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第10話 命の値段

「人ねぇ...。」


「二~三カ月前にここに連れてこられた娘がいるだろう。」


「娘の出入りなんてしょっちゅうだからね。いちいち覚えてられないよ。」

女将(おかみ)は面倒くさそうに吐き捨てる。


「千代という名だ。いないか?」


女の顔が微かに動揺するのを樹之助は見逃さなかった。


「いるんだな?」


女は真顔に戻って冷たく言った。


「兄さん、うちの娘達は時間を売る商売なんだよ。兄さんがうちの娘と話したければ、お客として時間を買うんだね。」


そう言って手にしていた煙管(きせる)を口に含み、フーっと樹之助に吹きかけた。


「いくらだ?」


樹之助は身じろぎもせず問い返す。


「一晩銀三十(もんめ)


「三十匁!熟練職人が十日働いてもそんなにならねぇ額だぜ…」


島原の遊郭ほどではないが、岡場所で遊ぶ金額としては破格な値段だった。


「払えるのかぇ?」


女将が(さげす)んだ目で問いかけてくる。


「まぁ、身なりからしてそんな金持ってなさそうやしなぁ。商売の邪魔だ。とっとと帰っとくれ。」


樹之助はけんもほろろに追い出された。


(あの女将、何か訳ありな表情だったな…)


樹之助は店の前で少し思案した後、意を決して歩き出した。



三条通り両替商河内屋(かわちや)の前に樹之助は立った。


意を決して暖簾を潜る。


「おいでやす!」


店員が元気に声かけるが、樹之助のナリを見るなり声のトーンが変わる。


「なんや、不逞浪(ふていろうし)士って様子でもありゃしまへんけど、浮浪(ふろう)が金の無心でっか?」


見たままとは言え、随分な言いぐさだ。

樹之助も内心ムッとしたが、気持ちを抑えて言った。


「店主の河内屋新八郎に会いたい。」


「は~?旦那様がお前のような薄汚い浮浪になど会うはずなかろう。けえれけえれ!」


番頭は樹之助をつまみ出した。


(くそ、取りつくしまなしか...)


だが、樹之助はこの手の扱われ方に慣れている。


ならば、と店の裏手に回る。


店と屋敷が同じ敷地にある。


裏手から母屋が見えた。


次の瞬間、樹之助の姿が通りから消えた。


一飛びに塀の上に立つと、そのまま塀伝いに走り母屋の屋根に渡った。


直ぐ下に使用人がいる。

何かの気配を感じ上を見た時にはもう樹之助の影は無かった。


中庭に面した書斎に明かりが灯っている。


樹之助はそっと近づき障子を微かに開け中を窺う。


(いた!)


