056話 慟哭
私がこの街に来たのは、ここで大きな大会が開催されると聞いたからだ。
地方によくある柔なお遊戯大会などではなく、国家レベルで行われる大規模な武道大会。
当然、富や名声を得ようと各地から選りすぐりの猛者たちがこの街に集結してくることになる。
大会自体には何の興味もなかった。
私はただ、大会に集まってくる者たちに用があったのだ。
――――『選定』をするために。
自分にも埋め込まれていた『闇』――即ち『魔石』。
その掌に軽く収まる程度の小さな宝石を、誰か大会の選手に飲み込ませるのだ。
体内に魔石を取り入れた人間は殆どの場合、その闇の力に耐えきれず死に至る。常人にとって強すぎる闇は猛毒になるからだ。
けれども、稀にその猛毒に耐えきり生き残る者が現れる。
そんな運悪くも選定に生き残った者、魔石に“適応”できてしまった者は、生き永らえる代わりに重たい枷を背負わされることになる。
かつての自分がそうであったように、自らの意志に関らず闇の尖兵とされてしまう――そう、『闇』に堕ちてしまうのだ。
『聖痕の咎人』
それが組織の名前だという。
だが組織の一員であるはずの私でさえ、詳しいことはあまり知らない。
何を目的としているのか、誰が命令を下しているのか、私は全く何も知らされていなかった。
ただ命令を受け、それを実行しなければならないことはわかっている。
命令に背いたり無闇に組織の情報を流してしまえば、自分の命を『闇』に食われる。
任務に失敗しても、組織の誰かによって消されてしまうので、実質任務を遂行する以外に助かる道はないのだ。
任務は必ず二人以上の人数を伴って行われ、一人が遂行役、もう一人は監視役を担っている。
今回の私の任務は例外だったが、本来任務はたった一人でその任を全うしなくてはならない。
そもそも二人に下された命令内容はそれぞれ違っているからである。
今の任務に就く前、私は『ガリム』という名の男の監視役を受けていた。
もしその男が任務に失敗した場合は、男から魔石を回収し目撃者を抹殺すること。それが私の受けた命令だった。
男は任務に失敗した。だから、私は任務を忠実に遂行した。
――――はずだった。
少なくとも。私自身は命令を遂行したと思っていた。闇の掟に裁かれることがなかったのは、そのためではないだろうか。
闇の発動する引き金は、自分の中の『背反の意識』……そこにあるのではないかと、私は思う。
『命令を裏切った』という罪の意識が死に繋がっているのかもしれない。
『使えない駒は要らない』――――それが組織の掟なれば。
そう、私達は組織にとっての駒でしかなかった。
勝手に命令を与えられて、傀儡のように掌の上で踊るだけ。
何を思おうが使い捨ての駒には何もできない。
闇の呪縛が、それを許さないからだ。
だがそれでも、駒が動くためには知っておかねばならない情報もある。
つまり、それが私が唯一、組織について知っていること。
――――組織の人員はたったの五名である。
無論上層部や末端は他にいるだろうが、私の知る限りおいて、命令を実行する人物は五人のみだ。
もう少し正確に言うのなら、『魔石の数は五つしかない』ということ。
『闇』に呪われた魔石には、元々五つの属性――火、水、風、土、雷――があった。
要するに、魔石の“適応者”は強力な闇の呪縛を受ける代わりに、魔石が持つ莫大な力を得ることができるという仕組みである。
私の内にある魔石は今はもう闇の呪縛から解き放たれているが、水の属性を残している。
何故か私には氷の魔法しか発現できなかったが、その属性と同じ資質を持っている人間が“適合”しやすいことが判っている。
そして、その適応者はその属性の魔法しか使えなくなる、ということも。
よって前回の任務で欠けた“風”の適合者を探すべく、私は今回『選定』の任を受けていたのだ。
実力者――適合しやすい者が一箇所に集まるという点で、この街で開かれる大会は好都合だった。
幸い適合者は見つからなかったが、このまま放っておけば誰かが犠牲になってしまうだろう。
男の心臓から取り出した風の魔石は、もう“彼女”に渡してしまったのだから……。
そんな血も涙もない組織だ。
誰もが自分のことしか信じない。誰もが自分以外は敵だと思っている。
心の許せる人間など居ようはずもなく、たった一人で自分を脅かす闇と戦わなければならない。
それが組織での正しい在り方でもあった。
