ヤ×目×××プ編
土曜。俺は市営図書館を訪れていた。
目的は宿題のため。社会の授業で郷土史やら何やらを調べることになったのだが、
「……だりい」
秒で飽きたわ。いやマジでつまらん。
それっぽい資料持って来て広げてみたけど一行も頭に入って来ない。
「佐吉らを誘うべきだったかな」
一人で来たのはツレと一緒だと集中できず宿題にならないと思ったのだ。
あとはまあ、この後の予定もだな。あんまり人には言えないムフフなことをするつもりなのだ。
けど今になって失敗だと思う。まだツレと駄弁りながらのがマシだったわこれ。
今日はもう宿題の気分じゃない。かと言って今から帰っても時間中途半端だし、
「なーんか本でも読むかあ」
テキトーに館内をうろつく。
漫画とかもあるが宿題ほっぽって漫画ってのもちょっと罪悪感ある。
せめて活字オンリーので誤魔化さないと。
(明日からダイエットはじめるって言って夜食パクつくデブの言い訳みてえだな)
我ながら何と情けない。
「何かお探しですか?」
「うぉ!?」
と振り向けば見知らぬお姉さんが立っていた。
目元に薄く隈が刻まれた黒髪ショートボブのお姉さん。年齢は大学生ぐらいかな?
口元の黒子がやけに色っぽくてもっと上と錯覚しそうになったが多分大学生だろう。
司書とかではなく同じ利用者のようだが小学生が困った顔でうんうん唸ってるの見て声をかけてくれたのか。
「え、えっとその……お探しっていうか……その、俺も良い歳なんで文字だけの本でもと」
えへへ、と愛想笑いを浮かべる。
馬鹿正直に理由を告げる勇気は俺にはありません。
「なるほど。とても良い心がけかと」
薄く笑みを浮かべるお姉さんはお見通しなのかもしれないけど触れないでいてくれた。
「バトルはお好きですか?」
「? ええ、大好きです」
「では異種格闘技なんかも?」
「バリバリ守備範囲ですねえ」
「でしたらこちらなど如何でしょう?」
お姉さんは上の方の本棚から一冊の本を手に取り俺に差し出した。
小学校高学年から中学生向けぐらいだというその本のタイトルを見て俺は思わず顔を顰める。
「う゛ぇ゛」
タイトルは白鯨。俺の脳裏に前世のいや~な思い出が蘇る。
課題図書で読まされたんだが陰鬱だし読み難いしで内容は覚えてないけどうんざりさせられた記憶がある。
……いや待て。わざわざバトルが好きかどうか聞いた上でこれを差し出すのは何かおかしいな。
「ふふ、タイトルだけで警戒してしまうのも無理はありませんが白鯨は実に痛快な異種格闘小説ですよ?」
「え、そうなの!?」
「はい。折角ですので軽くあらすじを説明致しましょうか」
時は十九世紀後半。
放浪の水夫イシュメイルがアメリカ東部のナンタケットにやって来たところから物語が始まるのだという。
「何でイシュメイルはそのナンタケットに?」
「ナンタケットは当時、世界有数の捕鯨港だったのですよ」
なるほど、そこで仕事にありつければと。
「そこでイシュメイルは宿で一緒になった巨漢の銛打ちクイークェグと共に捕鯨船ピークォド号に乗り込みます」
あー、何かそんな感じだったな。
話を聞いてたらうすぼんやりとではあるが思い出してきた。
「しかしピークォド号はただの捕鯨船ではありません。リベンジに燃える男たちのバトルシップだったのです」
船員は皆、かつてモビィ・ディックなる白い大きな鯨に痛い目を見せられた者たちなのだという。
しかし恨みはない。そこにあるのは敬意と闘志。
これまで人との戦いしか経験してこなかった彼らは異種の暴威に魅了されてしまったのだという。
「『う、うわあぁああああああ! エイハブ船長が喰われちまったァ!!』」
「『四天王でさえこの実力か……!』」
「『キャプテンの無念は俺が晴らす! ゴング鳴らせ出撃じゃあ!!』」
「『い、いや待て! 奴の体に亀裂が!?』」
「『“A”だ“A”が正体を現すぞ!!』」
「『我が名はエイハブ』」
お姉さんは少し低めで静かな耳に心地よい声で戦闘シーンの一部を朗読してくれた。
「何それすっげえ面白そう」
「でしょう? というわけで白鯨をおススメしますよ」
「あ、ありがとうございます」
「ふふ、どういたしまして」
お姉さんに御礼を言って席に戻り早速、白鯨を読み始める。
文章は硬いが事前にある程度あらすじを聞いていたからだろう。
当時の捕鯨事情なんかの話も退屈せずに読むことができた。
先に楽しみが待っているなら、ということだと思う。
「――――はっ!? もうこんな時間」
慌てて帰り支度を済ませる。白鯨は当然、借りることにした。
まだ半分も読めてないがめっちゃ面白い。
序盤の見どころは木賃宿の一室という閉所でのイシュメイルとクイークェグの戦いだろうか。
技巧を凝らした一戦は実に読み応えがあり、戦後の爽やかなやり取りも印象的だ。
(俺としたことが何て間抜けな)
馬鹿ナイズされた世界だぞ? 何故、文学も元の世界と同じだと思い込んでいたんだ。
ゲームで描写されていない日常的な部分についてはやはり見落としがちになってしまう。
暮らしてる中で自然と知るものもあったけど本はなあ。
前世からして活字に興味がなかったから完全にノータッチだったよ。
しかしこれからはそっち方面の開拓も進めるべきだな。
(国語の授業とかは普通だったからな)
多分、混ざってるんだ普通の文学とバトル文学が。
そしてその混ざってるというのも異なる世界を知る俺だからそう思うだけ。
この世界の人間にとっては当たり前のことなんだ。
(いやホント、とんだ間抜けだ。日常的な差異ってんなら既に経験してたのにな)
スマホを取り出す。この中にインストールされたアプリの一つが正にそれだ。
ヤリ目マッチングアプリ。俺はこれで現役小学生ホ別苺で相手を募集し、今その相手との待ち合わせに向かっている。
字面だけ見ればいかがわしいと思えるかもしれないがいや実際、この世界的にはいかがわしいんだがな?
