第9話 戦果に変える
勝っただけでは、何も増えない。
だから私は、焼却穴の縁で崩れた呪獣の残骸をすぐ数えた。
核片。骨。棘。まだ燃えずに残る肉。乾かせば薬になる脂。売れるものと、証拠になるものと、隠すべきもの。順番を間違えれば、全部上に持っていかれる。
私は指先の血を泥で拭い、ルークへ顎を振った。
「核片は二つに分ける。大きい方は見せる。小さい方は隠す」
ルークが眉を上げる。
「もう命令が当たり前みたいだね」
「嫌なら正規申告だけにする?」
「それは趣味が悪い」
言いながら、もう動いていた。呪獣の砕けた胸骨の裏へ短剣を差し込み、外から見える核片と、奥に噛んだまま残っていた濃い欠片を手際よく分ける。やっぱりこういう時だけ仕事が早い。
エルネストには残骸の火加減を任せる。
「全部焼くな。臭いが立つ前に、骨だけ白くしろ」
彼は何も言わない。ただ火を細く絞り、焼却じゃなく精製みたいな色に変えた。赤すぎず、青すぎない、骨と脂だけを選り分ける火だ。
ガンツはまだ盾をついていた。
立っているが、傷の奥では黒い糸が濡れたまま脈に合わせてわずかに縮んでいる。無理に動けばまた裂ける。けれど、そこまで説明してやる義理はない。
「座らないの」
私が言うと、ガンツは眉間に皺を寄せた。
「座ったら立てなくなる」
「じゃあ立ってなさい。今のうちに、まだ生きてる顔を覚えさせる」
ガンツは舌打ちしかけて、途中でやめた。代わりに傷口へ一度だけ視線を落とし、すぐに逸らす。
いい反応だ。
怖いなら、そのまま怖がっていればいい。
私はカイルを見る。
彼は呪獣の残骸より先に、周囲の泥と側溝を見ていた。次が湧くか、まだ終わっていないか、それだけを確かめる目だ。
「終わり?」
「小さいのが二つ、下で迷ってる」
「なら来る前に片づける」
私は長釘を拾い上げ、焼却穴の縁へ投げた。昨夜打った印と、今朝黒ずんだ布。そこを避けて立てるだけで、死に筋はだいぶ狭くなる。
「ルーク、見張り台の陰に掘れた浅穴がある。そこへ欠片を一つ埋める。布で巻いて」
「覚えてるんだ」
「私が数えたものを忘れると思う?」
ルークが肩をすくめる。
「思わないね」
ガンツのそばへ寄る。傷口の縁を指で押すと、彼の肩がぴくりと跳ねた。
「痛い?」
「……うるせえ」
「なら大丈夫」
私は包帯を巻き直す。応急の黒縫は残っているが、その上から固定しなければ歩いているうちにまた開く。烈酒を少し垂らし、布をきつく締めると、ガンツの喉から低い唸りが漏れた。
「そんな顔できるなら、まだ死なない」
「お前はそればっかだな」
「便利だから」
便利。
その一語で、ガンツの目がまた少しだけ冷える。
でも反論しない。
もう、自分の命がどこに繋がっているか知っているからだ。
その時、見張りの鐘が一つ鳴った。
近い。
誰かがこちらへ来る。
私はすぐに顔を上げた。
「見張り兵か、帳面持ちか」
カイルが短く答える。
「両方」
早い。さっきの音を聞きつけたか、煙を見たか。どうでもいい。来るなら、その前に形だけ整える。
「ガンツ、動くな。傷は隠すな」
「は?」
「喋るな。余計なことも言うな」
ルークには小さい核片を消させる。エルネストには骨の山を見える位置へ寄せさせる。私は大きい方の核片だけを布で拭い、わざと泥の上へ置いた。
戦果は見せる。
全部は渡さない。
そこへ、案の定、二人の兵と帳面持ちが降りてきた。前に板を割った見張り兵とは別だが、目の温度は同じだった。まず残骸を見て、それからようやくこちらを見る。
「何だこれは」
帳面持ちが言う。
「見れば?」
私は核片を靴先で転がした。
「呪獣よ。下で育ってた。骨拾いが片づけた」
兵の顔が少しだけ変わる。
呪獣。
その単語だけは、底辺掃除穴でも笑えない。
「報告は上がってない」
もう一人の兵が鼻で笑った。
「新入りの補充品が、よく喋る」
視線が露骨に私の喉元へ落ちる。値踏みの目だ。
「嘘ついて備品をかすめる気か。出たってんなら核を全部寄越せ」
「上げる前に噛まれたの」
私はガンツの脇腹へ視線をやる。包帯の下から滲んだ赤が、ちょうどいい具合に痛々しい。
「それとも先に帳面?」
「口答えするな」
兵が苛立って一歩近づいた。手が伸びる。胸ぐらを掴むつもりだったのだろう。