だから私は予想していた。
説得は通じないかもしれないと。
でも、それでも信じたいと思ってしまった。
自分が救われたように、その“誰か”にも救われてほしいと――――。
そう、願ってしまった。
「――――そんな話を信じろというのか? 本気で?」
街外れの古い洋館に響いたのは、若い男の嘲笑を含んだ声だった。
退屈そうに部屋の中央に腰かけながら、癖なのか赤い前髪を片手で弄っている。
この男は組織を束ねる隊長だ。皆に組織の命令を伝えることが役目としている。
「……そお? 別に会って見るだけでもいいんじゃない? 違えば殺せばいいだけの話でしょう?」
「此方から出向いて、か? どう考えても罠であろうが」
「それは向こうから来ても同じことじゃないの」
「やめろ、埒が明かない。少なくとも今考えるべきことじゃあない――――だろう? シアよ」
他の二人が言い合うのを見て、ヴォーデルは首を横に振る。
そして鷹揚に椅子から立ち上がり、ゆっくりと私に近づいてきた。
「目標は殺し損ねる。敵からは見逃される。それで、ノコノコと俺達の前に現れては、『説得』ときた」
「…………」
「なぁオイ、これはもう立派なルール違反じゃないのか? お前はどっちの味方なんだ?」
「ちょっと、シアはちゃんと戻ってきてるじゃない。それが証拠でしょう?」
「黙れよ。お前は口を出すな」
「!?」
ヴォーデルが放つ重圧にこの場の誰もが口を噤んだ。
ここにいる全員が、その男の容赦のない性格を知っていたからだ。
ヴォーデルには見境がない。今までに何度も組織の人員に“制裁”を下している。
「今のお前の立場は限りなく“黒”だ。なのに、何故すぐに殺さなかったか分かるか?」
「……目標の居場所を聞き出す、ため」
「そう、正解だ。なら分かるな。お前が次に取るべき行動が」
「…………」
「これではっきりさせろ。お前は今“どちら側”なのか……答えようによってはこの件は不問にしてやらんでもないぞ」
ヴォーデルの甘言になど騙されない。
きっとそれを口にしたが最後、私は殺されてしまうだろう。
それがわかっていたから、嘘を吐いた。アキヒトのいる場所とは全く違った場所を私は口にする。
「――――よし。ではさっさと片付けるか。明朝までには此処を発たんといかんからな」
「……どうして?」
「その質問に答える必要があるのか?」
この男が何かを伝えに来たことは知っていた。
だがそれが何なのか、何故なのかを私は聞かされていない。
確かにあれだけ派手に動いてしまえば、ここからは一旦引いた方が得策だが……。
「時間が惜しい、出るぞ。お前にはその場所まで案内してもらう。もし逃げたりそこに目標が居なければ――――」
その先は言葉にせずともわかること。
私は無言で頷くと、ヴォーデルは興味を失った様に私から視線を外した。
続くように、他の二人も同様に張り詰めた空気を和らげる。
(――――やるなら、今しかない)
ヴォーデルが私の横を通り過ぎる。その刹那――――。
「氷の千刃」
待ちかまえていた千刃の氷の刃が、この部屋にいる全ての敵に襲いかかった。
¶
『どうして、私を助けたの?』
話を終えると、シアは俺にそう質問してきた。
何故俺がシアを助けたのか、彼女は本当に疑問に思っているようだった。
だから俺はこう言ったのだ。
『――――多分、お前と同じ理由さ』
シアはそれを聞いて、少しだけ考えた。そして納得したのか短く『そう』とだけ答えた。
逆に、俺は聞きたくなった。
シアはどうして俺を助けようと思ったのか。
……なのに、どうしてだろう? それを聞かなかったのは……。
――――多分、アキヒトと同じ理由。
そう返ってくると思ったからか。
――――それでも、良かった。
もう一度眠りに着く前に、聞いておけば良かった。
◆
「主っ!?」
何かに堰き立てられるかのように目が覚めた。
素早く起き上がった俺を見てディズが騒ぐが、それは無視して辺りを見回す。
「……シアは何処だ」
「…………」
すぐに、シアが居ないことに気が付いた。
明らかに部屋の空気が変わっているのはそのせいだろうか。
俺が眠ってからどのくらい経ったのか。
夜はいっそう暗くなっている。
胸騒ぎはおさまらない。
「おい――――」
「主……」
真っ暗な暗闇の中で、俺とディズだけが向かい合っていた。
「シアは、出て行った」
「何処に行った」
「知らぬ」
……こいつは何を言っているんだ?
