◇5-2
もうすっかり日が暮れている。
馬車寄せまでのひんやりとした薄暗い道を、重い足取りで向かうジョエルと、しょげるシルビアであった。
マクスウェル邸の門番に不審者扱いされなければ、こんな苦労をしなくてもすんだのに。
「……あのへっぽこ門番、あとでこき使ってやるわ」
門番の厳つい顔が脳裏をかすめ、つい恨み言がシルビアの口を衝いて出た。彼は自分の職務を果たしただけなのに、とんだ八つ当たりである。
シルビアの毒舌っぷりに、ジョエルは「その意気だ」と愉快そうに表情を和らげた。
「ハッ、わたくしとしたことが……! 聞かなかったことにしてくださいませ、アヴリーヌ様……」
淑女失格だ。人前ではいつも気をつけているのに、ぬいぐるみになってからは失敗してばかり。シルビアは恥ずかしさのあまり、消え入りそうな声になった。
「ジョエルでいいよ。世間では完璧令嬢と評判だけど、本当はそっちがシルビア嬢の素なんだろう? ここは社交場じゃないんだから、気負わないで」
「ううっ……幼い頃は公爵家のじゃじゃ馬令嬢と呼ばれていました。お転婆で、情けないことにお淑やかとはほど遠くて――」
王宮の庭で王子にカエルをけしかけたことがあると言いかけて、シルビアは口を噤む。あれは、黒歴史だ。アーノルドを泣かせてしまい、かなり後悔している。
それから相当な努力をしたのだが……よくよく考えれば、自分を泣かせた女と婚約だなんてとんだ罰ゲームだ。コリンナがいてもいなくても、きっと結果は同じ。
(そんなことにも気づかなかったなんて、本当にバカよね)
自嘲するシルビアの耳に、張りのあるバリトンボイスが優しく響いた。
「そうか、頑張ったんだ。でなきゃ、とても『完璧』だなんて言われないよ」
琥珀の瞳が細まり、唇が緩やかに弧を描く。冷やかしの笑みではなかった。
頑張っただなんて、初めて言われた気がする。両親はシルビアを愛してくれたけれど、公爵家の娘が淑女であることは当たり前だったから。
「も、もう遅い時間なのに、ここはけっこう来客が多いのですね」
シルビアは頬が熱くなるのを感じて、慌てて話題を変えた。
「王宮職員の通用口だからね。家から急使が来ることもあるし、家族の面会室も備えていて、多少融通が利く」
「通用口……」
王宮がそうであるように、マクスウェル邸にも来客用の正門のほかに使用人用の裏口がある。あそこなら入れるかもしれない……とシルビアはひらめいて、ジョエルの服の袖を引っ張った。
「裏口でアボット商会の使いだと言って、メイドのララを呼び出してもらうの!」
アボット商会はララの実家だ。シルビアは美容品を扱うアボット商会から、度々新商品を取り寄せることがある。時には、裏口からララ経由で品物を受け渡すこともあったはずだ。
それに、シルビアの専属メイドのララなら、うまいことジョエルを邸内に引き入れられるだろう。
「よし、急ごう」
ジョエルは小走りで馬車に駆け込むと、慌ただしく出発した。
マクスウェル邸の裏口でララを呼んでもらうと、赤茶のポニーテールにキツネのようなつり目の小柄なメイドがやって来た。
「あなた、誰です? アボット商会の者じゃありませんよね。今、取り込み中で忙しいんですけど」
対面するなり、明らかにムスッとした表情で睨みつけられる。
「す、すみません。えっと、私はドルー伯爵の甥で――」
「この方は、白魔術師のジョエル・アヴリーヌ様です」
予想外のララの不機嫌さにしどろもどろになりそうなジョエルを遮り、シルビアは完璧令嬢らしく威厳のある声で堂々と告げた。
するとララは、つり目の瞳を更につり上げ、ジョエルに抱っこされているモコモコの白ウサギをジロジロと見る。
「腹話術……?」
「ちがーう! わたくしよ。黒魔術の呪いで、今はぬいぐるみなのっ」
シルビアは、ただのぬいぐるみではないという証拠に、モコ腕をブンブン振り回してみせた。
「その声、その話し方……シルビアお嬢様ですか!?」
「正解」
「お嬢様が危篤で、屋敷はてんやわんやですよ。医師のグッラットン先生によると今夜が峠だそうで」
「早く解呪しないと、わたくしはずっと白ウサギのままらしいわ」
「まあ! それはそれで可愛らしいですけどね。このモコモコの生地、触り心地が最高……」
ララは白ウサギのぬいぐるみをジョエルの腕から引ったくり、嬉しそうになでまわす。彼女は美容品を扱う商家の娘だけあって、美しいものや可愛いものに目がないのだ。
なでまわされたシルビアは、ひゃひゃひゃぁ~と奇怪な声を上げた。
「くすぐったい!」
「君たち、遊んでいる余裕はないんだけど?」
呆れ顔のジョエルが、痺れを切らして割って入った。
時計の針は夜の十時を回っている。解呪の準備にかかる時間を考慮すればギリギリなのだ。
真顔に戻ったララは「失礼しました、こちらです」と言うと、シルビアの寝室まで先導した。
扉が開き、現れた銀髪の青年とモコモコの白ウサギに、ルルとグラットンが注目する。
それから、ベッドに横たわる愛娘を覗き込んでいた公爵夫妻が振り向いた。その顔は涙に濡れていて――。
「お父様ぁぁぁ、お母様ぁぁぁ!」
誰かが言葉を発する前に、シルビアは感極まって泣き出した。




