序章 おてんば娘、奈落の底に突き落とされる
それが起こったのは、私――パトリシア・ブルフィンチが8歳の誕生日を迎えてからしばらくたった、ある冬の夜のことだった。
昼間、牧場で体を思い切り動かして働いた――牧童たちの邪魔をしていた?――私は、心地よい疲れと、母様特製の暖かい毛布、そして、お日様の香りがするふかふかのベッドを睡眠薬にして、心地よい眠りのまっただ中にいた。なのに、無情な振動が、眠りの奥の奥でとろけていた私を、意識下すれすれにまで、すうっと持ち上げたのだ。
(なに……またお産?でも、うちの牧場に今妊娠中の動物なんて、牛さんも馬さんも豚さんも羊さんもいないはず……待って、まだ夜よね?なのに、どうして外が明るくて、あんなに大きな叫び声が……!)
牧場では、急なできごとで夜中にたたき起こされるなんて、日常茶飯事だ。
だからこの時も、ほんのわずかな時間で、私はしゃっきりと覚醒し、次の瞬間、体に感じていた揺れは、性急な手が私の体を揺り起こしていたためだったのだと、既に理解していた。
「……母様?」
「パトリ……よかった、起きたのね!」
普段の母さんは、陽気で元気で朗らか。牧場で働く誰よりも大きな声で話し、豪快に笑う。けれど、このときの母さんの声は、か細くかすれてて……しかも、切羽詰まっていた。
「どうしたの?この騒ぎはなに?」
「説明は後。今すぐ上着を着て、靴を履いて」
「え、でも、まだお外は暗いのに……」
「いいから、言うとおりにして!」
と、母さんのその声にと同時に、外からシュッと空気を鋭く切り裂く音と、「ちくしょう、全然利かねえ!」と悔しがる声が、相次いで響いてくる。
あの声は、牧童頭のヒンメルさんだ。じゃあ、あの空気を切り裂く音は、ヒンメルさん得意の石弩!?
私が大きく目を見開いた直後、ぼおん、とも、ごおん、ともつかない、ものすごい音が壁を揺るがし、焦げ臭い匂いが部屋の中に立ちこめた。
「炎魔法!いけない、パトリ、急いで!」
母さんの口調がますます必死で切羽詰まったものとなり、私はベッドから転げ落ちるようにして、一目散に部屋の入り口近くにあるドレッサーへと向かった。
持っている中で一番丈夫な、一番お気に入りの皮ジャケットを羽織ると、ブーツの中に入れっぱなしの靴下を取り出して――だらしない、みっともない、女の子らしくないと、母さんに叱られてた悪い癖だけど、このときばかりは役に立った――素早く身につける。そして、牛革製の丈夫なブーツに足を突っ込み、慣れた手つきで靴ひもを結び終えたところで、扉から父様と、相棒のパットが飛び込んできた。
「エレナ!無事だったか!」
「あなた!」
二人はすぐさま駆け寄り、固く抱き合うと、(いつも通り)濃厚なキスを交わす。私は、その様子を横目で確認しながら――なんで「横目」かって、その時私は、パットに抱きつかれ、押し倒されて、思い切り顔をなめられていたからなんだけど――眉根にしわを寄せて、ちょっとうんざりした顔になった。
まだ男を意識するには早い年齢だったけれど、それでも、両親がなにかというと抱き合い、思い切り「ちゅー」をする姿を見せられるのは、なんだか恥ずかしかった。
あんまり人前で堂々とちゅーをするのはやめてほしいと思ってたし、実際にそう言ってもいたのだけど、二人は笑って、
「父さんと母さんはそれだけ仲良しってことだ。仲良しなのは、いけないことかい?」
「そうよ、パトリ。父さんと母さんは、昔も今も、深く深く愛し合っているの。だから、これぐらい当たり前なのよ。いつかあなたも、本当に好きな人ができたら分かるわ」
そしてまた見つめ合って、嬉しそうにキスしたりするのだ。
だから、部屋に入ってくるなりキスを交わした両親を見て、
(外がなんだか大変なことになってるみたいなのに、こんな時までキスしないといられないの!?)
