この拳いっぱいの愛を⑦
彩という女と沢木さんのバトルが始まった。
……だがそれは戦いと呼べるものではなかった。
荒ぶる喧嘩殺法、技巧を凝らしたキックボクシング。その両方を織り交ぜた沢木さんの攻勢。
それを彩は最小限の動きで捌き続けている。そして奴は決して攻めようとしない。
手札を晒したくないのか。だとしても攻めねば終わらない。何か小細工を弄している?
(――――あるいは既に?)
実力という意味では既に大体、分かった。副将を務めるだけあって禿たちとはレベルが違う。
やろうと思えば沢木さんを圧倒できるだけの地力はあるはずだ。
にも関わらずそれをせず癖を殺した動きで守りに徹しているのは既に仕込みが終わっているからか?
「……どういうつもりだ地味女」
「じ……?! どういう、とは?」
「そのネイル。毒塗ってんだろ? 俺の攻撃の切れ間狙ってそいつで引っ掻くぐれえは容易いはずだ」
なのに何故それをしない。舐めているのか?
犬歯を剥き出しにして喰ってかかる沢木さんに彩は小さく笑った。
「本当に目敏いですね。ですがこちらの予定が大幅に狂ってしまった以上、あまり遊んであげられないんですよ」
そろそろですね、と彩は時計を見た。
何を、と思った正にその瞬間である。
「あ゛!?」
沢木さんの目鼻口からぼたぼたと血が流れ出したではないか。
これは……毒? いやだが何時の間に?
沢木さんの見立てでは彩のネイルは毒爪のようだが奴は一度も――――あ。
「「血か(ですか)!!」」
御影の返り血だ。
奴は事前に自分の血中に肌から浸透するタイプの毒を仕込んでいたのだ。
その効果がようやく出て来たということだろう。
彩が自らの毒を使わなかったのは使う必要がなかったから。
ただあちらとしては伏せておくつもりのカードだったんだろう。
そういう意味で沢木さんが見抜いたのは誤算と言える。
「あなた方には正しい使い道がありますからね。致死性のものではありません」
ですが意識を保っているのがやっとでしょう? 嘲るように笑い奴は沢木さんの腹に膝を突き刺した。
「ごん゛の゛!!」
負けは最早、避けられない。ならば動けなくなるまで最大限、暴れてやる。
そんなガッツを燃やしながら猛攻を仕掛ける沢木さんだが敵は冷静だ。
焦らず騒がず冷静にこれまで通りの癖を読ませない最小限の動きで捌き続けていく。
毒で倒れるまでは仕掛けない。そう決めているのだろう。
(……予定が狂ったと言ってたからな)
御影の毒は副将あたりで使う予定だったのだろう。
だが俺たちの予想外の奮闘で早期に切らされた。
つまり皆の頑張りが実を結んだってわけだな。痛快じゃないか。
「……せめて厄介な毒だけでも。その一枚は奮闘の報酬ということにしておきましょう」
沢木さんは倒れた。辛うじて意識はあるようだがもう動けない。
彼を見下ろす彩の人差し指には他の指にあるネイルがなかった。
「二次感染の心配はありません。彼を回収しておやりなさい」
言われずとも、小さく吐き捨て透さんが駆け寄って沢木さんを回収する。
「……す、すまない……しくじった……」
……うん? これは……はは、抜け目ないな。
「いえ、十分です。そうですよね勇八くん」
「ええ。最高にカッコ良かったです。後は俺たちに任せてください」
透さん、と奴らに背を向け顔を近付ける。
「……“運が良い”。そうと分かっているのなら実に都合が良い展開です」
「じゃ、よろしく」
「ええ、お任せあれ」
上着を俺に預け透さんは颯爽と飛び出した。
言葉もなく女二人の戦いが始まる。
予想通りの一方的な展開。
「選出の際の戦いで分かってはいましたが見事な截拳道ですね。まだ二十歳かそこらでしょうに」
捌く捌く捌く。
そしてある程度のところで読み切ったのだろう。彩が攻勢に出る。
