80. 『ETERNAL』
振り抜かれた光は獣の首元の大半を吹き飛ばした。
視界の端で、粒子の混じるエーテルが散らばっていくのが見える。獣は膝をつき、そのまま前方へ倒れた。
ラインは手を開く。そこには、チェーンの破片と僅かな結晶の粒が存在するだけだった。チェーンの破片は焼ききれたようにぐずぐずに崩れていき、急激に風化したように消える。ずっとそばにあった気配は既に無く、打ち付ける雨がラインと獣に淡々と降り注いでいる。
次いで、ODSが停止する。大破寸前まで酷使された機体は本来なら機体の直立姿勢を維持することができないほど出力が落ち込んでいるものの、未だ残る強化魔術と雨による冷却効果により、辛うじてではあるが、倒れ込むことまでは免れていた。
獣は顔を上げようと僅かに動いているが、半ば取れかけた頭を動かすための機能は残っていない。やがては指先から崩れ始めていく。
己を見下ろしているラインに、獣は口を開く。
「……俺が、獣の一匹に過ぎなかったころ、負けたことなど一度もなかった」
地を向いたまま、獣は崩れていく自身の肉体に抗う様子はない。
「だが……そんなもの、永遠に続くはずもない。ある時、俺は負けた。そして欺かれ、奪われ、俺は逃げ出した。……そうして辿り着いたのが、天界だ」
「…………」
その言葉には呪いがあった。しかし、声に感情は見えなかった。
「俺を騙し、奪ったのは神共だ。俺と関わりのない神共だとしても、俺の憎悪は、収まらなかった。……だから、俺も奪おうと思った。同じように、叡智で。そして、賢神を噛み殺し……"賢座"を奪ってこの世界に潜んだ」
肉体が崩壊していく様子は、神が滅ぶときに見せるものと同じものだった。この獣も、元々神に近しい存在だったのだろうか。言葉を吐き落としていく獣を見ながら、ラインはそう思った。
「……しかし失敗だったな。最後の最後で、力比べに乗ってしまった。集めた座の欠片はやがて塵になり、すぐに俺もそうなる。あぁ、憎らしいことだ。馬鹿なことをした」
獣の肉体は、もはや首だけしか残っていない。
「貴様の願いも果たされない。に、二度と、だ」
息も絶え絶えに、獣は言う。
「……」
「……貴様は何も手に入れることなく……この世界で朽ちていくのだ」
嘲るようにそう言い放つ獣を、ラインは見下ろしている。
「何を、勝ち誇ったような顔をしているんですか。奪い続けた者が、満足そうに、消えようとしているんですか」
ラインの言葉に、獣は、ふ、はは、と笑う。
「いいや」
獣は目を細め、眼球だけをラインに向ける。
「お前の勝ちだ」
堰を切るように獣は炭化した木のように崩れ、その全てがほどなく塵となって空中へ溶けていった。
そして、何かがラインの前で揺らめく。
目の前に、小さな力場のような物が渦巻いている。
ひどく不安定で、手で払えば消えてしまいそうな程に弱まっていたが、ラインは、あれが行き場を失った"座"の一部であるのだと分かった。
ゆっくりと、手を伸ばし、触れる。
もはや、この"座"に世界を再編するほどの力は無い。だが、この世界に残る遺物くらいは、土に戻すことができるだろう。
過去を変えずに、今を変えることぐらいは。
これはラインを宿主とは認めないだろう。それはラインが機械であるが故に、"座"を受ける場所がどこにもないからだ。
しかし、これにはその意思を受け取る機能がある。
宿主を持たないこれへ、その意思を滑り込ませることは容易だった。
意思を"座"に込める。
この戦いでこの世界にもたらされた、旧時代の消滅を。
願う、否、行う。それが自分にはできる。それが"座"というシステムの使い方だ。
この世界から、自分たちの痕跡を全て消し去り、世界の再編前と後を繋ぐものを失わせる。
神話を、ここで終わらせるのだ。
座はそれを受け取ったように震え、解けるように消えていった。それが、世界に染み込み、淡い光となって広がっていくのが見える。欠片から流れた力は、次の欠片に意思を伝え、また同じように広がっていく。
