053話 暗転
会場は巨大な煙幕に覆われていた。
にも関らず、多くの観客達は騒ぐことなく試合の動向を静観している。
彼らにはわかっていた。
戦いは今、クライマックスを迎えているのだと。
この砂煙が晴れた時に闘技場に立っているものこそが、この戦いの勝者なのだと。
「あ……」
その霧が晴れた時、観客の誰かが口走る。
緊張は瞬く間に全ての観客に伝搬し、共有されていった。
そして巻き起こった拍手喝采に、会場がこれ以上ないほど盛り上がる。
「あれ――――」
だから、キャルルの放ったその呟きは歓声にかき消された。
「――――黒?」
闘技場に立っていたのは秋人だった。
但し、彼の姿はキャルルの記憶と少しだけ違う様を見せている。
離れていても一目で判る。秋人の髪の色が銀色から黒色に変わっていた。
「大穴きたぁぁあああああああああ!!!」
「やった! やりましたよ!! アキヒトさんが勝ちました!!!」
「凄いな……さすがと言うべきか……!」
「お嬢様……おめでとうございます。これも全てはお嬢様の応援の賜物であります――――」
秋人のことを応援していた仲間達は大いに喜んでいた。
ジュノン国が開催する正式な大会で優勝するということは、名実ともに一流の中の一流であると認められるに等しい。
この時点で、秋人は数多くのAランクの傭兵達の、そのトップに立ったと言っても過言ではないのだった。
「ルルちゃん、アキヒトくんが勝ったよ! けどなんだか髪の毛が黒いよ!」
「そ、そうね」
ミズリーでさえ興奮してはしゃいでいる。
いや、誰もがその変化に気付きつつも気に留めていないのだろうとキャルルは思う。
「ディズ――――」
だから、キャルルは秋人のことを一番よく知っている相棒に問いかけた。
キャルル達は秋人が命を狙われた事も、そのために髪の色を変えていたことも知っている。
それを承知で秋人が大会に出たことも、そのリスクについても、それらは一度話し終わったことだ。
不安がなかったわけじゃない。
でも秋人なら――――という過信も少なからずあった。
しかし、一度本気で生死の境を彷徨ったという経験が、日常の不確かさを誰より強く彼女に実感させていた。
キャルルが今の状況に嬉しさよりも不安の方が先立ったのはそのためである。
「どうして変化が解けているの?」
「……変化が解けるのは主しかおらんじゃろう。恐らく無意識じゃろうが……然しよりにもよって……」
「一番人目に付く時に、ね。これって最悪の事態も考えておいた方がいいのかしら……」
「…………」
ディズもまさかこんな事になるとは思わなかった。
良い事と悪い事が重なり、秋人が勝ったと言うのに素直に喜べない。
ただ、今の状況では如何することもできないのは確かで、秋人の気持ちを考えるなら不安に思う心は伏せておくべきだった。
「でも、今は祝福してあげないとね」
「そうじゃな、取りあえずは――――」
今すぐ危険が迫るということはないだろう。
これがどう転ぶかはわからないが、今の秋人の実力ならば遅れを取ることはないはずだ。
そう思って――――。
「――――きゃあああああああああ!!!!????」
ディズの言葉は、観客席から沸いた悲鳴にかき消された。
◆
ウラトさんが仰向けに倒れていた。
会場の煙が晴れて、結果を目撃した観客達が騒ぎ出す。
それに紛れて試合終了の合図が聞こえたが、あまり感慨は沸かなかった。
「負けたのか……」
ウラトさんが青空に向かってそう呟いた。
大の字に手足を投げ出し、どこか虚空を見つめている。
戦っている時とはまるで別人のような大人しい表情が、少し意外だった。
「強いな、君は」
「……え」
だから、話しかけられていたことに気付くのが遅れた。
「礼を言う」
「……いや、意味不明なんですが」
「ふふふ……そうか……そうかもしれないな……」
透明に笑うウラトさんの真意が読み取れない。
自分が負けた事が嬉しいのか、それとも自分より強い人物に出逢えた事に喜んでいるのか。
「……私はずっと戦い続けてきた」
ウラトさんが溢す独り言。
それは不思議な雰囲気で。
「戦いに身を投じている時にだけ、感じる何かがあった。それが私の求めているものだと、私はそう信じていた」
俺は黙って耳を傾ける。
「信じるに足るものを、私はこの手に掴みたかった」
多分、俺だけが聞いてもいい事だったから。
「君と戦って……少しだけ、それに届いたような気がする――――だから礼を言ったんだ」
ソレが何なのかは俺にはわからない。
でも、なんとなく共感はできた。
そんな彼女を尊いとさえ思う。
「君は……不思議な男だな」
「……?」
「今の君は……まるで、その姿は――――」
――その先の言葉は聞けなかった。
「……zzZ」
「…………」
ウラトさんが目を閉じたまま眠ってしまったからだ。
「……このタイミングでよく寝れるな……」
そうしたいは山々だが。
ウラトさんもそうなんだろうが、俺も身体は疲弊し切っている。
魔力もかなり消費してしまったので、今すぐにでも休息を欲しているのは確かだ。
その気になれば俺もこのまま数秒で眠りに着けるかもしれない。
けれども、俺がゆっくりと眠れるのはまだ先の話だった。
「――――――――!!!???」
「?」
会場のどこかで悲鳴が上がる。
そして観客席に視線を移して。
頭上から降って来た氷の刃に、本能が一早く反応した。
(何っ!?)
