第37話 線引き
境界線から戻った翌日、ギルドの空気は少しだけ張りつめていた。掲示板の前で、俺は思わず足を止める。
「……増えたな」
依頼書の数が、明らかに多い。しかも内容が妙に似通っている。確認、立ち会い、助言――討伐でも護衛でもない、判断だけを求める依頼ばかりだ。
「……どれも、アレンさん宛てですね」
受付嬢が、紙束を数えながら困ったように言う。
「名指し、です」
ロイドが腕を組んで頷いた。
「昨日の依頼の噂が、もう回ってる。“境界で、何かを見極めた”ってな」
俺はため息をついた。噂の足の速さには、いつまでも慣れない。その中から一枚を取る。
件名:局地的魔力異常への助言依頼
発行元:非公開
備考:決定権は依頼主にあり
「……助言だけして、決定は向こう」
覗き込んだリーファが、眉をひそめる。
「責任は、取らせる気がないですね」
「そうだな」
典型的だ。俺の判断を利用しつつ、結果の責任は負わない。都合のいいところだけ、借りていこうとする。
「どうします?」
ロイドが聞く。俺は、依頼書を掲示板に戻した。
「受けない」
「即断か」
ロイドが少し驚いた顔をする。
「理由は?」
「線を越えてる」
短く答えると、リーファが少し考えてから言葉を継いだ。
「……アレンさんの判断を使うのに、当事者になる気がないから」
「その通りだ」
助言はする。だが決断はしない。それは、責任を他人に預ける行為だ。
しばらくして、ギルドの扉が開いた。入ってきたのは、昨日の“旅装の男”だった。周囲は誰も彼に気づかない。だが、俺には分かる。
「……また来たか」
「様子をな」
男は依頼書を一瞥した。
「受けないのか。条件は、悪くない」
「悪い」
俺は即答した。
「一番、悪い」
男の口角が、わずかに上がる。
「理由は?」
「責任を引き受けない依頼だからだ」
男はしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。
「……多くの者は、そこを見ない」
「だから、線を引く」
男は深く息を吐いた。
「いい。それでこそだ」
周囲の誰にも届かない声で、彼は続ける。
「お前は、“使われる側”にはならない」
そう言い残し、男は去っていった。
ロイドが首をかしげる。
「……今の、誰だ?」
「さあ」
俺は肩をすくめた。
「ただの、通りすがりだ」
その日の夕方、俺は別の依頼を受けた。
件名:森の奥で迷った子供の捜索
危険度:低
備考:報酬は、相場以下
「……これで、いいんですか?」
安い報酬に、リーファが遠慮がちに聞く。
「ああ」
迷いはなかった。
「これは、冒険者の仕事だ」
責任があり、結果があり、誰かが確実に救われる。それで十分だった。名指しの助言依頼が何十枚積まれようと、俺が受けるのはこういう仕事だ。
掲示板に背を向けたとき、胸の奥で六つの流れが一斉に身じろぎした。火も水も風も土も、光も闇も、使えばこの街の依頼を半日で片づけられる。俺は、そのどれにも手を伸ばさなかった。
地図を畳み、俺は森の方角を見た。日が暮れる前に、迷った子供を見つけ出さなければならない。
引き受けたのは、報酬も安い子供の捜索。だがその森で、彼は“境界”そのものに触れます。




