観測の死角、あるいは聖女の熱
「……ねえ、一ノ瀬。最近、少し雰囲気が変わったんじゃない?」
午後の休憩時間、高城さんは不意に私の顔を覗き込んできた。
彼女の視線は、システムエラーを探るデバッガーのように冷徹で、それでいて友人を心配するような湿り気を帯びている。
私は、ティーカップを置く動作に細心の注意を払い、鏡の前で何度も練習した「汚れなき聖女」の微笑みを浮かべた。
「……そうですか? 世界OSとの同調が進んでいるおかげで、心が凪いでいるのかもしれませんわ」
「そうかしら。なんだか、凪いでいるというより……もっと内側に、熱いものを隠しているような気がするんだけど」
高城さんは、私の指先が、無意識に制服のポケットの中にある「銀色のリング」に触れようとした瞬間を見逃さなかった。
私の心臓が、世界OSのクロックノイズを無視して激しく打ち鳴らされる。
「……気のせいですわ、高城さん。私はただ、佐藤主任の厳しいご指導に応えようと必死なだけです」
「……ふーん、佐藤、ね」
高城さんはその名前を口にすると、怪訝そうに眉をひそめ、遠くで端末に向かっている佐藤くんの背中に視線を転じた。
佐藤くんは、私たちの会話など耳に入っていないかのように、無機質なコードを打ち込み続けている。
けれど、彼の端末のサブモニターには、私のバイタルサインがリアルタイムで投影されており、私の心拍が跳ね上がるたびに、彼のタイピングがわずかに乱れるのを私は知っていた。
彼は「管理者」として私の動揺を監視し、そして「共犯者」として、その動揺の理由が自分にあることに、人知れず苦い悦びを感じているのだ。
「……一ノ瀬さん。次のバイオメトリクス測定の時間だ。無駄話はそこまでにしてくれ」
佐藤くんが、振り返ることもなく、冷たく言い放った。
高城さんは「はいはい、お邪魔虫は退散するわよ」と肩をすくめて立ち上がったが、去り際、私の耳元で小さく囁いた。
「……一ノ瀬。あんた、あんな冷たい男のどこがいいのか知らないけど……あんまり自分を追い詰めないことね」
その言葉は、私たちの秘密に触れそうで触れない、最も危険な境界線だった。
高城さんが部屋を出て、自動ドアが完全に閉まった瞬間。
佐藤くんは、ようやくキーボードから手を離し、椅子に深く背をもたれさせた。
「……一ノ瀬。……さっきの心拍数、……言い訳が立たないぞ」
「……佐藤くんのせいでしょ。……あんなに、……わざとらしく突き放すから」
私たちは、誰もいなくなった共有ルームで、数メートル離れたまま視線だけを絡ませた。
外の世界では「主任と被験者」として、冷徹な秩序の中に身を置いているけれど、その距離感自体が、私たちの情動をより鋭利に研ぎ澄ませていく。
「……今夜の、……補習は、……少し長くなりそうだ」
佐藤くんのその言葉は、公的な業務連絡を装った、切実な愛の告白だった。
私は、誰にも見えない位置でリングをそっと撫で、彼が用意した「放課後」の訪れを、静かな期待と共に待つことにした。




