表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/9

第9話 戦果に変える

 勝っただけでは、何も増えない。


 だから私は、焼却穴の縁で崩れた呪獣の残骸をすぐ数えた。


 核片。骨。棘。まだ燃えずに残る肉。乾かせば薬になる脂。売れるものと、証拠になるものと、隠すべきもの。順番を間違えれば、全部上に持っていかれる。


 私は指先の血を泥で拭い、ルークへ顎を振った。


「核片は二つに分ける。大きい方は見せる。小さい方は隠す」


 ルークが眉を上げる。


「もう命令が当たり前みたいだね」


「嫌なら正規申告だけにする?」


「それは趣味が悪い」


 言いながら、もう動いていた。呪獣の砕けた胸骨の裏へ短剣を差し込み、外から見える核片と、奥に噛んだまま残っていた濃い欠片を手際よく分ける。やっぱりこういう時だけ仕事が早い。


 エルネストには残骸の火加減を任せる。


「全部焼くな。臭いが立つ前に、骨だけ白くしろ」


 彼は何も言わない。ただ火を細く絞り、焼却じゃなく精製みたいな色に変えた。赤すぎず、青すぎない、骨と脂だけを選り分ける火だ。


 ガンツはまだ盾をついていた。


 立っているが、傷の奥では黒い糸が濡れたまま脈に合わせてわずかに縮んでいる。無理に動けばまた裂ける。けれど、そこまで説明してやる義理はない。


「座らないの」


 私が言うと、ガンツは眉間に皺を寄せた。


「座ったら立てなくなる」


「じゃあ立ってなさい。今のうちに、まだ生きてる顔を覚えさせる」


 ガンツは舌打ちしかけて、途中でやめた。代わりに傷口へ一度だけ視線を落とし、すぐに逸らす。


 いい反応だ。


 怖いなら、そのまま怖がっていればいい。


 私はカイルを見る。


 彼は呪獣の残骸より先に、周囲の泥と側溝を見ていた。次が湧くか、まだ終わっていないか、それだけを確かめる目だ。


「終わり?」


「小さいのが二つ、下で迷ってる」


「なら来る前に片づける」


 私は長釘を拾い上げ、焼却穴の縁へ投げた。昨夜打った印と、今朝黒ずんだ布。そこを避けて立てるだけで、死に筋はだいぶ狭くなる。


「ルーク、見張り台の陰に掘れた浅穴がある。そこへ欠片を一つ埋める。布で巻いて」


「覚えてるんだ」


「私が数えたものを忘れると思う?」


 ルークが肩をすくめる。


「思わないね」


 ガンツのそばへ寄る。傷口の縁を指で押すと、彼の肩がぴくりと跳ねた。


「痛い?」


「……うるせえ」


「なら大丈夫」


 私は包帯を巻き直す。応急の黒縫は残っているが、その上から固定しなければ歩いているうちにまた開く。烈酒を少し垂らし、布をきつく締めると、ガンツの喉から低い唸りが漏れた。


「そんな顔できるなら、まだ死なない」


「お前はそればっかだな」


「便利だから」


 便利。


 その一語で、ガンツの目がまた少しだけ冷える。


 でも反論しない。


 もう、自分の命がどこに繋がっているか知っているからだ。


 その時、見張りの鐘が一つ鳴った。


 近い。


 誰かがこちらへ来る。


 私はすぐに顔を上げた。


「見張り兵か、帳面持ちか」


 カイルが短く答える。


「両方」


 早い。さっきの音を聞きつけたか、煙を見たか。どうでもいい。来るなら、その前に形だけ整える。


「ガンツ、動くな。傷は隠すな」


「は?」


「喋るな。余計なことも言うな」


 ルークには小さい核片を消させる。エルネストには骨の山を見える位置へ寄せさせる。私は大きい方の核片だけを布で拭い、わざと泥の上へ置いた。


 戦果は見せる。


 全部は渡さない。


 そこへ、案の定、二人の兵と帳面持ちが降りてきた。前に板を割った見張り兵とは別だが、目の温度は同じだった。まず残骸を見て、それからようやくこちらを見る。


「何だこれは」


 帳面持ちが言う。


「見れば?」


 私は核片を靴先で転がした。


「呪獣よ。下で育ってた。骨拾いが片づけた」


 兵の顔が少しだけ変わる。


 呪獣。


 その単語だけは、底辺掃除穴でも笑えない。


「報告は上がってない」


 もう一人の兵が鼻で笑った。


「新入りの補充品が、よく喋る」


 視線が露骨に私の喉元へ落ちる。値踏みの目だ。


「嘘ついて備品をかすめる気か。出たってんなら核を全部寄越せ」


「上げる前に噛まれたの」


 私はガンツの脇腹へ視線をやる。包帯の下から滲んだ赤が、ちょうどいい具合に痛々しい。


「それとも先に帳面?」


「口答えするな」


 兵が苛立って一歩近づいた。手が伸びる。胸ぐらを掴むつもりだったのだろう。


 その前に、重い音が割って入った。


 ガンツだ。


 私が何も言う前に、血まみれのまま二人の間へ滑り込み、大盾の縁をゆっくり持ち上げていた。傷の奥で黒縫が引かれるたび、肩から脇腹へぎし、と嫌な軋みが走る。それでも止まらない。


