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戴冠 ─蝶々姫第二章─  作者: 薄氷恋


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3/19

3・戴冠式

 その頃、ラゼリードは暖められた簡素な部屋で純白の綿のローブに身を包み、ひたすら冷水を浴びていた。


 禊ぎの儀式である。

 此の場所で歴代の王は即位の前に迷いを捨ててきた。


 山に囲まれ、立地も山間部であるカテュリア王城イヴァナンには水路が人の手で引かれている。

 ラゼリードが今浴びている水は、イヴァナンの地下にある水の祭壇から運ばれてきたものだ。

 夏場でもひんやりと涼しいそこは、冬である今は足を運ぶだけでも凍るように冷たい。

 祭壇から汲み上げた水も、氷が浮いていてもおかしくない。

 ラゼリードは白い頬を寒気で赤く染めながらも、ただただ聖なる祭壇の水を浴びる。


――迷いがまだあるからだ。


 自分が子供を授かる事は無い。

 そんな身で玉座に上って良いのか。

 父の前では気負ってみせたが、自分に王たる資格は無いのでは。

 父が言った通り、クリスチユが王になった方が良かったのではないか。


 けれど……


──わたくしは、この国を

──この手で治めたい。

──この手で護りたい。

──かつてフィローリがわたくしに望んだように。


──フィローリ。貴方の為に。


 ラゼリードは色違いの瞳を伏せると、最後に頭から勢い良く水を浴びる。

 銀の髪から滴り落ちる雫の向こうに決意に満ちた瞳が光った。

 心は決まった。


◆◆◆


 時編む姫との約束の三日が過ぎた。


 ハルモニアは自室での禊ぎを命じられ、自室に戻ってきていた。

 侍女達はいきなり禊ぎをすると言った彼に戸惑いながらも、支度を始める。


 そんな折だ。ハルモニアの部屋の隣から子守歌が聞こえてきたのは。

 彼は興味を持って隣室の扉を開けた。

 扉の隙間から顔だけ突っ込んで中を見る。

 子守歌を歌っていたのは母・レカだった。

 揺り椅子に座って揺られながらまだ赤子である妹のメレニアを抱いている。

 メレニアはすやすやと眠っている様子だった。

 レカが気配に顔を上げる。


「あら、ハルモニア。うるさくしてしまったかしら」


「いえ、そんな事は。ただ、子守歌が聞こえたのが珍しくて」


「あなたがメルと同じぐらいの頃には歌ってあげたのよ。覚えてはいない?」


 ハルモニアは否定の意味で首を振った。


 母はメレニアをメルと呼ぶ。

 彼女にメレニアと名を付けたのは父で、産んだのは母ではなく、側室のターシャだった。

 地方に出向いた父が豪族の娘のターシャに手を出して孕ませてしまったのが契機で、側室に迎えられた。

 だが彼女が側室として王宮に居たのは、ほんの僅か一年程だ。

 メレニアを産んだ後、どうにも体調が優れなかったターシャは病床でメレニアを抱いたまま事切れた。

 それからは正室と側室の関係でありながら、ターシャとの仲は悪くなかったレカと乳母がメレニアを育てている。


「それで、どうかしたの? あなたのお部屋が騒がしいけども」


 レカが逆に質問してきた。


「時編む姫の言い付けなんです。特別なものを見せるから禊ぎをするようにと言われたんです」


「そう。今日も冷えるからちゃんと温まっていきなさい」


「はい、母上」


 メレニアがぐずりだしたので、レカは再び子守歌を歌い始めた。手はメレニアの橙色をした髪を優しく撫でている。

 ハルモニアはそっと扉を閉めた。


 なんだかとても不思議な気分がした。

 あんな風に母は自分を抱いて寝かしつけていたのだろうか。今のハルモニアには想像がつかない。

 禊ぎの準備が出来たと侍女が呼ぶのでハルモニアは部屋へと入った。



「これはどういう心算かしら?」


 ラゼリードは目の前に飾られた男性物と女性物の二着の儀礼服を忌々しげに見つめた。

