⑨
「お、お兄様……!?」
ジョアンを待っていたのは兄、アリスター・シールズ(30)。
そろそろ襲爵予定の次期シールズ伯爵。
兄妹仲は特に良くはないが、別に悪くもない。
ただまだ兄が10代前半の頃、読書が趣味の彼は思春期特有の拗らせにより何故かそれを恥ずかしいと思ったらしく、事ある毎に『プレゼント』だの『お土産』だのと称し、自分の読みたい小説を妹に渡しては密かに読んでいた。酔っ払った際のジョアンの基盤を作りし、戦犯である。
「どどどうしてこちらに?」
「そりゃ、お前に用事があってだよ。 少し早いが食事にしよう、栄転祝いにレストランを予約してある」
「えっ私普段着ですけど!」
「勿論先にブティックには寄る。 中肉中背で良かったなジョアン、既製品から選び放題だ。 髪と化粧もしてもらうぞ」
アリスターはジョアンに対し冷たくはないものの、昔のプレゼントでもわかるように扱いが甚だいい加減である。
なのに今日は矢鱈と気が利いている。褒め言葉は相変わらずだが。
しかし元々着飾ることも高級レストランも好きではないジョアンには、その気の利かせ方など不要……兄の適当さはむしろ有難かったのだ。
特にめでたくもないが、どうせ祝ってくれるのならいつものように現金にして欲しい。
「お……お兄様、なんだか私体調が」
なのでジョアンは迷わず仮病を使った。
「大丈夫大丈夫、健康優良児のお前がちょっとぐらい具合が悪かろうが人並みだ。 顔色だって化粧が薄すぎるから気になるだけさ。 しっかり塗ってもらってこい」
しかし残念なことに、欠片もこの兄には効かなかった。
ついでに言い分が酷い。妹の体調なのに。
★★★
話は少し遡り、昨夜。
犯人を捕え、黒狼騎士団の面々もようやく一息つけるくらいになっていた。
とはいえまだまだやることは多く、ニールとエメリーは軽食を摘みつつ、関連の書類仕事に精を出していた。
「……団長」
「ん?」
「ご機嫌ですね」
「そりゃね。 久々の大捕物だ」
犯人の研究者は保護された中にはおらず、実験体の暴走に気付いていち早く逃げており、捕縛のため急いで方々に手を回せばならなかった。
そのかいあって、無事犯人は確保。
本格的な捜査はこれからだが、きっちり証拠のサンプルは取れているだけに、物証は充分。最悪でも罪には問える。
研究棟に残っていたのは別の研究チームだった。巻き込まれただけだった彼等も全員無事で、軽い聴取と健康診断の後に解放されている。
鼠型魔獣は全て駆除した。
念の為、周辺も確認し罠も仕掛けたが、おそらくかかるのは別の動物だろう。
どれかひとつの失敗でも大きな事件となりかねなかった案件だけに、目下の被害が王立学園研究棟の一部破損のみ、というのは大変素晴らしい成果である。
だが──
「違いますよ」
「……」
エメリーの言葉は嫌味であり、指し示すのは別のこと。それに気付いてニールはふふっと笑う。
「違わないさ、大捕物だ。 そうだろ?」
「左様で。 釣書のご用意も致しましょうか? 団長殿」
「なにを怒ってるんだ?」
「怒ってるというより呆れてるんです」
はあ、とわざとらしく大きな溜息を吐く。
彼が言っているのは勿論、あの時の魔力譲渡のこと。
エメリーが見たのはその後だったが、ジョアンの様子からおそらく、情事に発展しそうなほど熱烈で執拗な口付けをされていたに違いない。
「大体……アンタ、魔力回復薬持ってたでしょ」
「いや~生憎、あの時は忘れちゃってねぇ」
「どうだか」
出会って間もないご令嬢に対し、あまりにも不埒。エメリーは紳士なのである。
ただ実のところ、彼が呆れているのはそこではない。
