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序章 その魔導士、効率主義につき――異世界市場と顔だけ勇者

「感情は常に市場から生まれるのよ。」



 薄暗い天幕の中、羊皮紙ならぬ立体的に浮かび上がる幾何学模様の光彩:演算魔導端末を見つめながら、私は静かにワイングラスを傾けた。琥珀色の液体が揺れ、端末から放たれる青白い魔力の光を鋭く反射する。私の名はリナ・アーカム。二十四歳。この勇者パーティーにおいて『魔法使い』という古風な肩書きでギルド登録されているが、実質的な役割はアナリスト……いや、このパーティーの全資産を管理し、軍事投資を主導する最高投資責任者だ。



 世の凡夫どもは「愛」だの「友情」だの「正義」だのと熱っぽく語りたがる。だが、幼い頃に身ぐるみを剥がされるような貧困と世界の不条理を味わった私は、疾くに悟っていた。そんな目に見えない「感情」など、一文の得にもならない無価値な雑音に過ぎないと。世界を動かしているのはいつだって数字だ。需要と供給、減価償却と利回り。効率と市場原理こそが、この歪んだ世界における唯一絶対の真理なのだ。正義で腹は膨らまないが、利益確定は最高級のワインをもたらしてくれる。「ポケポケ。昨日の勇者防具チェーン店『ユウボウ』の売上と市場変化の報告をお願い。」端末の傍らにぷかぷかと漂う、丸い毛玉のような球体召喚獣。私の相棒であり優秀なデータ入力端末でもあるポケポケに問いかける。「ポケッ! 了解ポケ!『ユウボウ』のレプリカ聖剣の売上は前週比十二%増!カイルのビジュアルを前面に出した魔導動画CMの効果が絶大だポケ!主に十五歳から三十五歳までの女性層からの購買意欲が爆発してて、工場での量産ラインがパンク寸前だポケ!……でも、大変ポケ! 魔王軍の公式SNSのフォロワー数が急激に伸びてるポケ!」



「落ち着いてポケポケ、すぐに全ての魔法サーバーに接続して!」



 私が空中に細くしなやかな指を走らせ、演算魔導の解析高度を一段階引き上げる。青白い光の数式と折れ線グラフが、空間に幾重にも展開し、高速で流れていく。市場の動向をリアルタイムでクロールする魔導プログラムの挙動を厳しく凝視する。「理由がわかったポケ! 魔王軍の新業態、『魔王Theデビル24フィットネス』のチェーン展開が原因だポケ!人間の総人口約四十六億人に対して、魔族人口は約七十二億人!人口の差がダイレクトに数字に表れてるだポチ!」「……『魔王Theデビル24フィットネス』?」私は眉をひそめた。 魔王軍の奴ら、ついに筋肉のヘルスケア市場にまで手を広げたというの?従来のような「怪力を誇る魔族」という雑なブランディングを捨て、二十四時間いつでも利用できる低価格ジムを魔界全域にフランチャイズ展開。魔族の体幹と基礎筋力を底上げして実質的な兵力強化を図りつつ、毎月定額のサブスクリプションで莫大なキャッシュフローを生み出しているわけね。非常に合理的で、かつ嫌らしい戦略だ。「ポケポケ、『魔王Theデビル24フィットネス』の株を念の為に買い増ししときなさい。親会社の魔界ホールディングスのポートフォリオもチェックよ。」「また、ポケか!? 敵の株を買うなんて、正義の勇者パーティーとしてどうなんだポケ!?」「経済成長率は、魔王軍に部があるわ……ここは耐えるのよ……敵の成長に相乗りして資本を増やすのは、リスクヘッジの基本中の基本でしょうが。」ため息をつき、端末の数値を切り替える。経済の地殻変動はすでに始まっているのだ。武力だけに頼った血生臭い力押しなど、大局の見えていない愚者の選択に過ぎない。「これで、新しい極大魔法を買えるわね。しかもオプションでエフェクトの最上位グレードでお願いするわ。」「エフェクト……見た目派手にするだけの高額オプションポケ!?リナ、効率主義の癖にそういうところだけ無駄遣いするポケ……」「無駄ではないわ。戦場における威圧感と視覚的パフォーマンスは、後に配信する討伐映像のロイヤリティ跳ね上げに直結する広告宣伝費よ。ド派手な爆発と神秘的な光の粒子があれば、投げ銭の額が平均で二・四倍になるというデータが出ているの。回収が見込める投資は無駄遣いとは言わないのよ、ポケポケ。」



