番外編 避暑地へご案内
※抱く抱かないの話ですが、別にえっちくはありません←
「あっ…… つい!」
思わず苛立った声が出てしまった。
けれど仕方がない。暑いのだから。
我が国は、数十年に一度は訪れると言われている猛暑に突入していた。比較的安定した気候の国なのだが、忘れた頃にやってくるこの熱帯。体感温度は四十度は絶対超えている気がする。
わたしは元々暑いのが得意ではない。
前世ではがんがんクーラーをかけ、アイスを堪能し、結果的に風邪をひくという魔のサイクルを幾度となく過ごしてきた。だがこの世界にクーラーなんて便利なものはなく、部屋にでかい氷を置いてみたり、足を冷水に浸してみたりという対策しかない。
それに加えて、わたしはご令嬢だ。未婚の麗しい女性だ。どんなに暑くとも、コルセットを脱ぐことははしたないとされているし、足を見せるのだってもっての他なのである。……侍女が退室した瞬間、まくったのは秘密だ。一人だし。
「うう……溶ける……なんの拷問なの……」
何とか涼しくならないかと、日陰をさまようが、まとう空気が生ぬるいのであまり意味はなかった。
「ミュレイお嬢様、お手紙が届いておりますが……大丈夫ですか?」
「え、ええ」
部屋の氷の前に鎮座するわたしに、侍女も心配そうな顔をしている。彼女は南の国に住んでいたこともあるので、こういう暑さはそれほど苦ではないようだ。
渡された手紙の贈り主を見る。ケルヴィンだ。
「……」
「……お嬢様?」
「行くわ!」
中身を読んで無言になったわたしが突然叫んだので、侍女はびくぅっとする。ごめんなさい。
「ケルヴィンから避暑地へのお誘いよ!」
オールガー侯爵家が持つ別荘に、数日ではあるが滞在しないかという内容だ。両親にはオールガー家より別で手紙を送ってあるらしい。
下の階から「ミュレイ!すぐ準備だよ!」と父のはずんだ声が聞こえて来た。わたしの暑さが苦手な遺伝子は、父から受け継でいたらしい。
オールガー家の持つ避暑地は、王都より離れた東の領地にある。ツェンネル家の馬車で両親とわたし、それから使用人の中でも暑さに弱い者数名を連れて、直接そこへ向かった。
「この度はお招きいただきまして」
「いやいや、王都は猛暑だからね。アルドルフ殿も城で会った時はかなり辛そうだったから、どうかと思ったんだよ」
義両親が朗らかに出迎えてくれた。
避暑地のなんと涼しいことか!さすが避暑!暑さ避ける土地!
お母さまは割とけろりとしていたが、お父さまをはじめわたしや侍女たちは、ほうと息をついた。暑いには暑いが、あの肌から溶けそうな温度ではない。
お義母さまが汗を流していらっしゃい、と言ってくれたので、浴室をお借りしてここまでかいた汗をすっきりさせる。それからさらりとした素材のワンピースに着替えて、四人がいるテラスに向かった。
「ケルヴィンも、夕刻頃には着くそうよ。それまでゆっくり冷たいお茶でも飲んで過ごしましょう」
「はい。彼も大変ですね。あの炎天下の下、脱水症状を起こして倒れたりしないのかしら」
「あいつは頑丈だからね。風邪だって、幼い頃から数えても数回しかひいたこともないよ。暑さも慣れれば大したことはないというくらいだし」
だから彼の基準は『慣れ』なのだろうか。その時の状況に合わせて体温調節できる生態系なのか。その機能を分けてほしい。
二人の言う通り、ケルヴィンは夕食前には避暑地に着いた。
「お疲れ様。お邪魔しているわ」
「ああ、くつろいでくれ。君は相当暑さに弱いらしいからな」
お姉さまがセルシスさまに『少し暑くても動けなくなっちゃうの』と心配を漏らしていたらしい。お姉さまの優しさに感謝だ。こうして暑さから逃れることが出来たのだから……!