これまでのニールは何度も逆パターンのお願いを経験しており、その度断固拒否してはいつも相手に回復薬なり解毒薬なりを飲ませていたからだ。
ちなみに媚薬である場合が一番多いが、多過ぎたために耐性をつけた彼には効かない。そのため、いつも相手が飲むパターンになる。
「全く……そんなにキスがしたかったんですか? 相手の状態にかこつけてする前に、段階を踏んでください。 25とはいえ一応あちらも伯爵令嬢なんですから」
呆れているのはコレだ。
エメリーの『釣書』云々は嫌味であり、同時に本気でもある。
「……エメリー」
ニールは作業の手を止め、急に難しい顔をした。
「君の言うことは否定しない、私は彼女を好ましく思っている」
「そうでしょう」
「だが……その」
「なにか?」
エメリーの言うことは正しく、ニールは既にジョアンと然るべき手続きを経て結婚する気でいる。だったら早い方がいい。
それは否定しない。
否定はしないのだが──
「私は彼女を部下としても欲しいんだ……!」
そう。
当初のニールは、ジョアンを部下として欲しかったのであり、その気持ちは彼女を妻として欲しくなっても変わっていなかった。
益々エメリーは呆れた。
部下として『も』だなんて、強欲が過ぎる。
「じゃあどうしてあの時点でキスなんてしたんです」
「するつもりはなかった!」
嘘ではない。するつもりではなかったのだ。
あの時ニールが顔を近付けていたのは、飲酒の有無を匂いで判断しようとしていただけ──当然ながら、騎士団員も理由なく飲酒して働けば、普通になんらかの処罰はされるので。
魔獣に向かってジョアンが投げ付けた酒の小瓶は割れた直後に一瞬で燃え尽きてしまい、中味の有無を目視することはできないままだった。
酒を飲んでポテンシャルが発揮されるなら、と思い渡したものの、あの時少なからず感動していたニールはジョアンの言動が酔ってのものかそうでないかをどうしても知りたかったのだ。
しかし近付いた結果。
香ったのは、凄く美味そうなジョアンの魔力の匂い。
ジョアンがニールの身体から感じたのもおそらくコレ。
「するつもりはなかったんだが……控え目に言って最高だった。 ふふ、酔わされたのは私の方だった、というわけだ」
「……」
匂いからもわかるように、ふたりの相性は頗る良かった様子。
それはもう甘美だった──そのこと思い出しまたご機嫌になんか宣いだしたニールに、やっぱり反省はない。
エメリーは呆れを通り越して諦め、そこからは無言で書類に向かった。
(まあ……こうなると遅いか早いか程度か)
全くその通りで。
もし飲んでいたにせよニールは、酒に頼らなくても済むように育てるつもりだったので、どのみちジョアンは彼から逃げられないのだ。
「さあ、どうするかな……」
「……」
他の者相手なら『とりあえず仕事しろ』と言うところだが、ニールは書類仕事もできるので口にはしない。
それよりも『なにをどうする気なのか』について語られたくないので、賢しいエメリーはなにも聞かなかったことにした。
その翌日。
非常にスッキリした表情で『シールズ伯爵宛に釣書を送った』とわざわざエメリーに報告したニールは、その足でシールズ家タウンハウスへと向かっていった。
次期シールズ伯爵であり、ジョアンの兄であるアリスターに会うために。
勿論、自分の仕事をしっかり終わらせた後で──彼は仕事が早いのである。
なにしろエメリーの知らぬ間に、ジョアンへの要請許可をもぎ取っていたのだから。
その結果が、あの辞令。
エメリーは嬉々として出かけていく上司の楽しそうな背中を見ながら、ジョアンに深く同情せざるを得なかった。
絶対に逃げられないので、精々幸せになって欲しいと思う。
これにて完結です!
ご高覧ありがとうございました!