透さんの蹴りを潜り抜けて爪でその頬を軽く切り裂く。そして距離を取り、再度防戦。
まだ残っている俺になるべく手札を隠しておきたいのだろう。
奴はチマチマ爪で切り裂いて毒による勝利を狙っている――――読み通りだ。
「激しく動けば毒の回りも早くなりますよ。勝てずとも私の体力を少しでも削りたいと?」
甘い見通しだとせせら笑う彩と無言の透さん。
透さんの顔色は目に見えて悪化していく。
事前に毒があると分かっていたので覚悟ができているからまだマシなだけ。
いきなり殴られるのと殴られると分かって受けるのではその効果にも差が出る。毒も同じだ。
とは言え劇的に軽減できるわけではない。スペックの低下をある程度、抑えられるぐらいだ。
「いい加減に諦めなさい……とは言えませんか。あなた方の立場からすれば」
捌きつつ合間に爪の毒を打ち込んでいく。
油断も慢心もない。人によってはつまらない立ち回りだろうが、ある種の美しさを感じる徹底ぶりだ。
(そろそろだな)
意識も途切れ途切れだろう。それほどに毒が回った。
“裏返す”なら今だ。
「――――これで終わりです」
「――――それはどうでしょう?」
彩の蹴りが空を切る。驚愕に染まるその顔に透さんのリードパンチが叩き込まれた。
「がっ!? な、何で……この威力は……!」
満身創痍の肉体から放たれたとは思えない威力。
咄嗟に威力を殺したのだろうがそれでも彩の鼻からはボタボタと血が流れ出している。
「!? そ、その目」
透さんの右目が爛々と紅い輝きを放っている。
「聖水、聖歌、施餓鬼米、十字架、人に恩恵を与える良きものは魔の者にとっては猛毒となる」
だが、
「逆に人に害成すものは魔の者にとってはこの上ない慈雨となる」
ハラハラと服が燃え千切れていく。
「――――モードチェンジを使えるのが勇八くんだけだと思いましたか?」
「「魔族だと!?」」
フリューゲルと彩の声が重なる。
「以前は夜間限定でしたが勇八くんとの一戦で私も成長しましてね」
昼間でも半分ぐらいは力を引き出せるようになったし夜間は更に力を出せるようになったのだ。
窓がないので分からないが拉致られた時から考えるにもう夜だろう。
「とは言えそれでも本来ならあなたとの差を考えれば6:4ぐらいまで持ち込むのが関の山だったでしょう」
ですが、と嗜虐的な笑みを浮かべ続ける。
「ドーピングのお陰で今の私はすこぶる調子が良い。
単純な身体能力は普段のモードチェンジ時より低く見積もっても三倍以上は跳ね上がっている」
こんな風に、と透さんが彩の背後に回り込み髪を撫でる。
彩は咄嗟に裏拳を繰り出すが虚しく空気を切るだけ。
「ありがとう……いえ、これでは言葉が硬いですね」
人差し指を唇に当て嘲りを笑みに混ぜて透さんは言う。
「――――ごっつぁんでーす♪」
「貴様!!」
怒りも露わに彩が透さんに襲い掛かる。
激昂はしているものの動きは鋭く、乱れは一切ない。
にも関わらず透さんはあやすようにそれらを悉く捌き落としていく。先ほどとは真逆だ。
「ちなみにこのドーピングですが低く見積もっても夜が明けるまでは継続するでしょうね」
キレた振りして時間稼ぎご苦労様、と耳元で囁くと彩の顔が盛大に歪む。
「うぐぅ!?」
「失礼」
腹に強烈な膝が突き刺さり彩の身体がくの字に折れ曲がった。
透さんはすかさず髪を引っ掴んで顔を上向かせ忍ばせていたそれを彩の口の中に放り込んだ。
「な、何を」
反射的に飲み込んでしまった彩が透さんを睨みつけると彼女はこともなげに言った。
「戦利品ですよ」
「戦利……まさか!?」
動揺する彩の横っ面を殴り飛ばす。
大きく身体が流れたところで蹴り。今度は防がれる。構わず攻める。
火が点いたような猛攻を必死に凌ぐ彩。彼女は今、激しく身体を動かしているわけだ。
つまりどういうことだ?
