004話 逃走×死闘×明けない夜
紅の月が舞台へと降り立つ。
空は赤から紫へと浸透し、冷めた空気と共に一際紅の存在を引き立てていく。
天空に座する紅月のさらに頭上、その天上に青白く輝く宝石が瞬いていた。
――――あの星の名は?
☆★☆★
ほんの少し前までの平穏が遠かった。
アルメキスの村に着いた俺達を待っていたのは、たった一人の人間だった。
青い短髪に黒いコートを羽織ったその男は、馬車から飛び出た俺達を見て口を開く。
「ほう、……二人か。お前らが召喚された勇者だな? 思ったよりも若いじゃないか」
台詞も状況も、男の全てが不自然だった。
おっさんは既に剣を抜いて、戦闘態勢に入っている。
しかし、あまりの突拍子のなさに俺達の思考は追いついてこない。
「何者だ! 村の異変は貴様の仕業か!!」
「あれは向かってきた者を払っただけだ。どちらかと言えばあれはお前達のせいだろう?」
「っ!? 貴様!! よくもぬけぬけと!!」
言いながらおっさんのは剣を繰り出していた。力の限り振り出された切っ先が男を襲う。
「風よ」
「!!」
その瞬間に一閃の風が吹き荒れた。その煽りを受けておっさんの体が宙を舞う。
「うっ!」
「おっちゃん!」
地面に叩きつけられたおっさんに雅樹が反応した。これは……魔法?
初めて見た異様な現象に身が竦む。その間におっさんは立ちあがって、剣を構えていた。
「お前らは此処から逃げろ!! こいつは私が食い止める!」
「おっちゃん!?」
「大丈夫だ。私もお前達を守りながらでは戦いにくい。さあ、行け!!」
「雅樹、行くぞ!」
俺もおっさんの立場なら同じ判断をするだろう。
この場に俺達が居ても戦いの邪魔になるだけだ。
そう思い、目で雅樹に合図する。雅樹は少し逡巡するが、俺に向かって肯いた。
「死ぬなよ、おっさん!」
「無理だけはすんな!」
村の方に逃げるには、アイツの横を通らなければならない。
後ろに行くと一本道なので、逃げることは難しいように思える。
なので俺は左手に広がっていた森の中へと足を向けた。
「はっ、逃がすとでも? 風刃」
「させん!!」
男の頭上から風の刃が俺たちに襲いかかる。が、それをおっさんの剣が切り崩した。
「む!? ほう、意外とやるな」
「この程度で驚いてもらっては困るな」
「ふっ、少しは楽しませてくれそうだ」
二人の表情が引き締まる。戦いはまだ始ってすらいなかったのだ。
◆◇◆◇
「はぁ、ふっ、ほぅ」
聴こえるのは二人分の足音と呼吸だけ、夜になったばかりの森は異様なほどに静かだった。
しばらく走ってみて漸く違和感に気付いた。
まず、体が軽い。森の中をひたすらに走り続けているのに、まだ息がほとんど切れてこない。
足場は決して良くないというのに、スピードもかなりのものだった。隣を走る雅樹も同じようだ。
さらに夜間の森の中にはほとんど光もないはずだが、俺の視界は森の中でもしっかりと機能していた。
「雅樹、体の調子はどうだ?」
「おう! 今までにないくらいに快調だ! やっぱりそっちもか?」
「ああ、これも召喚の副作用かな?」
「勇者の力じゃねえのか?」
勇者て……まあ、マイナス効果ではないので良しとする。というか渡りに船だった。
本当の俺の体力では果たしてどこまで走れるか……。短距離なら自信はあるが、長距離は苦手である。
「ん? 川だ! 川があるぞ!」
「……でかいな」
視界の先には横幅100メートルはあろうかという大きな川が広がっていた。
目と耳で察するに、流れが強いわけではないが弱いとも言えない。というか水泳も苦手だ。
「泳いで渡るか?」
「いや、泳ぎには自信がない。もし泳いでいる時に追いつかれたら確実に死ぬ」
「じゃあどうする?」
どうすると言われても、行く手は塞がれた。動けるのは横くらいか?