 背後には縮こまった宰相ホーレン卿が手を摺り合わせている。


「……失礼ながら殿下は男性の姿におなり遊ばせる時があるとか。万が一、ご即位のこの日に男性であられた場合の為に作らせました」


 言い分は尤もであるが、それも所詮は言い訳に過ぎない。

 そうまでして男性の国王を祭り上げたいか。


「男性服を採寸された覚えはないわね」


「はあ……19歳の立太子式の時に作らせた儀礼服と同じ寸法です。殿下はこの4年、背丈も目方も変わっておられないとのことで」


 ラゼリードは胸がムカムカするのを抑えて、下がりなさい、と一言だけ言った。

 彼女は腰の低いホーレンが嫌いだった。

 この無駄金遣い。

 口の中でだけ毒付く。


 今のラゼリードには男性物の儀礼服など必要ない。

 それは女性が主体だから、ではなく、服を粉々に分解して望みの形に一瞬で再構築する魔法を持っているからだ。

 その魔法は精霊になった時から意図せず使えるようになった。

 他の精霊は誰もそんな魔法を持たない為、判明した時はフィローリにもシャロアンスにも大層驚かれたものだ。

 それまでは性別を切り替える度に下着から何から何まで着替えなくてはならず、また服も男女両方用意しなければいけなかったので、経済的にも面倒な体だとしか思えなかった。

 ある意味とても便利な身体になった今、二着の儀礼服は必要無い。

 ラゼリードは片方の服に手を伸ばした──。



 ハルモニアは湯から上がると、白いブラウスに同色の細袴、厚手の肩掛け付きチュニックを身に纏い、仕上げにレカから借りた紅薔薇と黒い羽根のブローチを首元に飾った。

 ブローチが少々女性的に思うが、時編む姫の言い付けなのだから仕方ない。


『黒い羽根を身に着けるように』


 その意味が解らないまま彼は身支度を整えると、時編む姫の部屋へと向かった。

 走りたくなるのを堪えて、一歩一歩確実に進む。


 それでも急ぎ足だったらしい。

 予定の時刻より早く着いてしまった。


 扉の前で懐中時計を睨んでいると、中から彼を呼ぶ声が聞こえた。


「お入りなさい」


 ハルモニアはポケットに懐中時計を仕舞うと、扉を開ける。

 時編む姫は禊ぎを終えて白いドレスに着替えていた。両手は頭の上。飾り玉の付いたかんざしを高く結った髪の付け根に差し込んでいる。

 飾り玉が同士がぶつかり合ってシャラシャラと音を立てた。


「早かったのね。侍女達に急がせたの? 急がなくても過去は逃げないのに」


「一瞬でも見逃したくないのです」


「欲張りさんね」


 ころころと時編む姫が笑う。


「さあ、準備をしましょう」


 時編む姫はくるりと踵を返すと奥の間に入った。そこは彼女の寝室である。

 ハルモニアは若干気まずい思いをしながら寝台にいざなわれた。

 時編む姫が沓を脱いで寝台の上に座る。

 彼女はそのままポンポンと膝を叩いた。


「は?」


 ハルモニアが意図を理解しかねて間抜けに問う。


「は? じゃなくてよ。わたしの膝枕で寝なさい」


「はっ? ええと…それが手順ですか?」


「勿論。わたしの瞳の能力を使うのだから眠ってもらわなければならないわ。但し、過去の世界では、絶対にわたしの手を離してはいけない。いい?」


「わかりました。では…失礼します」


 ハルモニアは靴を脱ぐと時編む姫の寝台に上がり、少し躊躇った後に彼女の膝に頭を乗せた。


「重くありませんか?」


「重いものですか」


 時編む姫はまた鈴を転がすように笑った。


「手を」


 言われ、ハルモニアは左手を差し出した。

 冷たい手が彼の手を包む。

 目隠しするようにそっと瞼に手が置かれた。

 その手もやはり冷たい。


「始めるわ。心の用意はいい?」


「は、はい」


 声が上擦る。酷く喉が乾いた気がした。


「古より生きし延時<えんじ>の名に於いて命ずる。過去を瞼に、魂をカテュリアに、眠りの中で逢瀬を」


──古より生きし

──延時!?

