第8話 辺境の現実
翌朝、村は早くから動いていた。
畑に鍬を入れる者、壊れた柵を繕う者、弓を手に周囲を睨む者。働く手つきはどれも慣れているのに、表情だけが硬い。背後の森へ、誰もが数秒おきに目をやる。安心して眠れない暮らしが、そのまま身体の癖になっていた。それが、辺境の現実だった。
「アレンさん」
リーファが呼びに来た。案内されたのは、村の外れだ。柵の際で、倒れた家畜が横たわり、掘り返された畑が黒い土をさらしていた。
「魔物は、夜だけじゃないんです。最近は、昼間でも……」
語尾が、わずかに震える。
「……増えてるんだな」
「はい。前は、ここまでじゃありませんでした」
俺は柵の外へ出て、地面に手をついた。魔力を薄く、地を這わせるように流していく。
――伝わってくる。
森の奥に潜む、複数の気配。その動線。縄張りの区切り方。指先を通じて、輪郭が像を結んでいく。
「……こいつら、無秩序じゃないな」
本能だけで暴れる獣の動きではない。まるで、誰かが後ろで糸を引いているような、揃った動きだった。嫌な感触が背を這うが、今は考えても始まらない。俺は立ち上がった。
「今日中に、周りの魔物を片づけます。少なくとも、この村へ近づけないように」
村人たちがざわめいた。
「ひ、一人で、ですか?」
「危険すぎます!」
俺は首を横に振る。
「大丈夫です。俺がやります」
声に、迷いはなかった。森へ入る前、リーファが心配そうに俺の袖の先を見て言った。
「……無理は、しないでください」
「分かってる」
――結果は、あっけないほどだった。
遭遇する魔物は、ことごとく一撃。火も風も要らない。ただ魔力で動きを縛り、消す。数だけは多かったが、それは障害にすらならなかった。
夕方、村へ戻ると、空気が一変していた。
「……静かだ」
あれほど絶えなかった魔物の気配が、綺麗に消えている。村人たちが、恐る恐る柵の外へ顔を出した。
「……本当に、いない……?」
誰かの声が震える。ひとりの子供が、柵の外へ小さな一歩を踏み出した。誰も、止めなかった。この村では、それだけでありえない光景だった。
バルドが、俺の前に来る。
「アレンさん。あなたは、一体……」
「ただの魔術師です」
嘘ではない。だが、真実でもなかった。
夜、焚き火の前で、リーファがぽつりと言った。
「……今日、子供たちが、久しぶりに外で遊んだんです」
その一言が、静かに残る。王都では無能と切り捨てられた力が、ここでは誰かの当たり前の一日を守っている。それで、十分だった。
――だが。
炎越しに森を見たとき、奥の暗がりで、確かに視線が動いた。魔物の荒々しさとは違う、こちらを値踏みするような気配。ひと呼吸ぶんだけ、それはとどまり、すっと引いた。
その正体を掴むより先に、村の誰かが俺の名を呼んだ。明日は、魔物が湧いてくる森の奥へ、もう少し踏み込むことになる。
魔物の絶えた夜を、村は久しぶりに迎えます。――森の奥の、たったひとつの気配を除いて。




