ベネディクト③
馬車に揺られ、流れていく景色はすっかり変わっていた。
リゲルサクセを発ち、数日が過ぎている。
白炎の力の及ぶ地域は、かの城塞都市からでは考えられないほど温暖だ。
凍てつく北風も、ここではただのそよ風だ。草の香りが心地よく鼻をくすぐる。
「暑いー」
防寒着を着込みすぎていたのだろう。ニナがそう漏らした。
「ニナちゃん、上着脱いでおきなよ」
「うん!」
数日でアリアとニナはすっかり打ち解けていた。その姿はまるで姉妹のようだ。
「やはり、ここまで来ると本当に気候が違いますね」
アデラの言葉に、トリスタンが応じる。
「ええ。ここからはもう薄着で大丈夫ですよ」
草原の中を馬車は駆けていく。
「スタン君は『書院』にいたんだろう?なら、白炎は見たことあるのかい?」
シミオンの問い。トリスタンは王都の方角をチラリと見た。
「ええ。本当に不思議な炎ですよ。触れることも出来なくて」
『白炎』──王都に存在する不思議な炎。
それは、この地の寒気だけを払う、聖なる炎だと言われている。二百五十年にも渡り燃え続けるその炎は、寒冷地の真っ只中にある白王国クルシュタを支える物だった。
シミオンは目を細めて言う。
「また落ち着いたら、ニナと一緒に観にいくのも悪くないかもしれないね」
「ふふっ。じゃあ私たちで案内の依頼受けようか?」
アリアが笑うと、風に揺れた銀髪が陽を反射した。
トリスタンは手綱を取りながら苦笑する。
「アリアは王都知らないでしょ」
そのやりとりを見て、シミオンは笑った。
「ははっ、ガイド料は安くしてくれるのかな?」
「応相談ですね」
トリスタンはニコリと笑いながら言う。
声珠から出る声はどこまでも一定だ。だからこそ、表情で補ってやる必要があった。
***
「……」
何かを感じたトリスタンは手綱を引き、速度をほんの少し落とした。
風向きが変わった。鳥の声も、聞こえない。
車輪の音だけがやけに大きく響いている。
前方に、人影──。路を塞ぐように、数人の男が立っていた。
トリスタンとアリアはお互いに頷きあうと、馬車を止め、飛び降りた。
「馬車から降りないでくださいね」
トリスタンはスミス一家に声を掛ける。
無言で頷くシミオン。
「ようよう!ここは通行止めだぜえ」
男の一人が声を上げる。
みすぼらしい風貌に、思い思いの武器を持った男たち。追い剥ぎの類だろう。獣のような匂いが鼻を刺す。
無駄だと思いつつも、トリスタンは返事をする。
「出来れば、素通りさせてもらえると嬉しいんですけどね」
「んー。そうだなぁ。女と持ってる物を置いていくなら、考えてもいいぜ?」
下品な笑い声を漏らす男たち。
トリスタンは、後ろでアリアの殺気が膨らむのを感じた。
「アリア、気持ちはわかるけど、打ち合わせ通りにね」
トリスタンは振り返ることなくアリアに声をかける。
「わかってる!」
アリアは不満そうだったが、そう返事を返してきた。
トリスタンが前衛、アリアは後衛。それは、事前に打ち合わせていた役割だ。
トリスタンが前線で戦い、機動力のあるアリアが遊撃的にスミス一家の護衛を担う。
トリスタンは剣を抜くと、男たちに告げる。
「残念ですが、押し通ります」
一陣の風が、吹き抜けた。
斧を構えた男が、突っ込んでくる。
その勢いのままに、男は真上から斧を振り下ろした。
トリスタンは剣先でそれをいなすと、一歩踏み込み、男の脛を思い切り蹴り上げた。
「いっ……!!」
激痛に動きが止まる。そのこめかみを、柄頭で殴り飛ばした。
──一人。
心の中でカウントする。
二人目は短剣を持った男だった。
腰だめに得物を構え、体ごと突進してくる。
トリスタンは左の籠手でその勢いを受け流すと、すれ違いざま足を払う。倒れ込む男。
流れるように追撃する。半弧を描いた踵が、倒れ込んだ背中へ打ち下ろされた。
「ぶげっ」
下品な悲鳴が響く。
──二人。
そうカウントした時、トリスタンは魔法の予兆を感じ取った。
奥にいたリーダー格の男が、魔法詠唱をしている。
「焼き貫け、火炎の矢尻『火の矢』!」
その視線の先にはアリアがいた。
赤い炎の矢は、真っ直ぐにアリアへ迫る。
「よっと」
それを一瞥したアリアは、左手で炎をはたき落とす。
「……はっ?!」
素手で弾かれるという予想外の展開に、リーダーの男が顔色を変えた。
混乱の色を浮かべながらも、男はトリスタンへ向き直った。
トリスタンとアリアは一瞬視線を合わせた。お互いに頷く。
「焼き貫け、火炎の矢尻『火の矢』!」
先ほどと同じ詠唱。今度はトリスタンに向けられているようだ。『言の葉を拾う者』が、ヒリつくような感覚を皮膚に伝えている。
トリスタンは左手を口元に押し当て、集中する。
感じ取った魔法構成。それを見えない手で掴むイメージ。
掌握完了。世界が一瞬、息を止めた
心の中で命じる。
【改律・崩壊】
