新しい生活
ルークスが言ったとおり、ぱたりと姿を見せなくなってから三か月。
私は長く休んでいた学院に再び通いはじめました。
通いはじめた当初は、婚約者候補でなくなった私に対して、腫れ物に触るように接してきていた人たちもいましたが、次第にそんなことも気にならなくなったようで、親しくしてくださるようになりました。
最初から婚約者候補ではなかったら、こんなふうに楽しい時間をもっと過ごすことができていたのかと思うと、少し残念な気持ちになりましたが、そう思えるのもあの苦しい時間があったからだ、と前向きにとらえることにしています。
それに、今までやりたくてもできなかったことをしようと、バイオリンと乗馬を習いはじめました。
まったく美しくない音色が屋敷に響きわたっていて申し訳ないのですが、私は楽しくてずいぶんと長い時間を費やして練習をしています。
乗馬は、まだ早く走らせることはできませんが、ずいぶんと馬に慣れてきたのではないかと思っています。
それに、キャシー様と何度かティータイムをご一緒させていただいています。
現在は見習い騎士として頑張っていらっしゃるキャシー様ですが、騎士団の入団試験にズボンとシャツで現れた黒髪の女性が、淑女の鑑といわれているキャシー様であると知られたとき、その場にいた人たちはとても驚いていたそうです。
キャシー様はそのときの皆様の顔がとても面白かった、と楽しそうに話していらっしゃいましたが、きっとその場にいた人たちには笑い事ではなかったでしょうね。
現在は、特別扱いされることもなく、毎日厳しい鍛錬と雑務に追われているとか。そう語るキャシー様のお顔はとても輝いていて、彼女の魅力がさらに増したことは言うまでもありません。
「できた」
ルークス宛に書いた手紙がずいぶんと長くなってしまい、迷惑ではないかしら? と心配しつつも、封筒を閉じました。
「カリナ、この手紙を出しておいてくれるかしら?」
「かしこまりました」
「よろしくね」
ルークスは元気にしているでしょうか? 彼は、フェイザー公爵家と親交のある隣国ケルゼン王国を視察して、あと数週間で帰ってくる予定です。
「あら?」
外に見なれた馬車が停まっています。
「最近よく来ていますね。いったいいまさら、なんの用があるというのでしょうか?」
カリナは少し怖い顔をして馬車を睨みつけています。
王家の紋章をつけた馬車が頻繁に屋敷にやってくるようになったのは、一か月くらい前からでしょうか。馬車が帰っていくたびに、父の機嫌の悪そうな声が聞こえていたので、いい知らせではないのでしょう。
ですが私はその理由を知りませんし、両親も理由を教える気はないようです。
それに、私が婚約者候補ではなくなったとき、陛下や王妃殿下からは、これまでの苦労を労い、これからは自分の幸せのために生きてほしいとのお手紙をいただきました。
今後、婚約者候補であったことを理由に、私の人生に干渉することはない、と手紙に残してくださったのです。ですから、王家から使いが来ても、自分には関係ない、と気に留めないようにしています。
とはいえ、正直にいえばとても気になるのですが。
両親を誘い、優しい風が花たちを小さく揺らす庭園でのティータイム。
「お疲れですね」
私がそう言うと、父は困ったような顔をして微笑まれました。
「ああ、すまないね。ばかが毎日ばかなことを言うから、腹が立ってしかたがなくてね」
ばかとは誰のことでしょうか? 押しかけてくるというのが王家の馬車のことなら、父の言うばかとは王家の誰かということでしょうか?
「いったいそれは……」
思わず青い顔をしてしまった私を見て、父は軽快に笑いだしました。
「レアが心配する必要はない」
父はそう言いますが。
「そんなことより。レアに求婚が来ていることは知っているね?」
「はい」
私がリチャード殿下の婚約者候補でなくなってから、求婚の手紙が届くようになったことは聞いています。
「そろそろ、相手を決めようと思っているんだ」
「え?」
「婚約者がいないことで、くだらないことを言いだしたやつがいるからね。さっさと口を塞いでやらないとな」
「いったい、お父様は何を――?」
「もし、お前に意中の人がいるなら言いなさい」
「わ、私に? いません、そんな人!」
私は思わず顔を赤くしてしまいました。
「……そうか。彼の努力がまだまだ足りないみたいだな」
「え?」
「いや。それでは、私のほうで決めていいな?」
「……はい」
そう言ってうなずいた私の前に置かれた一通の大きな封筒。
「これは?」
「お前の婚約者にどうだ?」
もう、すでに決めていたのですね。
私は驚きながらも封筒の中から釣り書きを取りだして開きました。
「ルークス……? お父様?」
「そうだ。実はな、ずっと前にレーゼン伯爵がルークス本人を伴って求婚をしに来たことがあった。そのときは、お前が王太子の婚約者候補に内定してしまったあとだったから断ったが、今回、お前が婚約者候補でなくなったときに、一番に求婚してきたのはルークスなんだ」
「そ、そうだったのですね。私、そんな話聞いていなくて」
まさかルークスが二度も求婚していてくれただなんて思いもしませんでした。
「それで、どうする? この求婚を受けるか?」
「それを私が決めていいのですか?」
「もちろんだ。お前がいやなら即断る」
「そ、そんな、断るだなんて。いやではありません」
「それなら受けていいな?」
「……はい」
(ルークスが私に求婚……。信じられない。ルークスは私に恋愛感情を持っていてくれたということなのかしら? ルークスが? 私に?)
私はそんなことを考えては顔を真っ赤にして、そのあと父が言っていたことはほとんど聞いていませんでした。
読んでくださりありがとうございます。