光の奔流の中心で、ラインは自分の手を見た。
指先がさらりと砂になり始めている。
過去の遺物はこうして全て消えていくのだろう。ラインは段々と砂になり、雨と混ざって流れていく手を見ながら、そう思った。
しかし、その指先が半ばまで消えかかった時、手のひらの上の、砂のひとかけらのようになった結晶の粒に気が付いたように、力はラインの前で静止した。
欠片が、淡い光を押し返すほどの強い光を放っている。
ラインを砂に戻していた力は、何かを迷うようにラインを何度も取り巻いたあと、諦めたようにラインを避けた。
力が通り過ぎていく感覚に、ラインは思わず振り返る。そうして、自分が取り残されたことに気が付くと、再び手のひらを見た。
そこには、何も残っていなかった。
「最後まで、あなたは……」
きっともう、彼はここにはいない。ラインにはそれが何故だか分かった。遅れて、崩れた指先をナノマシンが修復しに慌てて動き出す。
近くに落ちていたはずのライフルは砂の山に変わり、ラインと繋がっていた観測機さえも全て雨に流されて消えてしまっていた。
旧世界から、ラインだけが取り残される。なぜイーシェがラインを残したのか。きっとそこに理由はないのだろう。問い正したい本人は最後まで何も言わずにいなくなってしまった。ラインは欠片があった場所をぼんやりと見続けている。
天界への接続も不可能となり、世界間移動は困難となっている。結局、ラインは天界にいるであろう、会いたかった人物と再会することはできなかった。
でもそれで良かったのかもしれない。元々敵同士であった者が、再び会う必要も無い。一言でも伝えられたら、と思わないでもないが。
腰のブレードは砂にならずに残っている。使い勝手が良かったから、これが残っていることには少し安堵した。
機体は大破寸前だが、ODSの反動によるコアの融解は免れている。雨が天然の冷却材としてかなり貢献してくれた。機体の修復状況をモニターしながら、ラインはその場に座る。
……することが、ない。これから先のことが、何も無かった。目的は完全とは言わずとも違う形で果たされ、全てが終わった。
何も起こらなければ、ラインの機体の耐用年数は数え切れないほど残っている。当初よりナノマシンは減ってしまっているが、それでも半分以上はある。修復不可能まで酷使しない限り、ラインには永遠とも呼べる時間が与えられていた。
これから、リーネアとしての時間、自我の無い機械人形としての時間を足しても到底届かないような時間を、ラインとして追い越していくのだろう。
降り注ぐ雨粒を見上げながら、ラインは初めて空を見たような気がしていた。
不意に、ぱしゃり、と水が跳ねるノイズが聴覚センターにジャックされて入力される。
ラインが横を見ると、少女がラインの横に座っていた。
「──どうだった?」
少女はそうラインに問いかける。
「なんだか、何もしたくないような気分です」
ラインが笑いながらそう言うと、少女はラインに微笑み返す。しばらく、少女はラインに寄り添うように、静かにラインの傍に居続けた。
どれほどかの時間が経った頃、少女はぽつりとラインに向けて呟いた。
「これから、いきなきゃ、だね」
「……はい」
生きる。自分を人間ではなく機械として認めたラインだったが、しかし少女のその言葉を否定する必要もないと思っていた。
その言葉に、少女は満足そうに頷く。そして立ち上がると、ラインの前に立って後ろ手を組んだ。
「こんどはわたしからいうね」
「……」
ラインは少女を見上げる。いつしか雨は止んでいた。雲が切れて、太陽が地面をまばらに照らし始める。少女は光の中で笑いながら、片手を大きく上げた。
「いってらっしゃい、ライン」
少し恥ずかしそうに、ラインも笑った。
「……行ってきます」
そして、少女はいなくなった。
モーターの軋む音を立てながら、ラインは立ち上がる。
神話最後の日が、終わろうとしていた。