発射される寸前、火の矢がその場で爆ぜた。
炎に巻かれたリーダーは、悲鳴を上げることすらできず倒れる。
その時、最後の一人がトリスタンへと踊りかかった。
それを見ていたアリアの手から、ナイフが放たれる。
閃く軌跡。短い悲鳴。
ナイフは正確に、剣を握った男の腕に突き刺さっていた。
痛みに蹲ったその男にトドメの蹴りを放つと、トリスタンは周囲を見回した。
盗賊たちの呻き声以外は、何も聞こえない。
他に敵はいなさそうだった。
「スタンって結構足癖悪いよね。」
トリスタンはニコリと笑い、肩をすくめた。
「コイツら、どうする?」
"始末しとく?"と視線で尋ねるアリア。
トリスタンはスミス一家にチラリと視線を向ける。
ニナが二人に憧れるような視線を向けていた。
「いや、縛り上げて置いておこう。エルールに着いたら、衛兵に報告しておくよ」
「……そうだね。わかった」
***
リーダー格の男を縛り上げながらアリアが呟く。
「魔法が爆発してこの程度の怪我なんて、相変わらずスタンは優しいね」
「え?いや、もともと大した威力じゃないと思うよ。朱炎だったし」
「そうなんだ。私、緑色のくらいじゃないと温度わかんないんだよね」
「正直、『書院』の初等部よりも雑な構成だったかな」
トリスタンは嘘がつけない。
リーダー格の男に精神的にもトドメを刺して、二人は馬車へと戻っていった。
『詠詩改律』──それは、トリスタンが言葉の祝福を失った後に身につけた異能である。
任意の魔法に対し、対象の変更や暴発など、効果の書き換えを行うことができる。
本来なら、他人の魔法に干渉して書き換えるこ事など出来ない。少なくとも、『書院』ではそう教わった。
口元を隠すのが発動条件である。
いつ使えるようになったのかは、本人にも定かではない。
ただ、『言の葉を拾う者』で感知した魔法を“書き換えられる”と本能的に感じた──それが始まりだった。
今では、チームの対魔法使い戦における切り札となっている。
それは、言葉なき少年が見出した、声なき祈りであった。
***
その夜。最後の野営となった。
明日の昼頃には、エルールに到着しているだろう。
多めに買っておいた食糧を使い、少しだけ贅沢な食事をとることになった。
パチリ、パチリと焚き火が音を立てる。
暖かかな光に照らされた五人の影は、踊っているかのようだった。
「ちょっと塩多いね。味付けはアリア?」
「スタンは黙ってて」
「ちょっと辛いね」
「ニナちゃんまで……」
ニナの冷静なコメントに、アリアは少しショックを受けていた。
そんな二人を、微笑ましく見ていたのはスミス夫妻だった。
「すっかり懐いて……良かったです。」
「いえ、失礼なことしてないといいんですが」
アリアとニナ、じゃれ合う二人を見てトリスタンは答える。
「ははは、そんな事ないさ」
シミオンはそう笑うと、続ける。
「スタン君、答えにくいことだったら、無視してくれてもいいんだが──その……声は、何かあったのかい?」
トリスタンは一瞬言葉を詰まらせ、チラリと声珠を見た。
青い声珠に、逆さに映った炎がゆらめいている。
「そうですね。──ある日突然、声が出なくなったんです。原因は……分かってないままで」
「そうか……それは、辛いな」
シミオンはそれ以上、踏み込もうとはしなかった。
焚き火の音が、短い沈黙を埋める。
やがて、トリスタンがぽつりと口を開いた。
「……北の遺跡。もしかしたら、何かきっかけになるものがあるかもしれないって思ってるんです。」
──北の遺跡。リゲルサクセのさらに北部にある遺跡群のことである。現在よりも大きく進んだ技術体系を持っていた事はわかっている。だが、厳しい寒さと遺跡の防御機構により、調査は難航していた。
「ただ、すぐに挑むには経験も、装備も足りない。だから今は、必死に働いてます」
そう言ってトリスタンは笑う。
「アリアの足枷も、北で見つかった遺物らしいですしね」
「……なるほど。及ばずながら、応援しているよ」
「ありがとうございます」
焚き火の音だけが響く。
しばしの沈黙。木々の隙間から月明かりが降り注いでいた。
その穏やかな空気を破ったのは、アリアだった。
「……でも!スタンはちゃんと喋ってるよ」
「え?」
「声珠の声でも、ちゃんとスタンの声だもん」
アリアはそう言って、ニコリと笑った。
その無邪気な言葉が、冬の焚き火のようにトリスタンの心を温める。
トリスタンもまた、かすかに頬を緩めた。
「……そうだね」
──ありがとう。トリスタンはそう心の中で呟く。
「さて、明日に響かないうちに私たちは寝ようか」
話を切り上げたのはシミオンだった。
寝てしまったニナを抱えて立ち上がる。
「ええ、見張りはお任せください」
二人は軽く手を振って、馬車に戻るスミス一家を見送った。
静かな夜風が、火の粉を運んでいく。
星明かりが、優しく二人を照らしていた。