 それは精霊の始祖の一人ではないか。

 その名に於いて『時編む姫が』魔法を執行するとはどう云う意味だ。

 問う前にハルモニアは眠りに落ちていた。



 はらり。

 白い花びらがハルモニアの目の前に降ってきて彼は驚き、我に返った。

 それが雪だったと知って、彼は更に驚く。

 雪が深々と降っている。

 ルクラァンとは比べ物にならない大雪に包まれた白い大地。

 音すら吸い込まれそうな真っ白な景色にハルモニアは見惚れた。


「ここが……カテュリア?」


「ええ、そうよ」


 応えたのは左隣に立つ時編む姫だった。


「少し到着場所を間違えたみたいね。戴冠式の間に飛ぶわ」


「飛ぶって?」


 答えが返ってくる前にハルモニアは左手を強く引かれた。何故かぐるぐると目が回る。

 眩暈から立ち直った時には、ハルモニアは大勢の人が立ち並んだ玉座の間に立っていた。

 ざわざわと人の声が賑やかだ。


 ハルモニアは参列者の中にエルダナが居るのを見つけた。ルクラァン風の襟の高い衣装に厚いコートを着込んで、それでもとても寒そうにしている。

 ハルモニアは時編む姫の魔法でここに居る所為か、ちっとも寒くなかった。


「時編む姫、父上が…」


 隣に立つ時編む姫に話しかけようとした瞬間。


「ラゼリード内親王殿下のお出でです」


 ざわついていた広間が水を打ったように静かになる。ハルモニアもあっという間に雰囲気に呑まれた。

 ぎぃ……と、扉が開いた。

 先触れは髭を蓄えた白い衣の立派な司祭。

 その後ろにラゼリードが居た。

 ハルモニアの胸が大きく高鳴る。


 ラゼリードは襟が花弁のようにひらひらとした純白のドレスを纏っていた。

 ふんわりとしたドレスの裾には小さな紫晶石が散りばめられている。

 前髪は斜めに分けていた3年前とは違い、額の真ん中で分けて横髪を垂らし、後ろ髪は結い上げ真珠のピンで飾り付けられていた。

 額や耳たぶや首筋、胸を彩る宝石は全て紫晶石。

 差し色は彼女自身の左の瞳の赤と、唇の自然な紅色。

 髪型以外3年前と変わらぬ白い乙女の姿にハルモニアは頬を熱くする。


 ラゼリードは毅然とした態度で、見えぬ参列者であるハルモニアの前を通り越す。

 その後ろには王冠や錫杖、白豹の毛皮の付いた真紅のマントを捧げ持つ侍祭らが続いた。

 声を聞きたい。声を掛けたい。

 叶わぬ事と知りながら、ハルモニアはラゼリードを見送る。


 司祭の声が玉座の間に響き渡る。


「カテュリアに幸もたらす風の神、人々を暖める火の神、喉を大地を潤す水の神、花開く母なる大地の神。四神よ、此処におわすラゼリードをカテュリア女王と認め賜え」


 司祭が聖油をラゼリードの髪に垂らす。

 次いで温室から採られたであろう薔薇の花弁を撒いた。

 更にカテュリア建国以来、消された事のない火を灯した蝋燭を持つ侍祭二人が彼女の前を交差する。


「四神?」


 ハルモニアの呟きに、隣に立つ時編む姫が囁いた。


「カテュリアでは四大元素を神と崇めているのよ。中でも風はカテュリアで最も尊いとされているわ。400年前に風の加護を受けてからは特に」



 ラゼリードが鮮やかに色付いた唇をすぼめて息を吐くと、窓も開けていないのに強風が室内を襲った。

 しかし。

 戴冠式の間の賓客の衣も髪も全く翻らなかった。

 風は部屋を渦巻き、そしてラゼリードの髪とドレス、宝飾品だけを激しくたなびかせた。

 風に乱され、靴先が露わになる。

 その爪先が、


 ふわり。


 床から離れた。

 まるで風に攫われるようにラゼリードの身体が僅かに宙へと浮かぶ。

 ラゼリードはまばたき一つせず、風に身を委ねている。

 両腕を広げ、全身で受け止めるかのごとく。

 侍祭の上擦った声が強風の中、切れ切れに聞こえた。


「風の神が陛下を寵愛なされた…!」


 賓客の中から感嘆の声が次々に上がった。

 しかしハルモニアは歓声など聞いていなかった。


 彼と彼の専属教師には見えていたのだ。

 うっすらと身体が透けた長い金髪の男性が、ラゼリードの前に立っている様が。


「時編む姫…! あの男性は…!?」


