを語り合ったり……。
そんな何気ない日々を積み重ねていくうちに、ある日ナルキスから指輪を贈られ、もうじき半年が経とうとしていた。
同じ職場に居るなら何かと心強いし、結婚しても仕事は続けて構わないそうなので、自分の好きな事を続けていられるならガーネットとしては嬉しい限りだった。
「……あのぅ、男爵様」
先程の落ち着いた態度から打って変わって、弱々しい声色で男爵の方を振り返るガーネット。
「どうかしたのかね?」と不思議そうに返す男爵に、ガーネットは「この取り外した魔石なのですが……研究用にご提供して頂く事は可能でしょうか……?」と、不安そうに訊ねた。
すると男爵は朗らかに笑い、大きく頷いた。
「ああ、是非使ってくれ! 君のような将来有望な魔導士と婚約出来たナルキスが羨ましいよ。もし君ともっと早く出会えていれば、うちの孫のフィアンセになってほしかったぐらいだ」
「お、お褒めの言葉、ありがとうございます……!」
「また何かあったら、君を指名で仕事を依頼させてもらうよ」
──やったぁ〜! お得意様候補と実験用の魔石ゲットー‼︎
すぐに彼女は鞄の中に手を突っ込み、中から『不用品の回収同意書』とペンとインク壺を引っ張り出した。
そこに男爵のサインを貰う事で、今回のように要らなくなった品を、ガーネットが研究用に譲り受けられるようになる。
ガーネットは心の中でガッツポーズをしながらサインされた容姿と筆記具、そして不用品として外した魔石を別の袋に仕舞った。
彼女は魔物との戦いには自信が無い為、休日を利用して魔石を集めに魔物狩りに行くような事が出来ない。
なので研究費の節約も兼ねて、こうして修理先で不用品の回収を積極的に行うのがお決まりの流れになっていた。
無事に新しい魔石を取り付け、浴槽に張った水が炎の魔石によって適温に保たれるのを確認したところで、男爵が言う。
「ところでガーネット嬢。作業も一段落ついたところだし、紅茶でも飲んでいかんかね?」
どうやら男爵の奥方は紅茶に凝っているらしく、若い女性に人気のある、新作の美肌に良い薬草入りの茶葉を用意して待ってくれているのだという。
けれどもガーネットは「申し訳ありませんが、この後は人と約束がありまして」とキッパリ誘いを断ってしまった。
男爵は残念そうにしていたが、ならば次の機会は是非紅茶をご馳走させてくれと言って来たので、次回のメンテナンスの日には時間を作ると約束した。
ただ、奥様には断りの謝罪と、薬草入りの紅茶という点に物凄く興味がある事だけはしっかり伝えてほしいと頼んでおいた。
──この後は、あの子とお茶する約束をしているから、今回は断るしかないのよね……。
「では、妻には私から確かに伝えておくよ」
「はい。……あ、そういえば是非お渡ししたいものがあるのですが」
と、ガーネットはハッとした後、鞄の中からある物を取り出した。
それは小さな木の小箱だった。
男爵は彼女からそれを受け取り、上蓋を開ける。
すると蓋を外した途端、華やかな花の香りが鼻腔をくすぐった。
ガーネットが渡した箱の中は四つに区切られており、その中の一つ一つに淡い色が付けられた、分厚いコインのような物体が収められていた。
「ガーネット嬢、これはいったい……?」
「マレス侯爵から、男爵夫人は花がお好きだと聞いておりました。ですので、肌に優しい素材を使った薬湯剤を試して頂けたらと思いまして」
風呂好きのハルス男爵と、庭の花を愛でる夫人。
夫妻がそれぞれ好きなものを同時に楽しめる物がちょうど先日作れたところだったガーネットは、せっかくなら自分以外の意見も欲しいな……と、試供品を持ち込んでいた。
「王国ではあまり馴染みの無い温泉文化から着想を得て、人為的に温泉のような効能のあるお風呂を作れないものかと思い、魔法薬の応用で作ってみたものなんです」
香りは四種類あり、それぞれ水色やピンクといった優しい色合いの薬湯剤だ。
粉末にした魔法薬を型で押し固めたものてわ、これを一つ湯船に入れれば、肩こりや腰痛の緩和は勿論、色によって違った花の香りがする薬湯を楽しめるようになる。
「お詫びの品になるかは分かりませんが、是非男爵様と奥様にお試し頂いて、感想をお聞かせ頂けると幸いです」
「おお……! わざわざ異国の温泉にまで足を運ばすとも、屋敷の風呂場で温泉気分を味わえるのか! 素晴らしい物をどうもありがとう、ガーネット嬢!」
「いえいえ。もしもその薬湯で肌に違和感や荒れが出た場合は、すぐに私までご連絡下さい。人によって肌に合わない場合もありますので、その際は速やかに王宮の治癒術士を派遣させていただきます」
それでは、とガーネットは男爵に深く頭を下げて、屋敷を後にした。
無事に魔導具の修理を終えた彼女は、魔石を貰った喜びを胸に、友人の待つ王宮へと帰還するのだった。
宮廷魔術士、ガーネット・エレテンシア。
彼女の事を、ある人は【魔導具修理人】と呼び。
またある人は、彼女を【魔法薬オタク】と呼び。
またまた別の人物は、彼女を【人付き合いの悪い平民の女】と呼び。
そして今回の依頼人である男爵は、彼女から受け取った小箱を眺めながら、
「彼女が魔導具や薬草にしか興味が向かないというのは、噂通りだったなぁ……」
と、ホカホカと湯気の立ち昇る風呂場で、しみじみとそれらの噂が事実であった事を噛み締めるのだった。
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