思わず後ろに飛び去って……またもや上から氷柱が落ちてくる!
(狙いは――――俺っ!?)
寝ているウラトさんに攻撃が迫っていないことを確認しつつ、魔法を無効化して会場を見渡す。
「……っ!! 何が起きてやがるっ!」
会場は混乱の極みにあった。
観客席で見慣れぬ魔物が暴走している。
それも数え切れないほどの数が、会場の至る所で。
(早くどうにかしないと――――)
だが俺への攻撃も止まらない。
四方から何本もの氷の槍が俺へ錯綜する。
「――あいつか!」
全てを無効化し、俺を狙った犯人はすぐに捕捉した。
会場全体を見下ろすように天幕に立ちつくす一つの人影。
突き刺さるような冷たい殺気が、俺へ向けて放たれている。
(狙いはなんだ――――)
俺を狙っているのか。
無差別に観客を狙っているのか。
(いや、この殺気は俺だけに向けられたものだ……!)
時間は切羽詰まっている。
兎に角、犯人を捕まえないことには騒ぎは収まらない。
刹那の時間でそう判断して、俺はその人影に向かって空を跳躍した。
†
突如上がった悲鳴。
次いで現れた魔物の襲撃に、人々は困惑し逃げ惑っていた。
来賓席にも被害が出ており、その対応に走ったせいで一旦ミズリー達と離れてしまっていた。
「――――主っ!」
「ちょっと、ディズ!?」
見れば闘技場にいたアキヒトも何者かの襲撃を受けている。
それを見たディズが一足跳びでアキヒトの元へと向かった。
私の止める声も間に合わない。
「ルルちゃん!」
「お嬢様!」
そこへ、ミズリーとリーファが駆け寄ってくる。
「そちらの状況は?」
「どこも変わりありません。会場に多数の魔物が発生したもようで委員は急ぎ観客の避難と魔物の駆除に当たっております。お嬢様も早く避難の準備を……」
「何を言ってるの! 私はいいから貴女は逃げ遅れている観客の避難を優先させなさい。ミズリーも、早くここから逃げて」
「ルルちゃんは!?」
「……私は大丈夫よ。このまま魔物の殲滅に加わるから、貴女はとにかく安全な所へ」
「だけどっ」
「ミズリー様」
「……わかった。ルルちゃんも気をつけてねっ」
優しいながら有無を言わさぬ物云いで、二人を遠ざける。
リーファはお世話係とは言え、エトラナ家に仕える立派な魔術師の一人だ。ミズリーの護衛くらいわけは無い。
それよりもどうして突然魔物が現れたのかが気になるが、今は対策が急務。
暴れ回る魔物は、現在委員で構成された魔術師とその場に居合わせた傭兵たちとで駆逐に当たっている真っ最中だ。
立場的は守られる側かもしれないが、私も傭兵の端くれ……今振わずして、何のために得た力だと言うのか。
「滅死の葬火、“鬼火”」
数十の炎を周りに浮かべた。
一つ一つは握り拳大ほどの大きさだが、炎を圧縮し回転させることでかなり殺傷力を高めている。
自分の身体の周りに鬼火をチラつかせながら、私は向かってきた魔物を退滅し、逃げる魔物を追い詰めていく。
「もう、どうしてこんな事になってるのよっ!!」
人もまばらになった会場では魔法が飛び交い、魔物が暴れ回っていた。
今まさに、そこは戦場になろうとしていた。
★
一回、二回……三回。
時間にすると十秒程。
それだけの歩数と時間で、俺は何者かがいる天幕へと駆けあがった。