ケルヴィンは着替えてからここに来たらしく、いつもの騎士の服装ではなく、シャツとボトム、少し長めのローブの下に滞納と割とラフな格好だった。
「……そのローブ脱いでしまわないの?見ていて暑苦しいのだけれど」
「……本当に苦手なんだな」
人の服装にまでケチをつけ始めるわたしに、ケルヴィンは苦笑しながらローブを脱いだ。使用人がそれを受け取り、飲み物を出すために一度退室していく。
屋敷を好きに見ていいと言われたので、わたしは庭や書物庫などを見せてもらっていた。玄関に馬車が付いたのが見えたので、彼のお出迎えに参じたというところである。いまいる部屋は、二階にある談話室だ。さすが侯爵家、色々と部屋数が多い。
「顔色が悪いな」
「暑くて食欲もなかったもの。でも、呼んでもらえて本当にありがとう。わたしそろそろ、溶解か分離でも起こすんじゃないかと思っていたの」
「なるほど。原型が残っている時に救えて何よりだ」
ケルヴィンは汗ひとつ浮かべておらず、出された冷たいお茶を飲んでいる。わたしも少し体から熱が逃げたので、そよそよとした心地よい風にうとりとした。それに気づいたのかケルヴィンは隣に座って来ると『夕食まで少し時間がある』と告げて来た。
「もたれていいから、少し寝ていろ。その様子だと、夜もあまり眠れていないな?」
「だって暑いんだもの……コルセットが二段階も細くなったのよ。二段階って、おかしくないかしら?」
「君のコルセット事情は知らないが、ここにいる間は体力をつけたほうがいい。どうせ戻ったら暑いのだから」
「その現実は言わないで……」
帰ったら地獄。忘れたい未来だ。
わたしはケルヴィンに甘えてそっと肩に頭を寄せる。わたしが転がらないように支えてくれるので、それはうたた寝にはちょうどいい体勢だった。
おしゃべりをしようと思っていたのに、目を閉じた瞬間にわたしの意識はまるでなくなり夢の世界に誘われていた。
「ミュレイ、起きられるか?」
「ん……」
肩をゆさりとされ、ぼんやり目を開ける。
隣のケルヴィンから夕食だと聞かされた。
「ごめんなさい、本当に寝てしまったわ」
「ああ、熟睡していた」
「……悪戯していないでしょうね」
「俺の認識に異議がある」
まだうつらうつらしているわたしの頬をケルヴィンの手のひらが撫でた。ひんやりとした感触に、わたしは、ふふっと笑ってしまう。
「あなた体温が低いのね。だから暑くても平気なんだわ」
「そうだな。寒い方が得意ではないかもしれない」
「人間冷却器……」
「そんな称号はいらないのだが」
ハッとして呟くと却下された。
わたしもようやく意識がはっきりしてきたので、ケルヴィンと共に夕食に向かった。メインディッシュは白魚の香草焼き。すっきりとしたハーブの香りもあり、久々にちゃんとした量の食事をとれたような気がする。
「ミュレイさん、お部屋のことなんだけど」
「はい」
食後のお茶を飲みながらお義母さまに聞かれ、首を傾げながら返事をする。
「どうしたらいいかしら?」
「えっと、どうしたらとは……?」
「ケルヴィンと同じ部屋の方がいいのかと思って」
お父さまとケルヴィンが紅茶で咽た。お義父さまはひきつった顔で妻を見、お母さまは「あらあら」と頬に手を当てて笑っている。
「ケルヴィンはほとんど城にいて会う事も少ないし、こういう機会でないと」
「母上、それはこういう場で堂々と言う事ですか」
「あなたがこそこそと、夜這いしに部屋へ行く方が問題です」
「なんで俺が夜這いしにいく前提なんです」
片手で頭を押さえてしまっている。
わたしは何と返していいかわからず、口元に笑みだけ向けて固まっていた。
え、そういうのって親公認でするの?そういうものなの?