「ん~、雅樹の案は?」
「俺か? そうだな……泳ぐのは無しにして、このまま川沿いに下っていくか?」
「うん、それしかないな」
こんな夜中に泳ぐのは勘弁。川を下っていけば、他の村もあるかもしれないし。
「………………」
「……どうした?」
見ると、雅樹が何か芋虫でも噛み潰したような顔をしていた。
「……おっちゃんは、大丈夫かな」
「……たぶんな」
慰めにもなっていないことは二人とも承知の上だ。
村に着いた時に男があそこにいたということは、先に行った兵士達もおそらく奴にやられらんだろう。
村にも兵士はいたようだが、アイツは『向かってくる者は~』みたいなことを言っていたから、たぶんその人達も。
なんとなく、敵はアイツ一人だけのような気がする。あくまでなんとなくだが……。
俺から見ても奴はやばい雰囲気を放っていた。深い闇を纏ったような、あんなヤツは今まで見たことがない。
そんな奴を相手におっさんは大丈夫なのか……そんなことはわからない。
おっさんの実力は知らないが、一人で兵士たちをなぎ倒したのが事実なら、おっさんに勝ち目はないのかもしれない。
「――な」
「ん?」
突然思考から呼び戻されて、顔を向ける。
「何にもできないのは……悔しいな」
雅樹は泣きながら微笑んでいるような、そんな顔をしていた。
「ああ」
小さく一言吐いて、俺は空を見上げた。
暁にはまだ程遠い夜空の中に紅一点の月を見つける。
それを見つめながら、声には出さずに唇だけを震わせた。
――悔しいな。
夜はさらに更けていく。
・
・
・
「そろそろいくか」
感傷に浸っていたが、いつまでも此処にいるわけにはいかない。敵が迫っているかもしれないからだ。
「よし、このまま一気に下るぜ!」
その時、背後から得体の知れない圧迫感を覚えた。
「っ!? 雅樹!!」
「風の鎚」
声をかけた直後、風の塊に強打される。
「ぐっ!?」
「がはっ!?」
俺と雅樹がその衝撃に倒れこむ。まるでハンマーに殴られたような痛みが全身を駆け巡る。
「ふぅ、っと。結構遠くまで逃げたが、惜しかったな」
男は淡々と語る。
その間に俺と雅樹は痛みを我慢して体勢を立て直した。
見ると、男のコートは所々裂けており、顔にも切り傷が刻まれている。
「なかなか強かったぞ、あのでかいのは。俺とあそこまで戦える奴はそうはいない。お前達は……どうかな?」
「てめぇ!! おっちゃんをどうした!!!」
雅樹が叫ぶ。俺は先程の雅樹の言葉を思い出していた。
「さあな。知ってどうする?」
「ぶん殴る!!」
「雅樹!!」
雅樹は怒りを爆発させて飛びかかる。追いつかれた時点で俺達に退路はない。
ここでこいつを仕留めるしか生きる道はないのだ。わかっているはそれだけだった。
恐怖心を抑え込んで、俺も同時に駆けだす。二人同時に左右からの攻撃だ。
「はっ、せいぜい足掻いてみるがいい。風の籠」
一陣の風が吹いて、ヤツが風を纏う。見えない風に触れた瞬間、体が投げ飛ばされた。
「「ごほっ!!」」
二人同時に木にぶつかる。背中からの振動に肺の中の空気が全て吐き出された。
なんとか意識を保って敵を見る。これは……最初におっさんが吹き飛ばされた魔法か。
「く、そ!!」
雅樹が苦しそうに立ち上がって、臨戦態勢をとる。しかし、このままでは近づけない。
俺達が勝つための――俺達が生き延びる方法。
……せめて格闘戦に持ち込めれば、希望はあると思う。
たぶん、奴は俺達を侮っている。奴が油断している今しかチャンスはない。
あとはどうやって近づくかだ。奴の風をどうにかしなければ迂闊に近寄れない。
あれが魔法だとするなら、奴が魔法を連続で使用できるかどうかが命運を分ける。
