第35話 過去を探せ
夜になり、長屋がドタドタと人の出入りでやかましい。
あちこちの盛り場で人が揉め、用心棒共が駆り出されているのだろう。
(あのバカ達、金を取り返しに来なかったな...)
樹之助は、風の里で勘助から調合方法を教わり、分けてもらってきた忘沈香を使い、男どもを幻惑させ記憶を刷り込んだ。
使う量を加減することで、ある程度人の記憶を制御できる。
怖い武器だ…
樹之助は、人が変わってしまった父の姿を思い出していた。
その時、入口の戸を叩く音。
戸を開けると、山城屋の下男伊佐吉が立っていた。
「夢屋や。詳しいことは番頭はんのとこで聞きや。」
用件だけ言って足早に立ち去って行った。
夢屋
“宵待”と同じ、祇園裏通りの真ん中あたりにある小料理屋である。
小料理屋だが、もちろん岡場所だ。
樹之助は裏手から夢屋に入り、近くにいた女郎に聞いた。
「番頭はいるか?」
女は面倒臭そうに奥に声をかける。
「番頭は~ん!用事あるって人きてはるで~!」
そう言うや否や、奥から小男が出てきた。
どうやらこの小男が番頭らしい。
「あんさんが、新しい“裏影”さんかい?」
「裏影?」
「なんや、おのれの仕事も知らんのかい?」
「なんせ今日採用されたばかりだからな。」
「ほな、教えたるわ。裏影はんはな、役人や用心棒なんかの力づくで解決できひん問題を裏で解決するのんが役割や。」
「ふむ。その稼業をやってる奴は何人くらいいるんだ?」
「わてが知る限り一人しかおらへん。それが、ここ数カ月おらんようになって、大層難儀しておったんや。」
(親父…そんなに頼りにされていたのか)
樹之助は父の裏の顔を思い知った。
「そんなことより、仕事や。」
その声に、樹之助は現実に引き戻される。
「うちの葉牡丹いう女郎が、裏影さんにお願い事がある言うんや。ちょいと話聞いたってくれんか?」
そう言われ、樹之助は夢屋の二階に通される。
席に着くやすぐ障子が開き、葉牡丹という女郎が入ってきた。
年の頃は三十を超えている感じだ。
この世界では年増と言えるが、笑うと口元に八重歯が見えて可愛らしい顔になる。
年相応の肉付で、男好きのする体つきだ。
「それで、俺に頼みってのは?」
「人を…探してほしいんだよ。」
「人?誰か払いが悪い馴染みでもいるのか?」
葉牡丹は首を振る。
「逆さ。金は十分すぎるほど貰うてるんやけどなぁ、その人の過去を探してほしいで。」
またよくわからない話になってきた。
「過去?どういうことだ。」
「あたいの馴染みで重吉って客がおるんや。もうふた月あまり毎晩のように通ってきてるんや。」
樹之助は驚きもしない。
遊女に溺れて身を持ち崩す話は、天誅が行われた話同様、京都の色町では日常茶飯事だ。
「で、そいつは金払いも悪くない。あんたにとっていい話じゃないか。」
樹之助が言うと、葉牡丹は少し憂い帯びた表情で答えた。
「重吉はん、記憶があらへんのどす。」
「記憶?」
「はい。あたいも初めのうちはそんなんどうでもよおして、金払いがええ常連客ができた思て喜んどったんどす。」
樹之助は頷きながら話の先を促す。
「そやけど、ほぼ毎日通ってくるのに、手も握らんと、ただ一緒に食事して、お酒飲んで、朝方帰らはるんどす。しかもお金は最初の頃に『葉牡丹気に入ったさかい贔屓にする。こら先払いや。』て言うて、三十両もの大金を置いてったんやら。」
「三十両!?」
「こないなとこじゃ現の話は野暮ってなもんでな、こっちから聞いたりしいひんのやけど、さすがに聞いてもうたよね。『あんさん、どこぞの大旦那はんどすか?』ってね」
樹之助も気になっていた。
「ほんなら、『わからん…』って」
「わからん?」
「ええ。どっから来て、何しとったのか。家族の事なんかも一切合切わからへんて。」
「でも寝泊まりしてる所あるだろ?」
「そら毎夜ここに来て夜ご飯食べて、寝て、朝出て行くさかい、寝泊まりはここなんやわぁ。」
「ふーん。じゃあ、あんたは、その男の素性を調べたいってんだな。だけど調べてどうすんだ?せっかくの太客逃す羽目になるかもしれないぜ。」
「あたいはもうええんや。こないな籐の立った三十路過ぎの女郎を気に入って、通ってくれただけで、十分してもろうたんやわぁ。」
葉牡丹はにこやかに微笑む。
八重歯が可愛らしい。
「あたいももうこの世界から足を洗おうって思てるんや。ほんならあの人行くとこ無うなるやろ。そやさかい最後にあの人の過去を探して、家族の元に返したりたいんや。」
「なるほどな...」
樹之助は、夜の世界にはこんな事情もあるのかと思った。
(確かに、これは役所でも、用心棒でも解決できない問題だな...)
「わかった。どこまでできるかわからないが、あんたの依頼俺の初仕事にさせてもらうぜ。」
樹之助は立ち上がり部屋を後にした。