それでも前世のそれとは種類が違う。
(何せ闘り目マッチングアプリだからな)
ホ別もこれホテル代じゃないからな。病院代のホだから。
苺は一万五千円だがこれは勝った場合のファイトマネーね。
ともかくだ。根っこにある常識の違いゆえに表れる文化の差異というならこれもそうだろう。
そのことに気付くのが遅れたのはこの要素がゲームの中にあったから。
作中のギャルキャラがこれと同じかどうかは分からないがヤリ目マッチングアプリで相手を漁っていたのだ。
そのことをスマホの話題でふと思い出し、俺はスマホ購入に踏み切ったわけだな。
ちなみにそのギャルのストーリーでは某大物政治家とマッチングしてた。絵ヅラ最悪だった。
『この世界におけるマッチングアプリは決してイヤらしいものではないんです』
などとPは言っていたがまあ通らねえよなあ?
政治家がマッチングアプリで女子高生とってシチュがもう愚弄だもん。
(……どうしてお前は販売禁止になるような要素を躊躇なくぶち込むんだ)
販売禁止。続編絶望的となったあの日のことは今でも覚えている。
ネット掲示板の専用スレでこのアホな世界に魅了された同志たちと嘆きに嘆いた。
P! P! お前なあ! お前なあ! いやだがあのアホさゆえ俺たちは魅了されたわけで……と。
(懐かしい思い出だ。すまないな皆、俺だけこんなパラダイスに来ちまって)
そうこうしている内に目的地の公園に辿り着く。
区画整理で今の安全基準に照らし合わせた広く新しい公園ができた影響で寂びれてしまった旧い公園。
今じゃ俺みたいなのとかごにょごにょするカップルが利用するスポットになっちまった。
「さてさて」
迷うことなく多目的トイレに入り鍵を締める。
用を足したいわけではない。ここが待機場所なのだ。
普通にベンチに座ってるだけじゃただの小学生の可能性もあるからな。
向こうがキッチリそうだと認識できるように配慮したのだ。
(楽しみだな)
手で目線を隠して写真をアップしたからだろう。
釣りかもと思いつつ応募は殺到した。俺はその中から一番早く反応した人を選んだ。
性別は女性。年齢は十九歳の大学生。バトルスタイルは截拳道。
性別と年齢はどうでも良いがバトルスタイル! 截拳道!
(名前だけは聞いたことあるけど実際どんなもんか知らないからな)
事前に調べようとかとも思ったがやめた。初見の感動を存分に味わいたいからだ。
しかし何だ。いけないことをしてるって気分でドキドキ半端ないなこれ。
(……来たな)
不規則なノックの音。事前に取り決めてあった合図だ。
俺は鍵を開け「どうぞ」と扉を開き、
「「え」」
互いに絶句。そこに居たのは図書館で白鯨をおススメしてくれたあのお姉さんだった。
いち早く我に返ったのは俺で咄嗟にお姉さんの手を引きトイレの中に連れ込み鍵をかけた。
「え、えーっと」
「……ま、まさか図書館で出会った子が相手だとは」
あぁ、ちょっとミステリアスで優しいお姉さんのイメージが……とお姉さんは頭を抱える。
特にそんなイメージはなかったのだが可哀そうなので何も言わない。
「とりあえず、自己紹介しません?」
「そう、ですね」
頬を赤らめ視線を彷徨わせつつもお姉さんは頷いた。
やっちまったと思いつつも出て行かないあたり興味はあるんすねえ。
「十波勇八です。年齢は九歳。バトルスタイルはプロフでも書いたけど我流」
超を含めて必殺技も幾つか使えると言ってゲージを出現させる。
これだけでは完全な証明にはならないが少なくともゲージを出せるぐらいの力量はあると示せる。
「こ、これはご丁寧に。私は八雲 透と申します。どうぞよしなに」
胸に手を当てお姉さんこと透さんは軽く一礼した。
その目は俺の出したゲージに釘付けで軽く興奮しているように見える。
「え、えっと……勇八くん、とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「良いですよ。俺も透さんって呼ぶんで」
「ど、どうも。あ、これ私も見せないと失礼ですよね」
ふっ、と透さんの周辺にゲージが出現。
かなりやるだろうとは雰囲気で分かっていたので驚きはしない。
だがこうして見せつけられるとやっぱアガるな。
「その、勇八くんは何故こういう? お金に困っていたり?」
「単なる“好き者”ってだけですよ」
「う゛。小生意気な表情で舌ペロとかこれもうポルノ……」
おっと? 歳の差バトルだけでなく普通にそっち方面でも?
