(番外20)「赤毛のアン」のむずかしさについて(バイロン)
白猫と黒猫がシャンチー(中国将棋)で遊んでいる看板が目印のその店に行くと、いつものほうに作者が創作メモを広げながら手作業で創作を続けていた。キーボードでカシャカシャとテキスト入力をするのはおもに自宅でやっていて、このカフェは適度な雑音と客の話し声、店に流れる音楽とかで、プロットを作成するには適しているらしい。
「よお」とおれは言って、作者の向かい側の席につき、いつものオリジナルブレンドを注文した。
「やあ」と作者が答え、作者側のテーブルには冷やしコーヒーと、茶色いシミがところどころについたルーズリーフ型の創作ノートが広げてあった。そうか、もうアイスコーヒーでも問題ない季節なんだな。
「ご無沙汰だったね。なんか警察に拘置でもされてたのかよ、闇バイトみたいなので」
「似たようなもんだよ、ちょっと先生に学部生の試験のサポートを頼まれちゃってさ」
「ツッコミ待ちの質問に、そんな真面目に答えるなよ。先生って」
「正確には指導教員、要するに師匠だね。昔は指導教授とか指導教官とか言ってたけど、その言いかただと、懲罰を受けてる指導されてるみたいだから、ほかの大学でも一般的には先生って言ってるよ」
「なるほどね。具体的には」
「学部生の英語の問題作成と試験監督と採点。ぼくが問題を作ると専門的になりすぎるから、年が近いきみのほうが、いいんじゃないの、みたいに言われてさ」
「ああ、確かあんたは国際英語コミュニケーション学科、だったっけ」
「言いかたにどうも小馬鹿にしているようなところが気になるな。おれは英文学科だから、英文学以外のことは、しゃべるのも聞くのも得意じゃないよ。だいたいあなた、「弱火で肉と野菜がなじんできたら、水に溶いた片栗粉を加えてとろみをつけます」って英語でいえるかよ。そういうのをちゃんと教えるのが国際英語コミュニケーション学科だよ」
「え、え、えーと、ハーフ・マロン………パウダーを、ウォーターに………アド………」
ふん、とおれは鼻先で笑った。
*
「そもそも先生は19世紀の英国文学と、20世紀はじめぐらいまでの児童文学が研究対象だから、そんなのから一般学部生対象の問題出してもよくわからないと思うんだよね」と、おれは言った。
「『宝島』とか『ジャングル・ブック』とかあるだろ。『オズの魔法使い』とか」
「児童文学、というものがそもそもなかったのよ。そこらへんから話をはじめると長くなるけどね。要するに子どもが読んでも楽しく読めるようにしたテキストはあるけど、あんたも『赤毛のアン』の完全版とその注釈読んでたら、その時代の十代はじめの子が、どの程度の英語に親しんでいたかはわかるはずだよ。なにしろ映画もラジオも、ネットもガンダムもない時代だから、ちょっといいな、と思ったらみんな暗証しちゃうんだよな」
そう言っておれは、やや大きめの携帯端末を取り出し、ああこれこれ、と作者に見せた。
「アン・シャーリーがかんしゃく起こして、もう学校に行かない、って決めるけど、行かないとダイアナに会えないことがわかって、しぶしぶ行く。ほかのみんなはいろいろなものをくれて、復帰おめでとう、と祝うんだけど、ガーティ・パイと隣席の、肝心のダイアナはあいさつもお祝いの品もくれたりなんかしない。そのときの心情を、作者は有名な詩からこう語ってる。翻訳は松本洋子さんのものを引用しよう。
『ブルータスの胸像を奪いとられたシーザーの行列は、前にも増して、ローマ最上の人の不在を思い起こさせた』
「ああ、そこね。バイロン『チャイルド・ハルルドの遍歴』からの有名な引用ね。どういう意味かと言うと」と、作者は話しはじめた。
「ちょちょちょ、ちょっと待ってよ。そこは『どういう意味なのよ』とあんたが言って、こんなことも知らないのか、作者のあんたが、と、おれが上から目線で説明する、というやりとりだろ。さす登場人物、とか、さすアンの中の人、とか言ってくれないと」
「いいじゃないかよ、どちらが説明しても。じゃあここから先は、私たちふたりで読者にマンスプレイングするということにしようよ」
*
バイロン『チャイルド・ハルルドの遍歴』は長い詩だけど、長すぎることも冒涜すぎることもないので、19世紀の子どもたちは教科書とか家にある聖書以外の本で、暗証できるほど知っている。
問題の部分はこんな漢字の4行。
And Santa Croce wants their mighty dust;
Yet for this want more noted, as of yore
The Caesar's pageant, shorn of Brutus' bust,
Did but of Rome's best son remind her more:
サンタ・クローチェは彼らの偉大な遺灰を求めている。
しかし、この欠如こそが、かつての
シーザーの行列がブルータスの胸像を欠いたとき、
ローマの最高の息子を一層強く思い起こさせたように、なおさら注目される。
(翻訳はAIを使用)
サンタ・クローチェというのはフィレンツェにある有名な聖堂で、多くの偉人たちの墓所として知られている。mighty dustというのは偉人の遺骨、ね。このwantsは「求めている」というか「欠いている」という意味を内包している解釈かな。
具体的にはミケランジェロ、ガリレオ、マキャヴェッリ、ジョヴァンニ・ジェンティーレ、ロッシーニなどが知られている。
でもって、シーザーの葬列にブルータスの胸像がない、つまりアンの登校にダイアナの◯◯がない、ことは、いっそうダイアナの存在を思い起こさせる、寂しいな、という気持ちだね。
サンタ・クローチェの聖堂にない遺灰は、たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチ、サヴォナローラなどがあって、そのために「their」なんだけど、具体的にはダンテ。ダンテはフィレンツェから追放されたんだ。
つまり、ダイアナの不在は、聖堂にダンテの遺灰がなかったり、シーザーの葬列にブルータスの胸像がないことと同じ、って言いたいわけね。
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「長いね」とおれと作者は言った。
「ところで『チャイルド・ハルルドの遍歴』って、そんなに当時の人には読まれてたの」と作者は聞いた。
「そりゃもう。アン・シャーリーの知力というか教養は、作者の趣味によってかなり高めに想定してあるけど、朗読・暗唱できる、今の日本の中学生レベルの年の子だって珍しくはないよ。日本の和歌だって、有名なのは中学生でも知ってるのがあるだろ。そんな感じ」
「今の日本の大学生だったら」
「そうね、専門の学部3・4年生ぐらいだったらいるんじゃないかな。おれもその詩は知ってても暗唱はできない。これはアン・シャーリーと今の時代の教養・知識の差ではないから、どっちが上かどうかは関係ない。アンだって五目あんかけは作れないだろ」
そうして、おれたちは別れた。
さまざまな無駄話をしている間に、アイスコーヒーの氷は溶け、ホットコーヒーはぬるくなってしまった。