と、つい、あきれてしまったのである(それが二人の、生涯最後のキスになると知っていたら、いらついたりせず、大目に見てあげてたのだけれど……)。
長く熱い口づけが終わり、そこでようやく父様は、
「パトリ?大丈夫か?けがはないか?」
そういえば自分には娘もいたんだった、といわんばかりに、声をかけてきた。
私は、というと、押しのけても押しのけても覆い被さってくるパットの「攻撃」をようやくかわし――犬の一途な愛を感じるのは本当に嬉しいことだけど、さすがにこうまでしつこく、自分よりも大きな犬に愛情表現されると、さすがにうざったい――どうにか立ち上がったところだった。
「大丈夫。父様母様が忙しくしてる間ずっと、パットに押し倒されていたけれどね」
わざとらしくしかめっ面を作って――8歳の、反抗期に入りかけたおしゃまな娘だけに可能な――素っ気なさでそう言うと、父様はなんともばつの悪そうな顔になり……そのばつの悪さをなんとかごまかそうとしたのか、険しい表情でパットをひとにらみした。
と、それだけで、なおも私の真横にたたずみ、隙あらば押し倒そうとじゃれついていたパットは、はっとした様子で即座にお座りをし、申し訳なさそうな顔となる(こういうところ、本当に父様にはかなわないと思う。私だって、動物には好かれる方だけど、父様は動物に好かれる上に、尊敬され、絶対の忠誠まで受けるのだ。まさに、牧場主になるために生まれてきた人だったと、今でも心から思う)。
毎日毎日飽きることなく繰り返されてきた、ブルフィンチ家の日常的光景だ。けれど、残念なことに、この時は「日常」から遠くかけ離れた、決して予断を許さない状況だった。
「あなた……急がないと!」
先ほどと同じ切羽詰まった声で母様がささやくと、父様の顔がみるみる引き締まる。
「そうだったな。パトリ、母様について、裏口から速く逃げるんだ!」
そう言いながら、父様は背中に手を回し、愛用の大剣を――普段、決して家の中で持ち歩いたりしない、冷たい鋼鉄製の武器を――両手で構える。
(父様が、家の中で、剣!?……なんだか分からないけど、本当に大変なことが起こってるんだ!)
私は、父様のように顔を引き締めると、まっすぐにその目を見つめ、切羽詰まった声で尋ねた。
「ねえ、父様。なにが起こってるの?」
「襲撃だ。うちの牧場が、何者かに襲われているんだ」
この上なく真剣で沈痛な声で、父様はそう答え……私は驚愕のあまり、目を見開いたまま、動けなくなった。
「……どこに隠れたのかなあ?ボクの、かわいい小さな小指ちゃん?ほら、ボクのところにおいで……」
粘つくような甘ったるい声が、森の中に響く。
今まで聞いたことのない、背筋が寒くなるような声だ。
その合間に、低く濁った、森を揺るがすようなうなり声。こちらは、耳にするだけで、背筋が凍り付きそうになるほど怖ろしい。
私は、狭い隠れ場所の中で、ますますぎゅっと身を縮め、思わず口から飛び出しそうになる悲鳴を、必死で押さえつけた。
あの後、家の裏口から母様とパットとこっそり抜け出し、柵を乗りこえ、牛さんや馬さん、羊さんの放牧に使っている草原を全速力で横切って――背後から聞こえる犬さんや猫さんの怒りに満ちたうなり声、他の動物さんたちの悲鳴やいななき、それまで聞いたこともない「なにか」の血も凍るような雄叫び、そして、父様や牧童さんたちが叫び、走り、剣を振るう音がだんだん小さくなっていくのを見捨てていくようで、身を引き裂かれるようにつらかった――なんとか森へと身を隠したはず。なのに、しばらく前から聞こえてくるのは、怖ろしいうなり声と、この上なく気持ち悪い猫なで声ばかり。
父様は、牧童さん達は、そして動物さんたちは無事だろうか?
(大丈夫、だって、みんなものすごく強くて、タフで、オオカミの群れが襲ってきた時だって、あっという間に追い払っちゃうんだから!だから、大丈夫、大丈夫……!)
