第62話 踏む世代
その冒険者は、迷いなく境界に近づいた。
「……待て」
思わず、声をかける。
若い。
二十歳そこそこだろう。
軽装で、動きに無駄がない。
「あ、はい?」
振り返った彼女は、
驚くほど落ち着いた顔をしていた。
「境界だ」
「不用意に近づくな」
「分かってます」
彼女は、あっさり答える。
「踏みますから」
言葉に、引っかかりがない。
「……名前は」
「ミレナです」
「登録、してますよね?」
確かに、見覚えがある。
討伐評価は安定。
危険行動の記録もない。
「単独で?」
「いえ」
ミレナは、後ろを指差した。
「向こうで、見張りが待ってます」
確認すると、
確かに配置は適切だ。
「……理由を聞いていいか」
「時間短縮です」
即答だった。
「踏めば、五分で終わる」
「踏まなければ、三十分」
「その差で」
「助かる人が、増えるかもしれない」
理屈は、正しい。
「代償は?」
「理解してます」
ミレナは、少しだけ表情を引き締める。
「記憶か、感覚か、感情」
「全部、覚悟の上です」
軽くはない。
だが――
軽く言える世代だ。
「……誰に、教わった」
「教わってません」
その答えに、少し驚く。
「見て」
「聞いて」
「判断しました」
境界は、もう“秘術”じゃない。
選択肢として、
そこに置かれている。
「止めないんですか?」
ミレナが、聞いてきた。
「……止めない」
「じゃあ」
彼女は、一歩踏み出した。
空気が、歪む。
距離が、縮む。
数分後――
彼女は、戻ってきた。
任務は、完了。
「……何を、失った」
俺が聞くと、
ミレナは、少し考えた。
「……雨の匂い」
小さく笑う。
「嫌いじゃなかったんですけどね」
それ以上、何も言わなかった。
感傷も、後悔もない。
ただ――
受け入れている。
「……後悔は?」
「今は、ないです」
正直な答えだ。
「でも」
ミレナは続ける。
「いつか、するかもしれません」
「それでも?」
俺が聞く。
「それでも」
彼女は、はっきり言った。
「踏みます」
その言葉に、
否定はできなかった。
彼女は、間違っていない。
俺とも、違うだけだ。
その夜。
丘の上で、
風に当たっていると――
「……軽いな」
旅装の男が、言った。
「軽い」
「だが」
男は続ける。
「無責任ではない」
「責任の取り方が、違う」
俺は、空を見上げる。
「……止めるべきか」
「止めれば」
男は、静かに言う。
「お前が“基準”になる」
「それは」
「お前が、捨てた役割だ」
分かっている。
だから、止めない。
追放された無能魔術師は、
この日――
境界を“使うことを前提に育った世代”と、
初めて向き合った。
彼らは、強い。
そして、
脆い。
その両方を、
彼は、黙って見送った。
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