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「アリアン嬢、アリアン嬢」
「んん……なんですかぁ……? 寝込みを襲うなんて、紳士の風上にも置けませんよぉ……?」
「襲わないし、襲われたくないならそんな無防備にしてるんじゃないよ」
宵闇があたりを、黒く塗りつぶしている。
二人で一つのテントを使っているが、寝ているのは端と端だ。
大抱熊を討伐し、その肉の味に舌鼓を打ったあと、明日の帰還に向けて身体を休めている最中だった。
あたりの空気が、何かおかしい。「夜の牙」時代、命の危険を感じた時に感じる空気だ。首の後ろがチリチリと痛む。
嫌な予感に突き動かされるように目を覚まし、アリアン嬢を起こす。
「ダメですよそんな無理やりなんて」と言いながら、なぜかこちらに手を伸ばしてくる少女。その手を避けながら、肩を揺する。
「静かに起きてくれ。外の様子が何かおかしい。嫌な予感がする」
俺のまじめな声色に、異変を感じ取ってくれたのか、彼女の表情が真剣なものに切り替わる。長槍斧はテントの外だ。肌着の上に、手早く鎧を身に着ける。
「魔物でしょうか」
「いや、このあたりの魔物なら、こんな空気にはならないはずなんだ。もっと上の……今の俺たちでは対応できない相手の可能性がある」
「最悪、大抱熊の耳だけ持って逃げましょう。命あっての物種です」
頷くと、静かにテントを出る。
出た瞬間、この違和感の正体が分かった。
「……なるほどね」
目の前にいたのは巨大な蛇。体長は20メートルほどか。背中に紫色のヒレが生えている。鱗の色は、白かグレーなのだろう。闇夜に溶け込んで、良くわからない。
もたげた鎌首の先にある金色の瞳が、こちらを見下ろしていた。赤い舌が、小さな炎のように揺らめいている。
『大邪蛇』だ。
Bランクの依頼で二度ほど討伐したことがある。あの時は4人いてギリギリの戦いだった。俺のレベルが28の時だ。
こいつの恐ろしさは、大きさに任せた攻撃力ではない。そのスキル構成にある。
大邪蛇【水属性】 レベル:42
攻撃:88
防御:92
速度:10
精度:20
運:10
【スキル1】偽電気ブラン
敵1体に攻撃を行い、75%の確率で対象をほんの少しの間痺れさせる。
【スキル2】ポイズンブレス
敵全体に攻撃を行い、『猛毒』状態にする。
【スキル3】脱皮(パッシブ)
クリティカル攻撃を受けるたびに、自分の体力を5%回復させる。
『ポイズンブレス』が凶悪だ。通常、毒消し薬で対処できるのは『毒』だが、このスキルで付与されるのは『猛毒』。手持ちの毒消し薬では、幾分か症状を和らげられるものの、完全な対処はできない。
前回『夜の牙』として戦った時にも、この『猛毒』には苦しめられた。スタールが死にかけるたび、エカテリーナがスキルで癒してたっけ……。
『猛毒』は、ギルドで販売している「高級毒消し薬」か、大邪蛇の牙の奥にある「血清」を使う必要がある。どちらも貴重品で、なかなか手に入らないし、店に出たところで高い。
金色の瞳を睨みつけながら、テントから出てきたアリアン嬢にハンドサインを送る。
大抱熊の耳だけ持って逃げよう。
少なくても、今の俺たちに手に負える相手ではない。
背後でアリアン嬢が駆け出す音が聞こえる。
俺は大邪蛇に対峙し、彼女を追わせないように殺気を送る。
彼女が安全圏に逃げるまでは、こうして俺が注意を引いておかなければ。
俺がここで足止めができなければ、次に狙われるのは彼女だ。最悪、街まで逃げても蛇はそれを追うだろう。
ケリットの街がどうなろうと知ったことではないが、彼女が喰われるのは寝覚めが悪い。
大邪蛇が、アリアン嬢が走って逃げた方向に、首を持ち上げる。彼女を追わせるわけには行かない。『素手喧嘩』を放とうとした瞬間、背中に何かが激突する。
吹き飛ばされて、前方に転がった。息ができない。