「まさか、奴等に連れて行かれたのか!?」
「違う、そうではない。シアは自分から此処を出て行ったのじゃ。行き先は……知らぬ」
「なんで行かせたんだっ!」
「それは……」
いや、今はそんなことよりも一刻も早くシアを捜さないと。
「くそっ」
「――――待て!」
急ぎ俺が窓から出ようとすると、ディズが立ちふさがった。
「何処に行こうというのじゃ、主」
「決まってんだろ! シアを探しに行くんだよ!」
「探して、どうするつもりなのじゃ?」
「連れ戻すに決まってんだろうが! どうせアイツ等の所へ行ったんだろうが!」
行く当てはそこしかないだろう。理由はわからないが、そんな気がする。
「その身体で何ができる? また昼間と同じ事を繰り返すつもりか?」
「……なんだと?」
「行って、見つけて、それでも連れ戻せなんだらどうする。シアは自分の意志で此処を出て行ったのじゃぞっ!」
「っ――――」
――――だとしても、だ。
今探しに行かなければ、取り返しのつかないことになる気がする。理由なんてそれだけで十分だ。
確かに身体に力が入らない。だからどうした?
魔力も半分も戻っていない。それがなんだ?
当てもなくシアを探すのは困難だろう。例えシアを見つけることが出来ても、今の状態であの三人と戦うのは無茶かもしれない。
だからやめろと言うのか? 諦めてここで大人しく待っていろとでも言うのか? シアが、自分から帰ってくるのを?
「――――ダメだ。我慢できない。そこを退け、ディズ!」
「まだわからんのか? 主は行かせぬと言っておるのじゃっ!」
ディズは本気で俺を止めようとしていた。
俺を心配してのことだ。それは、分かる。
……いや、本当は分かっていないのかもしれない。
わからないことだらけだ。
どうしてシアが勝手に出て行ってしまったのか。
どうしてディズが俺の前に立ちはだかっているのか。
俺には、さっぱりわからない。
「退けって――言ってんだろうがッ!!!」
「ならんと言っておるじゃろうがッ!!!」
☆
自分は、甘かったのだろうか。
やはり、私の考えは間違っていたのだろうか。
目の前の結果を見るに、どうやら私の賭けは失敗に終わったらしい。
後悔は――――ない。
だってこれは、私の意志だから。
私の、最初で最後の願いだったのだから。
この想いだけは間違っていないと、私はそう信じている。
「いきなりやってくれるな。おかげで部屋が滅茶苦茶になってしまった」
ヴォーデルは生きていた。他の二人も、傷は負ったようだが健在である。
半壊した屋敷の中で私を狙う人影が三つ立ちふさがった。
今にも逃げ出したくなるような殺気が私を襲う。
「やれやれ、儂等を謀っておったとは。じゃがそれも単独でとは無謀も甚だしい……まあ、味方はおらんじゃろうがな」
「アナタ、自分が何をやったかは……勿論わかっているのよね?」
わかっている。
自分のやったことは、やろうとしていることは。
それを“貴女”がわかってくれなかったことは、少し残念に思うけれど……。
「いいだろう。最初からその気なら話は早い――――」
「待ちなさい!」
そこへ割り込んだのは私の良く知る人の声だった。……やっぱり貴女は、お節介やきだね。
「これは私の“役目”よ。アンタに手を出されることじゃない」
「ふん……別にいいが、あまり時間はかけるなよ。この街の警戒網も油断はできんからな」
「ならアンタ達は先に帰りなさいな。行き先もわかってるんだから、私もすぐに追いつくわ」
思えばいつもそうだった。
この街で私に話かけてくれたのは、アキヒトと貴女だけ。
短い間だったけど、私はぶっきら棒だったけど、それでも貴女がくれた言葉が一番多かった。
「あぁ? やけに拘るな……一端に情でも沸いたか? それとも、本気でこいつの戯言を信じたのか?」
「どうせ私は命令に逆らえないんだから、結果は同じでしょう? 私にも私のポリシーがある。アンタ等に余計な真似はされたくないの」
――今ならわかる。
貴女の気持ちが、私にもわかる。
出来ればもっと、私も貴女とお喋りしていたかった。
「お前が命令を破る可能性もあるが?」
「……そう思うなら勝手にすればいい。但し、手を出すつもりなら相応の覚悟はなさい」
……いや、今しかないからこそ、話したい。
