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1936年(昭和11年)12月9日
兵庫県川辺郡神津村(現在の伊丹市・豊中市・池田市にまたがる地域)で農地を買収し、建設工事が開始されました。
まだ麦の匂いが残る豊中の畑へ、異様な数の測量杭が打ち込まれ始めた。
赤白の旗。
巻尺を引く技師。
軍帽の将校。
そして、土煙を上げながら入ってくるトラック隊列。
村の子供たちは最初、それを祭りだと思った。
「見てみぃ! 兵隊さんや!」
「飛行機来るんか!?」
「ほんまに空飛ぶんか!?」
裸足のまま畦道を駆ける子供らの後ろで、大人たちは笑いながらも落ち着かない顔をしていた。
大阪陸軍航空廠――。
その名が正式に伝わる頃には、周辺一帯は完全に工事の熱気へ呑まれていた。
「おい、セメント足らんぞ!」
「ダンプ回せダンプ!」
「杭曲がっとるやないか、誰や打ったん!」
怒号が飛ぶ。
まだ朝霧の残る現場で、地元土木業者たちは泥まみれになって走り回っていた。
豊中、池田、伊丹、尼崎――。
関西中の土建屋が仕事を求めて集まり、飯場は毎夜、酒と怒鳴り声で揺れた。
「軍の仕事やぞ! 三年は食える!」
「いや十年や! 飛行機の時代来るで!」
「これからは船やない、空や!」
景気話が飛び交う。
ある親方は新しい革靴を買い、
ある左官屋は妾に指輪を贈り、
ある運搬屋は荷馬車を二台増やした。
銭が動く匂いに、人は敏感だった。
だが、その熱狂の裏では、別の声も渦巻いていた。
「また田んぼ潰されるんか……」
年老いた農夫が、掘り返された黒土を黙って見つめている。
先祖代々の畑だった。
水の流れ。
風の向き。
土の癖。
全部、身体で覚えてきた土地だった。
だが軍服の男たちは、地図の線一本でそれを消していく。
「国のためや」
誰かが言う。
すると別の誰かが小さく返す。
「国いうても、腹は膨れへん」
昼になると、徴用された労働者たちが列を成して現場へ送り込まれてきた。
学生上がりの若者。
職を失った工員。
地方から来た日雇い。
朝鮮半島から連れてこられた者もいた。
「おい、新入り! モッコ持て!」
「サボるな! 日が暮れるまで終わらんぞ!」
監督が竹棒を振る。
炎天下の滑走路予定地では、無数の人間が蟻のように動いていた。
土を掘る者。
砂利を運ぶ者。
転圧機にしがみつく者。
汗が白土へ落ちるたび、地面は少しずつ“空港”へ変わっていく。
「ほんまに飛ぶんかねぇ……」
一人の若い労働者が空を見た。
そこへ偶然、一機の試験機が低空で通過する。
ゴォォォォォォ――……
腹へ響く爆音。
全員が思わず顔を上げた。
帽子が飛び、
土埃が舞い、
子供が歓声を上げ、
老婆が耳を塞ぐ。
「うおおおっ!」
「速ぁっ!」
「龍みたいや……!」
銀色の機体は夏雲を裂き、そのまま東へ消えていった。
しばらく誰も喋らなかった。
やがて、一人の飯場人夫がぽつりと言う。
「……あれが、新しい時代なんやろな」
その言葉を、少し離れた電柱の上で、一羽の黒い鳥が静かに聞いていた。
三本足の影は、夕焼けへ細長く伸びていた。
地盤が予想以上に悪かったことや、水害の影響を受けたことで工事は大幅に遅れました。
そのため、当初の計画よりも工期が延び、完成したのは1938年(昭和13年)9月、開場(大阪第二飛行場としての開港)は1939年(昭和14年)1月17日となりました。