新八郎は奥の文机に向かい何か書き物をしている。


樹之助は音もなく障子を開け中に入る。


新八郎は風が入ってきたのを感じ、筆を止め後ろを振りむいた。


そこに座ってこちらを見ている樹之助を見とめ、「ウワッ!」と声を出す。


「シッ!俺だ。この前、三条大橋のところで会ったろう。」


そう言われると新八郎は樹之助をシゲシゲとみて、手を打った。


「おお、あんさんは、あの夜命をたすけていただいた...」


ウンウンと樹之助が頷いていると。


「何はんでしたっけな?」


樹之助は肩透かしを食らい苦笑いした。


この辺の人らにとっては、自分らみたいな身分の者の名前などあってないようなものなのだろう。


「あの夜は“ゴエモン”と名乗ったと思う。」


「せやせや、ゴエモンはんや!今宵はどないされた?御用なら表からいらしたらええものを。」


新八郎は記憶が繋がりにこやかに笑っている。


「表から来たら…」

樹之助は少し言いにくそうにボソっと言った。

「つまみ出された…」


一瞬の間


直ぐに二人で声を出して大笑いした。


ひとしきり笑うと樹之助が口を開いた。


「驚かないんだな。」


「あの夜のあんさんの働きみてますさかい、普通の人やと思うてまへんでしたわ。」


さすが不穏な京の夜の町に出歩く肝の据わった男だった。


「白刃振り回す浪人四人相手に、縁も所縁も無い者のため、飛び込んでくる勇気がある御方なんて、お武家様でもおられまへん。」


新八郎は感嘆の声を上げる。


「まして、一人で皆やっつけてしまわれたのはもう、常人の働きじゃないと思うのが普通ちゃいますか。」


新八郎はにこやかに笑っている。


「それで、まさか驚かせに来ただけではないんでっしゃろ。」


新八郎は本題に入った。


樹之助は少し言い淀んだ。


「…あんたの命の値段、いくらでもいい。」


人に金の無心などしていることが恥ずかしかった。


新八郎には、予想していた用件だった。

だが、あの夜、御礼を払おうとしたのを固辞して消えた樹之助がこうして忍んでまで来るのは事情がある、と思った。


「もちろん、御礼はさせていただきます。せやけど、よろしければ訳を聞かせてくれまへんか?」


……


喜之助は少し考えた。

岡場所に女を買いに行くから、などと言えば軽蔑されかねないと思った。


だが、いま千代に会うにはこれしかなかった。


「…祇園の“宵待”という店に会って話したい女がいる。」


「馴染みのおなごですか?」


「いや、一度話したことがあるだけ...その娘が知っていることを聞きたいんだが、女は時間を売っていると女将に言われて...」


樹之助はこんな形の金の無心を心から恥じ入っているようで、顔を赤くし、目を逸らせながら消え入りそうな声で伝えた。


「さようですか。祇園の宵待言うたら…お滝はんやな~。悪い人ではありゃしまへん。商売人としてはまっとうなこと言うてはられます。」


(あの女将、お滝というのか…)

樹之助は胸の内で呟いていた。


「男が色街にお金を使うことは恥じることではありまへんで。ましてゴエモンはんはその方に会わなければならない事情がおありになるようですしなぁ。」


新八郎はにこやかに、驚くべき言葉を続けた。。


「それでは五十両用立てましょう。それでよろしゅうございますか?」


「ご、五十両!そんな高額、貰い過ぎだ!」


樹之助は聞いたことない大金に声が上ずった。


だが新八郎は首を振り、睨みつける様な表情で樹之助に言った。


「あんさんはわての命の値段言わはった。これで貰いすぎ言われたら、あんさん、わての命をそんなに安いもんやと言うてるのと同じことどすえ。」


「し、しかし...」


樹之助は戸惑っていた。

庶民が一生手にすることが無いくらいの額だ。


「あんさんが助けてくれなかったらわてはあの場で斬り殺されていたんや。死んだら銭など使われへん。わての全財産から比べりゃ、五十両などはした金や。」


樹之助は内心唸った。


(商人てのは武士より剛毅な生き物だな)


「お金は預かりにしておいて差し上げます。あんさん、きっとこれからあちこち奔走して歩くようになるでしょうから、大きな町の両替商で現金に換えられるのがよろしいでしょう。」


樹之助は何も言えず、ただ聞いていた。


「さしあたり今宵は2両ほどお渡しいたしましょう。どうぞこちらへ。」


そう言うと新八郎は立ちあがり、店の方へと歩き始めた。


樹之助も慌てて後に続く。


「おい、この御方から50両のお預かりや。差し当たり2両をお渡しして、残りは証書をお渡ししろ。」


新八郎が奥から出てきてそう告げると、さっき樹之助を追い返した番頭が、「アッ」といって絶句した。


「いいか、この方はわての上客や。今後贔屓にするんやで。」


番頭はバツ悪そうに「へい」と返事した。


【幕末の金銭感覚】

幕末の金銭相場は時期や貨幣の質によってかなり差があるので、参考程度に見てください。

銀三十匁=0.5両=銭1800文~2100文 現代感覚だと10万円前後

1両=銀六十匁 庶民ならひと月くらせるくらいの感覚

50両 500万~1000万くらい 樹之助のような庶民はまず見ることない額だが、豪商の命の値段と言われては安いくらい。


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