第一章 雨夜の鬼 第一話「雨夜の声」
第一章 雨夜の鬼 第一話「雨夜の声」
第一話「雨夜の声」
雨だった。
ネオンに濡れた夜の街は、まるで別世界のように光っている。
アスファルトに反射する紫色の光。
ビルの隙間を抜ける冷たい風。
そして――。
「……また、出たか」
神代トウマは、路地裏へ視線を向けた。
誰もいないはずの暗闇。
だが、その奥で“何か”が蠢いている。
人ではない。
影のように歪み、煙のように揺れる存在。
黒い泥を無理やり人型にしたような異形。
鬼。
「た、助けて……!」
震える声が響いた。
女子高生だった。
壁際に倒れ込み、涙を流しながら化け物を見上げている。
鬼は笑った。
いや、“笑ったように見えた”。
口など存在しない。
それでも、確かに愉悦を感じる。
「嫌だ……来ないで……!」
鬼が少女へ手を伸ばす。
その瞬間。
――バチッ。
紫電が走った。
「急急如律令」
低い声。
白い札が、鬼の額へ突き刺さる。
瞬間、爆ぜた。
紫色の術式が幾何学模様を描き、鬼の身体を拘束する。
「グギャアアアッ!!」
耳障りな悲鳴。
鬼は暴れ狂い、闇を撒き散らした。
だが、トウマは動じない。
黒衣の裾を翻し、一歩前へ出る。
「終わりだ」
指先を組み替える。
空気が震えた。
足元に巨大な陣が展開される。
紫の光が雨粒を照らし、都市の闇を塗り潰していく。
「討魔術式――封滅」
閃光。
次の瞬間。
鬼の身体は音もなく崩壊した。
黒い粒子となって、夜空へ消えていく。
静寂。
残ったのは、雨音だけだった。
「……た、助かったの……?」
少女が呆然と呟く。
トウマは振り返らない。
「もう帰れ」
「え……?」
「ここは、お前みたいなのが来る場所じゃない」
冷たい声だった。
少女は何か言いたげだったが、やがて小さく頭を下げ、走り去っていく。
一人になった路地裏。
トウマは静かに目を閉じた。
鬼は、人の負の感情から生まれる。
憎しみ。
絶望。
後悔。
そして――執着。
だから消えない。
人がいる限り、鬼は何度でも生まれる。
「……くだらない世界だ」
吐き捨てた、その時だった。
『……お兄ちゃん』
声がした。
トウマの呼吸が止まる。
今の声は。
ありえない。
聞き間違えるはずがない。
「……誰だ」
振り返る。
だが、そこには誰もいない。
ただ、雨だけが降っている。
『……お兄ちゃん』
再び。
今度は、はっきり聞こえた。
少女の声。
忘れるはずのない声。
死んだはずの妹――神代ユズハの声だった。
「……馬鹿な」
トウマの顔から血の気が引く。
ありえない。
ユズハは三年前に死んだ。
鬼に殺された。
この腕の中で。
『……助けて』
瞬間。
ドクン、と胸が鳴った。
路地裏の奥。
闇の中で、何かが笑った気がした。




