序章
『大空の第三者
〜八咫烏が辿る、関西80年の銀翼の記憶〜』
序章 ――空を見ていた者
人は、空を見上げる。
祈る時。
誰かを待つ時。
帰れない者を想う時。
だが、空の側から人間を見続けた者がいたことを、ほとんど誰も知らない。
昭和二十年八月。
焼けた大地の上を、一羽の黒い鳥が旋回していた。
煤に曇った大阪湾。
崩れた神戸港。
炎の残り香が漂う尼崎の工場群。
そして、煙の切れ間から見える、細長い滑走路。
鳥は鳴かなかった。
ただ、見ていた。
逃げ惑う者。
瓦礫の上で立ち尽くす者。
海へ向かう者。
空を睨む者。
そして――空から降りてきた銀色の翼を。
その鳥を、人は八咫烏と呼ぶ。
三本足の導きの神。
勝者に道を示す瑞兆。
だが、古い記録の片隅には、別の呼び名も残っている。
「第三者」
敵でもない。
味方でもない。
裁く者でもない。
ただ、空の記憶を継ぐ者。
戦後、関西の空は急速に変わった。
軍の飛行場は民間へ移り、
伊丹には旅客機が降り始め、
やがて高度成長の光が夜空を白く染めていく。
人は、再び空へ夢を見るようになった。
万博。
ジャンボ機。
海外航路。
ヘリコプター中継。
消えた貨物便。
消された事故。
歓声とともに、秘密もまた増えていった。
昭和四十七年。
深夜の六甲山上空で、一機の輸送機がレーダーから消えた。
墜落記録はない。
遭難信号もない。
だが、その夜、山中で“黒い三本足の鳥”を見たという証言だけが、幾つも残された。
新聞は三日で黙った。
警察も、自衛隊も、気象庁も、誰も続きを語らなかった。
ただ一人を除いて。
神戸新聞の若い記者、榊 恒一郎。
彼は消えた輸送機の記事を追ううち、ある奇妙な共通点へ辿り着く。
戦後から現在まで、関西航空史の重大事件の裏側には、必ず「八咫烏」の痕跡がある――。
それは噂か。
暗号名か。
組織か。
それとも、本当に空を渡る何者かなのか。
その答えを知る者は、まだ誰もいない。
だが、空は知っている。
あの日から八十年。
人間たちが空へ憧れ、裏切り、奪い合い、それでも飛ぶことをやめなかった全てを。
そして今もまた、一羽の黒い影が、関西の夜空を静かに旋回していた。