貴女と言葉を交わしたい。
貴女の名前を、呼びたい。
「くくく、わかった。手は出さん。……ああそうだ、別に魔石は取り出さんでいいぞ。こいつの戯言は知らんが、どうやら本当に闇の効力は失われているようだ」
「……わかってるわ」
それを最後に邪魔者はこの場から去る。
私は、迷うことなくその名を口にした。
「レオキア」
「――――!」
「本当にこれでいいの? レオキアは、いいの?」
彼女は一度驚きに瞳を染めて、それから一拍置いて言葉を紡いだ。
「――何年振りかしらね、シア。やっとアナタが私の名前を呼んでくれた」
続く言葉は、私の問いに答える気はないと言っていた。
「あなたこそ、本当にこれで良かったの? 後悔してない?」
「うん。私が決めたことだから」
もっと話そう、と言っていた。
「お姉さん怒ってるのよ? アナタがまさか、こんなにお馬鹿さんだとは思わなかったわ」
「……私も、知らなかった」
もっと話して、と言っていた。
「……全部、思い出したのね?」
「うん。あの時、レオキアが私を助けてくれたんだね」
「……バカね、違うわよ。……私は助けられなかったんじゃないの」
「ううん。助けてくれたよ。ありがとう」
「――――なによ、そんな顔もできるんじゃないの。ちゃんとあの子には見せてあげた?」
「……まだ。あの子って、誰?」
レオキアはくっくと笑った。
私も同じ顔をしているだろうか。
……していたらいいな、と思う。
それとも、これから殺し合いをするのにそんな顔をしてたら変だろうか。
こんな会話は、やはりおかしいのだろうか。
それでも、構わない。
まだまだ伝えたいことが山ほどある。
「……もしかして、アナタ何も言わないで出てきたんじゃないでしょうね?」
「……何でわかったの?」
「はぁぁ……本当、しようのない子ねぇ……」
――――でも、全部は伝えられないだろう。
「私なんかで――――良かったの?」
「うん。レオキアが、良かった」
「そう…………ありがとう」
貴重な時間はもう残り少ない。
だから、彼女に一番伝えたいことはなんだろうかと考えた。
本当に伝えたいことを言おうと思って、きっと何か私が伝えなきゃいけないことがあるはずで。
でも。
わからなかった。
私は、バカだから。
伝えたいことが多すぎて、何が『一番』なのか、はっきりとわからなかった。
「レオキア……」
「なぁに?」
胸に詰まって漏れただけの言葉にさえ、彼女は優しく微笑んでくれた。
私の想いを何一つ取り溢さないように、ちゃんと受け止めてくれる。
(……貴女はいつも、そんな顔で私のことを見てくれていたのかな……)
――――最後に気付けて良かった。
「もっと、レオキアと話がしたかった……」
「っ」
「もっといっぱい、伝えたかった、よ……ぉ」
「――――バカ」
自分の声が震えているのがわかった。
胸の奥が締め付けられるように痛む。
悲しいことが、こんなにも痛いものだなんて知らなかった。
どんどん瞳から溢れ出してくるそれが、何故か私の一番伝えたかったことのような気がしてならない。
大事な想いがこぼれ落ちてしまうのを止めたくて、けれども止められなくて。
そんな気持ちに栓をするように、何度もそれを手で拭った。
「レオキアを、助けたいよっ」
アキヒトを護りたくて、此処へ来たはずなのに。
護るためには、彼女を倒さないといけないのに。
どうしてか口からは、そんな言葉がこぼれ出す。
「わたしっ……」
「――もう、いいから。アナタの気持ちは充分に届いたわ」
だってレオキアも私と同じだったから。
私と同じようにその闇に苦しんでいる。救われたいと思っている。
そしてそれを、諦めているから……。
わかってしまう。
彼女の目と口と表情が、そう言っている。
そんな相手と、どうして刃を交わさなければならないのか。
「辛いでしょう……今、楽にしてあげる」
そう言って辛そうに私を見る彼女に、私は何もできない。
「優しすぎるのよ、アナタは」
「――――」
――――そうだ。
だから私は、逃げたんだ。
自分の殻に閉じこもったんだ。
そのせいで、誰も護れなかったんだ。
――――今度は護るんだ。
アキヒトを。
レオキアを。
そのために、此処へ来たんだ。
――――今度こそ。
