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生命の肯定

世界OSマザーの機能が完全に停止してから、数年の月日が流れた。


かつての高層ビル群はナノマシンの残骸に埋もれ、ネットワークという「脳の延長線」を失った人類は、かつての石器時代に近い、しかし高度な知識だけが空回りする歪な再建期を迎えていた。

地上の至る所では、いまだに「一ノ瀬の熱(精神波)」という依存先を失った反動で、重度の不感症や射精障害に苦しむ人々が、痛切な孤独を抱えて生きていた。


だが、管理者の残骸を引き継いだ高城は、その絶望を「現実」として受け入れ、新たな社会の輪郭を描き始めていた。彼女が築く世界は、かつての虚構の幸福はないが、確かに人々の鼓動が聞こえる場所だった。


人里離れた辺境。かつての宿舎の屋上にあった「庭」を模して作られた小さな家。

そこには、世界を「汚した」二人の男女がいた。


「……佐藤くん。見て、あっちの街。……今日も、火が上がっているわ」


一ノ瀬が遠くの地平線を指さす。

彼女の指先には、あの日、崩壊する墓所の静寂の中で佐藤が嵌めたリングが、夕陽を浴びて鈍く光っていた。システムとのリンクが完全に切れた彼女の体は、かつての透き通るような神々しさを失い、日焼けし、小さな傷跡が残る「ただの女の肉体」になっていた。


「ああ。……世界はあんなに苦しそうで、醜くて、救いようがない」


隣に座る佐藤が、一ノ瀬の肩を抱き寄せる。

かつての理知的な教師の仮面を脱ぎ捨てた彼の顔には、疲労と、それ以上の深い充足が刻まれていた。彼自身もまた、一ノ瀬の能力による「治療」の副作用から逃れられず、彼女の体温なしではもはや安らぎを得られない「欠陥品」としての余生を受け入れている。


「……ねえ、佐藤くん。私たちは、本当にこれで良かったのかな。……みんなを地獄に突き落として、二人だけでこうして生きているなんて」


一ノ瀬の問いに、佐藤は彼女の頬を優しく撫で、その唇に指を当てた。


「いいんだ。……偽物の天国で飼い殺されるより、泥を啜りながらでも誰かを求める。それが生命だ。……かつて君が数億人に与えた『福音』は消えた。でも、その空虚を知ったからこそ、彼らは自分の力で誰かを愛する方法を探し始める」


佐藤は立ち上がり、一ノ瀬の手を引いて部屋の中へと導いた。

そこには、世界OSのデータバンクにも、教科書にも載っていない、二人だけの泥臭い「生」の時間が待っている。


「……さあ、授業の続きをしよう、一ノ瀬。……今度はシステムという補助輪なしで。僕たちが、この汚れた体で愛し合うための、たった一つの、本物の方法を」


一ノ瀬は微笑み、佐藤の胸に顔を埋めた。

外では冷たい風が吹き、世界の混乱はまだ続いている。

けれど、二人のシルエットは、沈みゆく夕陽の黄金色の中に溶け込み、静かに、そして力強く重なり合った。


【完】

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