父様の優しい声も、動物さんの鳴き声も聞こえてこないことが不安で不安で、自然と涙が流れ出てくる。大声で悲鳴を上げてしまいそうになるのをこらえるため、何度も何度も「大丈夫」と、自分に言い聞かせるように心の中で唱える。
けど……全然大丈夫なんかじゃなかった。
「みいいつけたああ……」
くさい息がはっきり嗅ぎ取れるほどすぐ近くで、湿った薄気味悪い声がささやき……私は思わず、「あぁぁぁ……」と絶望のため息を上げていた。
もうダメだ、捕まってしまう、捕まって、あの声の持ち主にさらわれて、連れて行かれてしまうんだと、止めどなく涙を流しながら、全てをあきらめかけたその時。
「ぎいいやあああああ!」
汚い悲鳴が、森中に響き渡った。
「痛い!痛い!ちきしょう、あのアマ!余の顔を切りやがった!痛い!なんとかしろ!早くあのブスを捕まえるんだ!ちきしょ、それにあの犬!余に噛みつくとは!痛い!くそ、いいから追え!あのクソ女に、自分がやらかした罪がどれほどのものなのか、嫌ってほど教えてやる!それとあのバカ犬!八つ裂きにしてやる!ああ、痛い!くそ!追え!早く!……」
どんどん声が遠ざかっていき……やがて聞こえなくなった。
私は、恐る恐る隠れ場所――ナラの大木の、大枝が別れる付け根にあるフクロウの古巣――から顔を出して、下をのぞいてみた。
踏み荒らされた落ち葉が散らばっているだけで……誰もいない。
ナラの根方にあるちょっとした洞穴には、母様と、私の相棒、オオカミ犬のパットが身を潜めていたはずなのに……その二人の気配もない。
頬を再び涙が伝い……それがきっかけで、とうとう、我慢の限度を超えてしまったらしい。
手足から勝手に力が抜け、再び隠れ場所の中に座り込んで……私は、低い声でしゃくり上げながら、泣き始めた。
分かっていたのだ。
母様達は、なんとしてでも私を守るために、私を、私だけをとっておきの隠れ場所に隠して……わざと、自分たちは見つかりやすい場所に潜んでいたのだ。
そして、追っ手に見つかったところで、派手に抵抗し、奴らを引きつけて、遠くへと誘導していった……自分の身の危険など、全くかえりみず、むしろ、死を覚悟して。
自分を犠牲にして、命がけで、私を助けてくれたのだ。
なにもできない自分が情けなかった。
無力な自分が悔しかった。
そのまま消えてしまいたいくらい申し訳なくて、「絶対にここから出てはだめよ」とは言われていたけど、それでもあのとき、出て行くべきだったんだ、それができなかったのは、自分が弱かったからだ、あのうなり声を出す黒い化け物が怖くて、あの薄気味悪い男が怖くて、怖くて怖くて震えることしかできなかった自分に、心の底から絶望して……私は、ただただ泣き続けたのだ。
翌朝。
泣きながらいつの間にか私は眠ってしまったらしく、気がつくと、もう周囲はすっかり明るくなっていて……森は、風に吹かれた梢がさわさわささやく音と、時折ヤマガラのさえずりが聞こえてくる以外は、しんと静まりかえっていた。
いつも通りの、早朝の森だ。
だが、私の「いつも通りの生活」は、決して戻ってこなかった。
ナラの大木から滑り降り、恐る恐る牧場に戻った私が目にしたのは、血と、炎の惨劇だった。
牧場内の建物という建物には火がかけられ、中にいて脱出できなかった動物さんたちは、煙に巻かれ、肌を焼かれ、真っ黒な骨組みだけになった残骸の中、折り重なり、苦悶の表情を浮かべて死んでいた。
その前には、動物たちを守ろうと必死でがんばってくれた牧童さんたちが、その手に剣を握りしめたまま、なんだか異様に多くの腐った肉や真っ白い骨のかけらが散らばる中、事切れていた。
彼らの体には例外なく、ヒグマの鋭く大きなかぎ爪で襲われたような無残な切り傷が幾重にも刻まれ、その顔は、圧倒的な暴力の前に、なすすべもなく殺されなければならなかった無念や恐怖、絶望といった感情をそのまま形にしたかのように、醜くゆがんでいた。
