第19話 昼寝より大事なことはない
翌日、兄孝行な桃に手伝ってもらったおかげで、午前中のうちに掃除や洗濯といった家のタスクは完了した。
家族3人で昼食をとったのち、桃は友達との約束のため遊びに行く。
僕も、昼食の洗い物を終えてから家を出った。
まずはスーパーにてカレーの具材を購入。
ちゃみ子は全額払うと言っていたが、それは受け入れられないのでキッチリ割り勘とさせてもらう。
今日作るカレーは僕も食べるからな。そういや夕飯を共にするのも初めてか。
レシートをポケットに入れ、カレーの具材が入ったエコバッグを持ち、ちゃみ子宅へ。
「んあ……」
「はい、おはようさん」
玄関から顔を覗かせたちゃみ子は、パジャマ姿だ。
「寝てたのか?」
「いや、起きてたよ」
「じゃあ着替えてないだけか」
「んあ」
予想を裏切らないズボラ加減だ。
男が休日に家にやってくるのだから、多少はオシャレな部屋着で出迎えようとか考えないのか。
うん。考えないな、ちゃみ子は。
自己完結したのち、僕はエコバッグを持ってキッチンへ。
生肉などを冷蔵庫にしまっていく。
ちゃみ子も覗きに来ていた。
「カレー作るの?」
「まだ。晩ごはんだからな」
「お腹すいた……」
「そう言うと思って、買ってきた。ほら」
手渡したのは、いつもちゃみ子が登校前に寄っていくというパン屋のサンドウィッチ。
この前僕も初めて買って食べたが、どれも美味しかった。
ちなみに桃も気に入っていた。
焼きそばパンとメンチカツサンドが特にお気に入りらしい。舌が高校球児かよ。
サンドウィッチを受け取るとちゃみ子は、僕の顔をじっと見つめたのち、一言。
「くるみパンの方が良かった」
「文句言うな」
「んふ、あぃがと」
「何飲む?」
「ミルクティー」
「分かった。リビングで待ってろ」
「うん」
ソファでお座りして待っていたちゃみ子に、ミルクティーの入ったマグカップを与えたのち、僕は一度リビングを見回す。
4日ぶりのちゃみ子宅のリビングは、明らかに4日前よりも散らかっている。
先週までは3歩進んで2歩下がるくらいの進捗状態をキープしていたが、この4日間で一気に5歩くらい後退した気がする。
というかなんでこんな、一進一退の攻防を繰り広げねばならんのか。
「ちゃみ子が毎日服を放りっぱなし、お皿とかペットボトルを置きっぱなしにしなきゃ、今頃キレイになっていただろうなぁ」
「…………」
皮肉をひとつ放ると、ちゃみ子はサンドウィッチをもひもひ食べつつ、目をそらす。
「サンドウィッチうまい?」
「うぁい」
「そうか、良かった」
「んぁ」
なんか分からんけど、今の一連の会話、マジで母と娘みたいだったな。
さて。
過ぎたことを言っても仕方がないので、早速タスクを始めていこう。
現在時刻は午後2時すぎ。
晩ごはんの時間を7時にするとして、逆算すると5時くらいにはカレーを作り始めたいところだ。
となると調理までの3時間のうち、2時間は掃除に割きたいところだ。
勉強は残りの1時間と、カレーを休ませておく間の1時間、合わせて2時間あればいいだろう。
「よし、一旦テーブルは完了」
脳内でタイムスケジュールを組み立てていく中でも、掃除タスクは進めていく。
とりあえずカレータイムを心地よく楽しむためにも、テーブル周りは最優先でキレイにしておいた。
テーブルの上のみならず、ラグマットへ乱雑に放られている衣類やら化粧品やらゴミを回収し、片付けた。
掃除機をかけ終えると、ひとまずテーブル周りは見られる状態となった。
では次は、リビングの隅や廊下に積まれた段ボールを……。
「さう」
ふと、ちゃみ子が僕を呼ぶ。
「ごちそうさま」
「ああ、食べ終わったか」