ぐちゃぐちゃになった視界で背後を見る。大邪蛇の尾が、俺を打ち据えたということがわかった。しまったな。牙と毒のブレスに気を取られて、まったく意識できていなかった。
頭上から襲い掛かる魔物牙を、転がって躱す。グラグラする頭を振りながら『組織暴力』を発動させた。
大邪蛇の口から、紫色の煙が漏れだしてきた。『ポイズンブレス』が発動したのだ。あっという間に、あたり一帯を覆いつくす。
煙の中をかいくぐり、『素手喧嘩』で攻撃する。今の『ポイズンブレス』では、俺は猛毒に侵されてはいないようだ。俺の抵抗ステータスが仕事をしてくれたのかようだ。
少し遅れて、蛇の動きが鈍る。スキルが発動した手ごたえがあった。
「それにしても、火力が足りてないんだよなあ……」
ぼやきながら、拳に嵌めた拳鍔の位置を調整する。先ほどの『ポイズンブレス』を避けることができ、こちらの『組織暴力』は発動したおかげで、今のところは互角に戦えているが、この綱渡りのような幸運が、いつまでも続くとは限らない。
「まいったね。あの時は4人で囲んだのに、今回はサシだ」
大邪蛇が目に怒りを浮かべているのがハッキリと見て取れる。たかが人間に、なぜ邪魔をされなければいけないのかといったところだろうか。
気持ちはわかるよ。俺も虫とか顔についたら嫌だもん。
動きが鈍っている蛇の横腹に、もう一度『素手喧嘩』をぶち込んでやる。巨体がのたうち、再度動きが鈍った。
「ははっ!俺も1対1なら、なかなかやれるじゃねえか!」
続けて尻尾に拳を打ち込む。攻撃がヒットするたびに、先端だけが別の生き物のようにうねうねと動いていた。
蛇の攻撃は、牙による『偽電気ブラン』。避けきれない、ということが本能的にわかってしまう。とっさに左手で身体全体をかばう。少し遅れて激痛。
「っ!! クソッ、タレがあ!!」
一瞬左手が石になったかのような痺れ。エカテリーナは、こいつで動きを止められてからの尻尾で、ずいぶん手ひどくやられていたっけ。
「自分で回復できるから、たいしたことないだろ」というスタールの無神経な一言に、「死ぬかと思った。回復が間に合ったのは奇跡」とか言っていたっけ。
右手で蛇の顔を殴りつける。目を狙ったが、鱗に弾かれてしまった。
構わずもう一度拳を突き込む。音にできないほどの甲高い声で、大邪蛇がのけぞった。
横目で尻尾が持ち上がったのが見える。
二度同じ手は喰わない、身構えて衝撃に備えた。
腹に、丸太で殴られたような衝撃。寝る前に食べた大抱熊の肉を戻しそうになりながら、体勢を立て直す。
自分にかかっていたバフ効果が消えているのが分かった。『組織暴力』をかけなおす。
蛇が顔を持ち上げ、こちらに噛みつくより早く、『素手喧嘩』を胴体に叩き込んだ。
巨体がうねる。が、まだ討伐には至らない。己の非力さが恨めしい。
だが、負けるわけにはいかない。刺し違えてでも止めてやる。
噛みつくのをあきらめた『大邪蛇』が、『ポイズンブレス』を発動する。
距離を取って避けようとするが、間に合わない。煙に飲み込まれ、それから肺に激痛。
まずい。滅茶苦茶にまずい。『猛毒』をもらってしまった。
慌てて腰のカバンから毒消し薬を取り出し、一息に飲む。激痛から普通の痛み程度になったことにホッとした。あのままでは、1分と持たず肺が腐ってしまっただろう。
よかった、と油断したせいだろうか。
わずかにできた意識の空白。そこを狙われた。煙の中から、蛇の『偽電気ブラン』。
脇腹に食い込んだ牙から、身体が石になる液体でも注入されたかのようだ。避けなければ、と頭ではわかっているのに、身体はまったく反応しない。
そこに尻尾による一撃。受け身を取ることもできず吹き飛ばされる。
体の中にある、何かの袋が破けたような痛みを受けながら、俺はぼんやりと考えていた。
あ、これ、エカテリーナもやられてたやつだ。
ごめんエカテリーナ。これ確かに死ぬかと思うやつだわ。
痺れが取れても、尻尾によるダメージのせいか、身体が動かない。
蛇が再び、頭を持ち上げた。