狼だって、本物のヒグマだってやすやすと撃退する腕自慢の牧童さんたちを、一体誰がこんなひどい目に遭わせたのかと視線をさらに前方へ巡らせると、その目に「異形の存在」が目に映る。
見た目は、やや狼に似ていた。
だが、狼とは全く違う。狼は四つ足で走るが、その存在は、人間によく似た、二本脚で立ち歩く姿をしていた。
そして、かなり大きい。
うちの牧場には荷馬車を引くのに使うかなり大型のお馬さんや、農耕用の牛さんがいたが、彼らに比べてもまだ大きい。立ち上がれば、軽く二メートルは超えたと思う。
そして、体中毛むくじゃらだというのに、その毛の下には鋼のような筋肉が在ることが見て取れ、ぶっとい両腕の先には、指先に鋭いかぎ爪のついた、人間と同じ形の両手がついている。腰から下は粗末な布でできたズボンを身につけ、その尻に空いた穴からはフサフサとしたしっぽが突き出している。
それは「人狼」と呼ばれる邪悪な魔術師が人工的に作り出さない限り、この世には決して存在しないはずの生き物だった。
だが、その時の私――勉強嫌いで、机に向かって本を読むより、牧場を思い切り走り回り、森で木登りに興じてばかりだった私が、そんなことを知るはずもない。ただただその「有り得ぬ存在」の無気味さにひるみ、生きていたときに発していたはずの、圧倒的、絶望的な迫力、威力を想像しては怯え……牧童さんたち、動物さんたちはきっと、こいつらの手にかかって死んだのだと思い当たり、新たに押し寄せてきた悲しみに、体を引き裂かれていた。
それにしても、うちの牧場の動物さんたちはすごかった。
火のかけられた家畜小屋からなんとか逃げ出した牛馬豚羊さんたちは、そのままいっさんに投げ出してもよかったのに踏みとどまり、飼料倉庫の番人であった猫さん、番犬たち、小屋の屋根に巣をかけていたカラスたちと一緒になって、この異形のバケモノに立ち向かい、五体を打ち倒していたのだ。
けれどその分、こちらの被害は悲惨だった。
動物さんたちは皆、体中に鋭い爪で切り裂かれた傷や骨までかみ砕かれる恐ろしい噛み傷をつけ、血まみれになりながら、斃れていたのである。
番犬たちはもちろん、一番臆病なはずの羊さんたちまで、逃げ出そうとした形跡は一切見当たらない。皆恐ろしいまでの怒りと戦意と、そしてどうしようもない無念さをたたえた目をかっと見開き、敵を見据えたままで静かに地面に横たわっていた。その姿は、まさに勇者そのもので……私は、皆の死を心から悼みながら、50頭近くにもなる彼らの間をふらふらと歩き、既に冷たくなった彼らの体一つ一つに手を触れ、なでさすり、頬ずりして、その死を悼んだ。
中でも、パットはすごかった。
最後まで私のために残り、敵を防いでいてくれていた私の兄貴分は、そのせいで、あの恐ろしいバケモノと、たった一頭で対峙しなければならなくなったのだと思う。
それでも彼は一歩も引かず、傷だらけになり、全身から血を流しながらも、敵の喉笛に食らいつき、最期を迎えるその時まで離さなかったらしく……たった一頭で強大な敵を一匹、相討ちにしていたのだ。
パット。私が物心ついた時には、もうそばにいて、兄妹のように育ったパット。やんちゃな子供だった私のそばにいて、危ないことをしようとすれば叱り、無茶をしようとすれば引き戻し、森で木の実を見つければ分け合って食べて……牧場と森の掟を教えてくれたパット。
オオカミの血を色濃くひいたその姿は、時に神々しいほど、威風堂々としていて……狐もオオカミも、腹を空かせた春先のヒグマでさえ、その姿を垣間見ただけで、こそこそと逃げ出した。
そんなふうだから、動物たちは皆、パットに従うのが当然と感じているようで、彼の姿を見ると、自然と体を伏せ、服従の態度を取るのだった。
そして、パット自身もめったに怒りを見せたりすることはなく、威風堂々と彼らの間をのし歩き……そして、私には限りなく優しかった。
パット。強いだろうとは思ってたけど、こんなバケモノをたった一人で倒すなんて、やっぱり本当に強かったんだ。
私は、顔中血まみれになりながら斃れているパットに近づき、その背中をおそるおそるさすった。
