第89話 それでも選ぶ
翌朝の空は、重く曇っていた。
誰もが、昨日の光景を引きずっている。焦げ跡はそのまま残り、担架は村外れの端に置かれたままだ。
「……揺れ、微弱」
見張りの声が、低く響いた。小さい。だが、確かにある。全員の背が、わずかに強張った。昨日の迷いと、昨日の代償が、同時に脳裏をよぎる。
「規模は?」
ミレナが問う。
「不明」
技師が、悔しそうに首を振った。
「装置は相変わらず、反応なしです」
管理は通じない。踏めるかどうかも読めない。条件は、昨日と何ひとつ変わっていなかった。
「避難、どうします」
若い冒険者が、ミレナを見た。今日、彼が見たのはアレンではなかった。
ミレナは、境界を見つめる。揺れは昨日より小さい。だが、向きが一定していた。線を引くように、村外れへ向かって滑っていく。
「……村の中央から、外れてる」
彼女は呟いた。
「拡大は?」
「低い」
技師が答える。
「ですが、昨日と同型です」
昨日と同型。その一言が、皆の肩に載る。
「踏むか?」
誰かが言った。昨日、踏まなかった。結果、被害が出た。では、今日は。
ミレナは、目を閉じる。怖い。その事実は、否定しなかった。だが、怖いからこそ、目を凝らして見えてくるものもある。
「……踏まない」
短く、はっきりと言った。
若い冒険者が、息を呑む。
「昨日と、同じだ」
「違う」
ミレナは、首を振った。
「昨日は、何も分からなかった。今日は、少しだけ分かる」
境界の動き、揺れの向き、拡大の速さ。断片を、彼女は指で地図の上へ落としていく。
「中央には来ない。このままなら、村外れで収束する可能性が高い」
「可能性、だろ」
「可能性でいい」
彼女は、深く息を吸った。
「全員、外周へ移動。中央は残す。必要以上に、動かさない」
判断は、昨日より具体的だった。逃げるのでも、踏むのでもない。読んで、選ぶ。
境界は、ゆっくりと揺れながら滑り――やがて、彼女の読み通り、村外れの草むらで薄れて消えた。
誰も、傷つかなかった。
偶然か。判断が正しかったのか。それは分からない。だが、昨日と同じ迷いでは、なかった。
若い冒険者が、詰めていた息を吐く。
「……昨日より、怖くなかった」
ミレナは、小さく笑った。
「怖かったよ」
それから、アレンのほうを見て、付け足す。
「でも、逃げなかった」
アレンは、何も言わなかった。ただ、わずかに頷く。
選ばなかった代償は、消えない。だが、その痛みが、次の判断に形を与えていく。ここでは、正解は保証されない。それでも人は、選ぶたびに、ほんの少しずつ前へ進む。
若い冒険者が、杭の打ち方をアレンにではなく、ミレナに聞いていた。この数日で、聞く相手が入れ替わっている。アレンは、それを黙って見ていた。
ミレナは、乾き始めた焦げ跡の脇に、新しい杭を一本打った。今日の揺れが走った筋を、地図と地面の両方に刻みつけるように。
管理がなくても、世界は回ります――ただし、楽ではありません。その“回り方”の正体に触れます。
焦げ跡の脇に新しい杭を打つミレナの手つきが好きだった方は、★をひとつ、置いていってください。




