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伊丹の地に、翼が降りた日
昭和十四年。
人間の暦で言うたら、そういう年やった。
わしはいつも通り、
熊野の山から大阪湾へ抜ける風に乗って、
このあたりの空を渡っていた。
その年、伊丹の地に、
人間は正式に“飛行場”を開いた。
名を「大阪第二飛行場」という。
せやけど、ここに住む者らは、
ただ「伊丹の飛行場」と呼び始めた。
軍服の色をした空
滑走路の周りには、
田畑の代わりに兵舎が建ち、
若い兵隊らが列をなして歩き始めた。
「おい、もっと胸張らんか!」
「はいっ!」
号令の声が、
朝の冷たい空気を切り裂く。
わしはその上を、
少し高いところから見下ろしていた。
銀色の機体は、
まだ数も少ない。
けれど、
この地の空気は、
もう“戦の匂い”を帯び始めていた。
人間は、空を手に入れたと思ったら、
まず戦に使う。
れが、昔からの悪い癖や。
若い翼たち
ある朝、
まだ霜の残る滑走路の端で、
二人の若い兵隊が、
飛行機を見上げていた。
「あれに乗れたら、一人前やなぁ」
「せやけど、落ちたら終わりやで」
「落ちる前に、敵を落としたらええねん」
強がり半分、
憧れ半分の声やった。
わしは彼らの頭上をかすめて飛んだ。
人間は、
自分の命よりも、
空への憧れを優先してしまうときがある。
プロペラの音が、
日ごとに増えていく。
離陸と着陸のたびに、
伊丹の地面は震え、
周りの家々の窓ガラスがかすかに鳴った。
それでもこの頃は、
まだ誰も文句を言わんかった。
「国のためや」と、
そういう時代やったからや。
八咫烏の目に映る戦の影
やがて、
飛行場から飛び立つ機体の数は増え、
戻ってこない機体も増えた。
「〇〇中尉、帰ってきいひんかったな……」
「あの人、腕は確かやったのになぁ」
整備兵らが、
工具を握ったまま空を見上げる。
わしは知っていた。
空は公平や。
腕のええ者も、
運のええ者も、
悪い者も、
同じように飲み込んでしまう。
伊丹の空は、
いつの間にか“出征の空”になっていた。
ここから飛び立った翼は、
多くが帰らんかった。
「頼むで、空の神さん」
そう呟いて、
離陸する機体に向かって頭を下げる整備兵もおった。
わしは心の中で答えた。
「わしは見守ることしかできへん。
せやけど、ちゃんと見届ける。」
焦げた匂いのする夏
戦が激しゅうなってきた頃、
伊丹の空にも、
別の影が現れ始めた。
遠くから、
低い唸り声のようなエンジン音が近づいてくる。
それは、この飛行場の機体とは違う音やった。
「敵機や!」
サイレンが鳴り、
兵隊らが走り出す。
地上の灯りが消され、
空だけが、
かすかに赤く染まる。
爆弾が落ちるたびに、
地面が跳ね、
滑走路の端に土煙が上がる。
わしは高いところから、
その光景を見ていた。
人間は、
空を手に入れたその手で、
空から互いを壊し合う。
伊丹の飛行場も、
無傷ではおられへんかった。
格納庫の一部は焼け、
滑走路には穴が開き、
それでも人間は、
また土を埋めて飛行機を飛ばそうとした。
静けさのあとに来た、別の軍服
やがて、
戦は終わった。
人間の暦で言えば、
昭和二十年。
爆撃の音が止み、
サイレンも鳴らんようになったある日、
伊丹の空に、
見慣れん模様の機体が現れた。
翼に描かれているのは、
この国の印ではない。
「アメリカや……」
飛行場に残っていた者らが、
小さくそう呟いた。
その日から、
伊丹の飛行場は、
別の国の軍服に支配されることになった。
「イタミ・エアベース」
彼らはそう呼んだ。
わしは上空から、
新しい看板と、
英語の看板を見下ろした。
日本の兵隊の代わりに、
異国の兵士らが歩き回る。
滑走路を走るジープの色も、
飛び立つ機体の形も、
すべてが変わっていった。
けれど、
一つだけ変わらんものがあった。
ここが、
依然として“空と地上の境目”やという事実や。
八咫烏の小さな独り言
「人間の国が変わっても、
空の色はそう簡単には変わらん。」
わしは、
夕暮れの伊丹の空を横切りながら、
そう呟いた。
田畑は減り、
兵舎は増え、
やがてそれもまた姿を変えていくやろう。
けれど、
この地に一度引かれた“滑走路”という線は、
もう消えへん。
ここは、
これからもずっと、
空へ向かって走り出す場所であり続ける。
わしは知っていた。
この伊丹の飛行場が、
やがて「大阪空港」と呼ばれ、
さらに「大阪国際空港」となって、
世界中から人とモノが集まる場所になることを。
せやからこそ、
この戦の時代の記憶を、
ちゃんと胸に刻んでおかなあかん。
空は、
忘れたふりをする人間を、
ときどき試すからな。




