第二十八話 龍虎のシャワー
大浴場。
湯の張られていない浴槽の隣では、幾つものシャワーが横並びになり、その内三つが湯を出していた。
シャワーの水圧は身体の汚れを殲滅してやろうとサーチアンドデストロイの侵略活動を続け、戦火よろしく、もくもくと湯気を上げる。
湯に身を任せる戦場の舞台はアダマスとハンナ、そして先程やってきたエミリーだ。
妻二人は夫を挟み、視線で火花を散らし、先ずはハンナの先制攻撃。
「あらあら、エミリー技術顧問殿。打ち合わせのお時間には少々お早いですわね」
するとエミリーは液体石鹸の入った薬瓶を取り出し、垢すりに付け、これ見よがしにハンナより一回り大きな胸を持つ自分の身体を見せ付け、擦る。
そして流し目で薬瓶を投げつけ、ハンナはそれを無言で受け止めた。
「ああ。お仕事とは別に遊びの方の錬金術で色々やってたら良い感じのが出来てさ。
折角だし意見を聞きたくなってしまったのさ。ついでに薬の臭いも付いちゃったし」
此処に来るまでの話によれば、湖賊残党から押収した石炭やコークスの解析を終わらせたエミリーは、個人的な趣味でやっている薬品製作に乗り出したらしい。
驚くのは、これまでもその『趣味』でこの領地は経済的にかなりの恩威を得ており、アダマスは尊敬の眼差しで彼女を見ていた。
ハンナは呆れていたが。
ハンナは石鹸を指へ出して手遊びしてみせた。
つい先程まで棒を振り回していたとは思えない白魚のような指を白い粘液が這う。ネチョネチョと。
そうして湯と混ざった白い液体石鹸を鼻の近くへ持っていき、匂いを嗅ぐ。
「結構な御手前で。しかし、開発者も一緒に入られては緊張して正しい判断が出来なくなってしまいますわ、ウフフフフ……」
「フフフ、だから言ったろう?遊びだって大切だって事を」
「と、言うと?」
「こういう事さ。とりゃー、人間スポンジ!」
龍虎が対峙する背景にて、エミリーが泡だらけの身体で隣のアダマスに抱き付き、自分の胸の谷間に彼の細い身体を挟んでみせる。窒息しないよう
そうして彼女は檸檬色の髪の毛を愛おしく撫でてみせた。
「いぇい、アダマスくんゲットだぜ。実は評価なんてどうでも良いのよん。
ほぉらアダマスくん。何時でも襲い掛かっていいんだよ?」
敢えてハンナに聞こえるよう大声で言う。
アダマスは背後から聞こえるそれを耳に入れると、目の前のハンナを見て、わざとらしく顎に手を当てて悩む仕草をしてみせた。顎を仰け反らせた為か、後頭部が胸に埋まる。
「うーん、でもさっき着替え場で『シャワーがあるから汚れても気にならないよね』って事で、一発ずつ出したからなあ。
流石のボクも訓練直後に四発はキツい。困った困ったどうしよう」
「あっはっは、それなら今は三発に留めておけば良いのだよ。簡単だろう?」
「そうかー、かんたんだねー」
棒読みでクルリと胸の中でエミリーと向かい合うアダマス。そこで抱き合おうとした途端、アダマスの景色が変わった。目の前の顔がエミリーではなく、一瞬でハンナになっている。
肉体強化の魔術で瞬発的に身体能力を上げたハンナが、スリの要領でアダマスを掠め取り、素早く己の胸元へ抱きかかえていたのだ。
一瞬しか出せない速度だが、その素早さは弾丸をも上回る。
彼女はエミリーを睨んだ。猛禽類を思わせるナイフのように鋭い目だった。
そして水気のある小さい唇が呟く。
「お遊びも程々にね。エミリーちゃん?」
敢えて、昔会ったばかりの頃の呼び名で彼女を呼ぶ。そこらのチンピラ程度なら失禁してそうな殺気を混ぜて。
それをエミリーは「ふむ」と、どうとでも無い平気な顔で受け止めてみせた。
片手で後頭部を搔いて、少しばかり長い癖毛を散らせながら大きく笑う。
「あっはっは、サーセン。ちょっと面白くなっちゃいました」
「まったく……坊ちゃま、貴方も戯れが過ぎますよ?」
眉をハの字に変えて胸元へ語り掛けると、彼は微笑んでハンナの唇へ口を合わせ、そして柔らかく包むように微笑んだ。
「ん、ごめんよ。ハンナさんの可愛くムキになる顔が見たくなってね。これで許して」
眉間に皺を寄せる彼女は、唇を尖らせ軽く手刀を彼の脳天へ当てる。アダマスはオーバーに「痛いなぁ」と反応してみせた。
ため息ひとつ吐いたハンナは、人差し指を天井へ突き立てる。
「坊ちゃまは悪い人ですね。悪い坊っちゃまは根本的に言う事は聞きそうにないので、もう一回のキスで許してあげましょう」
「わあい。ハンナさんってば、優しくて大好き!」
アダマスは輝かんばかりに満面の笑みでハンナの首元に抱き付いて、深い口付けで長い時間吸い付いて、ハンナが満足する感情を読心術で見抜き、ペロリと離す。
ハンナは、腰が抜けそうな事を耐え、つい名残惜しく己の口を舐めるが、閾値を見抜かれた彼女は今程の満足をもはや己で得る事は出来ない。
故に、御される。
そんなハンナの気持ちを知ってか知らずか、シャワーを今度はエミリーへ向け、彼女の泡を落とす。
当てられる彼女は「おやおや、くすぐったいよ」と身をくねらせ。
徐々に白い肌が露になり、とうとうその下腹に隠れていたものが姿を見せる。
子宮摘出跡。
その手術跡は、子供が作れない身体である証明。
ある事情から、アダマスに会う前のエミリーが11歳の頃に刻まれた、人の悪意の証だった。
アダマスは液体石鹸の薬瓶をコトリとカウンターに置いた。
すっかり綺麗になった身体を抱き、優しく、そして恭しく手術跡へ口を付ける。そんな彼の頭を、安らかにエミリーは撫でる。
口を離して、上目遣いのアダマスは言った。
「エミリーは凄い。
でも、研究し過ぎて無理して倒れちゃヤだよ。大切な身体なんだから」
「ふふふ、分かってるよ。ちゃんと睡眠は一日八時間、バッチリさ」
義眼の嵌まった右眼でウインクをひとつ鳴らし、それほど太くない腕で力瘤を作ってみせ、ペチペチともう片手で叩いてみせる。
するとアダマスの腹から『きゅるるるる』と、可愛らしい音がした。
突然の事に顔を赤らめるアダマスの頭にエミリーの手の平が落とされる。赤らめた顔のまま、アダマスは「ええと」と取り繕い、急いで言葉を紡ぐ。
「お腹空いたし、ご飯にしようか。シャルもマーガレットも、待ってるだろうし」
「ああ、そうだね。ご一緒するよ」
遠くから二人を見るハンナはこれが同族嫌悪なのだろうと、微笑みを浮かべて一人ごこちる。そして二人へ合流せんと、湯気の中で背中を追った。




