席替え鉄拳伝③
俺の初めてのバトルは小学校入学前。相手は俺の主治医だったお爺ちゃん先生だ。
お爺ちゃん先生は俺が入院してた病院の前院長で息子さんに後を託した後は半引退ぐらいで医療に携わっていた。
運び込まれた俺はどうしようもないぐらい絶望的で、だからこそ自分がと手を挙げてくれ主治医となったのだ。
世界の姿を知る前。身体よりも先に心が死にかけていた俺が何とか永らえた理由の一つは紛れもなくお爺ちゃん先生だ。
例え先がないとしても。精一杯生きて欲しい。少しでも生きてて良かったと思って欲しい。
そう願い献身的に尽くしてくれたからこそ俺は世界を知ることができたのだ。
――――恩返しがしてえ。
だったらもう答えは一つだろう? この世界ならさ。
俺は退院前日、お爺ちゃん先生に直筆の果たし状を送った。
死にかけていた小さな命はこんなにも元気になりましたと余すことなく伝えたい。
お爺ちゃん先生は俺の気持ちを酌んで決闘を受けてくれた。
『ふぁふぁふぁ、ゆうちゃんや。手加減はせんぞい?』
『あったりまえさ!!』
場所は俺たちにとって思い出の場所である病院の屋上。
お爺ちゃん先生はICUに居た頃、俺によく空の美しさについて語ってくれた。一緒に空を見ようと言ってくれた。
そしてICUから個室に映ったその日、一緒にここで空を見たのだ。
涙が止まらなかった。生きたいと心底から思えた。
その後、世界を知って俺は病魔との戦いを始めたわけだが鍛える時も屋上を使っていた。
病院で空に一番近い場所で、お爺ちゃん先生に見守られながら。
『ええ返事じゃあ! どぉおおおんと来い!!』
『よっしゃああああああああああああああああああああああああああ!!』
老人とは言えお爺ちゃん先生はこの世界の老人。規格が違う。今でも現役で戦えるスーパー爺だ。
それゆえ俺も勝てるとは思っていなかった。お爺ちゃん先生もそうだろう。
しかし俺は勝利した。超必殺技に覚醒してそれを当てられたからだ。
超必に目覚めるなど予想外も予想外。技の性質と相まってお爺ちゃん先生は完全に虚を突かれ敗れたのだ。
全身の骨を砕かれ倒れ伏すお爺ちゃん先生は俺に言った。
『……ゆうちゃんや。強くなるのに必要なことが何か分かるかね?』
実戦経験。鍛錬。俺はそう答えた覚えがある。
お爺ちゃん先生は空を仰ぎながらそれも当然、大切だと肯定した。
『じゃがな。飛躍、とも言えるレベルの成長を果たす時にはそれだけでは足りんと儂は思う』
では何が?
『――――“感動”じゃよ』
『かん、どう』
強く胸を打つ何かと出会えたその時、蛹が羽化を果たすように目を見張る変化が起きることがある。
『ゆうちゃんは儂との戦いでそれを見つけられたんじゃな?
あの小さくか細い命がそんな感動に出会え大きく羽ばたく姿を見られた』
こんなにも嬉しいことはないとお爺ちゃん先生は笑った。
戦いの中で俺が何かに出会ったというのであればそれは――――
「十波」
「……ああ」
弁慶の声で我に返る。静かに目を開けると準決勝が終わっていた。
順当に行けばそうなるという俺の見立ては当たり。
決勝の相手は相沢さんだ。
「よし。じゃあ少し休憩したら」
「良いよ先生。このまま始めよう」
と相沢さん。
しかしと渋る先生に彼女はクスリと笑う。
「私、全然疲れてないしダメージもないでしょ? 十波くんと違ってさ」
十波、どうする? と先生が目で問う。
俺は小さく笑い床を蹴ってロンダートからのバク宙でリングイン。意思表示はこれで十分だろう。
「体力ゲージと必殺ゲージ!?」
「すごい……あの二人、そこまでの……」
この世界における戦業と素人の違いは何か。
その一つがHPと必殺両方のゲージを出現させられるかどうかだ。
一定以上の力量を備えていれば右上と右下にそれぞれゲージを出現させられるのだ。
誰の目にも有利不利、逆転の好機を伝えられるかどうかがプロとアマの違い。
ちなみにHPゲージの方だがこれは別になくなれば死ぬとかそういうことはない。
単独で出す場合、HPゲージは0だがバトルの場で互いに出す場合は両者の体力の平均値になる。
で、その平均値を算出する際に命に関わらない程度というのが初期条件に組み込まれているのだ。
ただ完全なデスマッチができないわけでもない。
その場合は両者合意の下でなら設定し直せる。
「……これが最後だ。好きにやりなさい」
エアリード機能完備の先生だ。これが正解だろうと全てを俺たちに任せてくれた。
俺はロープに背を預けながら軽く顎をしゃくる。何か言いたいことがあるならご自由に、だ。
