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大空の第三者 〜八咫烏が辿る、関西80年の銀翼の記憶〜  作者: velvetcondor guild


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黒羽ノ介 ― “空が還ってきた日” (語り部:黒羽ノ介)


昭和三十三年三月十八日 ― 春の風が変わった朝


その日の伊丹の空は、

妙に静かやった。

冬の冷たさが抜けきらん朝やのに、

風だけが柔らかかった。


わしは夜明け前から、

滑走路の上を旋回していた。

「……今日は、空の匂いが違う。」


長い間、

伊丹の空には異国の重たい匂いが染みついとった。

濃いオイル。

軍靴の泥。

戦争の残り香。


けれど、その朝――

その匂いが少しだけ薄れていた。

代わりに、

昔、この土地に流れていた

“人が空を見上げて夢を抱く匂い”が戻ってきとった。


「イタミ・エアベース」ではなくなる日

滑走路の端では、

日本人の管制官たちが空を見上げていた。


その顔には、

緊張と、

信じられへんような喜びが混ざっとる。


「……ほんまに返ってきたんやな。」


誰かが、そう呟いた。

長かった。

戦争が終わってからも、

空はずっと人の手に縛られとった。

地上に線が引かれ、

国が変わり、

言葉が変わり、

看板が変わり、

空の名前まで変わった。


けれど――

この日、伊丹はようやく

“日本の空港”として息を吹き返そうとしていた。

わしは高い空から思った。

「空は、ようやく帰る場所を思い出したんやな。」


少年と森川 ― 滑走路の端に立つ二人


少年と森川も、

その朝、滑走路の端に立っとった。

もう“少年”と呼ぶには、

少し大人びた背中になっていた。

坂東を失い、

戦後を生き抜き、

米軍基地の厳しい仕事を潜り抜けた二人。


その肩には、

油の匂いと、

空を支えてきた時間が染み込んどる。


森川が煙草をくわえながら言った。


「なあ……

ほんまに返ってきたんやな。」


少年は、

静かに空を見上げた。

「……うん。」

その声は小さかった。

けれど、震えていた。


黒羽ノ介は思った。

「あんた……ずっと待っとったんやな。」


“はつかぜ”が飛ぶ

やがて、

一機の小さな機体が滑走路へ現れた。


デ・ハビランド DH.114。

「はつかぜ」。


軍用機とは違う。

その姿には、

“人を運ぶための空”の匂いがあった。


わしは、その機体を見た瞬間、

胸の奥がざわついた。


「……風が違う。」


戦争のために飛ぶ空やない。

誰かを殺すための翼やない。

人を乗せ、

景色を見せ、

遠くへ連れていくための翼。

それは、

わしが千年の空の中で、

ずっと待っていた“未来の空”の形やった。


エンジン音が、伊丹の空を変える

「はつかぜ」が滑走を始めた。


軽いエンジン音。

春風を切る音。

軍用機のように空を押し潰さん、

柔らかな飛び方。


その瞬間――

わしは、

伊丹の空の“呼吸”が変わるのを感じた。

「ああ……。」


米軍機の重たい風やない。

戦争の音やない。

人が未来へ向かう音や。

機体がふわりと浮いた瞬間、

滑走路の空気が一気にほどけた。

管制塔の人間たちが、

思わず拍手した。

誰かが泣いていた。


森川は帽子を脱ぎ、

少年は、ただ空を見上げていた。

その目は――

戦争を知る者の目やった。

喪失を知る者の目やった。

けれど同時に、

ようやく未来を見始めた者の目でもあった。


黒羽ノ介の胸に込み上げたもの

わしは、

高い空で翼を止めた。

千年、

この国の空を見てきた。

戦も、

飢えも、

火も、

涙も見てきた。


けれど――

「人間は、それでも空を捨てへんのやな……。」

その事実が、

胸に突き刺さった。

戦争で焼かれても、

国を失っても、

大切な人を亡くしても、

人間はまた空を見上げる。

また飛ぼうとする。

その強さを、

わしは少し見誤っとったのかもしれん。


坂東の影が、風の中にいた

「はつかぜ」が空へ消えていくとき、

少年は小さく呟いた。

「……坂東さん、見えとるか。」

森川は何も言わんかった。

ただ、

静かに隣に立っとった。


そのとき、

春の風が滑走路を抜けた。

やわらかい風やった。

わしには分かった。

「……坂東。」

あの男の気配が、

ほんの一瞬だけ空を撫でた。

坂東もきっと、

この空を見とる。

戦争の空ではなく、

未来へ向かう空を。


黒羽ノ介が見た、“新しい伊丹”

その日から、

伊丹の空はまた動き始めた。

民間機が飛び

人々が旅をし

子どもらが飛行機を見上げ

恋人たちが別れを惜しみ

家族が再会を喜ぶ

空が、

再び“人間の人生”を運び始めたんや。


黒羽ノ介は、

夕暮れの空を旋回しながら思った。

「ここからや。」

この空は、

まだ何度も変わる。

栄光も来る。

騒音も来る。

争いも来る。


けれど――

「あんたらが支える限り、

伊丹の空は、生き続ける。」

少年と森川の影が、

赤い滑走路に長く伸びていた。

その影はもう、

“戦後を生き延びた子ども”の影やなかった。

未来の空を支える者の影やった。

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