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戴冠 ─蝶々姫第二章─  作者: 薄氷恋


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4.こいつが!?

 ハルモニアは途方に暮れていた。

 自分が今居る場所は、21年前──ラゼリードが生まれた頃のカテュリアだと解った。

 けれども、どうやって時編む姫の許まで戻ればいいのかが解らなかった。


 それどころかどうやって過去から現実に戻るのかすら、聞いていなかった。

 時編む姫もそこまで想定していなかったのだろう。


 夢を介している魔法だけに、頬を抓れば目が覚めるかと思って実際に抓ってみたが、小さな爪跡と痛む頬が出来ただけだった。

 アーキアと生まれたばかりのラゼリードの部屋で姿見を覗き込んだが、鏡に己の姿は映らなかった。不思議な事もあるものだと思って暫く鏡に張り付いてみたりもした。


 カテュリア王妃アーキアの部屋には侍女が幾人も出入りしていたし、若き日のセオドラも居たのだが、誰もハルモニアに気付きはしなかった。

 その上、自分はどうやら実体を持っていないらしく侍女とぶつかっても通り抜けてしまったのだ。

 流石にこれは気色の悪い体験だ。

 まるで幽霊か何かになったような気分だし、人をすり抜けると背筋が寒くなるような不気味な感覚があった。


 だからハルモニアは侍女達にぶつからないようにちょこまかと避け、部屋の隅に行ったり、うろうろしたり、大胆にもアーキアの寝台に近付いたりもした。

 人はすり抜けるのに何故か部屋からは出られないので、そうするしかなかったのだ。


 アーキアの寝台には名付けられたばかりのラゼリードが白いおくるみに包まれて眠っていた。

 アーキアは疲れた顔をしていたが、娘を見る眼差しは、とても慈愛に満ち溢れていた。

 ハルモニアは調子に乗ってアーキアの寝台に身を乗り出してラゼリードを覗き見る。

 生まれたばかりなので赤い顔をしていたが、頬はぷくぷくと丸く健康そうに見える。


 ──触ってみたいな。

 ハルモニアは開き直りも早い。


 だからラゼリードの過去を垣間見れるのなら、とことんまで楽しんでしまおうと考えた。

 そうでも思っていなければ不安に呑まれそうに思ったからだ。

 ハルモニアは、そっと指を差し伸べてラゼリードの頬をつついた。


『あれ?』


 ラゼリードにだけは…触れる事が出来る。

 彼が首を傾げた途端、赤子のラゼリードは火がついたように泣きだした。

 アーキアが身を起こす。


「あらあら、お腹が空いたのかしら。それとも、むつき? …むつきね」


 アーキアは我が子のおくるみを剥がし始めた。ハルモニアはそれを見ても良いのかどうか迷った挙げ句、見る事にした。


『あ』


 剥がされたおくるみの下、赤子のラゼリードの胸に小さな小さな蝶の紋様があった。

 ハルモニアは、3年前にエカミナ宅の風呂場でエイオンと交わした会話を思い出す。

 確か蝶の紋様も、羽根の紋様も生まれつきだと言っていた。


 ──本当に生まれつきなんだ。


「アーキア様、わたくしめにお任せ下さい」


 赤子の泣き声を聞いてやってきた侍女が、アーキアの手からラゼリードを取りあげた。

 王妃にむつきを替えさせるなんてとんでもないとでも思ったのだろう。


 ──あ、ここにも。


 ハルモニアはラゼリードの背中を見た。

 やはりそこにも小さな小さな黒い翼の紋様があった。

 侍女はラゼリードを綿の毛布を敷いた台に載せるとむつきを外そうとした。

 流石にこれは見てはいけないと思い、後ろを向いた所で。

 ぐるり。

 目が回った。



 眩暈が治まった時にはハルモニアは違う場面に居た。



 場所は同じくアーキアの部屋。

 侍女の姿は無く、アーキアが半身を起こしてラゼリードに子守歌を歌っていた。


『あ、これは……』


 ハルモニアは耳を傾ける。

 歌詞こそ違えど、ハルモニアの母が妹に歌っていた子守歌とメロディーが同じなのだ。広域に渡って伝えられる有名な子守歌だったのか。

 ハルモニアの胸に切ないものがこみ上げた。

 つい先程までルクラァンに居たのに、今は過去のカテュリア。この落差はなんだろう。

 時編む姫の言い付けを守らなかった故の自業自得とはいえ、不安になる。


 ──帰れるの……だろうか。


 ハルモニアの不安を余所に、カテュリアの時は流れ続ける。


「アーキア、今いいかね」


 セオドラと、その後に続いて柱のように背の高い男がやってきた。

 ハルモニアは目を丸くする。


 ──さっき戴冠式で視た……男!?