 「おーい、リナ! どうだい、こっちでガルドと一緒に紅茶の時間を過ごさないかい?」天幕の入口を覆っていた重厚な布がめくられ、眩いばかりの光と共に一人の男が入ってきた。透き通るようなプラチナブロンドの髪、ギリシャ彫刻のように整った眉目、そして見る者の警戒心を瞬時に打ち砕く、どこまでも爽やかで無害な笑顔。カイル・バロン。二十六歳。我が勇者パーティーの「顔」であり、表向きのリーダー(兼・最高経営責任者)だ。「まぁ、落ち着きなよガルド。さぁ一緒に紅茶でも飲もう。最高のダージリンが入ったんだ。」後ろでフシューッと荒い鼻息を荒げている大柄な男。重戦士ガルドの猛牛のような肩を優しく叩きながら、カイルは極上のスマイルを振りまく。その立ち振る舞いは、ただそこに立っているだけで後光が差しているかのように絵になる。「……勇者は紅茶ばかり飲んで気楽なもんポケね」ポケポケが私の肩の後ろでボソリと毒を吐く。「顔、スタイル、性格は一級品なの。多めにみましょ。強さは、スキルの買い付けで何とでもなりますが、情動を引きつけるカリスマは天性の才能よ。」「……そう言って、毎回勇者を乗り換えるのはリナの悪いくせだポチ。前のワイルド系勇者も市場価値が落ちたらあっさり契約解除したポケ……」「こ、今回は大丈夫よ!カイルは完璧なビジュアルなんだから!アセットとしての市場価値が衰える気配すらないわ!」私は少し咳払いをして翻し、カイルへと視線を向けた。「それにさ、リナ」カイルは腰に差した美しく飾られた聖剣の鞘を、愛おしそうに撫でた。「僕の聖剣ソクラテスも、エフェクト付与によって喋れるようにしてもらってから武器に愛着が湧いてきたよ。少しお喋りなのがたまにキズだけどね。」「おいカイル! 紅茶の前に私の柄を柔らかい布で拭けと言っているだろ!メンテナンスの怠慢による光沢の低下はブランド価値の暴落を招くぞ!あと私を雑に卓上に置くな!静電気でホコリがつく!」聖剣から甲高い、やたらと知性ぶった声が響く。先月、高額なオプション料金を払って追加した「思考・会話言語モジュール:ロゴス」だ。