「――――」
「こっの!」
俺が天幕へたどり着いたと同時、フードを被った犯人は会場の外へと飛んで逃げた。
器用に民家の屋根を伝って凄い速度で離れていく。
「逃がすかよっ」
「主!!」
犯人を追うために俺が会場を飛び出すと、後ろからディズの声がかかった。
「吾奴か!」
「ああ!」
見惚れるほどの跳躍で、屋根を伝って俺の横に並ぶ。
「主はここで待て! 後は儂が追う!」
「はぁ? 冗談ぬかすなよっ」
「じゃが主の身体は今――」
「問題ない」
「っ……無理は、禁物じゃからな!」
今は言い争っている場合じゃない。
俺達は二人で、逃げる影を追いつめていく。
……ただ、ディズの懸念は正直なところ正鵠を得ていた。
「……っっ」
試合で受けた傷は浅くない。
途中、会場にいた魔物を仕留めた時も、身体のキレは思った以上に悪くなっていた。
走っている今も治癒は続けているが、左腕はまだ使えない。
「――――ああ、そうじゃ」
「っ、なんだ?」
でも、まだそのことは悟られないようにする。
ディズには俺がそこまで酷い状態だとは思わせない。
だからもう少し、我慢できなくなるまで……もう、少しだけ――――。
「主はその髪に気付いておるか?」
「――紙? 何が?」
「主、今、黒髪じゃぞ」
「……なんで?」
‡
「ぎゃわーーーー!!?」
「大丈夫ですか、キースさん!」
魔物と相対していたキースさんを助けに入る。
剣で一刀して、魔物を真っ二つに切り裂いた。
「ひいいい!? こっちもじゃーーーー!!?」
「危ないっ!」
逃げた先で、危うく出逢い頭になりそうだった魔物も両断する。
「こっちだ!」
モンさんの声に導かれて出口を目指した。
逃げる途中で、彼女が気まずそうに言う。
「……こんな時にすまないな。今の私ではあまり力になれそうにない」
「いえ……それより今はここを抜けないと!」
「うむ」
今、この状況をなんとか出来るのは自分しかいない。
キースさんは魔法を使えないし、モンさんも今は試合の影響で魔力をうまく操れないからだ。
この騒動でキャルルさん達とは逸れてしまった。
アキヒトさんも今はいない。
でも、僕がいる!
「うわぉ!? 何じゃあれは……」
一番先に走っていたキースさんが驚きで歩みを止めた。
見れば、逃げ惑った観客が一気に出口に雪崩れ込んだせいで、すごい渋滞が発生している。
勿論出入り口はここだけではないが、ここから一番近い場所となると少し距離がある。
「すごい混乱だ……」
溢れかえった観客達は、我先にと出口へ殺到していた。
警備隊の人も叫んでいるが、この状況ではあまり効果は期待できない。
中には混ぜ返す人波に転んで怪我を負ってしまっている人もいた。……手当しないと。
「おい、来るぞ!」
「っ!?」
前方に気を取られて背後が無防備だったらしい。
振り向くと、モンさんがレイピアで魔物を追い払った所だった。
「すいません」
「常に気は配っておけ。ここだけは死守せねばならんからな」
「はい。魔物を外へ出さないためにも、ですね」
恐らく他の場所でも、同じように傭兵達が出入り口を固めているはずだ。
飛び交う魔法は空を飛ぶ魔物を優先して倒しているせいだろう。
僕達も……いや、ここは僕が守らないといけない……!
