身代り桜
「さくら、なんて名前嫌だわ」
お嬢様は窓の外の桜を眺めて言った。
「すぐに散ってしまうし、実も生らないし、だいたい60年くらいしかもたないと言うじゃないの。人より短いわ」
「食べられる実は生りませんが、実はできますよ。数百年から1000年を生きる種類もあると聞きます」
私は自分が知りうる範囲の知識をお伝えする。
「あの人達、絶対そんなこと知らないでしょ」
不満げな顔をするお嬢様に私は苦笑した。
病弱なお嬢様だったが、このところ容体は安定している。体調以外のことに文句を言いはじめるのは、普段より体調が良好な証拠だ。
"あの人達"……お嬢様に「さくら」の名を与えたご両親は、珍しく連絡してきたかと思えば『事業のお披露目パーティに出るように』と用件だけを告げた。お嬢様の声を聞くことも、様子を尋ねることもなく。
着飾ったお嬢様は、本当にお綺麗だった。「1000年先にも残したい美しさでございますよ」
そうお伝えしたのは、本心だ。友人としての。
その晩春の嵐が吹き荒れ、満開の桜の木はあっという間に花を散らした。
薄ピンクの花びらが舞っていた。
「……桜?」
その人は振り返ると、目を細めて柔らかくほほ笑んだ。
「ああ、ますます美しくおなりだ」
そう言う端から、輪郭がはらはらと崩れ落ちていく。久しぶりに見かけた、友人の姿。
思わず手を伸ばすが、届くことはなかった。
「1000年とはいきませんが、どうか……」
そう言って、"桜"のまぼろしは消えていった。
風が舞い、桜の花びらが床に渦を巻く。
静寂に包まれた部屋の窓の外に、花の散った桜の幹が佇んでいた。
あの嵐の晩、桜の木は花と一緒に命を散らしてしまったようだった。
それ以来、病床のさくらに寄り添ってくれた彼の友人は姿を消してしまった。
ただ、さくら自身の病状は不思議なことに改善した。
まるで、桜の木の命が宿ったかのように。
「おかあさま!」
幼い声がさくらを呼ぶ。
部屋に飛び込んできた娘をさくらは抱きとめた。「ここは何のお部屋?」
「わたしが子供の頃に住んでいたお部屋よ」
「ふぅん……あれ、なんの木?」
娘は窓の外の幹とわずかな枝だけとなった木を指さす。
「"桜"よ」
「花が咲く?」
「そうね、きっと咲くわね……」
――そうでしょう?
振り仰ぐさくらの頬を、春の優しい風が撫でていった。




