この拳いっぱいの愛を⑧
「……何ちゅう戦いや」
初っ端、勇八からすれば理不尽なひと悶着はあったもののラストバトルが始まった。
視線の先で繰り広げられるハイレベルな攻防に坂田が呟く。
「や、八雲さんより強いとは聞いていたけどあそこまでだなんて」
最初に一撃食らって以降、勇八は一度も被弾していない。
とは言えそれはフリューゲルも同じ。
打ってすかして打ち返して防いでコンパクトな動きで交わされるそれは目で追うのもやっと。
辛うじて影が捉えられるというレベルの速度域。だが決して軽いわけではない。
防御の際に響く打撃音を聞けば自分が当たればどうなるかなんて容易に想像がつく。
「……いや私も正直、驚いてますよ」
大人勇八とやり合ったことはあるがここまでではなかったと透は言う。
「ラブキメたからかいな?」
「まあそれ含めてという感じでしょうか。勇八くんは気分による伸び幅が異常に高いんです」
バトルにおける精神状態は重要なファクターだ。
気が滅入った状態では本来のパフォーマンスを発揮できない。
逆に気分が乗っていれば実力以上のパフォーマンスを発揮できることもある。
なので強くなること自体はそう不思議なことではないのだが勇八の場合はその伸び幅が異常なのだ。
「彼はかつて病弱で小学校に入る前には亡くなるだろうというのが医者の見立てだったそうです」
しかし死という運命に抗い遂にはそれを打倒してのけた。
この世界が愛しいと思えたから。勇八は透にそう語った。
天賦の才。弛まぬ努力。それらもあるのだろうが十波勇八という人間の一番の強味はその精神性なのだろう。
ゆえ心に燃料がくべられればどこまでも燃え上がる。
天井知らずの熱。それが齎す強さこそがあの光景の正体だ。
「……フリューゲルも予想外だったろうね」
今は落ち着きを取り戻しヤンキーモードを脱した沢木の言葉に全員が頷く。
力の差という意味では二人にそこまでの差はない。どっちが勝ってもおかしくはないだろう。
だがそのどっちが勝ってもおかしくないという状況そのものがフリューゲルにとっては誤算だった。
動きに乱れはないが、しかし確実に動揺していた。ここまでだとは思っていなかったと。
「まあ予想外と言えば」
茉優が何とも言えない顔で口を開く。
「――――バトルスタイルもだろうね」
視線の先では勇八がヘッドバットを叩き付けようとしている……ように見える。
だがそうでないことを茉優は知っていたし当事者のフリューゲルなら尚更だろう。
「貴様ァ! 何故私の唇を奪おうとする!?」
「ちょっと気持ちが昂っちゃって。というかキスぐらいで何照れてるんだ?」
欧米では挨拶のようなものだろう? 親愛表現さと勇八は笑う。
「親しい間柄ならともかく貴様と私は加害者と被害者であろうが!!」
「それお前が言う? まあその通りではあるんだけどさ」
でもそんなにおかしいことか? と小首を傾げる。
「何もかもを奪われ尽くした。決して触れてはならない部分を無遠慮に踏み荒らした」
そうともなれば相手の全てを否定したくもなるだろう。
「でも俺とお前はまだそこまで行きついちゃいないだろう? いや許せない部分は当然あるけどな」
だがそれは茉優や透が居るからだ。
仮に自分だけが拉致されていたのならそこまでの怒りはなかったと勇八は笑う。
「そして俺がそうであるようにお前もまた俺を否定し切ってはいない」
「戯言を」
「だってお前、俺を厄介な敵であると認識してるだろ?」
それはつまり、
「俺の強さを認めてるってことじゃないか」
仮に相手の全てを否定し切る境地にまで至っていたのならば強い弱いなどには目もくれないだろう。
ただただ眼前の相手を消し去ることにのみ腐心する。
「だから俺も許容できない部分と好ましい部分を分けて考えてる」
「……言いたいことは分かった」
「だろ? なら――――」
「だとしてもいきなり唇を奪おうとするのはおかしいだろうが!!!!」
≪それな≫
茉優たちが大きく頷く。不服はなかった。真実その通りであると認識していた。
「どうも妙なところでアウェイだな俺」
「至極真っ当なことしか言っておらぬわ!!」
大きく後ろに飛び退きながら無数の気弾を放つフリューゲル。
勇八は指鉄砲を作りそこから光弾を放ちその悉くを相殺。
相殺した際に生じた衝撃により巻きあがった粉塵。
それに紛れてフリューゲルが勇八の背後を取り脊髄に貫き手を繰り出すが勇八はそれを読んでいた。
前方へ倒れ込むように片手を突き勢いのままに足を振り上げて貫き手ごと顎を蹴り上げる。
だがフリューゲルも負けていない。攻撃を喰らいながらもミドルキックで勇八の横腹を蹴り飛ばす。
「「ふぅ」」
距離が開いたところで互いに小さく一息。
(……忌々しい話だが認めよう。こ奴は強い。どうしようもない変態小僧ではあるがその強さに疑いはない)
思考する。
(うん、やっぱり強いな。伊達に悪の組織の親玉やってねえわ。これまで戦った中で一番だよ)
思考する。
(肉体性能にそこまで差はない。経験は圧倒的に私が上。しかし天賦の才でそれを埋めて来る)
(身体的なスペックはトントン。だが経験は圧倒的にあちらが上だ。相当な修羅場を潜ってるな)
構えを取り、じりじりと仕掛けるタイミングを窺いつつ思考を重ねる。
互いに相手の実力を分析、認めているところは同じだが……。
(未完の大器。未だ底が見えぬ……!!)