 兵の手が空中で止まる。


 ガンツは何も言わない。ただ、正気の薄い目でまっすぐ前だけを見ていた。痛みで立っているというより、もっと別のものに立たされている顔だった。


 帳面持ちが息を呑む。


 上官への反抗より先に、そちらの異常さが腹へ落ちたのだ。


 私はそこで初めて笑った。


「この狂犬、今ちょっと機嫌が悪いの」


 盾の縁を指先で軽く叩く。ガンツの喉が低く鳴る。


「止めてほしいなら、そして次の呪獣を自分で下まで処理したくないなら、道具を置いていきなさい」


 それでも兵はすぐには引かなかった。けれど視線はもう私じゃない。ガンツの目と、血の下でわずかに脈を打つ包帯の奥へ吸われている。


 賢い。


 怖がる相手は扱いやすい。


「……核は回収する」


 帳面持ちが言った。


 当然だ。


 だから私は、あっさり頷いた。


「大きい方はね」


 兵が眉をひそめる。


「何だと」


「処理材と包帯と燃料が要る。呪獣を片づけた掃除穴が、次も素手でやれって?」


 私は残骸を示した。


「ここを止めたいなら、道具はこっち持ちよ。嫌なら全部持って帰って、次に下へ降りるのはあなたたちにしなさい」


 沈黙が落ちた。


 兵は嫌そうな顔をする。


 帳面持ちは、もっと嫌そうだった。


 自分が下へ降りる未来を想像した顔だ。


「……規定外だ」


「呪獣も規定外でしょ」


 ルークが後ろで吹き出しかける気配を堪えた。


 カイルは何も言わない。ただ、こちらに任せると決めた時の顔で立っている。


 結局、帳面持ちは舌打ちして帳を開いた。


「核片一、骨材若干、焼却継続。処理班へ包帯二、燃料一束、釘十本。後刻確認」


 少ない。


 でもゼロじゃない。


 それで十分だ。


「記録しときなさい」


 私は笑う。


「骨拾いが呪獣を止めたって」


 帳面持ちは返事をしなかったが、消しもしなかった。


 それだけで足りる。文字は残る。残れば、次に踏み台になる。


 兵たちが大きい核片だけ持って上へ戻っていく。足音が遠ざかるのを待って、ルークが土の下から小さい方を掘り返した。


「いやらしい」


「褒め言葉ね」


 私は受け取った欠片の重みを掌で測る。


 冷たいのに、芯だけ熱を持っている。


 いい。


 これなら換えが利く。


 包帯も釘も、もっと引ける。黙っていれば、そのうち道だって買える。焼却穴の縁に置く板も増やせる。


 ガンツが低く言った。


「そこまで数えるか」


「数えるわよ。生きる気があるなら」


 返すと、彼はしばらく黙った。やがて盾を地面へ突き立てたまま、吐き出すみたいに言う。


「……次から、先に言え」


 意地でも礼は言わない。


 でも、それでいい。


 命令に口を返す形を選んだ時点で、もう班の並びは少し変わっている。


 エルネストが火を見たまま呟いた。


「燃料一束は悪くない」


 それが彼なりの同意だった。


 ルークは小さい核片を懐で鳴らす。


「売り先、選べるね」


 カイルだけが、まだ私の顔を見ていた。


 正確には、顔じゃない。


 右目の濁り。指先の震え。息の浅さ。そこだけを見ている。


「倒れる前に戻れ」


「命令?」


「忠告だ」


 ひどく遅い忠告だ。


 でも、嫌いじゃない。


 私は核片を腰袋へ押し込み、焼却穴の縁を見下ろした。呪獣の骨はまだ全部は燃えきっていない。下の泥も、もう静かになったわけじゃない。


 けれど今だけは違う。


 ここには、包帯が来る。釘も来る。燃料も来る。記録にも残る。


 勝っただけじゃ何も増えない。けれど、増やしてしまえば勝ちになる。


 私は口元を拭う。


 血の味はまだ残っていた。


 喉の奥には、さっき喰った黒い熱も残っている。


 最悪。だけど、悪くない。


「次」


 誰にともなく言う。けれど四人ともがこちらを見た。


「道を伸ばす。焼却穴の縁も詰める。包帯は隠す場所を変える。あと見張り台の死角、もう一つ潰す」


 ガンツは舌打ちだけして盾を引きずり、焼却穴の縁へ向き直った。ルークは小さい核片を懐へ沈め直し、エルネストはもう次に寄せる火の位置を見ている。


 ルークが笑う。


「休まないの?」


「休むわよ」


 私は足元の黒ずんだ泥を踏みしめた。


「休める形にしてから」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