湿地の薬師③
「さて、話はここまでにしよう。食事を作ってあげるよ。」
「えっ、ごはん! わたしも手伝う!」
アリアにとって魔法談義は退屈だったらしい。
さっきまで眠そうにしていたのに、『ごはん』の一言で瞬時に覚醒していた。
ぴょこりと立ち上がり、ルカのそばへ駆け寄る。
「なら、手伝ってもらおうか。トリスタン、君は裏から薪を取ってきてくれないか」
「わかりました」
***
鍋から立ちのぼる香りに、三人の表情が少し和らぐ。
アリアはせっせと野菜を刻んでいた。
薪を運び終わったトリスタンは鍋の中を覗き込んだ。
湯気に混じって、山菜と出汁の香りが鼻をくすぐった。
「肉が足りないです。もうちょっと入れましょう」
実際、鍋に入っているのはきのこや山菜がメインである。ルカは肉類はあまり好まないらしい。
包み隠さないその一言に、ルカは深いため息をついた。
「トリスタン……君は確かに魔法使いだよ。
だが、もう少し言葉の使い方を覚えた方がいいね」
アリアが吹き出した。
ルカも小さく笑って、かき混ぜていた木べらをそっと持ち上げる。
「ほら、干し肉が余っているなら入れておきなよ」
山菜のサラダ、スープ、そして硬いパン。
質素な食事ではあるが、静かで楽しい夕食だった。
ルカ自慢のスープには、ふんだんにハーブが使われていた。
鼻腔をくすぐるその香りは、これまでに嗅いだことのないものだったが、どこか懐かしく、食欲をそそる。
トリスタンは硬いパンをスープに浸し、ゆっくりと口に運ぶ。
甘く、そしてわずかにスパイシーな風味が、鼻を抜けていった。
「美味しい……です」
「うわ、ホントに美味しい!」
アリアも口元を押さえて同意する。視線はスープに釘づけだった。
「ふふ、そうだろうそうだろう」
得意げに頷くルカ。その横顔には、どこか誇らしげな笑みが浮かんでいた。
暖かな魔法の光に照らされ、夜はふけていった。
***
翌日、ルカから頼みがあると切り出された。
「頼み?昨日の魔獣倒してくればいいの?」
アリアが小さく首を傾げる。
「いや──あれは厄介ではあるが、この地に棲息している魔物だからね。わたしはここ間借りしてる身、環境を壊すのは本意じゃないよ」
「ふぅん。よくわかんないけど、ルカがそう言うならほっとくね」
「ああ、それでいいよ」
そう言って、ルカはテーブルの上から、革袋と手紙を手に取った。複雑な模様の封蝋が目を引く。
「これを古い友人に届けてくれないかな?もちろん礼はする」
革袋の中で液体が、タプリと音を立てた。
「ええ。こちらとしても、昨日のお礼もあります。承りますよ」
そこまで言って、トリスタンはアリアを見る。
「アリアも、いいよね?」
「もちろん!」
「助かるよ」
ルカは微笑み、肩をすくめた。
「私が行ってもいいんだが、ここを離れるのは面倒でね」
「それで、どこに持っていけばいいんでしょうか?」
「英雄の墓所──。城塞都市ノースファリア……ああ、今はリゲルサクセだったか。その西の丘にあるはずだ」
ルカは地図を広げ、指差した。
「ええと……墓守の方でもいらっしゃるのですか?」
ルカは不敵に笑って告げる。
「まあ、そう言っておこうか。報酬は、私が使っていた魔剣だよ。その友人が持っているから、そのまま受け取るといい」
一拍置いて、静かに続けた。
「払うもの。持ち主を災厄から守ると言われている短剣。もしかしたら、トリスタンの呪いを払えるかもしれない」
「本当ですか?!」
降って湧いたような希望に、トリスタンは思わず声を上げる。
「ふふ、あくまで可能性だけどね。もし無理でもアリアに渡してやれ。多分、足枷の効果は少しマシになるはずだ」
「ありがとう!」
アリアは飛び上がらんばかりだった。
「ああ、そうだ。また落ち着いたら訪ねておいで。遺跡の調査も手伝って欲しいんだ」
「はい。ぜひ」
ルカに挨拶をすると、二人は旅立った。
少し霧がかかった湿地帯を、朝日が明るく照らしていた。
薬草の匂いが、遠ざかっていった。
***
ルカの小屋を発って五日。
城塞都市リゲルサクセが、遠くにその姿を現した。
南から北へ、半島のように台地が伸び、その上に家々と要塞が密集している。
灰色の石壁が朝日を反射し、硬質な輝きを放っていた。
西側は川に削られた険しい崖、東には湿地帯が広がっている。
自然が築いた要害。北の守りの要──それが、城塞都市リゲルサクセだった。
「いつ見ても、あの砦とかポロッと落ちそうだよね」
アリアの素直な感想に、トリスタンは笑みをこぼす。
「あはは。それでも二百年崩れてないんだから、大丈夫だよ。
あれは、当時の魔法使いが石を浮かべて運んだんだ」
「へー。スタンもできるの?」
「うーん。できなくはないけど苦手かな。俺は炎の魔法を主に練習してたから」
「やっぱり、クルシュタの魔法使いって炎のイメージあるよね」
「うん。白炎は信仰の象徴だからね。
でも、リゲルサクセは違ってて、あそこは石を浮かべる魔法が主流なんだ」
「建築用に?運ぶの大変だもんね」
「それもあるけど……いざって時は、上から落とすためだよ」
「うわ、実用的。上から石が降ってくるんじゃ、私でも危ないね」
「手っ取り早くて効果高いらしいからね。『北の鉄兜』は伊達じゃないよ」
北の鉄兜とは、リゲルサクセ守備隊の異名だ。常に侵攻に晒されている彼らは、『南の鉄槌』と並んで王国屈指のたたき上げだ。
そこからしばらく歩くと、件の丘が見えてきた。
草の匂いが二人を迎える。丘は柔らかな緑に満ちていた。
だが、北を望めば──雪に覆われた白の世界が広がっている。
「まだ、暖かいところにあってよかったね」
「そうだね」
「あっ、あそこに建物があるよ!」
小高い丘の上に、石造りの神殿のようなものが見えた。
「多分、あれだ。行こう」
「リゲルサクセから結構近いのに、こんなところがあるなんて知らなかった」
「俺もだよ。でも、たまに誰かが通ってるみたいだね」
舗装されているわけではないが、人が通った跡が道となっていた。
二人はその後に沿って建物へと近づく。
建物は円形で、直径二十アルマ(約十四メートル)ほど。
高さは五アルマ(およそ三メートル半)といったところだ。
丁寧に手入れされているのだろう。長い年月を経ても、崩れや亀裂は見当たらない。
入口の横には、古びた石板が掲げられていた。
トリスタンはそれに目を通すと、目を見開いた。
「どうしたの?」
「これ……英雄リーゲルの墓所だ」