 その男は、背がとんでもなく高いだけではなく、髪もとんでもない長さだった。

 金色の前髪は端正な顔の顎の辺りで切り揃えてあるが、襟足は腿はおろか膝まである。

 女性ならば立っているだけでも引き摺る程の長さの髪だ。


「アーキア様、御加減は如何ですか?」


 背の高い男は目線を合わせる為、跪いてアーキアに問う。

 巻きスカートのような長い腰巻きエプロンと金髪がふわり、床へと舞った。

 その仕草がまるで天使が地に降り立ったように見えて、ハルモニアは思わずゴシゴシと目を擦る。


「フィローリ、わざわざありがとう。大した事は無いのよ」


 ハルモニアはアーキアの発した名に、ぴくりと眉を顰めた。


 フィローリ。


《フィローリ・アーシャ・カテュリア。カテュリアの先代守護者です》



 ハルモニアの思い出の中で、白い乙女が泣きそうな顔をして呟いた。

 あの声を忘れられる訳が無い。

 この男が。長じたラゼリードの……夫。

 俺がラゼリードに会う前に死んだ男。

 その為、今も遺されたラゼリードの心に爪痕を残す人物。


 そしてラゼリードが女王となって、自身が現世から離れた今もラゼリードの側に居る男か。


 ハルモニアの内心で、対抗心のようなものがむくむくと湧いてきた。


 ハルモニアが会ったラゼリードは、女性にしてはかなり背が高かった。

 だから背の高い男がいいのか。

 それとも顔か。性格か?

 ラゼリードはこの男の何処を好いて添ったのだろう。


 死んだ相手に会えるなど、なんて好都合なんだろう!

 観察する絶好の機会じゃないか!


 ハルモニアは通り抜けないように慎重に距離を測り、ギリギリまで側に寄ってフィローリを覗き込んだ。

 フィローリは新緑色の瞳を伏せがちにしてアーキアの脈を取っている。

 気付いた様子はない。よし、とハルモニアは観察に入った。

 眉や睫毛まで金色だ。彫りの深い顔立ちで、肌は白い。

 緑の瞳が肌色によって引き立てられている。

 厚めの唇が笑みを形作ると柔和な印象が増した。


 ……成る程。美形だと言っていい。


 それに背の高さの割には威圧感がまるで無い。優しげな面差しの所為か。

 王妃に話しかける声は柔らかなテノール。

 第一印象は確かに良い。

 このような男性とずっと共に過ごせば、女性であったなら恋に落ちてしまうかも知れない。

 いや、落ちたのだろう。ラゼリードは。

 なんだか無性に悔しくなってしまい、ハルモニアはフィローリの髪を踏みつけてやろうとして……


 ぎょっとして飛び退いた。


 何故なら寝台の側に跪いたフィローリの髪は床に垂れて引き摺っている筈なのに。

 なのに……ほんの僅かだけ宙に浮いていて、床に触れていない。

 それもその筈。風の元素が髪を支えている。

 ハルモニアの視線に応じるように毛先が一束ぴこりと手を振るように揺れた。

 精霊ならではの反則だ。

 こんな技を使う精霊もいるのか。

 ハルモニアは驚きに跳ねる胸を押さえて後ずさった。


 そうこうしていた矢先にフィローリはアーキアの診察を終え、セオドラと共に立った。


「またお伺い致します。何かありましたらいつでもお呼び下さい」


 フィローリがにこりと微笑み、王妃も微笑みで応えると、例のごとく彼は優雅にお辞儀をして立ち去ろうとした。

 扉が開く。

 ハルモニアにはどうしても開けられなかった扉が。


『あ、どうしよう!』


 ハルモニアは部屋を離れるべきか否か一瞬だけ迷い、フィローリ達に張り付くようにしてアーキアの部屋を出た。

 ここへ来てから迷ってばかりだな、とハルモニアは一人苦笑する。


 初めて見るアーキアの部屋以外のカテュリア。白い廊下はどこまでも伸びている。第一印象はまず白い。そして広い。

 窓の外には鮮やかな緑。

 夏らしく、庭園には白い花が咲き乱れている。何という花なのかは分からないが、百合に少し似ていた。

 母レカに似合いそうな清らかな花だった。

 ハルモニアがきょろきょろと辺りを見回していると、セオドラがフィローリを耳元に呼び寄せ密談を始めた。

 ハルモニアはそこに姿が見えないのをいいことにずけずけと首を突っ込む。

 未来からの闖入者に聞かれているとも知らず、過去の2人は廊下の隅で立ち話をした。


「アーキアの事なんだが……」


「はい」


「子を身ごもった頃から妻は不安定だった。ラゼリードを産んで少し落ち着いたようだが、まだ安心は出来ない。くれぐれも『あれ』がアーキアの目に触れる事がないように守ってくれるか」