「……仕方ねぇな。わかった、ここは俺に任せろ!」
「え……キースさん? 何を……?」
「俺が魔物の方向を指示する。ので、お前は全力で俺達を守ってください!」
「は、はい」
何やら真剣な瞳で指示を飛ばすキースさん。
「今! 我々の命は君の双肩にかかっている!!」
「は、はい」
「まずは最初に暗号を決めておこう。俺が右手をこうしたら――」
「――――来るぞ、構えろ!」
「っ!?」
モンさんの激が飛ぶ。
キースさんはすでに離れ(行動が早い)、僕は魔物に切りかかった。
「はあああああ!!!」
シュパッと魔物を切り捨てて、辺りを窺う。
逃げ遅れている人はこの辺りにはもういない。
が、全ての人が避難し終えるにはまだ時間がかかりそうだ。
モンさんは警戒しながらも、人波の矯正に奔走してくれている。
キースさんは……あれ、何処にいった……。
「オスカー君! オスカー君や!」
「あ!」
出口の上の観客席で、キースさんが叫んでいた。
「至急南に向かってくれたまえ! 何か凄いヤツが此方へ向かってくるんだが!」
「わかりました!」
返事をして言われた現場へ向かう。
大きな魔物が出口へ向かって進行していた。
「一つ目……もしかして『サイクロプス』!?」
体長3メートルはあろうかという緑色の巨体に、一つ目姿の異様な出で立ち。
右手には大きな棍棒を持っていて、圧倒的なタフネスさを備え持つBクラス上位の魔物だ。
人型で強力な力を併せ持つが、知能が低いために魔族には分類されないらしい。
「どうしてこんな所に……」
僕も見るのは初めてだ。
そもそもこの辺りには生息しないはずの魔物なのに……っと、今はそれどころではないか。
「“炎の剣”」
炎の剣で鈍重な動きの敵に切りつける。
「え!?」
「グルアアアアアア!!!」
「うわっ」
切りつけた個所を庇いもせずに棍棒を振りまわしてくる。これは……タフというよりも鈍感なだけでは?
「負けるなオスカアアアアアア!! 目を狙え目をオオオオオオ!!」
「……うう、やりにくいなぁ」
大声で実況してくるキースさん。
本人は至って真面目なんだろうが、なんだか少し調子が狂う。
……然し、目を狙うという発想は悪くないかもしれない。やってみる価値はある……か。
「はあっ!」
「ォォォオオオ!!!」
飛んで、大きな目を切った。
叫び声を上げる一つ目に、やったかと思ったが――。
シュウウウウ。
「さ……再生した!?」
凄い勢いで目玉の傷が治っていった。
身体はそうでもないが、瞳だけは凄い再生力があるらしい。
成程、圧倒的なタフネスとはそういうことだったのか……厄介な。
「死んでも勝てえええい!!! 負けたら許さんぞおおおおおお!!!」
「……わかってますよ……」
そう、僕は負けられない。
こんな所で、負けてなど、いられるものか。
「――――“強化”」
剣を仕舞い、拳を握り込む。
「強化――強化」
何重にも魔力を掛け過ぎては、鉄の刃であっても魔力受容量を超えて砕け散ってしまうからだ。
「強化――強化――強化」
故に、自分の身体であっても強化するのは一部分だけに留めておく。
――――この技は諸刃の剣だ。
通常の強化をはるかに超える効果を得られるが、その分自分に返ってくる反動も大きい。
それに強化の最中は極度の集中状態に入るため、その間は完全に無防備になってしまう。
今のように相手が遅鈍でなければこの技は使わないし、使えない。
これで戦いは終わりではないのだから、今は身体に残るダメージを最小限に抑えることが重要だ。
「――――強化完了」
拳は今にも暴れ出しそうなくらい熱くなっていた。
この状態も長くは続かない。
色々と条件の多い技なのだ。
――――でも、その分破壊力は凄まじい!
「オゴ?」
頭の位置まで飛び上がる。
――――目玉を吹き飛ばすつもりで、右手を突き出せ!