こちらの意図を汲み取った相沢さんが後ろで手を組みリングの中を歩き出す。
「私、さ。十波くんのこと嫌いなんだよね」
どよめき。しかし皆、口を挟まない。
ドツキ合いの前のレスバも戦いの醍醐味だからな。
「いや正確には今日、嫌いになったって感じ?」
「だろうね。知ってたよ。でも、理由が分からない」
「分からないの? あはは、おめでたい頭してるんだね! ますます嫌いになりそう!!」
「ふふ、なら頭日本晴れな俺にも伝わるようしっかり言葉にして教えてくれないか?」
俺の態度が癪に障るのだろう。ひく、と相沢さんの頬がひくつく。
それでもプライドが許さないのか笑みを浮かべたまま彼女は理由を語る。
「十波くん、本気じゃないもん」
「ほう?」
「真剣に戦ってない。どれだけ強くたって“舐めて”る人は好きになれないよ」
「何でそう思った?」
「何でも何も」
まあ、大体予想はつくがな。
「最初、わざと相手の攻撃食らってるでしょ」
やっぱりか。
「レスラーなら分かるよ? でも十波くんは違うじゃない」
「うん。俺は我流だからね」
どれか一つの技術を学んでるわけではない。
あれこれ取り入れて自分なりのスタイルでやってる。
プロレス技を使うこともあるがレスラーではない。
「防げるし躱せるし捌ける。なのにわざと攻撃食らってる。これを舐めてる以外にどう言えば良いのかな?」
戦いを舐めている。相手を馬鹿にしている。
そんな輩を好きになんてなれない。相沢さんは真っ直ぐ俺に嫌悪をぶつけた。
「違う、と口で言っても信じてもらえないよな。うん、だから証明しよう」
言葉を尽くして俺の意図を語るのも良いだろう。
でもその前にやるべきことをやらなきゃ。だって俺たちはファイターだもの。
「最初の一撃は必ず受ける。俺のスタンスが分かったのなら君も証明してみなよ」
「……へえ、何を?」
「戦いを舐め切った馬鹿ぐらい一撃で沈めてみろってことさ」
とんとん、と親指で自分の胸を叩く。
「本当に俺がそんな奴なら一撃で仕留められる。違うかな?」
この一撃を以って証明しよう。
俺は俺が決して戦いを舐めていないことを。
相沢さんは俺が戦いを舐めているということを。
「減らず口。良いよ、のったげる。ただじゃ済まないだろうけど」
ま、自業自得だよね? 小悪魔のように彼女は笑った。
俺も両手を広げ笑った。どこからでもおいで、と。
「ほんっと……最悪!!」
軽やかで美しい、それでいてどこまでも鋭い。今はまだ未熟。さりとてこれからどんどん高く舞い上がっていくのだろう。
そんな可能性を感じさせるどこまでも真っ直ぐな前蹴りが俺の胸に突き刺さった。
「かはっ……!?」
血反吐が撒き散らされる。意識が遠のく。
それでも、
「な、なんで!?」
踏ん張る。
べちゃべちゃと血がリングを濡らすが俺はダウンもしていない。
(……八割ぐらいか)
ちらとゲージを確認。当然、レッドゾーン。でも二割残ってる。
「俺が最初の攻撃を必ず受ける理由を教えてやるよ」
威力よりも吹っ飛ばすことに重きを置いた掌底を叩き込みリング端まで相沢さんを追いやる。
ゆっくりと歩き出し、リング中央に向かう。
「――――“愛”さ」
≪あ、愛!?≫
相沢さんのみならずギャラリーまでが困惑を揃える。
「俺の初めてのバトルは主治医のお爺ちゃん先生とだった」
「ッ!!」
相沢さんはリングを蹴って飛び出した。
バレエの動きを取り入れているのだろう。
俺を沈めんと流麗な蹴り技の数々を以って攻め立てる。俺はそれを愛を以って一つ一つ丁寧に捌いていく。
「元は俺、かなりの病弱でさ。小学校入学前にはくたばるだろうってのが見立てだった」
重要なのはここから。
「お爺ちゃん先生は俺の主治医だから当然、それを誰よりも知ってる」
それなのに、だ。
「情け容赦なく俺を攻撃してくれた。培った六十八年の全てを俺にぶつけてくれた」
健康になったからって普通、できるか? 中々できることじゃない。
その背景ゆえに普通は手加減してしまう。
でもお爺ちゃん先生はそうしなかった。
誰よりも俺の身体を知っているのに。
誰よりも俺の頑張りを知ってくれているから全力で俺を叩きのめそうとしてくれたんだ。
「それがどれだけ俺の胸を震わせてくれたことか」
なあ、分かるか? あの時の俺の感動が。
「俺は悟った。真の戦いとは愛より導かれるものであると」
向き合うそいつは今日、この日までに培った全てを俺にぶつけてくれるんだ。
なあオイ、それを愛と呼ばずして何と言うんだ?