泣いている暇はないんだ。
悲しんでる暇はないんだ。
そして今度こそ――――。
「絶対に、護るんだ……!」
▼
ディズを金縛りにして、俺は部屋を飛び出した。
正直、この力をディズに使うつもりはなかった。
だが俺の体の状態はまだ万全にはほど遠く、あいつに追いかけられでもしたら簡単に捕まっていたはずだ。
そうでもしなければ、止められていたのは間違いなく俺の方だっただろう。
ディズもそれくらいは承知の上で、俺を止めようとしたんだと思っていた。
それがまさか――――あんな顔をするなんて。
最悪の後味。
躊躇うつもりはなかったのに、それを見て足が止まった。
無理やりにでも顔を背けなければ、俺はあの場から一歩も動けていなかっただろう。
俺は、シアを探しに行くしかなかった。
探す当ては、全くなかったわけじゃない。
理由もなしにシアが姿を眩ます可能性はないと思ったからだ。
シアと関係していそうな者は、俺とディズを除けばあの三人組しか思いつかなかった。
奴等は一度雅樹達と接触しているはず。
ならば、ある程度の情報はすでに街に流れていると見た。
つまり人目につく街中に奴等がいる可能性は低い。
シアが奴等の元に向かったとするなら、街の中心部から離れた所になる。
あとはシアの宿の位置を考慮に入れて、奴等の目的だった闘技場の位置から大まかな方向を推測してみた。
夜中だったことも幸いしたのだろう。
丁度向かっていた先、森の広がる山林地帯に一瞬雷光のようなものが走ったのが見えた。
他に、理由は思いつかなかった。
――全壊した建物。
――至る所に燻ぶる炎や煙。
――冷たい風。
――硝煙の臭い。
「――――シア」
瓦礫の散乱した野ざらしの地面に、彼女はうつ伏せで倒れていた。
「………………シ、ア……?」
――嘘だと思いたかった。
では、どうして彼女が血まみれて倒れているのか。
なら、どうして呼びかけても返事は帰って来ないのか……。
――まだ間に合うと思った。
彼女の傷を治せば、もう一度彼女は目を覚ますはずだ。
少し疲れたから、今はただ気を失っているだけなんだ。
そう思って俺は治癒魔法を使おうと彼女の体を抱き起こし――。
――気付いてしまった。
「……違う」
だけど俺は信じなかった。
それが何かの間違いであると本気で思った。
だから、俺はまだ彼女が助かると信じていた。
「もう一度――――もう、一度だ――――……」
うわ言のように呟きながら何度も何度も治癒を試みる。
魔力から伝わってくる感覚は、その度に俺に残酷な真実を叩きつけた。
俺はそれを必死に振り払って、何度も何度も何度も何度も、彼女の傷を治そうとして……。
「………………ぁ――――」
ピシリと、音を立てて崩れた。
――治らない。
「シア……!」
彼女の体は今にも死に逝こうとしていた。
体内の幾つかの臓器がすでに死んでいる。
治せない。治らない。
死んでしまったものは、生きていないものは、治しようがない。
彼女の体は、もう治らない。
「シア……シアっ……!」
――間に合わなかった。
俺は、彼女を助けることができなかった。
ほんのついさっきまで、俺は彼女と話していたはずなのに。
ほんのついさっきまで、俺は彼女と一緒にいたはずなのに。
――どうして!!!
そうして縋るように覗きこんだ彼女の目は――――。
――――開いていた。
「アキ、ヒ……ト……?」
「――――っ!!?」
彼女が俺の名前を呼んだ。
「なんで、アキヒトが……ここに……」
彼女の目が開いて、俺を見上げていた。
「……そっ、か……きちゃったん、だ……」
俺の目の前で、今、奇蹟が起きていた。
「シア……どうして……なんで、お前がっ……!」
こんなことになっているのか。
何故俺に一言も言わずに出て行ってしまったのか。
知りたいことは沢山あったけど……それを聞いても、もう後の祭りで。
彼女の目は今開いていて、確かにここに生きているのに……俺はたぶん何もしてやれなくて。
どうしようもないまま言葉が継げない俺を見て、シアは薄く笑った。
「……ごめん、ね」
「なん――――」
「私、バカ、だから」
「っ」
その姿が儚すぎて涙が溢れた。
バカなのは俺で、謝りたいのも俺の方なのに。
本当に大事な時に、俺は彼女に何もしてやれなかった……!