「乾坤一擲!!!」
▼
「外敵発見、駆逐します」
リーファさんに続いて、私は出口に向かっていた。
「“憤怒の炎”」
魔物はリーファさんが払ってくれている。
途中、逃げ遅れていた観客と合流し、出口に誘導している最中だった。
本音を言えば私もルルちゃんと一緒に残りたかったけど、残った所で何の力も持たない私には何もできない。
――――当り前だ。
「大丈夫です、落ち着いて。列を乱さないように」
私は私の出来ることをしようと思う。
せめて彼女らの邪魔にならないように、避難をスムーズに行えるように。
そのためには悲鳴を上げる人を宥め、焦っている人を諌め、混乱している人を落ち着かせればいい。
集団行動で一番大切なことは、出来るだけ彼らに不安を抱かせないこと。
不安の種は周囲にも影響し、その機能を阻害してしまう。
伊達に幼いころから帝王学を教わって来たわけじゃない。
父は貴族として人を動かすプロだ。
娘である私にも、それくらいはやってやれないことはない。
「魔物に怯える必要はありません。だから慌てて走らないように。……そこ、前の人を押しちゃダメだよ!」
「助かります、ミズリー様」
その甲斐あってか、合流した観客達は最初こそ困惑していたものの、今では大人しく私達の後に着いてきていた。
その後も順調に足は進み、予定通り私達は出口に辿り着いて。
「皆様方、足元にお気をつけください」
数十人の列が滞りなく出口を通過していく。
この調子なら難なく避難は終えそうだった。
「え――――」
――――その泣き声を聞くまでは。
「ミズリー様っ!?」
気がつけば私の足は動いていた。
誰よりも早く、離れた場所で一人泣いていた子供の元へ駆け付ける。
「おがーざーーん! おどーざーーん!」
この混乱で親と逸れた小さな女の子だった。
「大丈夫だからね。お姉ちゃんが付いててあげるからね」
「うえーーんっ」
周りの喧騒と一人ぼっちになった恐怖から、女の子がしがみ付いてくる。
「怖かったね。もう安心していいからね」
「ううう、うう……」
その子を抱き締めて泣き止ませる。
こんな場所で泣いていれば魔物を引き寄せかねない。
「ミズリー様っ!」
「えっ?」
――ガアアアアアアアア!!!!
顔を上げると、手に棍棒を持った一つ目の巨大な魔物が咆哮を上げていた。
まずい。なんとかこの子だけは逃がさないと――――。
「“憤怒の炎”!」
「グルアアアア!!!」
「なんだとっ!?」
リーファさんが放った大きな炎に包まれながら、一つ目の魔物は棍棒を振り下ろした。
魔法のおかげで狙いは逸れたが、もの凄い風圧がすぐそばを通り過ぎていく。
「今の内に逃げて、早く!」
「…………!」
女の子は私の服をぎゅっと握って、縋りつくように首を横に振る。
竦んで足が動かないのだろう……かくいう私も足が震えて動かない。うう、情けない……。
「“憤怒の炎”“憤怒の氷”」
リーファさんが続けて魔法を放つ。
だが腕を凍らされ、顔を燃やされても、魔物は倒れることはなかった。
「グオオオオオオ!!!」
「……っ」
慌ててはいけない。
冷静になれ。
そして見つければいい、自分の為すべきことを。
逃げられない状況なら私はどうすればいい……。
……違う私だけじゃない。
皆は今、どんな状況にいるのか。
まずは周りの状況をよく見て、それを正確に理解すること。
それを踏まえた上でなければ、正しい判断はできない。
「こいつ……不死身か……!?」
「――――リーファさんっ」
「っ、しまった!」
出口の方にも新たな魔物が近づいていることを指を差して促す。
こちらばかりに気を取られていては、出口を守れない。
女の子を抱き締めて、リーファさんへ叫んだ。
「向こうをお願いします!」
「それではミズリー様が!」
「私は大丈夫です!!」
「あ――――」
次に別の方向を指差すと、リーファさんは私の意図が分かったのか、頷いて出口へと引き返していった。
これで出口は大丈夫。
後は私達だけど、それももうすぐ解決する。
だから私は、まだ怯えている女の子に向けて、安心させるように穏やかな笑みを浮かべた。
「もう泣きやんだんだね。いい子いい子♪ それじゃあ、今からお姉ちゃんがとっておきの秘密を教えてあげよう♪」
「……?」
自分の怪我もお構いなしで、一つ目の魔物は棍棒を私に向かって振り被る。
私は気にせずに女の子に話かけた。
「実はね――――」
「え……」
「ん? まあ疑われるのも仕方ないかな。じゃあ一緒にやってみようか……手を握ってと」
「あ……え……?」
「――――ってね? ちゃんと言うんだよぉ~」
怪物はその腕を振りおろそうとして――――。
その前に、私達は手を取り合って怪物へ向けて一緒に指を差した。せ~のっ。
「「どらどらぁ~~~~!!!!」」
――ギアアアアア!!!???