魔法が終わった直後なら奴も風を使えないはずだ。もう迷っている暇はなかった。
雅樹がもう一度特攻をかける。その手には木刀を一回り小さくしたような木の枝が握られていた。
あの構え、雅樹は剣道か何かやっているんだろう。少なくとも素人にはできない動きだ。
「まだまだ甘い、風の刃」
「うぉおおおおお!! くっ!!」
不可視の刃を受けて、振り抜こうとしていた枝が真ん中からシュパッ、と綺麗に半分に裂けた。
その軌道にあった雅樹の腕にも、掠った程度だが傷が刻まれた。その攻撃の直後、俺は拾った石をヤツに投げつける。
「む!?」
相手がそれを避けるが、石を投げると同時にスタートダッシュを決めていた俺が奴の懐に入る。
「ちっ!! 風のぐあっ!?」
魔法を使おうとしていたヤツは俺と魔法に気をとられて、続けて雅樹が投げた半分の枝を顔面に食らった。
――甘かったのはおまえだ。
「覚悟はいいな」
雅樹の咄嗟のフォローに心の中で感謝して、俺は渾身の右ストレートをヤツの脇腹に叩きこむ。
「ぐはぁ!!?」
相手の反応を待たず、続けて左フックでレバーに追撃をかける。よろめいた所にもう一度右の捩じり込むような拳を鳩尾に。
「ご!?? ばぁ!!!??」
さらに今度は足を掛ける。体勢を崩された相手は体を傾けながらも蹴りを繰り出してきた。
その蹴りだされた足を掴み関節を押し込んで体重を乗せて――ゴキィと鈍い音を響かせて相手の右足を折った。
「――――――っ!!!!!」
言葉にならない悲鳴を上げてのた打ち回る男。とどめに顎めがけて、怒涛の鉄拳をお見舞いする。
脳を揺さぶる直撃を受けて、ようやく男は白目を剥いて意識を手放した。
……………………、…………。
「ふ~~、やっと終わったか」
額に掻いていた汗を拭い、俺は緊張を解き放った。
「……………………」
雅樹は茫然と倒れた敵と俺を見ている。
「…………」
「雅樹、腕は大丈夫か?」
「あ、ああ。少し切れたけどそれだけだ。痛みもほとんどない」
「そうか。軽く手当くらいはしといた方がいいぞ。川で洗っとけ」
「ああ」
さすがに疲れたので俺はそのまま地面に座り込んだ。傷を洗った雅樹が俺に習って腰を下ろす。
「……終わったんだな」
柔らかい雅樹の声が森の囀りに混じった。
「そうだな。長い一日だった」
「は、あっはっは! そうだったな、まだ俺達が出会って一日も経ってねえのか!!」
「ホントに。今日はいろいろ有り過ぎだ」
――あの公園で出会ったのが、昨日のことのようである。
「朝起きて、学校に行ってテスト受けて、放課後にお前が絡まれて、それを俺が助けて」
――雅樹の言葉に合わせる様に、今日の出来事が思いだされた。
「異世界に召喚されて、おっちゃんに会って、エルシアにも会って、そんで村が襲われて」
――本当にいろいろ大変だった。信じられないようなことの連続だった。
「変な野郎がいて、俺達は逃げて、でも逃げきれなくって、……最後に、こいつを倒したんだ」
――また今日みたいなことがあるかもしれない。いや、きっとあるだろう。
「俺達が、な」
「そう。俺達で、だ」
――だけどそれも、悪くは無いのかもしれない。今は自然とそう思えた。
「くっくっく、はっはっはっは!!!!!」
「あはははは、あっはっはっは!!!!!」
せめてこの夜が明けるまでは、笑っていよう。この気持ちを忘れてしまわないように。
☆★☆★
笑いながら、地面に仰向けに転がった。
空は漆黒に染まり、満点の光の滴と共に一際紅の存在を引き立てていく。
天空に座する紅月のさらに頭上、その天上に青白く輝く宝石が瞬いていた。
――――あの星の名は?
雅樹は気の合う友人から戦友にレベルアップした。