「か、完全に釣りだと思っていたのにこんな」
やっぱ釣りだと思われてたんだ。
でもこうして現地に赴いちゃうあたり下心は止められなかったと。良いね、好きだよそういうの。
「俺も我慢できないんでさっさと移動しましょうか。ここでやるのもそれはそれで面白そうではありますけどね」
トイレの中という閉所でのバトル。ファイターの技量が試されるシチュエーションだ。
正直興奮するが公共の施設だからな。責任取れる年齢でもないのに暴れちゃダメだ。
「確かやる場所はそっちで用意してくれるんですよね? 連れてってくださいな」
「うぅ……は、はい。一々興奮させてくるこの子……」
透さんと一緒にトイレを出る。
「キョドり過ぎ。堂々としなきゃ逆に怪しまれますよ」
姉弟、もしくは親戚ぐらいの関係ですが何か?
みたいなツラで透さんの手を握ると彼女もおずおずと握り返してくれた。
「勇八くんは小悪魔ですか……?」
どういう目で見てんだ。
しかしこれだと本番でもたつきそうだな。少しアイスブレイクが必要と見た。
「透さんがおススメしてくれた白鯨。まだ序盤ですけどめっちゃ面白かったですよ」
木賃宿でのイシュメイルたちのバトルとそれが切っ掛けで結ばれる友情。あれは実に良い。
と白鯨の感想を伝えてやると透さんも少し緊張が解れたようでクスリと笑う。
「それは良かった。当時の捕鯨事情なども描かれていましたがそこは邪魔になりませんでしたか?」
「大丈夫です。先に面白い展開が待ってると分かってますからね」
むしろ良いアクセントとして楽しめたと答えると透さんはそうですかそうですかと嬉しそうに頷いた。
「ちなみに他におススメの面白い文学作品? ってあります?」
「そう、ですね。では最初が異種という変化球だったので王道を一つ」
王道か。楽しみだ。
「ずばりオリエント急行など如何でしょう」
これも名前は知ってる。確かミステリーだったが。
「正式名称はオリエント急行の闘争。ヨーロッパを走行する長距離夜行列車が舞台の作品です」
その列車は普段は普通の夜行列車だが人知れぬ顔を持っている。
ある時期、ある時間帯に出る列車だけヨーロッパの好き者が集うバトルエクスプレスに変わるのだ。
「主人公のポアロは優れた探偵でシリアでの事件を解決したばかり」
事件解決の御礼にと依頼人からオリエントバトルエクスプレスの乗車券を譲り受ける。
少しばかり疲れていたポアロは良い羽休めだと列車に乗り込んだ。
「生涯忘れられない旅行になる」ポアロは確信にも似た予感を覚えていた。
彼の予感は正しくポアロはオリエント急行で個性豊かなファイターたちと濃密な時間を過ごすことに……。
というのがあらすじらしいが、やっぱ俺の知るそれとは全然ちげえな。
「『And I must learn, for once… to live with the imbalance.』」
綺麗な発音だが何言ってるかわかんねえ。
そんな俺の困惑を感じ取ったのか透さんはくすりと笑い和訳を教えてくれる。
「『私も今回に限っては、このアンバランスを受け入れます』ポアロの名言ですね」
「どんなシチュエーションでその言葉が?」
「探偵としてのポアロは人情家ですがファイターとしての彼はかなりシビアなのです」
ほう?
「『一度戦いが始まればその先に待つのは厳然たる事実のみ。
勝者と敗者、強者と弱者。これ以外のものが介在する余地はない。
よく頑張った、などという言葉は勝者にとっても敗者にとっても侮辱以外の何ものでもない』」
これはこれは、結構尖った奴なんだなポアロ。
俺のスタンスとは真逆だがしかしそういう考え方も一つの正解ではあるだろう。
「そんな彼がある人物との戦いの果てに先の発言をするわけです」
「き、気になる! 気になるなあ!!」
薦め上手かよ!!