やっぱりすごい、パットはすごい、だから、生き返って。むっくり身を起こして、いつものようにあたしの顔を優しくなめて……。
だが、その願いが聞き届けられることはなかった。
しばらくの間相棒の横にうずくまり、まだほのかに温かい亡骸の背中がしっとり濡れるほどの涙を流した後で、私はゆっくりと立ち上がり、牧場のすぐ脇にある街道へと向かった。
遅まきながら、助けを呼びにいかなきゃ、と思ったのだ。
焦げ臭い建物から離れ、朝日に目を細めながら牧場の入り口に向かう。
と……そこになにか、変なものが吊り下げられているのが目に入った。
なんだろう?人?でも、すごく大きいし……。
逆光に目を細めながら、なおもそちらへ数歩、おそるおそる近づいたところで、私は思わず立ち尽くした。
それは、私の一番大切で、一番大好きだった母様の、変わり果てた姿だったのである。
農場を襲撃した一味の首謀者――あの薄気味悪いねこなで声で私を探していた男――に傷を負わせたせいか、それとも、「お目当ての獲物」である私を取り逃がした、その原因となったせいか……どちらにしても、母さんは、襲撃者達の怒りを一身に浴びることとなったようだった。
両腕両脚が普段の倍ほどもの長さになった――それだけ念入りに骨を打ち砕かれた状態で、牧場の看板の掛かった梁から吊り下げられて……両目と鼻はただのくぼみと化し、体中を細かい傷が覆い尽くしていたうえ、胸の真ん中には父様愛用のナイフが――刀身が青く光る、大ぶりのこの上なくきれいなナイフが、これ見よがしに突き立てられていたのである。
今なら、母様がなにをされたのか、容易に想像がつく。
拷問だ。
私の居場所を聞き出そうとしたのか、それとも、なにか他の理由があったのか……襲撃者は、すぐに事切れることのないよう、細心の注意を払って、母さんの両手両足の骨を、末端から少しずつ砕き……全身をなぶったのだ。
どれほど苦しかったのだろう。
どれほどつらかったのだろう。
でも……母さんは耐えた。耐えて、耐えて、必死で耐えぬいて、娘を……この私を守ってくれたのだ。
「母様……母様……」
と。
その声が届いたのだろうか。てっきりもう亡くなったとばかり思っていた母様の頭がわずかに動き、長い髪に隠れていたその顔が露わになり、私は思わず息を呑んだ。
私は、予想しておくべきだったのだ。体中の骨をたたき折るほどの凄惨な拷問を加えるようなヤツらが、顔を無傷で放っておくはずがない、と。
が……当時の私はそんなことを思えるほど、賢しくも聡くもなかった。てっきり母様の整ったかんばせを――大きな青い瞳に形のいい鼻、桃色のふっくらした小さな唇に、ツヤツヤと照り輝くような頬をこちらに向けてくれるとばかり、思っていたのである。
けれど……。
まっすぐにこちらを向いた母様の目はえぐり取られ、赤黒い血が流れ出る二つの穴と化していた。鼻はそがれ、しゃれこうべのような骨がむき出しになり、そして――きっと母様は私に笑いかけようとしてくれたのだ――頬の奥まで切り裂かれた口は、ほんの少し開いたら最後、重力に打ち勝てず、下顎がだらりと胸のあたりまで垂れ下がり、口腔内の真っ赤な、あちこちただれた皮膚を、そしてそこここに残った真っ白な歯と、その歯の抜かれた後からしたたり落ちる血液を、私に思い切り見せつけたのだ。
それは、先ほど目にした「異形の存在」と並ぶほどに――いや、誰よりも大好きな母様の変わり果てた姿であるがゆえに、ひときわ凄惨な、まさに「悪夢の中の存在」としかいいようのない、怖ろしい光景で……いつの間にか私は、顔をくしゃくしゃにしながら金切り声の悲鳴を上げていた。
そこで、私の記憶はぷっつりと途切れている。
次に我に返ったのは、それから5年が過ぎた頃だ。
気がつけば私は、すっかり成長した体を飾り気のない白いワンピースに包み、そして、その姿にはまるで似つかわしくない、父様のロングナイフを胸に抱えた姿で、辺境にあるさびれた牧場の前に一人立っていたのである……。