「ごめん……ごめんっ……!」
「……アキヒト、泣いてるの?」
「俺は、お前を……」
「私、痛くないから……平気、だよ?」
見当違いな彼女の気遣いに、さらに息が詰まりそうになる。
彼女を助けたいのに、助けてやれたと思ったのに……。
結局、俺は彼女のことを何もわかっていなかった。
「だから、泣かないでよ……アキヒト」
「……わかっ……た」
俺が出来ることはそれしかなかった。
「笑って……よ……」
シアは微笑みながらそう言った。
笑える自信は全然なかったけれど、無理やりに笑ってみせる。
「……そう」
たぶん笑えていなかっただろうが、それでも彼女は満足そうに頷いた。
「……アキ、ヒト」
「なんだ?」
「――――」
一拍置いて、彼女がまた笑う。
「……?」
聞き返そうとすると、先に彼女の口が開いた。
「……レオキアを、助けてあげてね」
「レオ、キア……?」
誰のことかわからない。
「私……助けて、あげられなかった……アキヒトも、護れな、かっ……た…………け……ど」
「……っ」
「レオキア、だけは……助け……て、あげ……」
「わかった。絶対に助ける」
そう言うと……安心したのか、シアは嬉しそうに瞼を閉じた。
「あり、が……と……」
小さすぎる声で呟いた。
「……アキ……ト……」
目に、耳に焼き付ける。
「わ……たし……――――――――――――――――」
それが、彼女の最期だった。
†
こんなはずでは、なかった。
まさか主が、儂にあの力を使ってくるとは思わなかった。
まさか主が、そんなにもシアのことを気に掛けていたとは、儂は露にも思っていなかった。
そんなこと、思いたくもなかった。
然し、後悔にも似た心境の中で漸く主の姿を見つけた時、それは確信に変わった。
そこに、シアの亡骸を抱いて無言で佇む主がいた。
「…………、っ……!」
声をかけるのが、躊躇われた。
その背中があまりにも静か過ぎて怖かったから。
儂に気付いているかどうかすら疑問に思うくらい、とても無防備だったから……。
ここで一体何があったのか……目の前の光景を見れば嫌でも想像はつく――――。
――――哀しい。
「……っ!」
感情は唐突に流れ込んできた。
普段は意識しても殆ど流れ込んで来ないくせに、それはこんな時に限って津波のように押し寄せてくる。
悲しみが、切なさが、悔しさが、怒りが……!
慟哭となって、主と繋がっている儂の元へと次々と雪崩れ込んでくる。
この内側から押し潰されてしまいそうな感情の荒波は、今、まさに主が感じているもの――――。
――――泣いている。
主が泣いている。
それが、哀しい。
こんなにも哀しませるつもりはなかったのに。
決して、こんな想いをさせるために、シアを行かせたわけではなかったのに……。
違うと叫びたかった。
こんなことは望んでいないと、この場で喚き散らしたかった。
だがそんな真似は出来ない。出来るはずもない。
……これは、儂の罪なのだから。
「主……」
思わず謝罪の言葉が出そうになるが、それだけは絶対に口に出来ない。
それを言ってしまったら、きっと自分だけが楽になってしまうから。主が辛くなってしまうから。
だから代わりに出来たことは、主の背中を抱いて少しでも楽になれるように温もりを分け与えることだった。
……最初はそんなことさえ知らなかった。
誰かが傍にいるだけで、こんなにも世界は違って見えるのだと。
温もりに触れるだけで、こんなにも心は救われてしまうのだと。そう、教えてくれたのは――――。
(すまぬ……主、すまぬ……)
言葉には出来ないから、せめて心の中で謝り続ける。
主の哀しみが癒されるのなら、何だってしたかった。
そのためならば、いくら罪を被っても全然構わない。
『護りたい』
シアはそう言った。
護れていないではないか。全然、話が違うではないか。
『護らせてほしい』
誰よりも、儂がそう思っていた。
なのに何故、主はこんなにも傷ついているのか。どうして主は泣いているのか。
二人の想いは同じだったはずなのに。
二人とも、主のことを考えていただけなのに……。
結局、二人とも、何も主のことをわかってはいなかったのだ。
――――取り返しのつかないことをしてしまった。
「主……主っ……!」
強く、強く抱きしめる。
静かに嗚咽を噛み殺す主に、今にも胸が張り裂けそうで。
せめてその哀しみが和らぐようにと、そんな想いばかりが募っていく夜だった。