 「な、なに俺様の斧にスポンサーのロゴを刻むだと!!」天幕の奥から、ついに耐えかねたガルドの大声が雷鳴のように響き渡った。ガルド・ゴウザン。四十二歳。一歩歩けば地面が物理的に揺れるほどの巨躯と、全身に刻まれた戦傷を誇るベテランの重戦士だ。「お、俺様の爆裂粉塵:強欲の鎧にビジュアルアップエフェクトを付与するだと!舐めるなよ小娘!俺は誇り高きゴウザン一族の戦士だ!鎧は己の魂、斧は命!市場だの広告だの、そんな軟弱なくだらん戯れ言に付き合えるか!」真っ赤な顔で太い腕を振り回し、怒鳴り散らすガルドに対し、私は静かにワイングラスを卓上に置いた。カツン、と小さな音が天幕内に響く。「ガルドさん。あなたのギャンブル依存症で積み上げた多額の借金を肩代わりして完済し、なおかつ今の地位と名誉を手に入れられたのは、一体誰のおかげだったかしら?それにギャンブルのためにその誇り高き鎧を質屋にいれたのは誰かしら?」「……ぐっ」絶句するガルドに、私は冷ややかな笑みを向けながら一歩一歩近づいていく。「あなたのその立派な胸甲は、ただ敵の攻撃を防ぐためだけの不骨な鉄の塊? 違うわ。毎日あなたを泥臭く応援している熱狂的なファンという名のインフルエンサー顧客層へ、大手ビールメーカーや防具研磨剤メーカーのメッセージを届ける、最高等地の動く巨大看板よ。」「い、言い草ってものがあるだろうが!俺は看板じゃねえ!武人だ!」「武人としてのプライドで、毎月の利息が払えるのかしら?あなたが戦場で一回斧を振り回すたびに、斧の側面に刻まれた『酒造の銘柄』がバッチリ討伐動画のカメラに映り込む。それだけで月額二万ゴールドのスポンサー料が発生しているの。断るというなら、これまでの肩代わり費用全額に年利十四・五%の遅延損害金を乗せて、即座に一括返済していただくけれど?」「……と、とにかく俺は!承認せんからな!式典の時だけだぞ!実戦では絶対に絶対に着んからな!」ガルドは丸い背中をさらに丸め、腕を組みながらぷいっと横を向いた。典型的な敗北者のリアクションだ。「ポケポケ、付与の手配をしといて。どうせ本人は戦いが始まれば夢中になって気が付かないから……」「それを、知っておきながら毎回ガルドをいびるのは悪い癖だポケ……ガルドのメンタルヘルスケア費用もバカにならないポケ……」「ふふ、人生は数字だけじゃないわ。時にはこうして場を和ませる余裕も必要なのよ。」



 カイルが淹れてくれた、ほのかに甘い香りが漂う最高級のハーブティーを一口含みながら、私は思考のギアをさらに切り替える。「ポケポケ、こないだ頼んだ新しいパーティーのメンバーの進捗はどうなの?」「冒険者登録所からの詳細な解析データは揃ってるポケ。将来的にSNSで『バズる』確率が八十七・四%を超える、イケメン魔法剣士の新人を見つけてあるポケ。現在、専属の早期独占契約の打診中だポチ。」「上出来よ。他社……もとい、他の競合勇者パーティーにスカウトされる前に、手付金を打ってでも確実に押さえなさい。勇者資格発行所の役員にも相応の調整費を握らせてあるから、競合のランクアップ審査やパーティ登録は意図的に遅らせるよう裏で働きかけてあるわ。」カイルは爽やかな笑みを浮かべたまままったりと紅茶を味わい、ガルドはブツブツと愚痴をこぼしながら砥石で大斧の手入れをしている。聖剣ソクラテスは「カイル、拭き方が甘い! 刃の先まで愛を込めろ!」と小やかましく主張し続けている。一見すると、どこにでもある少しキャラの濃い冒険者のパーティー。だがその実態は、最前線での軍事力行使と金融市場での資本運用を完璧に循環させるための、極めて洗練された投資ファンドであり、直轄の事業展開ユニットなのだ。



 魔王軍の台頭と「魔王Theデビル24フィットネス」に見られる急激な市場侵食。圧倒的な人口差が生み出す、人間界と魔族界の構造的な経済成長率の格差。そして、この国の中枢を覆う、見るも耐えない不都合な暗部。(……耐えるのよ、リナ。大きな市場の波は、必ずやってくる)私は心の中で静かに呟き、空中に浮遊する光る演算魔導のリアルタイムチャートに視線を戻した。青い光が私の瞳を冷たく照らし出す。「さあ、みんな。次の市場開拓(討伐依頼)の時間よ。最新装備の性能テストも兼ねて、莫大なキャピタルゲインを回収しに行きましょう。」異世界ファンタジーの生ぬるい常識を泥靴で踏みにじる、私たちの冷徹で、強欲で、何よりも美しい「経済戦記」が、今ここからはじまる。


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