その前に、重い音が割って入った。
ガンツだ。
私が何も言う前に、血まみれのまま二人の間へ滑り込み、大盾の縁をゆっくり持ち上げていた。傷の奥で黒縫が引かれるたび、肩から脇腹へぎし、と嫌な軋みが走る。それでも止まらない。
兵の手が空中で止まる。
ガンツは何も言わない。ただ、正気の薄い目でまっすぐ前だけを見ていた。痛みで立っているというより、もっと別のものに立たされている顔だった。
帳面持ちが息を呑む。
上官への反抗より先に、そちらの異常さが腹へ落ちたのだ。
私はそこで初めて笑った。
「この狂犬、今ちょっと機嫌が悪いの」
盾の縁を指先で軽く叩く。ガンツの喉が低く鳴る。
「止めてほしいなら、そして次の呪獣を自分で下まで処理したくないなら、道具を置いていきなさい」
それでも兵はすぐには引かなかった。けれど視線はもう私じゃない。ガンツの目と、血の下でわずかに脈を打つ包帯の奥へ吸われている。
賢い。
怖がる相手は扱いやすい。
「……核は回収する」
帳面持ちが言った。
当然だ。
だから私は、あっさり頷いた。
「大きい方はね」
兵が眉をひそめる。
「何だと」
「処理材と包帯と燃料が要る。呪獣を片づけた掃除穴が、次も素手でやれって?」
私は残骸を示した。
「ここを止めたいなら、道具はこっち持ちよ。嫌なら全部持って帰って、次に下へ降りるのはあなたたちにしなさい」
沈黙が落ちた。
兵は嫌そうな顔をする。
帳面持ちは、もっと嫌そうだった。
自分が下へ降りる未来を想像した顔だ。
「……規定外だ」
「呪獣も規定外でしょ」
ルークが後ろで吹き出しかける気配を堪えた。
カイルは何も言わない。ただ、こちらに任せると決めた時の顔で立っている。
結局、帳面持ちは舌打ちして帳を開いた。
「核片一、骨材若干、焼却継続。処理班へ包帯二、燃料一束、釘十本。後刻確認」
少ない。
でもゼロじゃない。
それで十分だ。
「記録しときなさい」
私は笑う。
「骨拾いが呪獣を止めたって」
帳面持ちは返事をしなかったが、消しもしなかった。
それだけで足りる。文字は残る。残れば、次に踏み台になる。
兵たちが大きい核片だけ持って上へ戻っていく。足音が遠ざかるのを待って、ルークが土の下から小さい方を掘り返した。
「いやらしい」
「褒め言葉ね」
私は受け取った欠片の重みを掌で測る。
冷たいのに、芯だけ熱を持っている。
いい。
これなら換えが利く。
包帯も釘も、もっと引ける。黙っていれば、そのうち道だって買える。焼却穴の縁に置く板も増やせる。
ガンツが低く言った。
「そこまで数えるか」
「数えるわよ。生きる気があるなら」
返すと、彼はしばらく黙った。やがて盾を地面へ突き立てたまま、吐き出すみたいに言う。
「……次から、先に言え」
意地でも礼は言わない。
でも、それでいい。
命令に口を返す形を選んだ時点で、もう班の並びは少し変わっている。
エルネストが火を見たまま呟いた。
「燃料一束は悪くない」
それが彼なりの同意だった。
ルークは小さい核片を懐で鳴らす。
「売り先、選べるね」
カイルだけが、まだ私の顔を見ていた。
正確には、顔じゃない。
右目の濁り。指先の震え。息の浅さ。そこだけを見ている。
「倒れる前に戻れ」
「命令?」
「忠告だ」
ひどく遅い忠告だ。
でも、嫌いじゃない。
私は核片を腰袋へ押し込み、焼却穴の縁を見下ろした。呪獣の骨はまだ全部は燃えきっていない。下の泥も、もう静かになったわけじゃない。
けれど今だけは違う。
ここには、包帯が来る。釘も来る。燃料も来る。記録にも残る。
勝っただけじゃ何も増えない。けれど、増やしてしまえば勝ちになる。
私は口元を拭う。
血の味はまだ残っていた。
喉の奥には、さっき喰った黒い熱も残っている。
最悪。だけど、悪くない。
「次」
誰にともなく言う。けれど四人ともがこちらを見た。
「道を伸ばす。焼却穴の縁も詰める。包帯は隠す場所を変える。あと見張り台の死角、もう一つ潰す」
ガンツは舌打ちだけして盾を引きずり、焼却穴の縁へ向き直った。ルークは小さい核片を懐へ沈め直し、エルネストはもう次に寄せる火の位置を見ている。
ルークが笑う。
「休まないの?」
「休むわよ」
私は足元の黒ずんだ泥を踏みしめた。
「休める形にしてから」