「承知しております」


 背の低いセオドラに合わせて顔を寄せていたフィローリは、ハルモニアから見たら少し青ざめているように見えた。


「それでは私は執務室に戻る。妻と娘の顔を見るのでさえ分刻みだ。忙しいよ」


「ご無理はなさいませんよう」


 セオドラはそのまま白い廊下を歩いていった。廊下に配置された兵が次々と敬礼を送る。

 フィローリは少しばかりセオドラの後ろ姿を見送ってから反対側へと歩き出した。

 ハルモニアもフィローリの横に並び、歩き出す。


 そのうち、侍女達が廊下の壁のランプに油を差している所に出くわした。

 脚立を支えていた侍女が歩いてきたフィローリに気付いてパッと顔を上げた。


「フィローリ様!」


「きゃっ!」


 脚立の上に居た侍女が、下に居た侍女の声に驚いてバランスを崩す。


「危ない!」


 フィローリは小走りになると同時に魔法を放ち、脚立から落ちかけた侍女と、彼女の手から落ちた油差しを風で支える。

 彼は体躯の大きさからは想像出来ない素早さで脚立に近寄ると、風に支えられた侍女を助け降ろした。

 脚立を支えていた方の侍女が羨ましそうな目を相棒に向ける。


「君たち、油差しは男性の役目だよ。せっかく僕のような柱みたいな男が居るのだから任せて」

「いいんですか?」


「守護のフィローリ様にそんな事……」


 口々に言う侍女達に、フィローリがにっこりと微笑みかけると彼女らは即座に黙った。はにかんだ顔でフィローリを見上げて嬉しそうにしている。

 フィローリは宙に浮いたままの油差しを手に取ると脚立も使わずに油を注いだ。


 相変わらず側に居たハルモニアは一部始終を見て呆れかえった。


 ──こいつ…。


 フィローリは自分の外見の良さを十二分に活かしながら口説きはしない。

 なのに、いや、それだからこそ女性から憧れの眼差しを得ている。

 それすらも彼は自覚しているに違いない。

 まるでどこぞの遊び心の君だ。

 女と遊ぶか遊ばないかの違いはあるが、根本的な自覚が似ているのだ。

 いや、フィローリを見かけたのはついさっきだ。意外と女を口説いているかも知れない。


 ──こんな女たらしにラゼリードは引っかかったのか?


 面白くないにも程がある。

 こうなったらとことんまで、こいつの本性を暴いてやる!

 ハルモニアが鼻息を荒くしていると、元来た方向……つまり王妃の部屋の方が騒がしくなった。

 無駄に微笑みを振りまきながら侍女の代わりにランプに油を差して回っていたフィローリがハッと表情を引き締めた。


「終わったよ。悪いけれど道具を片付けてくれるかな? 僕はもう行かないと」


「はいっ! ありがとうございますフィローリ様!」


「ありがとうございます!」


 お辞儀をする侍女にやはり女たらしのような仕草で手を振ったフィローリは、足早に王妃の部屋へと歩き出した。

 ハルモニアも何が何だかわからないままフィローリに付いて歩く。

 尤も、フィローリが気付いている筈は無いのだが。


 王妃の部屋からは悲鳴が漏れ聞こえていた。

 扉の前でおろおろと立ち尽くす侍女を掻き分けてフィローリ(とハルモニア)は室内に入った。

 侍女をすり抜けてしまい寒気に襲われていたハルモニアは、室内に入った途端に発せられたアーキアの悲鳴に背筋を凍り付かせた。


「アーキア様! 落ち着いて下さい!」


 フィローリが寝台に歩み寄る。

 アーキアは紫の瞳を真ん丸く開いたままガタガタと震えていた。

 部屋の隅には赤子のラゼリードを抱いた侍女達が体を竦ませている。

 アーキアが唇を開いた。慄きながら指を指す。


「フィローリ、フィローリ、ねこ…が……桃色の瞳の猫が見えるの…!」


示された先にはラゼリードを抱いた侍女が居た。

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