――――“飲まされた爪”の毒がグングン回っていくということに他ならない。
そう、沢木さんが爪をはぎ取ったのは毒という手を封じるためではない。
後続を守るためにやったと彩は思っていたようだがそれはとんだ勘違いだ。
透さんに武器として使ってもらうため剥ぎ取ったのだ。
あの気性の激しさから考えれば……さもありなんと言ったところか。
後続が少しでも安全に戦えるためなんて消極的な理由よりよっぽど“らしい”じゃないか。
「苦しそうですね? 今、楽にしてあげますよ」
背後に回り込んでからの裸絞め。
完全に極まったあれから抜け出すのは不可能だ。
肉体のスペックで上回っているならともかく今は大きく差があるからな。
ぐらりと崩れ落ちる彩――の腹に蹴りを合わせ透さんはフリューゲルの下まで吹き飛ばした。
「お返ししますよ、その使えない女」
「……ふ、ふふふ」
フリューゲルは優しく彩を抱き留めそっと地面に横たえた。
「分からせてやらねばならぬのはエロガキだけではなかったようだ」
誰がエロガキだ。
「貴様らには私が手ずから愚行のツケを払わせてくれるわ!!!!」
噴き出す闘気。
悪の組織の親玉やるぐらいだ。そりゃこの手の技術は備えているよな。
今の透さんよりも確実に強いなアレは。
「覚悟し――――」
「じゃあ自爆しますね」
「え……は?」
俺たちを守るように深紅の障壁が出現するや透さんの身体から膨れ上がった魔力が盛大に爆ぜた。
悪の組織のアジトにあるバトルフィールドだけあって頑丈なのだろう。
丸ごと吹き飛ぶようなことはなかったが室内はもう滅茶苦茶。
脇に寄せられていた敵の四人は辛うじて息がある程度だ。
しかしフリューゲルは無傷だ。
四人が生きているのは透さんの仕業だろう。あっちにもこっちより弱い障壁を張り守ったのだ。
殺すまで行くと“追い詰め過ぎ”て危ないと判断したのだろう。
「は、はは……小型バリア、ですか。どうせそんなこったろうと思いましたよ……」
からん、とフリューゲルの懐から何かが落ちると同時に彼を覆っていた半透明の障壁が消え去る。
どうやら使い捨てだったらしい。
「き、貴様ぁあああああああああああああああああ!!」
「透さんに構ってる暇あるのか?」
顎で転がっている四人を指して言ってやる。
「死んじゃうんじゃないの~?」
「ええい! 見ておるのだろう!? さっさと回収に来い!!」
「バリアのおかわりは良いのかしら?」
「黙れ!!」
「はいはい」
肩を竦め透さんの回収に向かう。
坂田さん鳴海さん沢木さん。そして透さんの頑張りで俺のモチベはもう完全に爆発しちまった。
特にコマンドも打ってないのにモードチェンジしてしまったので問題なく彼女を抱きかかえられた。
「……まって、ください」
透さんを下ろそうとしたところで待ったをかけられた。
お姫様抱っこしたままその言葉に耳を傾ける。
「勇八くんの力は、愛に起因するもの……」
「? そうですね」
「なら、餞別を」
ガッ! と俺の頭に腕が回されそのまま唇を奪われた。
舌まで入り込むえっぐいキス。十数秒の後、透さんの息が限界となり顔が離れていく。
「らぶ、ちゅうにゅうってやつです」
ふふ、と妖艶に笑う。
どうやらまだ魔力の影響が残ってるらしい。
「ふ、ふふ」
ぺろりと舌で唇を撫でる。ほんのり甘い。
良いね。良いね。大一番の前に美女のキスで送り出されるとか最高だ。
ただでさえ滾っているのに更に燃料が追加された気分だよ。
「ッッ……そういうことなら私も!!」
「え、ちょ、茉優ちゃ」
「な!?」
透さんを下ろしたところで今度は茉優ちゃんに。
透さんの真似をしているのか小さな舌が拙いながらも必死に動いている。
「ぷはっ!」
わ、顔真っ赤。
「お、女の子にこれだけさせたんだから勝たなきゃ嘘だからね?」
「――――任せて」
全身から噴き出すピンクのオーラ。もう、俺はこの情熱を抑え切れそうにない。
過去イチ軽い身体で歩き出し、中央でフリューゲルと対峙する。
「……貴様らは殺す」
「ほう?」
「駒にも実験材料にもせん。殺す。だがただでは殺さん」
生まれて来たことを後悔し、死を懇願するほどに心身を痛めつけて殺す。
どす黒い殺気と共に放たれた言葉に俺は身体を震わせる。
「嗚呼」
恐怖? 違う。
「駄目だって言ったのに」
そんなこと言われたら、
「興奮しちゃうじゃないか♥」
ギュンギュンと元気になる俺の俺。
口の端から涎が垂れてしまっているが拭うことさえもどかしい。
早く、早く、早くフリューゲルと愛し――――
「「「待てや!!」」」
「え」
フリューゲルと透さん、茉優ちゃんの声が重なる。
「何故私でそうなる!?」
「おかしい……おかしいですよこれは……」
「美女美少女のキスではそうならないのに何で悪いオッサンでそうなっちゃうの!?」
え、えぇ……? 何で俺責められてるの?