「……現世を離れた者よ。今は一時的に現世を離れたわたしと貴方にしか見えない」


 ハルモニアは宙に浮いたラゼリードと、その前の男性に視線を奪われたまま、現世、とだけ呟く。


『ラゼリード、立派になったね。僕の……愛しき女王』


 男性の柔らかい声がハルモニアの耳にも届いた。

 どういう意味だ、そう呟く前に男性はラゼリードの額に口付けを贈り――


――そして金色の鱗粉のように溶けて消えた。


 風の乱舞は止み、ラゼリードが上座に降り立つ。


 司祭が厳かな口調で告げた。


「四神が認められた」


 ラゼリードが膝を折る。

 司祭の手により、赤い天鳶絨の王冠がラゼリードの頭上に載せられた。

 ラゼリードが立ち上がる。

 侍祭が彼女の手に錫杖を渡し、また別の侍祭が彼女に真紅のマントを着せ掛ける。


「今此処にカテュリア初の女王、ラゼリード・エル・グランデル・カテュリアが誕生した事を示す」


 司祭の宣言と共にラゼリードは一歩前に踏み出し、唇をほころばせて優雅に笑んだ。

 参列者から割れるような拍手が上がる。

 ハルモニアもつられて拍手をしようと時編む姫の手を、



 離した。



「ハルモニア!」


 時編む姫が険しい表情で手を差し伸べるのを、ハルモニアはゆっくりと倒れるように吸い込まれながら見ていた。

 声が出ない。

 酷い眩暈がする。

 ぐるぐると世界が回る。


──ああ、俺はラゼリードの戴冠式で無様にも倒れるのか。

──誰かが踏みつけたらどうしよう。

──白い服だから足跡が付いたら何が起きたかバレバレだな。


 そんなどうでもいい事を考えながら。

 ハルモニアは。


 時編む姫の前、即ち現在に果てしなく近い過去から姿を消した。


◆◆◆


「申し訳ありません、陛下」


 女性が謝る声が聞こえる。涙声だ。


「世継ぎの君を産めず、申し訳ありません。女児だなんて……」


 豊かな低い男性の声がした。


「何を謝るのだね、アーキア。私は今、最高に幸せなのだよ。見てみなさい、美しい黒髪の娘だ。私よりアーキアに似ているね。将来は美しく育つだろう。貴族王族達がこの子の取り合いをするんじゃないかな」


「責めないのですか、陛下…」


「責める訳などないよ。美しい妻が可愛い娘を産んでくれたのだから、褒める事はあっても責めなどするものか。そうだ、詩を作ろう。私達の記念すべき日を祝って」


 女性が感激に震える声で夫と思しき人物の名を呼んだ。


「セオドラ…」



「!?」


 その一言でハルモニアは一気に覚醒した。

 倒れ臥していた床からがばりと身を起こす。


 夏の太陽の日差しに透けた白いカーテンが、バルコニーから入り込む風に揺れていた。

 白い部屋である。

 天蓋付きの大きな寝台に黒髪の女性が横たわっていた。

 その側に座り、女性の手を握る若い金髪の男性。

 黒髪の女性は生まれて間もない赤子を片手で抱いている。

 ハルモニアは息を飲んだ。


 その黒髪の女性があまりにもラゼリードに似ていたからだ。

 髪の色が銀だったなら、ラゼリードそのものと言っても差し支えない。


 だが、女性は両目共に紫色だった。


「この子になんと名付けましょう」


 女性が言った。


「もう決めてあるんだ。『ラゼリード』。私の曾祖母の名だよ」



 ハルモニアは声が出なかった。

 もし声が出たとしても誰にも聞こえなかったに違いない。

 目の前で絶句しているハルモニアにも夫婦は気づかないのだから。



──絶対にわたしの手を離してはいけない──

 時編む姫の声が蘇る。


 ハルモニアは時編む姫とはぐれた事で迷い込んだのだ。

 21年前の、カテュリアに。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 思わず、あ!手ぇ〜!!Σ(゜д゜lll) …と思ったら離れた。この瞬間で起きた事の緊張が伝わりますね! [一言] 会話と共に語られていましたが、王妃レカの懐深い母性にカテュリア王室は救わ…
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