第1話:ゴミ企画屋、追放される
効率こそが正義の巨大鉄道組織。そこで「客を楽しませる」という最大の禁忌を犯した一人の男が、今、ゴミのように投げ捨てられようとしていた。
「——君のような『ゴミ』に払う給料は、我が官営鉄道には一文もないのだよ」
書類の束が、私の顔のすぐ横をすり抜け、ペタペタと冷たい石造りの床に散らばった。
重厚な革張りの椅子に深々と腰掛け、嘲笑を浮かべているのは、官営鉄道企画局の局長・馬場だ。金縁の眼鏡の奥で、彼の細い目が小刻みに揺れている。
「聞けば君は、またバカげた提案書を出したそうじゃないか。『車内での温かいお茶と軽食の販売』? 『乗車券と演劇鑑賞券のセット割引』? ハッ、片腹痛い!」
「ですが局長。我が国の鉄道網は拡大し、単なる『移動手段』から『旅の楽しみ』へと利用客のニーズが移り変わっています。長旅の客を楽しませるサービスこそが、今後の——」
「黙れ!」
馬場は机を激しく叩いた。
「我が官営鉄道の使命はただ一つ! 客という名の『荷物』を、指定された時間に、指定された場所へ、効率よく叩き込むことだ! 客を喜ばせる? 楽しませる? 笑わせるな、ここは見世物小屋ではない!」
馬場は嘲笑を深め、私の胸ポケットから官営鉄道の証章を乱暴に引き抜いた。
「今日限りで君はクビだ、黒田。君のような『ゴミ企画屋』の居場所など、この巨大な官営鉄道のどこにもない。精々、路頭に迷うがいい!」
散らばった書類を踏みつけながら、私は静かに深々と頭を下げた。
「……長い間、お世話になりました」
叫び出すでもなく、未練がましくすがりつくでもない私の態度に、馬場は拍子抜けしたような顔をしたが、すぐに鼻で笑ってシッシッと手を払った。
(ふぅ……やっと辞められた)
重い鉄の扉を閉めた瞬間、私は内心で盛大にガッツポーズを決めていた。
——実は、渡りに船だったのだ。
固苦しい官営鉄道の組織に縛られ、毎日定時運行のグラフとにらめっこする生活には、もうウンザリしていた。私のやりたかったのは、もっと気楽で、乗った人がクスッと笑えるような、楽しい鉄道作りだったのだから。
退職金の入った小袋を懐に押し込み、私は前々から目をつけていた「ある場所」へと足を向けた。
官営鉄道の華やかな中央駅から列車で一時間。
のどかな田園風景を抜けた先にある、終着駅。
ひび割れた木造の駅舎には、錆びついた看板が掲げられていた。
『泥川電鉄』
開業したはいいものの、乗客数が伸び悩み、いつ倒産してもおかしくないと噂される、超・弱小ローカル私鉄だ。
「……うわぁ、想像以上にボロいな」
ガタつくドアを押して事務所に入ると、そこには頭を抱えて机に突っ伏している、一人の若い女性がいた。
使い古された制服に身を包み、書類の山と格闘している。彼女こそ、亡き父の後を継いでこの泥川電鉄の社長になったばかりの娘、千代だった。
「うう……今月の電気代が払えない……線路の補修費も足りない……このままだと本当に廃線になっちゃうよぉ……」
「あの、すみません」
「ひゃいっ!?」
声をかけると、千代は跳び上がって驚き、慌てて書類を隠そうとして机の上のインク瓶を倒しかけた。
「た、た、お客様ですか!? 申し訳ありません、次の電車はあと二時間後でして……!」
「いえ、客ではありません。本日付で官営鉄道を辞めてきました、黒田宗次と申します。こちらで雇っていただけないかと思いまして」
私が手土産の煎餅を机に置くと、千代は目を丸くした。
「か、官営鉄道!? そんな超エリート組織を辞めて、なんでうちみたいな潰れかけの会社に……!?」
「あちらは息が詰まりましてね。私はもっとのんびり、お茶でも飲みながら楽しい仕事がしたかったんです。
給料は安くて構いませんよ。その代わり、私の企画をいくつか試させてください」
「き、企画……?」
千代は半信半疑といった様子で私を見つめた。
私は窓の外——誰もいない、閑古鳥が鳴いている駅前広場(というかただの空き地)を指さした。
「まず第一弾として……あの空き地に、小さなお茶屋と団子屋の屋台を呼びましょう。それと、ベンチと花壇を作ります」
「えっ……お茶屋? 電車に関係ないじゃないですか! うちは鉄道会社ですよ!?」
「いいえ、大ありです」
私はニッコリと微笑んだ。
「二時間も電車を待つ間、寒空の下で突っ立っているなんて苦行でしょう? 待っている間に温かいお茶と甘い団子が食べられて、綺麗な花が見られたら……『待ち時間』が『楽しい時間』に変わります。
ついでに、お茶を買った人には帰りの運賃を十パーセント引きにする券を配りましょう」
千代はぽかんと口を開けた。
「たったそれだけで……客が増えるんですか?」
「ええ。とりあえず、私のポケットマネーで花壇の種とお茶の道具を買ってきますから。のんびり始めましょう」
私は上着を脱ぎ、腕まくりをした。
——この時、私は知る由もなかった。
私が「ヒマつぶし」と「自分の趣味」で始めたこの小さな茶屋が、やがて業界全体を揺るがす大騒動へと発展していくことを。
そして、クビを言い渡したはずの官営鉄道の馬場局長が、この「たった一つの屋台」を見て、青ざめた顔で深読みを始めることになるのを——。
ただ気楽に、のんびりとお茶を飲みたかっただけの元エリート。彼が放った一見ただの「ヒマつぶし」が、巨大な組織の脳細胞を狂わせる狂気のスパイスになるとは、まだ誰も気づいていなかった。