(だがまあ薄っすらとだが底は見えたな)
ここで差異が生じる。
底を見切れぬフリューゲル、底を見た勇八。
(であれば狙うは早期決着!!)
(いやだが俺に負けるのは嫌だろうし俺が更に強くなればあっちも壁を超えるかも……ワクワクするな)
勝つために決着を急ぐことを決めたフリューゲル。
自分が楽しむために更なる先を望む勇八。
これが二人の差。ようはフリューゲルは勇八に比べれば随分と真っ当な人間というわけだ。
おかしな話である。背負うものがありそれを捨てたわけではない。
むしろ強く意識しているにも関わらず勇八の方が自由に戦っているのだから。
「ハッ!!」
足の裏から闘気を放出しての急接近、からのアッパー。
咄嗟に腕を挟み込むものの衝撃を防ぎ切れず勇八の身体が浮かび上がる。
それに合わせてフリューゲルが後ろ回し蹴りを叩き込む。
吹き飛び壁に叩き付けられる――かと思いきや空中で急停止。
どんな行動にもキャンセルを挟める必殺でブレーキをかけたのだ。
フリューゲルのプランでは壁に叩き付けられバウンドで返って来たところに一撃を入れるはずだった。
しかし予定が多少狂ったからとてこのレベルの実力者が焦るはずもなく即座に状況に適した攻撃に切り替える。
迎え撃つのではなく向かう技。速度を出せる突進技を繰り出す。
「そんな情熱的に求められたら」
あ、と茉優と透が声を漏らす。
この場に居る中では最も勇八に対する理解が深い二人だからこそ気付いた。
勇八が今、新たな必殺技に目覚めたことに。
「――――興奮しちゃうじゃないか♥」
≪増えたァ!?≫
全員が声を揃えて叫ぶ。
そう、増えた。比喩でも何でもなしに突然勇八が増えたのだ。具体的には十人ぐらいに。
「ッ……惑わされるものか! この手の技は本体は一つと――ぐはぁ!?」
十の攻撃が放たれた。
幾つかは回避したし防いだフリューゲルだがそれでも四発は貰ってしまった。
「す、すべて実体……!? な、ならば劣化タイプの分身か!!」
十人全員が構えを取って突撃。攻防が始まる。
とは言え真面目にやっているのは一体だけで他は何故か親し気なボディタッチを繰り返している。
まあそれはさておくとしてだ。
「ば、馬鹿な……劣化もしておらんだと!?」
手を合わせれば即座に分かる。増える代わりに単体の能力が劣化しているなどということはなかった。
「こんな無法なもの……超必殺か!?」
「いや普通の必殺だよ?」
あっけらかんと答える勇八。嘘を吐いているようには見えないし事実、嘘など吐いていない。
「ただ使用に条件がつくタイプの、だけどな」
「条件……何だそれは一体!? あ、いや良い聞きたくない!!」
落ち着いて考えれば察しもつくというもの。
これまでの行動を思い返し止めようとするフリューゲルだが勇八は止まらない。
「この分身はな。俺という器に収まり切らなかった愛の発露さ」
誰に対する? 決まってる。対戦相手への愛情だ。
勇八の対戦相手に対する愛が一定値を超えると溢れ出したそれらが分身となる。
最低一体。天井はなし。相手がそそる相手であればあるほど増えるというクソ迷惑な必殺である。
「この分身の数はお前がそれだけ俺を滾らせたって証だな」
一対一でほぼ互角だったのに十対一になればどうなる?
「だから、なあ?」
小学一年生でも分かる理屈だ。
≪――――超えてみせろよ≫
限界を。
言葉と共に殺到する十の変態。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
雄たけびを上げながら猛攻を捌くフリューゲル。
バトルが始まった当初の彼であればものの十数秒で終わっていただろう。
しかしダメージを負いながらも食らいつけている。
それは勇八の期待通りに戦いの最中で成長しているということ。
――――だがそれにしたって限度がある。
一枚、二枚は壁を超えられてもそこまで。
年齢、潜在能力、どうしたって行き止まりは存在する。
真っ当な手段ではどう足掻いても先へは行けない。
フリューゲルは己の敗北を悟った。そして、
(ふざけるな!!!!)