「あ、あのお義母さま……」
「なあに?」
「その……婚礼前にそういうことをするのは、普通なのでしょうか……?」
婚礼前にそういうことをして仮に新しい命を授かっても、元の世界でならおめでたいねぇで終わるが、貴族として外聞が悪いのではないだろうか。
そういう意味で聞いたのだが、女性ふたりは何やら勘違いしたようで、とっても微笑ましい目で見られた。なんでしょうか。聞くのが怖い。
「やはり思っていた通り、とても慎ましくて可愛らしいお嬢さんね」
「そうよね。そういうことは、本当の夫婦になってからするものよね」
全然ちがうことを結論付けられた……!
二人の目には『大切な日までそういうことはとっておきたい』と言っているようにでも見えたのだろう。わたしがただ恥ずかしい子みたいではないか!
だが否定するのもおかしいので、ぐぬぬ……と耐え、無言で俯くことで我慢する。それがひどく照れているように映ったらしく、お父さまとお義父さまが話を変えてくれたことでようやくひと段落ついた。
すべてを達観したご夫人たちは、みんなこんな風にオープンに会話するものなのだろうか。勘弁してほしい。
「あれほど穴に入りたいと思ったことはないわ……」
「俺の母も率直な性格だが、ツェンネル夫人もなかなかだったな……」
最終的に寝るまで二人で過ごしていなさい、とまで言われ、昼間にいた談話室でケルヴィンとそんな会話をしている。わたしの寝室は結局違うところを用意してくれたようだ。
ちら、と視線を向けると、微妙に視線を逸らされる。それもそうか。あの会話のあとの二人きりは、なかなか気まずい雰囲気になる。向かいに座っているのも、きっとそのせいだ。
「 前も言ったけど、わたし脳内お花畑じゃないの」
「……そうか」
「でもだからって、あの流れでの同室はないわ。それだけよ」
「ああ」
「だから、その、ケルヴィンがいやというわけでは、ないのよ?」
遠まわしに拒否したと思われていないか心配になりそういうと、彼はやや目を見開いた後それは大きなため息をついた。
「わかっている。俺もあの空気で同室は無理だ」
「そ、そう。それならいいの……」
「頼むからその顔はやめてくれ。君は俺に我慢比べをさせているのか」
「は、恥ずかしいには変わりないのよ!」
顔が熱いので真っ赤なのは気づいていた。それにケルヴィンの視線が、いつもとほんのちょっとだけ違うのも。それだけで動悸がして、死んでしまいそうになる。どうせならお迎えはお姉さま似の女神さまを希望します!
ケルヴィンはわたしの様子を見つめたあと、また軽く息を吐いた。
「心配するな。俺は任務があるから明日帰る。その間、煩悩は捨て置くことにする」
そういうとケルヴィンが立ち上がるので、怒ってしまったのではないかとわたしも慌てて立ち上がった。すると彼はきょとんとして笑う。
こちらに歩み寄って来ると、額に軽く唇を押し当てて来て「君に嫌われるようなことは避けたいだけだ」という。
「あと数か月の話だろう。俺の忍耐力をなめるなよ」
「なんだか数か月後が恐ろしいのだけれど」
ふいに唇を重ねてきて、今までにない濃厚で長いキスをされる。
ふ、は、と息も絶え絶えになった私の頬をなぞるとケルヴィンは口元に笑みを浮かべた。
「覚悟しておくのは、君の方だという話だ」
最後に軽くキスをすると「おやすみ。ゆっくり休みなさい」とソファに座らされ出ていってしまう。ひとりぽつんと残されたわたしは、両手で頬を包んで悶絶した。
ケルヴィンは早朝に避暑地をあとにし、わたしたちはその後三日ほど滞在させてもらった。
「あつい……」
どういうわけかその間も、どこにいようと日陰に入ろうと、わたしは熱に浮かされたような状態になっていた。これでは避暑地に来た意味がないではないか!
ふと、最後に触れたケルヴィンの指先も熱かったことを思い出す。
今なら王都の暑さも感じないのではないだろうかと、頭の片隅で考えながらわたしの夏は過ぎていくのだった。