ちゃみ子は律儀に、空になった包装ビニールとマグカップを見せてきた。
それを受け取り、キッチンへ。
サンドウィッチの包装ビニールは燃えないゴミに分別、マグカップは水に浸けてシンクに置いておく。
リビングに戻ると、ちゃみ子は定位置であるソファに沈んでいた。
腹が膨れたからか、眠そうな目をしている。
いや眠そうなのはいつものことか。
「寝るなら自分の部屋に行った方がいいぞ。ここはしばらく掃除機かけたりして、騒がしくなるから……」
「さう」
僕の言葉を遮ると、ちゃみ子は隣をぽんぽんと叩く。
「座って」
「え、なんで」
「いいから」
言われた通り僕は、ちゃみ子の隣に座る。
すると不意に、えも言われぬ暖かさと心地よさを、身体が感じ取った。
「気持ちいいでしょ」
「ああ、そうだな」
「この時間が、一番気持ちいいんだよ。陽が入ってきて」
ちゃみ子が指差す方、レースのカーテンの向こうからは、春の陽が降り注ぐ。
「さう、寝よ」
「え、いや、まだ掃除が……」
「さう、今週いっぱいがんばったね」
「え……」
ちゃみ子は僕の腕を掴む。
非力ながらも、放そうとしない意思は感じられた。
「だから、一緒に寝よ。気持ちいいよ」
「でも、タスクが山ほど……」
「昼寝よりも大事なことなんて、ない」
「そんなことはないだろ」
「なくない。やらなきゃいけないことなんて、なにもないよ」
なんだか前にも聞いた文言だ。
確かに、掃除も勉強も、絶対に今すぐやらねばいけないことではない。
しかしだからと言って後回しにするのも違う。
少なくとも、昼寝よりは優先度が高いと思われる、が……。
「こんなに気持ちいいのに、寝ないのなんて、もったいなぃ」
ちゃみ子にとっては、この特別な時間の昼寝が、人生の何よりも大事なようだ。
「うーん……」
このソファもきっとお高い代物なのだろう。
包み込むように、僕の身体を受け入れる。
柔らかな陽光と相まって、極上の環境となっている。
そうなってくると不思議なもので、僕の身体が蓄積した疲労を思い出す。
普段より夕方のシフト2回分も多く出勤し、今日も朝から家事をこなしてきた事実が、全身の筋肉からじわじわと湧き上がる。
悔しいことに、身体は今この時、この場所での昼寝を求めていた。
「どうする、さう」
「……分かった。寝るよ」
「んふ」
「でも、ちょっとだけだからな」
「さう、いい子」
そう言ってちゃみ子は、僕の頭を優しく撫でる。
「さう、いっぱいがんばったね」
「いや、そんなことは……」
「ご褒美に、私の髪を枕にしていいよ」
「しないよ」
「おっぱいでもいいよ」
「しないよ!」
「んふんふ」
ちゃみ子はもあもあな自身の髪を、僕の方へ差し出してくる。
羽毛のような柔らかさと、脳に直接届くような香りが、顔を包み込んでくる。
「ふあっ……」
ちゃみ子が、あくびをする。
あまりに典型的なことに、僕にもあくびが移った。
その様子をちゃみ子は微笑ましそうに見つめてくる。
「それじゃ、おやすみさう」
「うん、おやすみ」
「カレー、楽しみ……」
「ああ、美味しく作ってやるからな」
「んふ、あぃがとぉ……」
すると、眠りに落ちるほんの1歩手前。
ちゃみ子は呟いた。
「さう……さみしかった」
「…………」
「さう、来ないから」
「うん、ごめん」
「んふ……いいよぉ」
ちゃみ子の緩みきったその声を耳にして僕は、静かに、ゆっくりと眠りについた。
春の陽と、ソファと、ちゃみ子の髪に包まれながら。
想像以上に疲れていたのか、目を覚ましたのは3時間後だった。
掃除も勉強もほぼ進まなかったが、カレーはとても美味しくできた。
ちゃみ子は終始ご満悦で、舌鼓を打っていた。