目の前の魔物が悲鳴を上げる。
火の玉が縦横無尽に駆け巡り、魔物を瞬く間に駆逐していった。
女の子はポカーンと口を開けて固まる。
「…………」
「…………」
「……すっごーーい!」
「でしょ! なんたってお姉ちゃんのとっておきの魔法だからね!」
得意げに胸を張る。……うん、まあ、違うんだけどね。
「もーいっかいやろー! ねぇ、いっしょにいっしょに!」
「えっ、もう一回? ああ、うん、でもこれで最後だよ……せ~の」
「「どらどらぁ~~~~!!!」」
「「きゃはははははは!!!」」
二回目の『どらどら』もちゃんと炎が出ていた。
……急いで駆け付けてくれたのに少し申し訳なかったかな……と視線を横に移す。
座席の間からチラチラと見え隠れしているその顔は、なんだか照れながら怒っているような感じで。
(ルルちゃん、ありがとね!)
空気を呼んで隠れてくれている親友に向かって、私はウインクを返した。
「じゃあ、そろそろ行こうか。お姉ちゃんと一緒にお父さんとお母さん見つけようね」
「はーい」
素直で可愛い子だなぁと思いつつ、「さっきのは非常時の特別だからね」と一応辻褄を合せて、私達はリーファさんのいた出口に向かっていった。
¶
逃走を図った犯人はどこかの廃工場に逃げ込んだ。
薄暗く冷たく湿った空気が汗ばんだ肌を刺激する。
広さだけは中々あるものの、障害物も少ないので隠れることはできない。
「はぁ、はぁ……鬼ごっこはおしまいか?」
「…………」
傷のせいでスタミナの消費が激しい。
いよいよ立っているのも辛くなってきた……が、どうやら間に合ったようだな。
「どうして俺を襲った?」
「…………」
「……だんまりかよ」
無言でフードの奥から此方を射抜く襲撃者。
情報を漏らしたくないのか、それとも喋れないのか。
……まあいい、どうせこのまま捕獲すればわかることだ。
――パサッ。
その時、不意に犯人がフードを脱いだ。
下に隠されていた顔が露わになる。
俺達は同時に息を呑んだ。
「…………っ」
「む――――!?」
「…………」
ささくれ立った真っ白な髪。
暗闇に浮かび上がるように光を反射する白い肌。
そしてそれよりも不気味に輝いているのは、紅く透き通った二つの瞳。
「……シア」
その少女は俺達に明らかな敵意を向けていた。
呆けている俺達にシアの鋭く冷たい殺気が刺さる。
それはまるで背筋の先まで凍りつくような――――。
「嘶け、“氷の尖槍”」
呪文と共に尖った氷が二つ、俺達に向けて発射される。
――――驚いたわけじゃない。
俺はそれを素手で掴み取って無効化し、ディズは横に一歩跳んだだけで回避した。
――――むしろ、その逆。
「この魔法は……」
見たことがなかったか?
俺がこの世界に来た日の晩に。
俺と雅樹が離れ離れになったあの夜に。
「そうか……俺の勘違いじゃ、なかったんだな」
思えば違和感はいつもあったような気がする。
それこそ、最初にこの街の図書館でシアに出逢った時から――――。
自分でも気付かぬ心の奥底で、俺はこの日が来るのを予感してはいなかっただろうか。
――――似ていたから。
「あの日俺達を襲ってきたのは……シア、お前だったんだな」
あの日のことは、忘れられるはずがない。
あの時の強烈な恐怖感、あの時の不気味な雰囲気、あの時の全ての記憶が、目の前の少女と重なる。
「…………」
返事がないのは無言の肯定。
……正直、信じたくはなかった。
「まただんまりか……少しは打ち解けたと思ったのに、最初の頃に戻っちまったな」
でもそこに立っている少女は、間違えようもなくシアで……。
無表情なまま動かずに警戒しているのは、俺の能力が未知数だからだろうか。
――――どうして君が?
「お前が頑固なのは、俺も知ってるつもりだ」
どんな理由でシアは俺達を襲っているのか。
どんな理由が目の前の少女にそんなことをさせるのか。
「答えられないのなら、別にいい。……けどな、答えたくないってんなら――――」
彼女はいつもと同じ表情で。
けれども、どこか違っているように見えて。
凍てつく殺気を纏わりつかせて、何も言わずにただ俺を殺そうとしている少女。
その姿が、どこか寂しい気がしたから。
「――――ふん縛ってでも、聞かせてもらうぜ!!!」