全力で勝ちに行くのが礼儀であり愛に報いることだというのは分かる。
でも、でもよォ――嬉しいじゃないか。だったら、なあ? 一度ぐらいは受け止めさせてくれよ。
「嬉しかったぜ相沢さん」
あの蹴り、最高だったよ。本気で俺をぶっ殺すつもりで放ってくれたよな?
伝わったよ。真剣なハートが。今日これまでの頑張りが。
「だから俺は倒れなかったのさ」
愛をぶつけてくれたのにぶっ倒れるなんてあんまりじゃないか。
全身全霊で抱き留めるのが愛ってものだろう。
「そして……ふふ」
「何を」
言って、と言いかけて気付いたらしい。
「! 見ろ、勇八の必殺ゲージに罅が入ってる!!」
必殺技ゲージが満タンになると超必殺が出せるようになる。
超必殺がない場合は一定時間必殺技がコマンドなしで繰り出せたり身体能力が強化されてたりする。
ゲージは攻撃を当てるかダメージを受けるかで蓄積されていくのだが俺のは少々特殊な仕様だ。
「……そう言えば初っ端ので八割持ってかれたのにゲージ貯まってなかったよな」
「言われてみれば」
「ど、どういうこと!? 何が起きるの!?」
そう、俺の必殺ゲージは攻撃を受けても与えても貯まることはない。
ふぅ、と息を吐き出すと同時に必殺ゲージが砕け散った。そして、
≪ハート!?≫
ゲージがあった場所には三つのハートマークが浮かんでいる。
これが俺の本当の必殺ゲージ。貯める条件は俺の精神状態。
より正確に言うなら愛が極限まで高まらないと満たされることはないのだ。
朝から始まった席替えトーナメント。どいつもこいつも素晴らしい相手だった。
どんどん高揚していく気分。それが今、ようやく極限にまで達した結果真ゲージが出現したのだ。
「十波くん」
「何だい?」
「先に、謝っとくね。ごめん、私が間違ってた」
相沢さんがぺこりと頭を下げた。
「十波くんは真剣にやってた。多分、この場の誰よりも本気だった。狭いものの見方で酷いこと言っちゃった」
「良いさ。誤解されてもしょうがない」
「ううん。よく考えたら分かることだった。だって十波くんと戦った人たち皆、晴れ晴れとしてたもん」
だからごめんなさい、と再度謝罪。
「でも――――勝つのは私だから」
両手を背中側に大きく広げ前傾姿勢を取る相沢さん。
今にも力強く羽ばたかんとする鳥を思わせる構えだ。
言葉にしなくたって分かる。俺の本気を真正面からぶち抜いてやるって言ってるんだ。
「私にも、受け止めさせてよ。十波くんの愛」
「はは」
嬉しいことを言ってくれる。
……正直、少し躊躇ってた。出して良いものかどうか。
いや戦いとは別の意味でちょっと問題のある技なのだこれ。
でも相沢さんがこう言ってくれたんだ。遠慮するなんて無礼の極みだろう。
「――――愛してるぜ相沢さん」
澱みなくコマンドを叩き込む。
「!?」
ふわ、と倒れ込むように脱力してからの急接近。
相沢さんの顔が驚愕に染まるが彼女も中々のやり手。
恐らくは必殺技。ふわりと舞い散る羽根のエフェクトと共に蹴りが放たれた。
俺はキャンセルで急停止し蹴りをすかして潜り抜けながら再度コマンドを打つ。
そして俺の両手が相沢さんの頭部を捉え、
≪えぇえええええええええええええええええええええええええええ!!??!!?≫
唇を奪った。
これでもかと見開かれた相沢さんの目を真っ直ぐ見ながら全力で接吻かます。
俺の本気接吻によって一瞬にして酸欠状態となり相沢さんの身体が弛緩する。
そこで頭を固定していた両腕を離し全霊抱擁。
「!?!!!?!」
バキボキメキィ! と音を立てる身体。相沢さんは泡を吹いて倒れた。
キスで虚を突き、思いっきり吸って酸欠状態に持ち込み身体を弛緩させ鯖折りをかます。
それが俺の超必殺その①“何度でもキスしたかった”の正体だ。
そりゃお爺ちゃん先生も呆気にとられるわなって。
「しょ、勝者……と、十波勇八!!」
初めてのキスはお爺ちゃん先生でその味はカオマンガイでした(お爺ちゃん先生のお昼)。
(ファイターなんてそれで良いのさ……カッコいいぜ俺)
ちなみに茉優ちゃんからはほんのりソースの味がした。