激怒した。
生来のプライドの高さゆえ負けること自体が許せないのに相手が最悪過ぎた。
誰に負けてもこの変態小僧にだけは負けたくないという気持ちがフリューゲルにその選択肢を選ばせる。
「警報?」
フリューゲルが懐から取り出したスイッチを押すやけたたましい警報が鳴り響き始めた。
「……く、くくく……このアジトは後十五分で跡形もなく消し飛ぶ」
「て、テメェ! どこまでみっともねえ真似晒しやがる!?」
沢木がチンピラの顔になり噛み付く。
しかし当のフリューゲルはどこ吹く風で「“これ”に負けるぐらいならマシだ」と吐き捨てる。
「……ブラフ、じゃないわよね?」
「にしては十五分というのが嫌にリアルです」
「まあそこはどうでもええわ。お流れっちゅーことはわしらも解放されるってことやさかいな」
アジトの地理などは分からない。囚われている他の人たちも解放する必要がある。
ごたくさ言っている場合ではないさっさと行動に移すぞと坂田が提案し勇八を除く全員が頷く。
「俺は残るよ」
「んな!?」
≪はぁ!?≫
勇八は視線をフリューゲルに向けたまま続ける。
「こいつも別に自殺願望があるわけじゃない。つまり逃げられないとなれば自爆を中止する可能性がある」
囚われていた人間全てを救いだせるかどうかは現状、何とも言えない。
ならば少しでも生存の可能性を上げるためここにフリューゲルを釘づけると勇八は言う。
「何言うとんねん勇八ちゃん! 止めるかどうかも分からんし仮にやめへんかったら……」
「そうよ! 危険だわ!!」
「大丈夫。仮に爆発するならするで生き残れる手はありますから。一割ぐらいだけど」
勇八は茉優と透を見た。
二人はひっじょーに渋い顔をした後、深々と溜息を吐き口を開く。
「……行きましょう」
「……今ここで勇八くんを説得してる時間が勿体ないしね」
「はぁ!? 何言ってんだあんたら!」
「生き残れる手が何かは分かりませんが」
「ここで嘘を吐くほど捻くれた性格ではないし本当に手はあるんだと思うよ」
「ちゅーても自己申告でも一割やで!?」
「そうだね。でも私たちが喧嘩してる場合じゃなくない?」
「ええ。さっさと行動に移るべきでしょう」
議論している時間が勿体ないと二人は三人に告げる。
少しの逡巡の後、彼らは渋々受け入れた。
「ですが勇八くん。無事に帰って来なかったら怒りますよ?」
「あと泣くから。しばらくは泣き濡れるからね。女の子泣かすとか最低だよ?」
「ふふふ、了解。じゃ、また後で」
全員を見送り、部屋の中は勇八とフリューゲルだけになった。
フリューゲルは幾度か逃げ出そうとしたがその度に妨害が入ってしまう。
「イカレているのか貴様!?」
「生き残る手はあるって言ったろ?」
「一割だろう!? そんなあやふやな可能性に……」
「一割は客観的に見てだ。俺の視点からだと十割さ。だって十に一つを引き寄せれば良いだけなんだから」
根拠はない。しかし、勇八の目に恐れはない。
本気で十に一つの可能性を確実に引き寄せられると根拠もないまま信じ切っているのだ。
「怖いなら自爆を中止すりゃ良いじゃん」
「――――」
「とりあえず分身は消すよ。これ使ったままだとフリューゲルの腰が引けちゃうみたいだしね」
挑発ではない。単なる事実を指摘しただけ。
しかしそれがフリューゲルの逆鱗に触れた。
「殺す! 貴様は私が殺す! 何が何でもだ!!」
この局面でフリューゲルは二、三段飛ばしで更なる覚醒を果たす。
あるのは勇八への殺意のみ。
一番はこの手で殺すことだが例え負けようと自爆で道連れにする。
つまり自爆を止めさせるという勇八の目論見の一つは叶わないというわけだ。
だが、
「全て問題なし」
「死ねい!!」
破滅の警笛が鳴り響く中、激闘再開。
その寸前、示し合わせたように二人は無言でデスマッチへの変更を相手方に送った。
両者共に間髪入れず承諾。命のやり取りが始まった。
最早、生かしてはおけぬと憎悪を滾らせるフリューゲル。
人生の初の死闘をこんな極上の相手と迎えられる喜悦に震える勇八。
熾烈な殺し合いの果て、互いに己が出せる最高の一撃を放つ。
だが悲しいかな。時間切れだ。
「「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」」
交差の瞬間、全てを塗り潰すように光が溢れた。




